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マスミンのピアノの小部屋

ピアニスト兼ピアノ指導者松尾益民が、ピアノや教育、世の中の出来事など日々感じることを、徒然なるままに綴ります。

第73回プロムナード・コンサートは終了しました

2025-07-13 23:48:25 | ラ・プロムナード・ミュジカル
午前中、第73回プロムナード・コンサートでした。
暑い中、たくさんの方々がご来場くださいまして、ありがとうございました。
朝から暑かったので、私自身も姫路駅前から歩いたら、玉の汗でした。
タクシーにお願いするには近すぎるので、歩いたのですけどね。
コンサートは、まぁいろいろありましたが、何とか無事に終えた…というところでしょうか。
最初の連弾は、打楽器が入るとつい笑ってしまいそうでしたが、お楽しみいただけたようです。


ドレス、今回は新作は製作せず…でした。
先週のリサイタルもあって、とても余裕がなかった…ですね。
暑いので、涼しそうなものを。
前半は久しぶりに青い水玉を。
後半は、リサイタルでも着た水色を。
このホールは床が黒いので、今回のような色合いは映えるようです。



第73回プロムナード・コンサートの演奏曲について

2025-07-12 16:11:40 | ラ・プロムナード・ミュジカル
前半で私が演奏するのは、まずは連弾です。
ルロイ・アンダーソンソン(1908〜1975)の管弦楽曲の連弾編曲から3曲です。
アンダーソンはアメリカの作曲家で、今年没後50年の記念イヤーに当たります。
軽快で楽しくユーモアに溢れた曲をたくさん作っています。
ハーバード大学修士、ニューイングランド音楽院で学び、言語学者でもあったようです。
今回は、中でもよく演奏される楽しい曲を3曲選びました。

ワルツィング・キャット
1950年作曲。
邦題は「踊る仔猫」で、ネコが駆け回る様子を表しています。
猫の鳴き声を模した音、ピアノでは出しにくですが、そういう音や、ピョンピョン飛び跳ねる様子を描き、最後は犬に吠えられて逃げ出します。

シンコペーテッド・クロック
1945年作曲。
ちょっと調子はずれな時計を表しています。
時計の音をウッドブロックで演奏しますが、時々リズムが乱れることでコミカルでユーモラスな感じを表現しています。

タイプライター
1950年作曲。
実際のタイプライターで一緒に演奏されることもよくあるようですが、タイプライターのキーをタイプする音や、行末までタイプしたことを示すチーンという音や紙を固定するシリンダーを先頭に戻す時に出る音などを打楽器で入れることもあります。

今回の演奏でも、ベルやウッドブロック、トライアングル、ギロ、カウベルなどを使って楽しく演奏しようと思っています。

芥川也寸志の24の前奏曲
芥川也寸志(1925〜1989)は作曲家であり指揮者でもありました。
芥川龍之介の三男です。
今年生誕100年記念で、曲集を取り上げてみようと思いました。
[大バッハ(J.S.バッハ)にならって、ハ長調から出発し、同名調をともないながら5度ずつ上り、24曲で5度圏をひとめぐりする。
曲名も大バッハにあやかって「24の前奏曲」。
おたなたちも24曲を通じて、その楽しみを子供達と共有できるような音楽にしようと努めた。(一部抜粋)]
と、楽譜の初めに記載されています。
1979年作曲。

