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聖書に学ぶ神のみことば

teacherが感じ、思ったことなどをいろいろと綴ります。聖書の一節をちょっと添えて。

「苦しみに会うこと」~詩篇より~

2006-05-21 22:52:06 | みことば
 「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。」と言えるように

 「苦しみ」。いろいろな「苦しみ」がある。「苦しみ」ゆえに神の存在を疑い、「苦しみ」を人生の敗北と位置づけてしまう人もいる。
 しかし、「苦しみ」は、物事を深く考えるきっかけを与えてくれる。「苦しみ」に会うことで、物事の本質を教えられることは多く、神への信頼に立ち返る契機となっていくのもまた「苦しみ」である。

 詩篇119篇65節~72節が5月21日礼拝のメッセージ箇所であった。題は、「苦しみに会うこと」。119篇の著者は、67節で「あやまちを犯しました。」と述べているが、これは神を信頼していなかったということにほかなりません。そこに気づいて、私たちも「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。」(71節)と告白できるのなら最高に幸せではないでしょうか。また、72節「あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。」とあるように、みことばこそが、物質的財宝以上に大切なのだと感じることができたなら、人は道を誤ることはないのではないでしょうか。

 あまりにもポピュラーゆえに、普段なにげなく読み過ごしてしまいがちな「詩篇」は、その深みを追求する読み方が必要なのだと思われます。

 長い長い詩篇119篇。なんと176節あります。実は、8節ずつの段落で構成されていて、全部で22のユニット構成になっていると考えられています。それぞれの段落は、その最初のつづり字がヘブル語アルファベット順になっており、文学性の高いものとなっています。

 ヘブル語については、こちらを参照してください。(アラビア語より難しそう・・・)

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 写真は、西の空に沈む夕陽。いつの間にやら、19時過ぎまで明るい時期になっていた。写真左側に後部だけ写っているタクシーは、日本一安いタクシー会社さん。

 初乗り320円!!(これで800メートル乗れます。500円で1.6キロ乗れます。)
 このタクシーのすごいのは、料金が50円ずつあがっていくこと。約200メートルで50円ずつ上がっていくので、このタクシーに乗っているとせわしなく料金メーターが動きます。精神によくないタクシーですよ。(笑)(札幌圏の法人タクシーの基本料金は基本的に600円。結果的には、同じ距離を走れば初乗り320円タクシーさんのほうが概ね数十円安く済むことは済むのだけれど・・・何せせわしなくメーターがカシャカシャ。)

 明日はいきなり「リラ冷え」かい??

明日は今季初の半袖~第二コリント10章から~

2006-05-18 22:41:11 | みことば
 私たちは肉にあって歩んではいても、肉にしたがって戦ってはいません。(第二コリント10:3)

 夕食後から胃が痛い。特に左側がやたらと痛む。十二指腸潰瘍、胃炎の再発でなければいいのだが・・。みことばは、ふと聖書を開いて読み進めた箇所。
 同章7節後段にあるように、「私たちもまたキリストに属しているということを、もう一度、自分で考えなさい。」を、もう一度どころか、何度も何度も考える謙虚な、そして清新な気持ちでいたいものです。

 桜がほぼ終わり、タンポポと芝ざくらが眩しい季節になりました。

 世界各地で物議を醸している映画「ダヴィンチ・コード」ですが・・・(不買運動などのニュース!!)

 なんと中国ではノーカット上映だそうだ・・・フィリピンでは「R指定」になったというのに・・(産経ニュース)

 いよいよ公開まであと2日。全世界同時封切りというのが気に入らないけど、いちおう見てくるつもり。まあ、経験的にいって、封切り前に大々的な商業主義的宣伝がかかる映画にはあまり「名作」はないということ。「ダヴィンチ・コード」観てから「かもめ食堂」観たら、どんな気持ちになるだろうか。といいながら、明日の夜、「明日の記憶」なんて観に行こうと計画している不埒な自分がいる。渡辺謙さまの映画にはこれまでけっこう騙されてきたからな・・・「北の零年」のトラウマが蘇りそうだ。

アレレ・・・こんな夜だというのに仕事ばっかり。テスト3本に、22日までに仕上げなければならない業務2件。4日連続の「夏」の陽気と腹痛に倒れそう。
 明日は、今季初の半袖生活の予定。

