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マスミンのピアノの小部屋

ピアニスト兼ピアノ指導者松尾益民が、ピアノや教育、世の中の出来事など日々感じることを、徒然なるままに綴ります。

今日もホールで練習

2025-04-18 23:20:55 | 日記
明日のプロムナード・コンサートのために、今日は姫路です。
ホテルは東横イン。
駅すぐなので便利です。
朝ごはんもついてるし、部屋の広さもシングルでも余裕があって程よいですね。
今日の富士山は、全く雲の中でした。
伊吹山はよく見えました。
夕方からは、イーグレ地下のアートホールを借りて、連弾合わせと自分の練習をしました。
折りたたみのキーボードは持ってきてますが、生ピアノには勝てませんから。
明日の朝、指慣らしに使おうかと思っているところ。
アートホールのピアノが、なんか酷い感じになっていて、ちょっとがっかりでした。
音が変…と言うかなんと言うか…です。
いいピアノなのですけどねぇ。
変だと思いながら、それでも練習はできました。
昨晩やっと無理やり完成させたアレンジ、今朝もちょっと音を直したりしたので、弾けるようにしておかないと…ですから。

大手前通りのライトアップが、地味にされていました。
姫路城に近いところから写真を撮ろうとすると、信号が邪魔になってお城が隠れてしまいます。
緑色は信号です。
駅近くになると、なんとか全景を撮れました。
そう言えば今日は金曜日。
飲み会してるなぁという人が結構いました。



第72回プロムナード・コンサートの演奏曲2

2025-04-18 22:46:06 | ラ・プロムナード・ミュジカル
後半で演奏する曲について。
まずは、ベートーヴェン(1770〜1827)のピアノ・ソナタ第27番です。
ベートーヴェンは生涯にわたって32曲のピアノ・ソナタを作曲しました。
これも以前書いた解説を一部転載します。
この27番のソナタが作曲されたころ、ベートーヴェンは大きな転換期を迎えていました。
ピアノ・ソナタはワルトシュタイン、熱情、告別などの大作を、交響曲も7、8番を発表した後、周囲の評価は高くなっていましたが、ベートーヴェン自身は、かつての湧き出るほどの創造力を失い、深刻なスランプ状態にありました。
さらに、聴力の喪失に加え、体力の衰え、年金の減額による経済的打撃なども加わり、発表する作品の数も少なくなっていました。
最後の大作に向かう入り口となった27番のソナタは1814年に作曲され、中期の様式とは違って、深い感慨のこめられた響き、はるかな憧憬を歌う旋律が特徴となっています。
第1楽章は、曲頭に「速く、そして常に感情と表情を持って」と記載され、歌う部分と速く情熱的でもあり悟りでもありの部分の対比があります。
シントラーによると、「理性と感情の争い」とのこと。
2楽章はロンド形式になっていて、ロンド主題は極めて抒情的で美しい旋律です。
同じくシントラーによると、「恋人との会話」だそうです。
この27番のあと、28番から32番の後期の大作が作曲されています。

ドビュッシー:夢(夢想)
初期の作品である「夢」です。
原題は、夢という「rêve」ではなく、夢想という「rêverie」ですので、ちょっとニュアンスが違うかもしれません。
1890年の作曲ですが、この年はドビュッシー(1862〜1918)初期の一連の曲が作られています。
ドビュッシー自身は、この曲を気に入らなかったらしいのですが、独特の美しいハーモニーとメロディに包まれ、印象的な曲となっています。
その美しさから、様々な編曲がされ、親しまれています。
ピアノ曲としては比較的易しい曲なので、学習者の人たちにも良く演奏されています。
ただ、技術的には優しいといっても、微妙なニュアンスを表現するのは意外に難しいですね。

