聖書に学ぶ神のみことば

teacherが感じ、思ったことなどをいろいろと綴ります。聖書の一節をちょっと添えて。

向日葵咲きて、やはり夏かな

2006-07-18 22:35:08 | キリスト教
 <再考> 「12」という数字の意味

  4日ぶりに職場に足を向けると、4日前にはなかった風景が展開している。自然は本当にあっという間に動くことを実感。あちこちで、ひまわりが咲き始めていたのだ。あいにく今日は雨模様で、青空をバックにとはいかなかったが、やはりひまわりが咲いて、ようやく盛夏という気がしてくる。しかし、昨日からの雷雨は止まず、高校野球も札幌は中止。決勝戦が25日(火曜日)までずれてしまいガッカリ。24日(月曜日)なら代休日で観戦に行けたのに・・・憎らしい雨。25日も代休日だが、あいにく先約がつまっている。

  なぜ、「12」という数字は、キリスト教にとって意味を持つ数字なのか?

  民族の祖アブラハムの子孫ヤコブは、神からイスラエルという名前を与えられています。イスラエルには12人の息子がいて、そこから12の部族が興った。まずは、これが、キリスト教における「12」という数字の持つ意味と言われています。
  昔、太陰暦の時代には、12ヶ月ではなく、13ヶ月あったわけですが、これも実は、12部族からきているのです。ダビデ王がユダヤ王国を建国するまでは、12の部族がそれぞれに小国を作っていましたが、実は、小国の数は12でも、レビを含めると、部族数は13になるのです。太陰暦で閏月を設けて、1年を13ヶ月にしているのはこうした背景があるようです。
  実は、イエス・キリストが使徒を12人としたことも、この12部族にちなんでとされていますが、最後の晩餐の場面でわかるとおり、12人の使徒にイエス様を加えれば13になるのです。12という数字が、大きな意味を持っているのは、こうしてキリスト教を背景とした自然科学とも大いに関係があるのです。歴史と自然科学の宗教的融合といったところでしょうか。

◎今日のみことば ヨハネ1:18
  いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。(新改訳)

 新共同訳で読むと、「・・・、この方が神を示されたのである。」となっています。
 神であり、人であるイエス・キリストのなかに人間的究極を見出し、その在り方や生き方に倣うことをとおして、人間の完成を目指しましょう。正直、「完成」はなかなかしません。しかし、自らの本性の完成をまさに「目指して」絶えず、その途上で成長する自分に自覚的であることはできます。いろいろな都合で、聖書を読めない日もあります。でも、読める日には少しでも読みましょう。

 <みことばホームページ> こちらです!

  ★札幌は、いま、PMF=Pacific Music Festivalが開催中。世界中から若手音楽家が集まる国際教育音楽祭の真っ只中。ただ、ちょっとこのお天気はかわいそう。30日(日曜日)夜は、札幌芸術の森でチャイコフスキーの交響曲5番聞く予定。

 PMFの記事はこちらへ

 明日も?これでまた高校野球中止になったら、夕張高校、もう宿泊費が底尽きるって・・・。公立高校にとって、全道大会遠征における泊の延長は金銭的に厳しいだろうな~せめて駒苫相手にベストを尽くしてほしい。

 湿っぽい・・・。

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