十二指腸潰瘍再発??左が痛いというのが怪しい。前もそうだった。
 

メロン一玉40万円だって~マザーは絶対怒ります

2006-05-17 23:33:15 | みことば
 富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。なぜなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去って行くからです。(ヤコブの手紙1章10節) 

 <写真>廃屋と桜 旧・栗沢町茂世丑(もせうし)地区にて。誰もいない離農地帯。この桜を見たのは、この春、もしかして僕だけかもなどと少し悦に入りながら、桜の季節の終わりを実感した5月17日。

 日本の最東端・根室市にも桜前線到着!(チシマザクラが開花)

夕刊を読むと、夕張メロンの初せりで、史上最高値が出たという。なんとなんと1玉が40万円。これを苫小牧の業者が、R天オークションにかけるため、2玉80万円で競り落としたというのだ。これまでは、M越とか大手百貨店がだいたい2玉30万円くらいで競り落としていたが、ここ数年、傾向が変わって、ネットオークションへ商品が回っていく。メロン1つに40万円ときいたら、天国のマザーテレサは、たいそう怒り心頭ではないだろうか。所詮、庶民とは関係のない「ご祝儀相場」とはいえども、あまりの馬鹿馬鹿しさに、これ以上の言葉もない。ブランドメロンを育てている農家の心意気はしっかり買いますが、この世には、異常なる世界があるのだということ、このことを神様はどうみているのだろうか。

 ご祝儀相場とはいえ・・・異常ですね。夕張メロン2玉で80万円 史上最高値(新聞記事をどうぞ!)

 ☆☆明日は、朝の9時から会議。暑そうだし、気が向かないな~☆☆

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夏!夕張メロンの初出荷の日に~テトス2章~

2006-05-16 23:57:44 | みことば
 すべてが身にしみることばです~テトス2章を読みながら~

 キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。(テトス2章14節)

  帰宅して夕食後、ひさしぶりにまじめに勉強していたら(もちろん本職の勉強)、日付が変わろうという時間になってしまった。全15節ある新約聖書テトス2章。「大酒のとりこになるな」(2節)、「この世の欲とを捨て」(12節)など、どの節も、敬虔の足りない自分にびしびしと迫ってくることばである。寝る前にしっかり読み、心に留めておきたいものだ。「何かが足りていない」と気づく自分に満足する前に、「足りていないものにしっかり気づく」ことが求められているのだ。

 写真は、職場中庭のリンゴの木。花はそう遠くないうちに咲くでしょう。秋にはなんとかリンゴがつきそうな気配です。

 「夕張メロン」の初出荷があったというニュース。いきなり気温25度を超えると、道産子には厳しい・・・明日も「暑い」そうだ。体がなかなかついていかないな~あまりも差が激しすぎる・・・。
 
 夕張メロンのニュースはこちらへどうぞ!!(美味しそう!)(去年の初せりの夕張メロンは、たしか2個で60万円を超えていたと思う。それを実際にせり落としたのは、新千歳空港のお土産店。どうなっているのだろうね~メロン1個に30万なんて・・)

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 ああ、今夜も時間切れか~来週のテストも作らねばならんのに・・・。

 明日も暑いそうです。27度??いきなりだもね~日本でいちばん北海道が暑いなんて・・。

日が長くなって~ローマ5:18~

2006-05-15 22:22:56 | みことば
 水田に水が入り始め-初夏の陽気に

 こういうわけで、ちょうど1つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、1つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。(ローマ人への手紙5:18)

 「1つの義の行為」、しかと受け止めて毎日を神とともに送りましょう

 日が長くなり、午後7時くらいまで明るい季節になった。思えば、ようやく春の高校野球地区予選がスタートというのに、今日はいきなり20度越えの夏の陽気。明日は、いよいよ25度で「夏日」。7月上旬の暑さだとか・・・ほんとこの地はどうなっているんだろう。冬になったり、春がきたり、春飛び越えて夏が来たりと。

 ここ数日、水田に水が入りだした。苗植えはまだ始まっていないが、やがて緑の稲が眩しい季節もすぐそこだ。写真は、岩見沢市御茶ノ水地区の水田に落ちる夕陽。

 今日は、帰路、偶然にも「桜の回廊」を発見。なんと誰もいなくて独り占め。それはそれは、ぜいたくな時間だった。「桜アルバムVOL2」は明日にでも。4日ぶりに職場へ行くと、中庭の桜は開花していた。ただ、樹木そのものが豪雪でかなり痛んでおり、花のつきが良くない。「ドカ雪」、「豪雪」の町の樹木の宿命なのかもしれません。