ショパンの黒鍵エチュード
ショパン(1810〜1849)は、練習曲を27曲作っています。作品10が12曲、作品25が12曲、遺作が3曲です。
1929年、19歳でワルシャワ音楽院を卒業したショパンは、ウィーンへ旅行した際に思いがけず2回の演奏会を開くことができました。
ウィーンの聴衆の多くを魅了することができましたが、当時、叩きつけるような派手な演奏が普通だったウィーンでは、ショパンの繊細な音は、弱々しいとか頼りないとか評する人もいて、勉強が足らないと感じたショパンは、練習曲の作曲を始めました。
ピアノの性能が良くなって表現の可能性が広がっていた頃で、ショパンのピアノ奏法はリストでさえ最初は理解できなかったほど型破りで、技術的に大変難しかったようです。
しかし、ショパンのこのピアノ奏法がピアノの新たな魅力を引き出し、この後の時代の発展へとつながるのです。
作品10の12曲は、1829〜1832年に作られ、リストに献呈されています。
第5番変ト長調「黒鍵」は1839年作曲。
ショパン自身はこの曲を、「黒鍵で弾く以外には、あまり意味がない」と語ったとか。
右手は和音で弾く一ヶ所だけに白鍵を弾く以外は全て黒鍵です。




第73回プロムナード・コンサートのお知らせ

2025-06-18 17:44:09 | ラ・プロムナード・ミュジカル
7月5日のリサイタルの1週間後は、姫路の第73回プロムナード・コンサートです。
姫路のホール予約はアクリエに関しては13か月前に決定するので、横浜市の6か月前予約では完全に負けている(?)わけで、おまけに横浜市は抽選に当たるのが非常に難しく、諸々の事情でなかなか自由に日程が選べずこういう日程になったわけです。
それはさておき、プロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番以外は、プロムナード用のプログラムです。
まぁ楽しい曲にしようかな…と。

今回は、連弾でルロイ・アンダーソンの曲を演奏します。
ルロイ・アンダーソンは、1908年生まれで、1975年に亡くなっていますので、今年は没後50年で、ピアノ曲として良く演奏されるものはあまりないのですが、管弦楽曲の連弾編曲で3曲、楽しい曲を演奏します。
日本人作曲家で、芥川也寸志さんは、生誕100年の記念イヤー。
作家、芥川龍之介の3男に当たります。
「こどものためのピアノ曲集24の前奏曲」の中の数曲がとても好きで、時々、発表会で生徒に弾かせたりしていたのですが、記念イヤーということで取り上げてみようと思いました。
昨年弾いたミスチルの「HANABI」の再演も。
昨年、未完成だったので…。
今回のプルグラムに、そう言えばショパンがないなぁ…と、短い曲で黒鍵のエチュードも入れてみました。

最近の気候は全く読めないので、13日は梅雨真っ盛りなのかなぁ…と心配ではありますね。
お時間を見つけて是非ご来場くださいませ。

第73回プロムナード・コンサート
7月13日(日)10時開演(9:45開場)
姫路市文化コンベンションセンター アクリエひめじ小ホール
入場料無料(予約不要)





第72回プロムナード・コンサート終了しました

2025-04-20 01:37:06 | ラ・プロムナード・ミュジカル
ちょっと暑くなった日でしたが、第72回プロムナード・コンサートは終了しました。
たくさんの方々にご来場いただき、ありがとうございました。
事前にリハーサルをする時間がないので、当日開演15分前までやっているため、いつも入場をお待ちいただいて申し訳ないのですが、やむを得ず…。
木曜日にやっとアレンジを仕上げた、オール・バイ・マイセルフの演奏も何とか無事に終えることができ、ホッとしました。
曲を知らない方がほとんどで、それでも演奏後にはいい曲だと感じていただけたようで、うれしく思います。
私については、演奏曲が多く、よかったりほどほどだったり、まぁいろいろでしたけど、ドビュッシーのちょっとおもしろくない練習曲まで、しっかり聴いていただけたということで、良かったということかな…と。

ドレスです。
以前に既製品の短いスカートのドレスに裾までのスカートを付け足してドレスにしたのを、前半に。
連弾では相手がどんな色でも合わせられるし、春らしいし…ということで、再登場させたわけです。
白っぽい色は膨張色なのが若干心配ではありましたけど。
ちいさい花柄は、舞台ではほとんど飛んでしまいますね。

