明日のプロムナード・コンサートで演奏する曲についてです。
前半は、まずは連弾。
春ですので、ヴィヴァルディ(1678〜1741)のヴァイオリン協奏曲「四季」より、春の第1楽章です。
正式には、ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」の最初の4曲を「四季」と言っているわけです。
ただ、ヴィヴァルディがつけた名前ではありません。
ヴァイオリン協奏曲というのだから、もちろんピアノ曲ではなく、独奏ヴァイオリンと通奏低音を含む弦楽5部のための曲で、今回は連弾用に編曲されたものを演奏します。
これらの曲にはそれぞれソネットがつけられています。
春の第1楽章は下記の通り。
春が来た
そして鳥たちは喜ばしげな歌であいさつする
その時、泉はそよぐ微風にやさしいつぶやきの声をたてながら流れ出す
空は暗くなり雷と稲妻とが選ばれて春を告げる
嵐が静まった後、鳥達は再び
美しい調べを歌い出す
曲はまさにこの通りの内容を表現していますが、鳥の鳴き声とかはやはり難しいですね。
2曲目は、ヨハン・シュトラウス2世(1825〜1899)のトリッチ・トラッチ・ポルカです。
ヨハン・シュトラウス2世が1858年に作曲した管弦楽のためのポルカです。
軽快で陽気なリズムが特徴で、楽しい雰囲気を持った曲です。
曲名は日本語で言えばおしゃべりのポルカ‥といったような意味です。
ポルカは19世紀後半に流行した2/4拍子の軽快な舞曲のことです。
ヨハン・シュトラウス2世は1825年生まれで、今年、生誕200年の記念イヤーです。
この曲は、誰がアレンジしてもそう大きく変わったことはできませんが、私が連弾用にアレンジしました。
次はオマージュシリーズで、エリック・カルメン(1949〜2024)の「オール・バイ・マイセルフ」です。
この曲名を聞くと、たぶん大半の人はセリーヌ・ディオンを思い浮かべられるかも…ですが、セリーヌ・ディオンはカバーしただけで、作曲したのはエリック・カルメンです。
彼は、昨年3月に74歳で亡くなりました。
オール・バイ・マイセルフは1976年、全米2位のヒットを記録しました。
1978年、1979年に来日しました。
ちなみに、私は1979年のコンサートに、たぶん日本武道館だったように思うのですが、行きました。
感動でした。
その後、ソロ活動や作曲など活動をしていましたが、名を轟かせるような華々しい活躍ではなかったかもしれません。
彼はラフマニノフに心酔していたので、この曲もラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の2楽章が元になっています。
中間部に長大なラフマニノフの協奏曲を思わせる間奏があります。
それも全部弾こうかと思いましたが、長くなるし、若干冗長な感もあるので、いいとこ取りをして繋げて短く演奏します。
オール・バイ・マイセルフの言葉の意味は、「全てを自分で」ということで、曲全体としては、簡単にまとめると「若い頃はなんでも自分一人でできると思っていたけど、それは無理、やっぱり愛が欲しいよぉ〜」みたいな意味です。
ショパン(1810〜1849)の英雄ポロネーズ
以前書いた解説を転載します。
ポロネーズと言えば、何となくポーランドの民族舞曲と思っていますが、歴史的な面をしっかり説明しようとするのは、ちょっと大変です。
ポロネーズがいつ頃起こったのかははっきりしていませんが、フランスのアンリ3世がポーランドの王位についた時、ポーランドの貴族たちが、王の前で行列行進した際に、初めて確定した形態をとるようになったと言われています。
その後、ポロネーズは、まず儀式用として、さらに政治的な舞踏用に使用されました。
次第に民族的表現を持ち、国民の政治的感情、関心や愛国心まで示すようになりました。
折りしも、ショパンの頃のポーランドは国として存在していなかった…他国によって3つに分割されていた…時代で、ポーランドの過去の栄光と現在の悲哀と憤怒を表す手段としてポロネーズを利用したのかもしれません。
ショパンの独奏用ポロネーズは全部で16曲あり、強壮な雄々しいリズムを持ち、封建時代の華やかな往時を偲ばせるものと、帝政ロシアの圧政の元にあった逆境時代のポーランドを描いた憂鬱に満ちたものの2つに分けられますが、英雄ポロネーズは、前者を代表する最高の傑作と言えるでしょう。
少し長めの前奏ののち始まるテーマは、華やかで堂々とした印象的な曲想ですが、中間部の左手のオクターブの連続による部分は、祖先の足音か進軍する兵士達の行進か…という感じです。
私には、シュポッポッポシュポッポッポ…と、汽車が近づいてくる…そんなイメージですけどね。
英雄という名は、ショパンがつけたのではありません。
1842年の作曲で、この頃ショパンは最も充実していた時期で、バラード4番やスケルツォ第4番などが作られています。