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「母の日」礼拝にて~エペソ6章&箴言23章を~

2006-05-14 21:04:12 | みことば
 「あなたの父と母を敬え。」(エペソ6:2)

 桜満開。チューリップ満開。そしてあらゆる春の草花が満開。そんな季節を実感することができた5月14日、母の日。礼拝には、前日長野県軽井沢から札幌へ引越しされてきたばかりという方が新来者として見えられた。神様のお導きに感謝であります。
 
  さて、「母の日」の礼拝。当たり前のことが当たり前でないということが日常ではよくあります。たとえば、父・母がいることへの感謝、あるいは、父と母を与えて下さった神への感謝といったことである。ともに、私たちはそれらを忘れがちです。エペソ書6章2節にあるように、父母を敬うことは人間関係の土台・基礎だと考えられます。(旧約の出エジプト記20章・十戒を参照)
  昨今、わが国では神のイメージを持たない親子関係が増えています。西洋社会でも「家庭・学校・教会」という図式が崩れてきています。これは今日の混沌とした社会の一構図ですが、神を信じることが大切だと有形無形に教えていくことが親に求められているのではないでしょうか。

 ☆関連して、旧約聖書「箴言」23章をいくつか。
 22節 あなたを生んだ父の言うことを聞け。あなたの年老いた母をさげすんではならない。
 23節 真理を買え。それを売ってはならない。知恵と訓戒と悟りも。
 24節 正しい者の父は大いに楽しみ、知恵のある子を産んだ者はその子を喜ぶ。
 25節 あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。

 箴言23章には、「ギクっ」となりそうなことばが・・・・
 20節 大酒飲みや、肉をむさぼり食う者と交わるな。
 21節 大酒飲みとむさぼり食う者とは貧しくなり、惰眠をむさぼる者は、ぼろをまとうようになるからだ。

 ススキノでしっかりと飲んで「二日酔い」をした自分には効く言葉です。11日は深酒・大酒をくらったわけではないですが、自戒にしたいと思うばかりです。

 ◎写真は、満開のチューリップ。(江別市大麻地区にて)鉄道林の桜も一気に満開。数日間は楽しめそうです。

 ◆「2006年桜アルバムVoL.1」へ~NEW!!~

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 teacherの旅日記~5月12日出張の旅・まとめました~

今日は午後からスカッと晴れました。明日の札幌は23度の予報。一気に半袖でいいかも?



これって「開花」なのかな??~「午前様」3分前の帰宅お赦しください~

2006-05-12 01:16:34 | みことば
 一輪だけ咲いた桜~第一コリント9:24とともに~

 競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。(第一コリント9:24)

 僕の場合、「走り」ではなく、「歩み」にすらなっていないかもしれませんが、
このことばの含意をしっかり汲み取って、前に進みたいものです。午前様寸前に帰ってきても、その後、聖書を開いている自分にはちょっとびっくりです。明日は、午前9時から出張先で会議だというのに・・・お祈り、そして就寝です。

 職場中庭の桜がなんと一輪だけ開花。これは気象学的には「開花」ではないとのこと。きっと明日から3日間職場を空けているときに、パッと開くのでしょう。明日は、桜の名所での会議。昼休みは花見・・・とはならないな~やはり。

teacherの旅日記(5月12日夜更新予定です)

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エゾヤマザクラ咲く~詩篇100:3~

2006-05-09 22:06:45 | みことば
 ☆エゾヤマザクラ咲き、ソメイヨシノはまだまだ☆

 知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民。その牧場の羊である。(詩篇100:3)

   ~神の存在を心に銘記しよう!!~

昨日5月8日開花したエゾヤマザクラ。ソメイヨシノは標準木は開花したようだが、街中ではまだまだ咲いていない。道産子は、ソメイヨシノよりも、ピンク色の濃いエゾヤマザクラのほうを概して好む。ぼくもそうだ。ありがとう!今年も咲いてくれて。

報道によれば、職場近辺も開花したことになっているが、残念ながら、職場の中庭にあるサクラの木は全然開花の気配がない。明日か明後日にはと思いつつ、出張で職場を空ける金曜日にならないことを祈りたい。

「札幌にてサクラ開花」の記事

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金曜日の出張先は、桜の名所でもあるN公園内の文学館。室内のせこせこした会議ではなくて、お花見でもしながら会議ができたらな~とは叶わぬ願いか・・・。

 ファイターズ今夜はサヨナラ勝ち。祝!!
 