後半は、ドビュッシーの「金色の魚」があるので、ゴールドにしようと、これも若いころ作って、その後袖を外したものを再リメイクしました。
ベートーヴェンの時はこのドレスだけ。
やっぱり黒っぽい色は締まって見えるなぁ…と。
ドビュッシーの時は、黄色系のオーガンジーのオーバースカートを足して、金色の魚っぽく。
このオーガンジーの布は、見る角度でいろんな色に見えるようでした。

ドレス製作も毎回ギリギリになってしまいますが、やはり曲が仕上がって来ないと、気持が入らないので、どうしても…です。
終了後は、みんなで食事会をした後すぐに新幹線で横浜に帰りましたが、けっこうウトウトと寝てしまいました。





第72回プロムナード・コンサートの演奏曲2

2025-04-18 22:46:06 | ラ・プロムナード・ミュジカル
後半で演奏する曲について。
まずは、ベートーヴェン(1770〜1827)のピアノ・ソナタ第27番です。
ベートーヴェンは生涯にわたって32曲のピアノ・ソナタを作曲しました。
これも以前書いた解説を一部転載します。
この27番のソナタが作曲されたころ、ベートーヴェンは大きな転換期を迎えていました。
ピアノ・ソナタはワルトシュタイン、熱情、告別などの大作を、交響曲も7、8番を発表した後、周囲の評価は高くなっていましたが、ベートーヴェン自身は、かつての湧き出るほどの創造力を失い、深刻なスランプ状態にありました。
さらに、聴力の喪失に加え、体力の衰え、年金の減額による経済的打撃なども加わり、発表する作品の数も少なくなっていました。
最後の大作に向かう入り口となった27番のソナタは1814年に作曲され、中期の様式とは違って、深い感慨のこめられた響き、はるかな憧憬を歌う旋律が特徴となっています。
第1楽章は、曲頭に「速く、そして常に感情と表情を持って」と記載され、歌う部分と速く情熱的でもあり悟りでもありの部分の対比があります。
シントラーによると、「理性と感情の争い」とのこと。
2楽章はロンド形式になっていて、ロンド主題は極めて抒情的で美しい旋律です。
同じくシントラーによると、「恋人との会話」だそうです。
この27番のあと、28番から32番の後期の大作が作曲されています。

ドビュッシー:夢(夢想)
初期の作品である「夢」です。
原題は、夢という「rêve」ではなく、夢想という「rêverie」ですので、ちょっとニュアンスが違うかもしれません。
1890年の作曲ですが、この年はドビュッシー(1862〜1918)初期の一連の曲が作られています。
ドビュッシー自身は、この曲を気に入らなかったらしいのですが、独特の美しいハーモニーとメロディに包まれ、印象的な曲となっています。
その美しさから、様々な編曲がされ、親しまれています。
ピアノ曲としては比較的易しい曲なので、学習者の人たちにも良く演奏されています。
ただ、技術的には優しいといっても、微妙なニュアンスを表現するのは意外に難しいですね。

映像第2集 第3曲金色の魚
ドビュッシーの映像第2集ですが、ドビュッシーの印象派的なピアノ書法が確立された後の作品で、第1集より一段とその傾向が強まっているのかもしれません。
題名からしてそうですし…。
19世紀末のヨーロッパの芸術では、東洋的なものに対する関心が非常に深く、ドビュッシーのこの曲もご多分に漏れません。
作曲されたのは、1907年です。
第3曲「金色の魚」
金色の魚でつい金魚と言ってしまいそうですが、魚は鯉のことです。
2匹の金色の鯉が跳ね回る様子を描いた、日本の漆絵にヒントを得て作られた曲です。
金色の鯉の躍動感を豊かな音色と音の動きによって表現されていて、目の前で鯉が泳いでる様が思い浮かぶようです。
…というような演奏をしたいと思ってますけど…。
印象派の絵画に通じる、輪郭のはっきりしない絵のような音楽です。

