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聖書に学ぶ神のみことば

teacherが感じ、思ったことなどをいろいろと綴ります。聖書の一節をちょっと添えて。

栗山町にも「炭鉱」があった!!

2009-08-26 00:01:00 | 歴史・史跡・文学碑
 外国人(中国人)の強制労働で栄えても、それは・・・

 空知管内の栗山町といえば、農業や観光のマチ。そんなイメージですが、かつては炭鉱もあったそうです。でも、外国人を強制的に連行してきて、働かせる負の歴史。ここにも、明治以来必ず北海道史に出てくるあの「北炭」(北海道炭礦汽船株式会社)が登場。政府の保護特恵会社だった「北炭」。あちこちでの悪行多数のようです。

 この標識は、道道「札夕線」を夕張に向かって走り、ちょうど栗山町と夕張市を分ける橋の手前にあります。(「栗山炭鉱」と書いてありますが、「角田炭鉱」で通っているようです)

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 詩篇119:137 主よ。あなたは正しくあられます。

 昨日は、感動的な甲子園の決勝戦。球史に残る名勝負。語り継がれる「敗戦」というのがあるが、日本文理高校の選手たちが見せたあの驚異の粘り腰は、高校野球発展のさらなる礎となる気がする。甲子園閉幕とともに、本当に秋がやってきました。

札幌大通公園の石川啄木像

2009-06-28 22:27:42 | 歴史・史跡・文学碑
 まあ、なんだか神格化された歌人みたいで・・・ちょっと

 足跡を残した町にはどこにでも歌碑がある啄木なのですが、なにやら札幌はちょっと違和感。この啄木像と歌碑は、大通西3丁目(北大通側)にあります。

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 詩篇119:64 主よ。地はあなたの恵みに満ちています。

  石川啄木の研究は学究的に進められているわけですが、変に人物が神格化されていて、本当に高い次元の短歌を残して人なのかな~と感じ入ること、よくあります。

アイヌ民族伝統の楽器「トンコリ」

2009-06-20 20:14:48 | 歴史・史跡・文学碑
 夏至の前日 寒い中での慰霊祭でした

 南南東の風が常時10メートル、気温も10度前後のなかで、今日は午後2時から江別市営墓地内で、樺太アイヌ殉難者の慰霊祭があった。もともと関心のあることだったので、出かけたが何せ折からの悪天候と寒さ。夏至の前日だというのに、火を焚くという寒さは一体なんだ?慰霊祭の最後に演奏されたアイヌの民族楽器トンコリの音が印象的。

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 箴言25:27 りっぱなことばは尊重しなければならない。

 明治8年、樺太に住むアイヌ人が北海道開拓の労働力としてあてこまれ、当時の北海道開拓使に北海道への強制移住を迫られました。その強制移住先が現在の江別市、かつての対雁村だったのです。ところが明治19年大流行した天然痘とコレラで、移住させられたアイヌ人たちは400名も命を落としたという悲しい歴史があるのです。彼らを慰霊するための行事です。

村役場と「二宮尊徳」像

2009-06-02 00:02:50 | 歴史・史跡・文学碑
 新篠津村の矜持を示す「二宮尊徳」像

 江別市との合併をやめ、最終的には村存続の道を選んだ石狩管内新篠津村。農業を核とするこの村の矜持を示すのが、村役場内に立つこの「尊徳」像ではないだろうか。

 報徳精神を声高に叫ぶと、すぐ「君は右翼かい?」と勘ぐられるけど、勤勉たれという精神は右翼思想とは全く関係のないこと。日本人の精神構造そのものなんだと思っています。新篠津村では、この「尊徳」像をずっと守り続けてほしいと思うばかりです。

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 詩篇147:11 主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。

 遠軽町に「北海道家庭学校」(かつての教護院、現在の児童自立支援施設)を設立し、少年感化に人生をかけたあの留岡幸助も実は、尊徳の「報徳精神」の実践者だったとか。


栗沢町の祖 小西和の住居跡

2009-05-13 00:08:33 | 歴史・史跡・文学碑
 ☆いつまでも残ってほしい史跡です

 史跡のようなものを意識するようになって2年ほど経ったように思う。「こんな史跡あったの?」と、その意外性に常に驚かされるが、この「小西和」の住居跡史跡も貴重だと思う。でも、この史跡の場所を正確に特定できる人はほとんどいないと思う。幹線とはほど遠い枝道にあるし、何よりも危惧しているのは、3年前の市町村合併で、「栗沢町」が消失してしまったこと。「栗沢」の祖でもある小西和のこの住居跡を示す石碑は、これからどんな歴史を歩んでいくのだろうか。

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 詩篇94:2 地をさばく方よ。立ち上がってください。

 ◆小西和と書いて「こにし・かなう」と読むそうです。こちらに、人物像が描かれています。(香川県庁のホームページより)

 小西和は、明治中期、札幌農学校(北海道大学の前身)に学んだ人だそうです。明治時代は、どうしても札幌農学校の存在なしに北海道の歴史を語れないですね。


★歴史の一コマ~旧浦河公会会堂

2009-02-23 00:02:40 | 歴史・史跡・文学碑
 明治・大正・昭和・平成そして・・・??

