ほんと街中で見かけなくなりました
…虫取りに興じる子どもたち
とある墓地にて、虫取り網をもっている子どもをみた。こうした光景は、最近、「お盆限定」のような気がする。街中で、虫取り網をもって遊んでいる子どもなど、まず見ることはない。たまに郊外に行くと、父親の車で来た子どもが虫取りをしていることもあるが、市街地ではまずお目にかかることはないといっていいだろう。そもそも、街中に昆虫がいないという状況にあるのだから、当然といえば当然なのだが。
子どもが不幸な事件で殺される時代ではあるが、逆にいとも簡単に、子どもが人の命を殺める重大な犯罪に関わってしまう世の中でもある。「心の教育」なんて、教育界のお偉いサン達は言うけれども、よく観察したら、学校社会というのは、結局、学校という枠組みの中でしか完結しない行為や心構えを子どもに強制し、そのことで、どんどん子どもが持つ「心の闇」は膨張して、大人が目指すものとは乖離していくのだ。
虫を捕まえてカゴの中に入れて飼うという行為は、虫たちの死という帰結が待っている。teacherもよくやったものだ。小学生の頃はなんとも思わなかったが、中学生のときだったか、ある朝、キリギリスが「共食い」をやって死んでいる姿を何気なくみて初めて、「ああ、命って大切なものなのに、なんでこんな残酷なことをしたんだろう?」という思いにかられた。それ以来、虫の命には敏感になり、昆虫採集という残忍な遊びはしなくなった。本来、命の重さはそうした自然とのつながりを通じて、理解が深まっていくものだが、最近の子どもはなかなかそうはいかない。そのあたりが、親殺し、若い親による子殺し、虐待につながっている遠因のような気もするのだ。学校的論理で教育しても「心の教育」はできません。自然発生的に子どもが何かを学んでいくプロセスが社会に用意されていなければならないのです。
この夏休み期間中も、teacherの家の周辺にある塾は大盛況で、朝から晩までびっしり小中学生の自転車が並んでいる。このあたりに、いわゆる「難関私立」はない。普通に勉強していたら受験に失敗することはないし、そもそもこの地は、公立優勢であって、最近は志願倍率が1.1倍でも「高倍率」というくらい受験外圧は低下している。そこそこの進学校でも1.1倍前後で推移するのだ。それなのに、クーラーががんがん効いた塾で朝から勉強する価値があるのかい、きみたち?そんな思いがかけめぐるteacherである。普通に勉強していたら、普通に学校に入れる時代なのに、塾産業だけは栄え、薄っぺらい「勉強」ばかりが横行して、社会や自然から本当に何かを「学ぶ」ということが極端に少なくなっている。そんな歪みが、受容しなければならない現実であるかのように受け留められているこの社会の先には、何が待っているのだろうか。teacherは悩む。
みことばホームページ こちらです!!
いろいろ悩みがあれば、ここから聖書を読んでみてください。(聖書本文もあります)
暑いね~今日も。
…虫取りに興じる子どもたち
とある墓地にて、虫取り網をもっている子どもをみた。こうした光景は、最近、「お盆限定」のような気がする。街中で、虫取り網をもって遊んでいる子どもなど、まず見ることはない。たまに郊外に行くと、父親の車で来た子どもが虫取りをしていることもあるが、市街地ではまずお目にかかることはないといっていいだろう。そもそも、街中に昆虫がいないという状況にあるのだから、当然といえば当然なのだが。
子どもが不幸な事件で殺される時代ではあるが、逆にいとも簡単に、子どもが人の命を殺める重大な犯罪に関わってしまう世の中でもある。「心の教育」なんて、教育界のお偉いサン達は言うけれども、よく観察したら、学校社会というのは、結局、学校という枠組みの中でしか完結しない行為や心構えを子どもに強制し、そのことで、どんどん子どもが持つ「心の闇」は膨張して、大人が目指すものとは乖離していくのだ。
虫を捕まえてカゴの中に入れて飼うという行為は、虫たちの死という帰結が待っている。teacherもよくやったものだ。小学生の頃はなんとも思わなかったが、中学生のときだったか、ある朝、キリギリスが「共食い」をやって死んでいる姿を何気なくみて初めて、「ああ、命って大切なものなのに、なんでこんな残酷なことをしたんだろう?」という思いにかられた。それ以来、虫の命には敏感になり、昆虫採集という残忍な遊びはしなくなった。本来、命の重さはそうした自然とのつながりを通じて、理解が深まっていくものだが、最近の子どもはなかなかそうはいかない。そのあたりが、親殺し、若い親による子殺し、虐待につながっている遠因のような気もするのだ。学校的論理で教育しても「心の教育」はできません。自然発生的に子どもが何かを学んでいくプロセスが社会に用意されていなければならないのです。
この夏休み期間中も、teacherの家の周辺にある塾は大盛況で、朝から晩までびっしり小中学生の自転車が並んでいる。このあたりに、いわゆる「難関私立」はない。普通に勉強していたら受験に失敗することはないし、そもそもこの地は、公立優勢であって、最近は志願倍率が1.1倍でも「高倍率」というくらい受験外圧は低下している。そこそこの進学校でも1.1倍前後で推移するのだ。それなのに、クーラーががんがん効いた塾で朝から勉強する価値があるのかい、きみたち?そんな思いがかけめぐるteacherである。普通に勉強していたら、普通に学校に入れる時代なのに、塾産業だけは栄え、薄っぺらい「勉強」ばかりが横行して、社会や自然から本当に何かを「学ぶ」ということが極端に少なくなっている。そんな歪みが、受容しなければならない現実であるかのように受け留められているこの社会の先には、何が待っているのだろうか。teacherは悩む。
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暑いね~今日も。