12のエチュード(練習曲) 5本の指のために(チェルニー氏による)
ドビュッシーは、練習曲を12曲作りました。
1914年に勃発した第一次世界大戦は、ドビュッシー に苦悩を与え、大腸がんになったこともあって、しばらく作曲ができない状態が続いていました。
その後、1915年に入ってから、デュラン社の依頼でショパンの楽譜を校訂する仕事をする機会を得、それが立ち直るきっかけになったようです。
ショパンの練習曲集に刺激を得たのでしょう、12曲の練習曲を作ることになります。
1915年8月から9月に作曲されました。
ショパンへの追憶となっています。
第1番は、「5本の指のために チェルニー氏による」というタイトルで、チェルニーの練習曲のパロディになっています。
チェルニー的な単調なモティーフに所々変化を与える音が挿入されています。
おもしろいか…と言われると、う〜ん…ではありますね。



第72回プロムナード・コンサートの演奏曲1

2025-04-18 16:52:20 | ラ・プロムナード・ミュジカル
明日のプロムナード・コンサートで演奏する曲についてです。
前半は、まずは連弾。
春ですので、ヴィヴァルディ(1678〜1741)のヴァイオリン協奏曲「四季」より、春の第1楽章です。
正式には、ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」の最初の4曲を「四季」と言っているわけです。
ただ、ヴィヴァルディがつけた名前ではありません。
ヴァイオリン協奏曲というのだから、もちろんピアノ曲ではなく、独奏ヴァイオリンと通奏低音を含む弦楽5部のための曲で、今回は連弾用に編曲されたものを演奏します。
これらの曲にはそれぞれソネットがつけられています。
春の第1楽章は下記の通り。

春が来た
そして鳥たちは喜ばしげな歌であいさつする
その時、泉はそよぐ微風にやさしいつぶやきの声をたてながら流れ出す
空は暗くなり雷と稲妻とが選ばれて春を告げる
嵐が静まった後、鳥達は再び
美しい調べを歌い出す

曲はまさにこの通りの内容を表現していますが、鳥の鳴き声とかはやはり難しいですね。

2曲目は、ヨハン・シュトラウス2世(1825〜1899)のトリッチ・トラッチ・ポルカです。
ヨハン・シュトラウス2世が1858年に作曲した管弦楽のためのポルカです。
軽快で陽気なリズムが特徴で、楽しい雰囲気を持った曲です。
曲名は日本語で言えばおしゃべりのポルカ‥といったような意味です。
ポルカは19世紀後半に流行した2/4拍子の軽快な舞曲のことです。
ヨハン・シュトラウス2世は1825年生まれで、今年、生誕200年の記念イヤーです。
この曲は、誰がアレンジしてもそう大きく変わったことはできませんが、私が連弾用にアレンジしました。

次はオマージュシリーズで、エリック・カルメン(1949〜2024)の「オール・バイ・マイセルフ」です。
この曲名を聞くと、たぶん大半の人はセリーヌ・ディオンを思い浮かべられるかも…ですが、セリーヌ・ディオンはカバーしただけで、作曲したのはエリック・カルメンです。
彼は、昨年3月に74歳で亡くなりました。
オール・バイ・マイセルフは1976年、全米2位のヒットを記録しました。
1978年、1979年に来日しました。
ちなみに、私は1979年のコンサートに、たぶん日本武道館だったように思うのですが、行きました。
感動でした。
その後、ソロ活動や作曲など活動をしていましたが、名を轟かせるような華々しい活躍ではなかったかもしれません。
彼はラフマニノフに心酔していたので、この曲もラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の2楽章が元になっています。
中間部に長大なラフマニノフの協奏曲を思わせる間奏があります。
それも全部弾こうかと思いましたが、長くなるし、若干冗長な感もあるので、いいとこ取りをして繋げて短く演奏します。
オール・バイ・マイセルフの言葉の意味は、「全てを自分で」ということで、曲全体としては、簡単にまとめると「若い頃はなんでも自分一人でできると思っていたけど、それは無理、やっぱり愛が欲しいよぉ〜」みたいな意味です。