映像第2集 第3曲金色の魚
ドビュッシーの映像第2集ですが、ドビュッシーの印象派的なピアノ書法が確立された後の作品で、第1集より一段とその傾向が強まっているのかもしれません。
題名からしてそうですし…。
19世紀末のヨーロッパの芸術では、東洋的なものに対する関心が非常に深く、ドビュッシーのこの曲もご多分に漏れません。
作曲されたのは、1907年です。
第3曲「金色の魚」
金色の魚でつい金魚と言ってしまいそうですが、魚は鯉のことです。
2匹の金色の鯉が跳ね回る様子を描いた、日本の漆絵にヒントを得て作られた曲です。
金色の鯉の躍動感を豊かな音色と音の動きによって表現されていて、目の前で鯉が泳いでる様が思い浮かぶようです。
…というような演奏をしたいと思ってますけど…。
印象派の絵画に通じる、輪郭のはっきりしない絵のような音楽です。

12のエチュード(練習曲) 5本の指のために(チェルニー氏による)
ドビュッシーは、練習曲を12曲作りました。
1914年に勃発した第一次世界大戦は、ドビュッシー に苦悩を与え、大腸がんになったこともあって、しばらく作曲ができない状態が続いていました。
その後、1915年に入ってから、デュラン社の依頼でショパンの楽譜を校訂する仕事をする機会を得、それが立ち直るきっかけになったようです。
ショパンの練習曲集に刺激を得たのでしょう、12曲の練習曲を作ることになります。
1915年8月から9月に作曲されました。
ショパンへの追憶となっています。
第1番は、「5本の指のために チェルニー氏による」というタイトルで、チェルニーの練習曲のパロディになっています。
チェルニー的な単調なモティーフに所々変化を与える音が挿入されています。
おもしろいか…と言われると、う〜ん…ではありますね。



第72回プロムナード・コンサートの演奏曲1

2025-04-18 16:52:20 | ラ・プロムナード・ミュジカル
明日のプロムナード・コンサートで演奏する曲についてです。
前半は、まずは連弾。
春ですので、ヴィヴァルディ(1678〜1741)のヴァイオリン協奏曲「四季」より、春の第1楽章です。
正式には、ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」の最初の4曲を「四季」と言っているわけです。
ただ、ヴィヴァルディがつけた名前ではありません。
ヴァイオリン協奏曲というのだから、もちろんピアノ曲ではなく、独奏ヴァイオリンと通奏低音を含む弦楽5部のための曲で、今回は連弾用に編曲されたものを演奏します。
これらの曲にはそれぞれソネットがつけられています。
春の第1楽章は下記の通り。

春が来た
そして鳥たちは喜ばしげな歌であいさつする
その時、泉はそよぐ微風にやさしいつぶやきの声をたてながら流れ出す
空は暗くなり雷と稲妻とが選ばれて春を告げる
嵐が静まった後、鳥達は再び
美しい調べを歌い出す

曲はまさにこの通りの内容を表現していますが、鳥の鳴き声とかはやはり難しいですね。

2曲目は、ヨハン・シュトラウス2世(1825〜1899)のトリッチ・トラッチ・ポルカです。
ヨハン・シュトラウス2世が1858年に作曲した管弦楽のためのポルカです。
軽快で陽気なリズムが特徴で、楽しい雰囲気を持った曲です。
曲名は日本語で言えばおしゃべりのポルカ‥といったような意味です。
ポルカは19世紀後半に流行した2/4拍子の軽快な舞曲のことです。
ヨハン・シュトラウス2世は1825年生まれで、今年、生誕200年の記念イヤーです。
この曲は、誰がアレンジしてもそう大きく変わったことはできませんが、私が連弾用にアレンジしました。

次はオマージュシリーズで、エリック・カルメン(1949〜2024)の「オール・バイ・マイセルフ」です。
この曲名を聞くと、たぶん大半の人はセリーヌ・ディオンを思い浮かべられるかも…ですが、セリーヌ・ディオンはカバーしただけで、作曲したのはエリック・カルメンです。
彼は、昨年3月に74歳で亡くなりました。
オール・バイ・マイセルフは1976年、全米2位のヒットを記録しました。
1978年、1979年に来日しました。
ちなみに、私は1979年のコンサートに、たぶん日本武道館だったように思うのですが、行きました。
感動でした。
その後、ソロ活動や作曲など活動をしていましたが、名を轟かせるような華々しい活躍ではなかったかもしれません。
彼はラフマニノフに心酔していたので、この曲もラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の2楽章が元になっています。
中間部に長大なラフマニノフの協奏曲を思わせる間奏があります。
それも全部弾こうかと思いましたが、長くなるし、若干冗長な感もあるので、いいとこ取りをして繋げて短く演奏します。
オール・バイ・マイセルフの言葉の意味は、「全てを自分で」ということで、曲全体としては、簡単にまとめると「若い頃はなんでも自分一人でできると思っていたけど、それは無理、やっぱり愛が欲しいよぉ〜」みたいな意味です。