カエルの卵とともに~エペソ6章から学ぶこと~

2006-05-07 16:32:10 | みことば
 カエルが鳴く日も近い~ほんとうに「春」

 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。(エペソ6:11)

「霊的戦い」というメッセージのあった5月第一主日。ここでいう「戦い」とは、対人的戦いではなく、この世の行為を支配しているとされる「悪魔」をさす。「悪魔」の目的は、主の愛から私たちをひきはがすこと。教会の分裂なども「悪魔」は狙っています。さて、「武具を身に着けなさい」とはどんなことでしょうか。武具とは、神のことばの真理であり、すなわちキリストの福音のことです。また、裏返せば、それは私たちの信仰です。「みことばの武具」を心に備えた生活を心がけたいものです。みことばによってキリストを証しする者こそ、神から祝福されます。

 礼拝の帰り道、陽気に誘われて、当別町金沢地区に立ち寄りました。春・夏・秋だけ営業している「ノルトエッセン」というパン屋さんのガーデンで発見したカエルの卵。かなりオタマジャクシになって成長していました。ついこの間まで雪があったというのに、まもなくカエルの鳴き声が田畑に響きわたる季節でもあります。楽しみです。ちなみに、ノルトエッセンのパンはとても美味。絶対みなさんにオススメです!そしてさりげなく売られている「丹沢サイダー」が最高に美味しいのであります。(缶入りで102円)

 天然酵母パンのお店 ノルトエッセンHPはこちらです!

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GW終わって、世の中RESTART。いきなり金曜日には出張が入る週であります。主に在って信仰が強められる一日一日となりますように。

 


三浦光世さん講演からもうひとつ

2006-05-03 21:46:40 | みことば
 カタクリの花が咲きました~第二テモテ2章から~

 ☆第二テモテ2章11節~13節
 11節 次のことばは信頼すべきことばです。「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。
 12節 もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだら、彼もまた私たちを否まれる。
 13節 私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」

 「彼」と訳されている箇所は、神のことであるが、「ご自身を否むことができない」(13節)とは、神が真実であるというご自身の性質を否定して、不真実になることはありえないということである。今日の三浦光世さんの講演で、三浦さんご自身は、きっとノンクリスチャンが圧倒的多数であろう聴衆を前にこうしたことを語ろうとはしなかったが、語られることばの端々に、イエス・キリストの救いを受け入れ、みこころのままに歩むことこそが大切だということはしっかり暗示されていた。また、もう一つ印象的だったのは、戦前の小学校の高等科しか出ていない三浦さんが(三浦さん自身の言葉では、それを「無学」というのだが)、なぜ作家である妻・三浦綾子さんのパートナーとして口述筆記役をしていられたかというと、それは若いときに聖書を読み学んだからだそうだ。聖書を読み親しむことで、とても多くのことを学ぶことができるという。(通読はこれまでに30回くらいしたとのこと)「文語訳」の時代の彼がそう言われるのに、読みやすい新改訳を手にしている僕はいったい何をしているのだろう・・・。そんな気にもさせられた。

 庭にカタクリの花が咲いた。スイセンはもう少し。桜はまだ函館にも上陸していないそうなので、開花は5月10日すぎになる気配濃厚。札幌はもうライラック祭りだって・・・。

 旅ページ~5月2日分up!~

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100キロ先の山が見えた日に~ヘブル3章6節&14節~

2006-04-26 22:10:24 | みことば
 <空知地方から樽前山が見えた日>

 しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。(ヘブル3:6)

 もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。(ヘブル3:14)

 《信仰を「確信の灯火」とするために毎日がある》

 今日は少し晴れたが、夕方には胆振地方の山まで見通せるほどに。南空知地方からおよそ100キロ離れている樽前山が頂上まではっきりと視界に入る日は、1年にそう多くない。標高おそよ1000Mの山だが、まだしっかりと冠雪しているのが印象的だった。この山は活火山。大噴火すると、ふもとの苫小牧市はかなりの被害になると言われているが、それはいつのことになるだろう。