 写真:浦河公会会堂(「開拓の村」入場口すぐ左手前に見える建物)

 63年と少し続いた「昭和」の途中に生まれその時代を通過してきた者として、しみじみ思うのはもう「平成」も21年目だということである。「昭和」の時代は永遠に昭和が続くなんて錯覚していたし、なんだかこのまま「平成」も永いこと続いていくような気持ちになるのだ。でも正直なところ、またそう遠くないうちに元号は変わる。いわゆる「江戸時代」が終わって、明治・大正・昭和・平成と歴史が刻まれてきたが、もう明治すら歴史の一コマ以下になって消えようとしている平成21年のいま、北海道開拓の村にある古い建物は、なかなか勉強になる。

 ★旧浦河公会会堂についてはこちらへ!! 
 ★明治初期、茫々たる窮北の原野に入植した兵庫県の一団「赤心社」の会堂。

 箴言13:18 貧乏と恥とは訓戒を無視する者に来る。
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 低気圧去って、また別の低気圧。このところ一週間ずっと吹雪。あと一週間で3月・・・卒業式なんですが、外の風景はますます真冬の様相。

ここは明治時代の札幌駅?

2009-01-26 00:02:00 | 歴史・史跡・文学碑
 昔は、「駅」を「停車場」と言っていたそうで・・・

 写真:「開拓の村」の入口にあたる「旧札幌停車場」
                        なかなか豪勢な建物


 箴言11:2 知恵はへりくだる者とともにある。 
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 朝青龍復活のV!! 「勝てば官軍」。あまり響きのいい表現ではありませんが、大相撲は勝ってなんぼの世界。1年間多いに盛り上がるのではないでしょうか。  
 

ここは札幌控訴院

2008-12-26 00:00:40 | 歴史・史跡・文学碑
 ここがわかる人は「札幌通」ということでしょうか

 ここはかつての札幌控訴院。つまり戦前の高等裁判所の法廷です。由緒ある建物なので、こうして、大通西13丁目に札幌市の資料館として残っているのです。

 北海道の首都なんですが、札幌のことって意外や皆が知らないものです。それだけ明治以来の歴史が風化しているということなんでしょうが・・・。

 
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 アモス書5:6 主を求めて生きよ。

 年賀状書きと投函も24日に無事終了。あとは、27日に新しい洗濯機が来て終わりという2008年。

先人を称える顕彰碑

2008-12-05 00:09:16 | 歴史・史跡・文学碑
 これまたひっそりと「顕彰碑」もあるのです

 昨日話題に出した渡辺惟精さんの顕彰碑が三笠市立病院の駐車場手前にあります。大きな顕彰碑ですが、ひっそりと立っているという印象です。もう死後100年以上経っていますから、市民でもこの人の存在を知っている人がいないのです。もっと地域の先人たちの功績をたたえる歴史教育はあっていいのかなと思います。

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 箴言19:11 その人の栄光は、そむきを赦すことである。

 師走とは思えない「好天」が続いていますが、週末は「荒天」だとか・・・。師走ももうあっという間に5日目。 
 

ひっそりと記念碑が・・・

2008-12-04 00:19:27 | 歴史・史跡・文学碑
 ★渡辺惟精さんの記念碑なのです

 「渡辺惟精(わたなべ・これあき)」と聞いて、「ああ、あの人ね」とわかる人は、相当な歴史通。teacherも2年前にようやく知ったほど。明治15年から現在の三笠市(当時は、市来知村=いちきしりむら)にあった監獄の初代所長(「典獄」という)をしていた人で、空知郡長としても空知地方の開拓、発展に尽力した名士です。

 写真:「空知集治監」初代典獄、渡辺惟精 記念碑 三笠市にある専勝寺さんの境内横にひっそりと立っています。

 伝道者の書3:14 人は神を恐れなければならない。
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 歴史の先人たちに感謝する気持ちが薄れている北海道。ちょっとそんな危惧があります。

朽ちていく歴史 野呂市太郎の史碑

2008-10-28 00:30:07 | 歴史・史跡・文学碑
 ☆先人たちの軌跡には敬意を表し、足跡を守っていきたいものです。

 写真:南幌町川向地区にある野呂市太郎の史碑

 ☆こちらに野呂市太郎関連の記事があります(読売新聞)

 歴史上、見過ごしてしまう人物なのですが、南幌、長沼、栗山といった地区を語るとき、どうしても避けて通れない人物。史碑が夕張川近辺特有の強風で朽ちてきている印象を受けますが、大切に守っていきたいものです。

