Luna's " Tomorrow is a beautiful day "

こころは魔もの。暗い地下でとどろくマグマのような…。

盛衰を以って、人の善悪は沙汰されぬ事なり

2005年10月24日 | Weblog
盛衰を以って、人の善悪は沙汰されぬ事なり。
盛衰は天然の事なり。善悪は人の事なり。
されど、教訓の為には盛衰を以って云ふなり。


(訳)
人の身の盛衰によって、その人の善悪を論じることはできない。
盛衰とは、しょせん、自然のなりゆきであり、善悪は人間の判断によるものだからだ。
しかしながら、教訓のためには、人の盛衰を善悪の結果であるように言いやすいものである。


(「葉隠入門」/ 三島由紀夫・著)

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周囲の反対を押し切って、自分で行動したこと…。それを後になって後悔するなんてあるのでしょうか。自分の思っていたようには、うまく事が運ばなかったら、ひょっとしたら、そのように思うかもしれません。エホバの証人をやめることもそう。エホバの霊の保護を離れた報いだって言われると、わたしなら、きっと悔しく思う。

でも、そういうのって、ほんとうは自分の意思で行動したんじゃないと思います。ただ単に、思い通りになる世界を夢みて逃げただけ。周囲の人も、世界も、自分を喜ばせるべきっていう考えと同じ。

わたしは違う。いま、断言できます。わたしは、自分がもっと多くの可能性を持っているはずって、やればできるはずって、そう感じたから、出てきたんだ…。そうよね、わたしのこころ。これって偉大なことよ。
「大きな一歩を踏み出すのを恐がっていてはいけない。小さな二つのジャンプでは、深い割れ目を越すことはできないのだから (デビッド・ロイド・ジョージ)」。

あそこを出てきてから、たくさん傷つけちゃったし、それ以上に自分が傷ついてきた。でもこれは挫折じゃない。自分で決断したことに挑戦した…でもそれに多くの失敗が伴っただけ。失敗は敗北じゃない、絶対に。
「失敗に乾杯! あなたが今まで経験できなかった、価値ある人生の深みを、この時に学びとることができるのだから (ソフィア・ローレン)」。

失敗を「敗北」だと間違って思うから、失敗が怖くなる。きっと、失敗は「先生」なんだと思う、いえ、そう思おう。しょせん人間なんて何でも知り尽くしているんじゃないし、何でも知り尽くさなきゃ何かを始めてはいけないんだったら、結局何にもできなくなっちゃう。「転んだときにはいつでも何かを拾え (オズワルド・セオドア・アベリー)」。自分の知らなかった何かが、失敗によって理解できる。だから失敗は教師なんだ、きっと。失敗は敗北じゃない、だから諦めちゃいけない。「あなたが勝つためには、一度ならず何度も戦うべきだ (マーガレット・サッチャー)」。

思ったほど、華やかな成果を得られているわけじゃない。それはまだ学ぶことがたくさんあるから。たとえ、自分が想像するような、十分な成果を得られないままに生涯を終えるとしても、それは自分の意欲に殉じたことだ、その人生には、レールの上を安全に走ることなんかでは得られない「達成感」があるに違いない。「心に傷を持たない人間がつまらないように、あやまちのない人生は味気ないものだ(「赤ひげ診療譚」/ 山本周五郎・著)。

わたしがエホバの証人でいたら、今よりは生きることに満足できただろうか。できない。それはわかる。絶対にできなかった。なぜなら、他人が決める値段は他人にとって都合のよい秤に基づいていたから。それはわたしの望むものじゃなかった。「幸福はものごとの味にあって、ものごとそのものにあるのではない。幸福になるのは、自分の好きなものを持っているからであり、他人がよいと思うものを持っているからではない (ラ・ロシュフコー)」。

運不運は善悪正邪の問題じゃない。若さと老衰がそうであるように。ただ特定の固定観念を強要しようとする連中が、善悪正邪の訓話で教え込もうとする。それらはなりゆきであり、途上にある山坂にすぎないんだよ、きっと。だから、今日は今日できるだけのことをしたんだから、今日という日に感謝しよう。今日を無事に生き残った自分をねぎらってあげよう。「今日は、よくやった。明日、ひょっとすると芽を吹くかも知れないよ」って。

「愚か者は幸福がどこか遠いところにあると思い込んでいる。利口者は幸福を足元に育てる (ジェームズ・オッペンハイム/詩人)」。