ショパン(1810〜1849)の英雄ポロネーズ
以前書いた解説を転載します。
ポロネーズと言えば、何となくポーランドの民族舞曲と思っていますが、歴史的な面をしっかり説明しようとするのは、ちょっと大変です。
ポロネーズがいつ頃起こったのかははっきりしていませんが、フランスのアンリ3世がポーランドの王位についた時、ポーランドの貴族たちが、王の前で行列行進した際に、初めて確定した形態をとるようになったと言われています。
その後、ポロネーズは、まず儀式用として、さらに政治的な舞踏用に使用されました。
次第に民族的表現を持ち、国民の政治的感情、関心や愛国心まで示すようになりました。
折りしも、ショパンの頃のポーランドは国として存在していなかった…他国によって3つに分割されていた…時代で、ポーランドの過去の栄光と現在の悲哀と憤怒を表す手段としてポロネーズを利用したのかもしれません。
ショパンの独奏用ポロネーズは全部で16曲あり、強壮な雄々しいリズムを持ち、封建時代の華やかな往時を偲ばせるものと、帝政ロシアの圧政の元にあった逆境時代のポーランドを描いた憂鬱に満ちたものの2つに分けられますが、英雄ポロネーズは、前者を代表する最高の傑作と言えるでしょう。
少し長めの前奏ののち始まるテーマは、華やかで堂々とした印象的な曲想ですが、中間部の左手のオクターブの連続による部分は、祖先の足音か進軍する兵士達の行進か…という感じです。
私には、シュポッポッポシュポッポッポ…と、汽車が近づいてくる…そんなイメージですけどね。
英雄という名は、ショパンがつけたのではありません。
1842年の作曲で、この頃ショパンは最も充実していた時期で、バラード4番やスケルツォ第4番などが作られています。




第72回プロムナード・コンサートのお知らせ

2025-04-02 01:00:04 | ラ・プロムナード・ミュジカル
4月になりました。
4月らしくないお天気での始まり…。
いつも、まだゆとり…と思っている間に、コンサートの日が近づいてきます。
第72回プロムナード・コンサートは、4月19日(土)です。
今回は出演者が少ないので、私の出番が多くなっています。
連弾は、ちょうどいい季節なので、ヴィヴァルディの四季より「春」を、ヨハン・シュトラウスⅡが生誕200年記念なので、トリッチ・トラッチ・ポルカをします。
トリッチ…は楽しい曲です。
ソロでは、オマージュシリーズで、昨年3月に亡くなったエリック・カルメンの「オール・バイ・マイセルフ」を弾きます。
エリック・カルメンという名は知らなくても、セリーヌ・ディオンやたくさんのアーティストがカバーした「オール・バイ・マイセルフ」は聴いたことがあると思います。
日本にも来たことはありますので、コンサートを聴きに行きました。
どの曲も好きで、当時レコードを3枚買いましたね。
ラフマニノフ風の曲がけっこうあったりします。
オール・バイ・マイセルフもロングバージョンだと、間奏にラフマニノフ風があって、一応それを何とか聴き取って弾こうとは思ってますけど。
他のソロは、何度も弾いてるけど、ショパンの英雄ポロネーズ、ベートーヴェンのソナタの27番…たぶんこの2楽章が一番好きなベートーヴェンの曲かも…と、ドビュッシーを3曲です。
ドビュッシーの曲は印刷したチラシとは一部変更しました。
どうしても弾く気になれなかったので…。
自分の都合でプログラムを変更するのはたぶん初めてかも。

第72回プロムナード・コンサート
4月19日(土)10:00~11:30
姫路市文化コンベンションセンター アクリエひめじ 小ホール
入場料無料(予約不要)