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 久しぶりに晴れた日だけど、何せ風が冷たい。夕方は写真を撮るのも辛いほど。寒さに耐えかねて、帰路、銭湯へ。料金が10円値上がりしていた。390円。でも、客は5人ほど。きっと近い将来、「銭湯」なる日本文化も消え行くのかと思うと、なんだかとても寂しくなり、定番の「フルーツ牛乳」(もちろん瓶入り)を飲んだあと、とぼとぼ帰宅した。

 結局、寒くてにほとんど乗れない4月か…。
 

エレミヤ書2章21節~「純良種のぶどう」と「質の悪いぶどう」

2006-04-24 22:26:00 | みことば
 また寒さと雨か・・・

 もう4月も最終週、大型連休間近…というのに、こんなニュースが!!

釧路で積雪2センチ・・・高速道路は苫小牧西ICから室蘭ICまで雪で通行止めだって・・・どうにも寒い寒い4月最終週のスタート。

 <旧約聖書エレミヤ書2:21>
 わたしは、あなたをことごとく純良種の良いぶどうとして植えたのに、どうしてあなたは、わたしにとって、質の悪い雑種のぶどうに変わったのか。

 神である主の御告げが語られる「エレミヤ書」。「質の悪い雑種のぶどう」、英語版では、a corrupt, wild vine とありますので、「不道徳で退廃したぶどう」といったところでしょうか。神にことごとく背を向ける者たちに対して、罪の告発をする神。預言書をよむとき、その預言書の成立背景などにあまり知識がなくても、心に「ズキズキ」と迫ってくることばがある。

 昨日、遠藤師を通していただいたメッセージを通して、エレミヤ書を開き、預言者エレミヤに啓示された神の託宣を読んでみると、いま混沌とするこの日本の世の中にあふれかえっている諸現象と一致してしまうような「告発」が並んでいる。正直、怖いと思う。預言書の通読は、「純良種」には到底なれない自分を発見するプロセスなのであろう。しかし、同時に、「質の悪い雑種のぶどう」にはならんとする自分も発見するであろう。弱き人間である限り、自然通らねばならない道。せめて「到底人の口には入らぬ悪質なぶどう」にならないよう、イエス様を通して神につねにアクセスする生活を心がけたいものだ。

 球春はいつ?
西日本では高校野球の春大会がすでに開催されているようだ。北海道南空知支部の高校野球会場となる岩見沢市営球場の駐車場にはまだ雪が…。あとしばらく、「球春」というわけにはいかないようだ。とはいえ、たしか5月10日頃には支部予選スタートのはず。練習も満足にできないで、いきなり大会となる北国の高校野球。この駐車場の雪が消えるときが本当の「球春」スタートかもしれません。

 T兄が天に召されました。たいへんなご高齢になっても、体調のいいときには礼拝にこられていたT兄。その姿には教えられるものがたくさんありました。



残雪~ヨハネ15章 ぶどうの木~

2006-04-23 18:20:56 | みことば
 祝福に包まれた春の聖会~日陰の残雪とともに~

 「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。」(ヨハネ福音書15:1)
 I am the true vine and my Father is the vinedresser. (※英文はNKJV。新国際訳ではvinedresserの代わりにgardenerをあてている。)

  宣教団で毎年2回行なっている聖会。春の聖会が昨日、今日と行なわれた。今日は、お昼ごろからようやく陽射しに包まれて春らしくなり、まさに神の祝福が注がれていると実感。自宅西側の隣家(写真左側)に遮られて日があたらないために、毎年いつまでも解けないしぶとい残雪もようやくあと4~5日でなくなるのかな~というところまできた。
 春の汚い泥をかぶっている残雪。なんだか、今日のメッセージと重なるものがあった。ヨハネ15章は、あまりにも有名な「ぶどうの木」のたとえ話で、正直「いまさら・・・」という気持ちになりがちな箇所であるが、やはり福音書の理解範囲はとても広く、いかに自分が小さき者、未熟者であるかをまた教えてくれる箇所である。今日のゲストメッセンジャーであった遠藤勝信(まさのぶ)牧師に、そして主に感謝である。

