platea/プラテア

『ゲキxシネ五右衛門ロック』『The Musical AIDA』など、ミュージカルの話題作に出演の青山航士さんについて。

A Table with Reviews

2006-01-28 | グランドホテル ザ ミュージカル

ゲストの方からお寄せいただいた『グランドホテル』観劇コメントをこちらに集めました。

ご投稿、本当に有難うございました。また、"Guest Room of GRAND HOTEL"に頂いたコメントも記事としてアップし直しております。まだご覧になっておられない方は是非覗いてみてください。

これからも観劇レポートはお待ちしております。一言でも感想をお寄せくださると嬉しいです。



myさん:2006/1/26 02:06

千秋楽おめでとうございます。
一番最初に「グランドホテル」上演を知ったのがへーまさんのブログでした。
なんだかずっと先のことだと思っていたのに、
とうとう終わってしまいとても寂しいです。
千秋楽前夜の逮捕劇も、
公式サイトが跡形もなく消えてしまったのも、
「グランドホテル」形式の演出のようで
私の中では、グランドホテルは存在し続けているようです。

青山さんの存在をはっきり印象付けられた公演でもありました。
へーまさんのブログで予習復習していたことで、
青山さんを一層身近に感じたのかもしれません。

青山さんは「グランドホテル」の余韻に浸る間もなく、
次の公演のお稽古なのですね。
「ザ・ビューティフル・ゲーム」
是非見に行きたいと思います。
これからもどうぞよろしく。




あゆあゆさん: 2006/1/25 02:27

『グランドホテル』楽日の公演、行って参りました!今日は2時開演でしたから、終演からもうかなり時間が経過しているはずなのですが、いまだに劇場に広がっていたあの興奮と感動の只中に漂っている・・・、そんな感じです。なんだかこうやって今キーボードを打っている自分の身体に現実感がありません。今もBW版のCDを最初から最後まで聴いて、舞台のシーンを脳内再生しておりました・・・。本当に素晴らしい作品でしたね。観るたびごとに全く新しい発見と感動がある作品で、劇場に通うのが、本当に楽しみでした。ベルリンのホテルで繰り広げられたドラマのごとく、演者と観客の出会い方によって、無数の可能性が生まれていく、そんな作品であるという印象を強く持ちました。ウォルフォードさんが常に携帯していたというバウムの『グランドホテル』初版本、常にその原典のテクストに立ち戻るということをされていたようですが、そのように演出家が繰り返していた丁寧な作業が、さらにキャストの皆さんのなかで醸成されていき、それぞれのキャストの方の完成されたひとつのかたちが絡まりあい、絶妙なハーモニーを奏でる・・・、そんな今回の作品のあり方にとても心を打たれました。正直なところ、楽日を迎えてもなお、まだまだ劇場通いしたくなる作品です。映画版、トミー・チューン版という偉大なる古典がありながら、それらとは異なる新たな作品を創り出すことへの情熱が伝わってくる作品でしたし、そんなキャストの皆さんの潔さと気概が本当に心地よかったです。

じゅんじゅんママさんがレポートしてくださったとおり、今日のホールCの熱気と興奮には、ただならぬものがありましたね。そしてキャストの皆さんのエネルギーがギュッと詰まった作品の完成度、素晴らしかったです。冒頭のグランドパレードからラストのグランドワルツまで、もう感動が怒涛のように押し寄せ、涙がにじみ、鳥肌が立つことの、果てしない繰り返しでした。そして、楽日ならではのカーテンコールも、カンパニーの一体感、充実感が伝わってきて、感動でしたね!観客も鳴りやまぬ拍手と客席総立ちのスタンディング・オヴェイションでいつまでも応えていたい・・・、そんな熱気が充満していました。

ユーモアに溢れた小堺さんのお話も楽しかったです。そのお言葉によれば、既にイギリスに帰国されたウォルフォードさんからメッセージが届いて、楽日の公演時間には、今日のこの公演のことをイギリスから想っている、とのことでした。小堺さん、すかさず「多分寝ていて考えていないと思いますけど・・・」という内容のツッコミを入れて、会場の笑いを誘っていました。ウォルフォードさんはイギリスからということなのでしょうが、開演時間の間近になって、1階席の音響さんのすぐ後ろ、つまり最後列の席には、菅野こうめいさんがいらして、カンパニーを見守っておられました。カーテンコールの最後には、メインキャストの方々は、オーケストラのところまで駆け上がって、指揮者の方、オーケストラの方々と握手されたりしていました。20年代ファッションに身を包み、ドラマのなかにも登場されていたオーケストラの方々、視覚的にも素敵でしたが、上演中ほとんど鳴りやむことのなかった音楽、本当に素晴らしかったですね。

今回の青山さん、私としたら、もう素晴らしすぎて、どのように言葉で形容したらいいのか、まだわかりません。初見のときからずっと、ダンサーとしては勿論、表現者としての存在感に圧倒されています。「惚れ直す」のではなく、完璧に「一目惚れ」です。ちょっと今日は簡単に言葉にできそうにないので、一晩漂って戻ってきたいと思います。戻ってこられるか、かなり不安です。言いたいことがいっぱいありすぎて、ちょっとそう簡単にまとまりそうにはない、というのが正直なところです。じゅんじゅんママさんと同じく、私も無意識にトレー持って、踊っているかもしれません・・・。『グランドホテル』の台詞にもたくさん出てきたけれど、「踊る」って、素晴らしいわ、本当に!今回の青山さんを観ていると、乾杯したくなってしまいますね!!