プロムナード・コンサートのドレス

2025-01-27 00:51:23 | ラ・プロムナード・ミュジカル
今朝起きたら、体中が痛かった…。
この3日間くらい、肩が凝ったりあちこち痛かったりで、ロキソニンを飲んで何とかやっていましたから、それが一気に出たか…です。
昨日の動画をパソコンに取り込んで編集…と思ったのですが、いつものカメラでいつものように撮ったのに、色合いが若干変かな…と。
動画はともかくとして、写真は編集でちょっと手直しを。
今回作ったドレスは、着物からの物でした。
術は2年前に作ろうと思ってほどいていたのですが、なかなか作れず、やっとできました。
振袖以外に母が3着作ってくれたのですが、どれも一緒に呉服屋さんに行って自分で選んだものなので、気に入ってる柄でした。
一番好きだったピンク系の絞りの着物は汗染みで使えなくなっていてすご~く残念でした。
今までに着物からドレスにしたのは、振袖と2着の着物と姉の訪問着か何かの着物。
それとすごく古い感じだったのでたぶん母の着物だったと思われるものの5着だったかな…。
着物で残していたものはたぶんこれでないので、後は母が買って残っていた反物がいくつか…でも、年を重ねてからの物で、地味なのですよね。
それとお気に入りの帯もあるのですが、これはドレスにするのは難しいかな…と思ってるところ。
プロムナードでも、1月になると青木さんも着物からのリメイクで、着物流行りです。
ステージ上での写真切り出しはいいショットが取れなかったので、今回は集合写真からの加工です。
演奏写真。
前半は、ず~っと以前にサンローランの生地で作った紫のドレスをリメイクしたもの。
袖が付いていたけどそれを取って、オーバースカートで華やかに。
個のリメイクもずっと前にしていたけど、少し手直しをしました。
前の人の曲目が短かったので慌ててステージに出たため、ネックレスをするのを忘れたし、終わりまで、髪留めを華やかなのにするのもすっかり忘れてしまってました。
今回は割と余裕で作っていたつもりだったのに、だんだん時間が足りなくなって、最後の裏の手縫いの部分は前日にホテルについてからでした。
まぁ間に合ってよかったけど、何しろアレンジもあったので、時間配分を間違えたなぁ…と。
毎回、早めに…とは思うのですけどね。



サン=サーンスの6つのエチュード作品111より第6曲トッカータ

2025-01-24 17:50:57 | ラ・プロムナード・ミュジカル
サン=サーンス(1835〜1921)も今年は生誕190年の記念イヤーです。
彼は、フランス国民が栄誉とするレジオン・ドヌール勲章を受けたり、ケンブリッジ、オックスフォード両大学からは名誉博士号を授けられたりしいぇ、芸術家としては最高の栄誉を極めたのですが、音楽界にあっては若干異端的な存在だったようです。
ピアノ曲も70曲あまりありますが、演奏される機会はそう多くはないかもしれません。
よく知られた曲といえば、動物の謝肉祭ですが、どちらかと言えば技巧的な曲が多いと言えるでしょう。
彼自身もピアニストであり、オルガニストでした。
オルガニストとして最高峰と言われる、パリのマドレーヌ寺院のオルガニストを20年間務めました。

さて、このトッカータは、「第5協奏曲のフィナーレによるトッカータ」です。
トッカータとは鍵盤を駆け巡るような動きからなる華やかな曲で、バッハのトッカータとフーガなどバロック時代によく作曲されました。
第5協奏曲は、デビュー50周年を記念する演奏会のために1896年に作曲されたもので、このフィナーレは極めて派手な演奏効果を持つ技巧的な曲で、この曲の楽想を用いて一人で演奏できるコンサート用楽曲として1899年に作られました。
トッカータの名の通り、鍵盤を駆け巡る華やかで技巧的な曲ですが、とても面白い曲でもあります。