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 詩篇143:7 主よ。早く私に答えてください。

 風邪がよくなってくれません。しぶとい風邪です。もう風邪グスリを飲む生活は飽きた・・・。

とうとう訪れました!初雪。稚内で観測したと思ったら、札幌でも手稲山が初冠雪。ニセコ方面も道路の通行止めが相次いだとか。また、中山峠も雪になったというニュースが続々と。いよいよです。

 

発見 謎の「殉職碑」

2008-10-15 00:04:00 | 歴史・史跡・文学碑
 江別河川事務所(北海道開発局)敷地内にある謎の石碑 「殉職碑」

ある本で江別河川事務所の敷地内に謎の石碑があると知り、先日ぶらっと出かけてみたのですが、たしかにありました。



休日の警備員さんにこの石碑は何なのか尋ねてみましたが、わからないとのことでした。



どうやら誰かが亡くなった「事故」は、昭和4年以前のことのようです。80年も前・・・調べてみたいものです。

 今はもう面影はありませんが、その昔、江別は海のない港町。「舟運の町」であったのです。きっとその歴史の一コマかと推測されます。

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 詩篇25:8 主は、いつくしみ深く、正しくあられる。

 「史跡が語る江別の歩み」という江別市教委発行の本があるが、その本にもこの殉職碑は掲載されていない。さて、果たして、どこまで真相に迫れるやら・・・河川事務所に尋ねればわかるのだろうが、それでは面白くないので、自分で調べるのです。

渡し舟だった時代

2008-09-13 19:27:44 | 歴史・史跡・文学碑
 ☆江別の史跡 昭和45年まで続いた「重兵衛渡し」

 写真:江別市大川通り 河川防災ステーション前にある史跡看板

 いまやあちこちに立派な橋がかけられ、車がびゅんびゅんと行き交う時代ですが、江別には昭和の高度成長期途中まで、渡し舟があったという歴史。なかなか濃厚なものです。ただ、年がら年中、風の強い江別市内。渡し舟が風にあおられて転覆する事故で死亡者もあったそうです。

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 箴言17:14 争いが起こらないうちに、争いをやめよ。

  いつまでベタベタ、ジトジト暑いでしょうかね・・・まるで8月のような北海道。

「四季の道」にある歌碑、文学碑

2008-07-30 21:36:26 | 歴史・史跡・文学碑
 「文学不毛の地、江別」などとよく言われますが、どうしてどうして

 北海道電力火力発電所に石炭を運ぶ鉄路が江別から消えて何年経つだろうか?その鉄路跡に整備されたのが「四季の道」。そこには、江別市を代表する歌人、詩人の碑が4つある。普段、誰も振り向かないこうした石碑だが、叢書「江別に生きる5 人間の詩」という書物を読むと、それぞれの時代に生きた文化人の生き様がわかり、石碑にも意外と親しみが沸いてきた。



口語短歌の魁と言われる伊東音次郎(明治27年生まれ)の短歌



明治41年生まれの俳人、本間静心子(ほんま・せいしんこ)は本名を博徳といい、男です。51歳、肺を患ってこの世を去りました。



支部沈黙(はせべ・ちんもく)は明治25年生まれの詩人。昭和の一時期は、teacherが卒業した小学校で教員をしていたそうですが、昭和44年死去。



明治43年生まれの坪松一郎は「平原の童謡詩人」とも言われました。お父様の坪松唯三郎氏は昭和11年から21年まで江別町長。(当時)昭和23年にはこれまたteacherの卒業した江別第三中学校の教師をしていましたが、すでにそれまでに結核に侵され片肺切除の身で教育に奮闘。昭和44年にガンで不帰の人になっています。

 teacherは今日、奈井江町に出張でありました。会議2件。、会議場がクーラーがんがん効いていて一息。明日(31日)から8月2日ないし3日まで道東方面へちょっと旅をします。8月1~3日は携帯電話から更新予定です。 

作詞が阿木燿子 作曲は宇崎竜童

2008-06-02 00:01:35 | 歴史・史跡・文学碑
 「幾春別の詩」を知っていますか?

 歌っているのは、三笠市幾春別出身の倉橋ルイ子さんです。(「バラードシンガー」として有名ですね。) 25秒だけどうぞ。(動画)

 三笠市立博物館前に立つこの記念碑。記念碑横のボタンを押すと、「幾春別の詩」が演奏されるのです。なかなか面白い作りです。炭鉱で栄えたこの「幾春別」も今や学校さえなくなり、寂れぶりたるや本当にひどいもの。「幾つもの春が訪れては、そこに別れがある」という実にロマンチックな地名ですが、炭鉱産業がもたらした歴史がいったい何であるかをいろいろと感じることができる場所でもあります。

 義の門よ。私のために開け。(詩篇118:19)
 ★「みことばホームページ」 6月分の聖句に更新。

    ◆teacherの旅日記を更新しました~先週はさすがに体力的に厳しい3連発でありました~

 【写真ニュース】
  ●さようなら日航の「鶴丸」~時代の流れですね・・・

 寒い寒い雨の一日。2週続けて日曜日は雨でした。