 なぜ春の汚い雪をみて、ヨハネ15章か?「わたしにとどまりなさい。(中略)わたしにとどまっていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。」(ヨハネ15:4)とあるように、自分自身、神中心の生活意識になっていない時がやはりあるということだ。遠藤師は、「みなさんもそんなときがありませんか。おうおうにして人はそうなっていくものです。教会という存在すらも、神中心というところから離れ、誤った方向に歩みがちになるものです。」という趣旨のことを話されていたが、真冬に降り積もる純白の雪をまっすぐな信仰とすれば、正直なところ、時にふらつきがちな僕の信仰など、いつか自然に消えてなくなっている春の汚い雪そのものだな~と思った次第。

 ちなみにヨハネ15章2節にある「父が(中略)刈り込みをなさいます」の刈り込み=英語で、<prune>は、同じく3節にある「もうきよいのです。」の「きよい=clean」とは、ギリシャ語で同義であるというお話がありました。これは、ヨハネ福音書の理解を広げるうえで、とても参考になるお話でした。

 弟子たちとの最後の晩餐で話されている主イエス。大いに苦しまれていたことでしょう。13章から17章にかけて、主はいろいろなたとえ話をされていますが、16章1節に至り、「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです。」とあります。
 「いつも読んでいる福音書」という軽い気持ちではダメで、何度も読み返しては主が言わんとしたところについて理解を深めるそんな謙虚な姿勢に立ち戻らねばならないことを、遠藤師は示してくれました。感謝であります。

 なお、「ぶどう」については、イザヤ書5:4に預言者の口から語られているように、旧約から新約の時代に脈々と関連あるテーマであることも学びました。(他に、エレミヤやエゼキエルなどとも関連)

 イザヤ書5章4節 「わがぶどう畑になすべきことで、なお、何かわたしがしなかったことがあるのか。なぜ、甘いぶどうになるのを待ち望んだのに、酸いぶどうができたのか。」

 信仰の書、「聖書」。謙虚な姿で何度も神のみことばに立ち戻ることの大切さを教えていただいた春の聖会でした。

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 ◇あいの里学園通りキリスト教会◇

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くもり空の週末~春の聖会が~

2006-04-22 10:03:46 | みことば
 神のことばは、すべて純粋。(箴言30章5節)

 〔箴言30章5節&6節〕
 神のことばは、すべて純粋。神は拠り頼む者の盾。
神のことばにつけ足しをしてはならない。神が、あなたを責めないように、あなたがまやかし者とされないように。

宣教団の春の聖会が開かれます。神の祝福が私たちの働きに注がれますように

 ◆田畑に群れをなす白鳥の数が増えました◆
 それにしても遅い春。農家は気をもんでいることでしょう。週間予報では、月曜日からまた3日間雨予報。いっこうに暖かくなりません。例年なら、5月はじめには、いっせいにシベリアに帰っていく白鳥やマガンですが、もしかしたら今年は少し長く彼らの滞在につき合えるかもしれません。

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★ティーチャーの旅日記はこちらへ★~「丘のまち」美瑛にて<富良野岳絶景>を追加

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あ~どんより
 

第二コリント4章16節&17節&18節

2006-04-21 23:55:59 | みことば
 困難をはるかにしのぐ栄光があるからこそ

 ☆第二コリント4章から☆

 16節 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
 17節 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
 18節 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

今日は、聖書のこの箇所が与えられました。
下手な解説など不要な箇所といえばそれまでですが、いま抱えている難題にいつまでもくよくよしていてはいけないのだということですね。その先にある未来像、上にあるものに目を留める心の広がりを持とうということでもあるでしょう。
 せかせかした週末にこうした箇所が与えられ、主に感謝です。

 今夜は、開幕戦以来の札幌ドームへ行っていました。観客席はガラガラでした。ナイターとはいえ、まだ外は寒いからね、客足は伸びません。ファイターズ勝利も、相変わらず雑な試合運び。これでは、プレーオフ圏内に入るのは厳しい。来月は、5月9日あるいは10日の交流戦ドラゴンズ戦を観戦予定です。新庄が引退宣言をして、もう少し客足が伸びるのかなと思っていたけど、入らないな~しかも新庄は長いロードからホームに戻るや、スタメン落ち。開幕戦の満員札止めで燃え尽き症候群なのかもしれません。

 銀河線廃線から一夜。もはや踏切の撤去、遮断機の切断などが始まっているそうです。こんな作業ばかりすばやくて・・・沿線住民に神の豊かな祝福がありますように。そう祈るばかりです。

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