ショパン(1810〜1849)の英雄ポロネーズ
以前書いた解説を転載します。
ポロネーズと言えば、何となくポーランドの民族舞曲と思っていますが、歴史的な面をしっかり説明しようとするのは、ちょっと大変です。
ポロネーズがいつ頃起こったのかははっきりしていませんが、フランスのアンリ3世がポーランドの王位についた時、ポーランドの貴族たちが、王の前で行列行進した際に、初めて確定した形態をとるようになったと言われています。
その後、ポロネーズは、まず儀式用として、さらに政治的な舞踏用に使用されました。
次第に民族的表現を持ち、国民の政治的感情、関心や愛国心まで示すようになりました。
折りしも、ショパンの頃のポーランドは国として存在していなかった…他国によって3つに分割されていた…時代で、ポーランドの過去の栄光と現在の悲哀と憤怒を表す手段としてポロネーズを利用したのかもしれません。
ショパンの独奏用ポロネーズは全部で16曲あり、強壮な雄々しいリズムを持ち、封建時代の華やかな往時を偲ばせるものと、帝政ロシアの圧政の元にあった逆境時代のポーランドを描いた憂鬱に満ちたものの2つに分けられますが、英雄ポロネーズは、前者を代表する最高の傑作と言えるでしょう。
少し長めの前奏ののち始まるテーマは、華やかで堂々とした印象的な曲想ですが、中間部の左手のオクターブの連続による部分は、祖先の足音か進軍する兵士達の行進か…という感じです。
私には、シュポッポッポシュポッポッポ…と、汽車が近づいてくる…そんなイメージですけどね。
英雄という名は、ショパンがつけたのではありません。
1842年の作曲で、この頃ショパンは最も充実していた時期で、バラード4番やスケルツォ第4番などが作られています。




ホールで練習

2025-04-18 00:42:40 | 日記
今日は、神奈川公会堂のホールのピアノ貸出日だったので、朝一の時間で練習に行きました。
プロムナード・コンサートが午前中なので、午前中にどれだけ頭をスッキリさせて弾けるか…という練習にもなるので、朝です。
まぁぼぉ~っとしてはいましたが、いい練習ができました。
広いところで弾けるのはやはりいいですね。
音もクリアに聴こえるし、ピアノも弾きやすいピアノだし…。
2枠取っていたので、2時間しっかり弾けました。
帰りにすぐ隣のイオンに寄って、お買い物。
ここは店舗が広くて品数豊富なので、目移りしてしまいますが…。
忘れ物もしないで…よくページターナーのペダルを忘れたりするので…と思っていたら、家に帰るとマグボトルがなく、あ~忘れたか…と。
ワゴンの2段目に置いたので、帰るときに見落としたのですよね。
保管しておいてもらうように電話したら、中身は捨てておいてくれるというので、よかった…。

今日もしっかり風が強かったですね。
花たち大丈夫かなぁ…と。
キンセンカがしっかり開いてきました。
アップです。
ブルーベリーの花もアップで。

今日もティータイムは上生菓子。
たぶん藤の花かな。


アレンジに悩んでいましたが、何とか完成。
歌の部分はいいのだけど、間奏がラフマニノフ風で長く、ロングバージョンとしてレコードに入っている部分なので、いいのですが冗長にもなるし、結局いいとこ取りをして短くしました。
何の曲かって、エリック・カルメンの「オール・バイ・マイセルフ」なのですが、先日、コンディショニングの先生と話をしていたら、セリーヌ・ディオンの曲だと思っていたと言うので、それは違う…と。
心に響くいい歌声と歌い方で、つくづくもっと色々聞かせてほしかったと思いましたね。
この曲のあと、あまり目立った活動をしてなかったようなので…。