じゅんじゅんママさん:2006/1/24 20:19

ヘーまさん、みなさん、こんにちは。今日、午後から会社をお休みし、グランドホテルの千秋楽に行ってまいりました。ミュージカルの千秋楽は平日が多いので、今回初!千秋楽観劇でしたが、すごい!独特の感動(興奮?)のムードが開演前から漂い、始まる前からワクワクでした。キャストの方からみなぎる気合も違うように思えました。途中、クリンゲラインのズボンがなかなか落ちず、「あれ、あれ。。。」と笑いながら必死に落としたり、とリピーターにしか分からない場面もありましたが、カーテンコールも3回あり、最後は思わず涙がにじみました。青山さんはお休みもなく、明日から「ザ・ビューティフル・ゲーム」のお稽古が始まるそうですが、今度はどんな青山さんを見せてくださるのか。。。。。(私事ですが)今年は本厄なのですが、楽しい舞台三昧の一年になるようで楽しみです。でも、あのチャールストンが見られないかと思うと、寂しいですね。あの青山さんのステップを思い出し、トレーを持って踊ってみたりするのは私だけではないですよね。。。



あゆあゆさん 2006/1/20 02:06

「もう一度みたい!」と私も8日以来ずっと思っていました~。大澄さんの男爵をもう一度観たい!そして岡さんの男爵を少しでも早く観たい!そしてそして、青山さんのチャールストンとあのお姿を~~~、と思いながら、何度「当日券に並んでしまえっ!」の誘惑の声に悩まされたことでしょうか。へーまさんの記事がアップされて、ますます気持ちが高まるなか、やっと本日19日木曜日のソワレに、あらかじめ取ってあったチケットを握り締め、行って参りました!

とにかく感動でした!!!毎回思うことですが、舞台というものは、本当に「一期一会」の場ですね。前回の観劇のときからさらに、カンパニー全体としてものすごく密度が高くなっている印象を受けました。勿論岡さんの男爵も、大澄さんの雰囲気とはまた違った感じです。とっても無責任発言ですが、へーまさん、是非是非もう一度ご覧になってください!!(ホント無責任だな、私って・・・、ごめんなさい。でも、ホントにもう一度観ていただきたいのです~~~。)

そして今日の青山さんですが、もう「最高」です。(舞台での青山さんは、ひとつの作品でも、観るたびごとに「最高」が更新されてゆく感じです。)まず、チャールストンのダンスシーン、私などが言うのはおかしいというのはわかっているのですが、「非の打ち所がない」とはこういうことですね~、「完璧」です!!!月並みな言葉しか出てこなくて、申し訳ないのですが、何度観てもカッコイイんです。これだけです。ファンモード全開にさせていただきますが、どうしてあんなダンスをしてしまうのでしょうか~~~、はあっ~~~、カッコイイですね~~~。「ダンスを多用していないミュージカル」なんて、前回のコメントで書いちゃったのですが、そんなことを言うことがナンセンスに思えてくるぐらい、あのダンスを観ているだけで、もう十分すぎるぐらいにシアワセになってしまいますね~♪青山さんのチャールストンを観ている間は、はっきり言って何も言葉が浮かびません。心の中は、ただひたすら「!(エクスクラメーションマーク)」です。

そして、へーまさんも書かれているとおり、あの「姿勢のよさ、歩き方」、何度観ても本当に説得力があります。青山さんは舞台の上で座ることはないのですが、舞台という台の上に居る、存在している、そのあり方という意味で、はじめからおわりまで「ベルボーイ」としての、あの「居ずまい」みたいなものが、圧巻ですね。(あまりにも上半身、特に背中のラインが美しくて、説得力があるので、上半身を意識して「居ずまい」と言いたくなってしまいます。「たたずまい」という言葉では、あの青山さんを表現しきれない気がするんです。)ああいう青山さんの姿を観ていると、単に「パントマイム」という意味での「マイム」ということだけではなくて、「マイム」という言葉のもともと意味するところが何なのか、そんなところにまで思いが及んでしまいます。

パンフレットのウォルフォードさんの言葉によれば、ヴィッキー・バウムの小説こそが、このミュージカルのエネルギーの源になっているんだと確信した、ということだそうです。「ロンドンの古い図書館の地下で」見つけたというこの小説から、ウォルフォードさんが感じたものはどのようなものだったのか、それがキャストの皆さんの身体を通してどのように見えてくるのか、毎回劇場に行くたびにとても楽しみです。青山さんがこのミュージカルに出演されると知ってまもなく、某ネット書店で、バウムによるこの小説を注文していたのですが、在庫切れとかで、いまだ私の手元にこの小説は届いていません。初見前までは、舞台を観る前に一読しておきたいと思っていたのですが、今はそのようには思っていません。楽日を含めたあと数回の観劇を通して、紙の上に書かれた言葉ではなく、青山さんは勿論、キャストの皆さんが紡ぎだす有形無形の言葉を、観る側としても身体で聴いて、感じてきたいと思っています。

The Beautiful Game in London

2006-01-28 | ビューティフル・ゲーム
 思っていたよりもずっと奥の深いミュージカルの世界からちょっと離れて、勝手知ったるバレエ関係の記事を探してネットめぐりをしていたら、こういう時はやはり縁があるもので、マシュー・ボーンの『白鳥の湖』に出演のダンサーが、" The Beautiful Game"のロンドン公演にも参加していたという記事に遭遇しました。

 サイモン・ハンフリーという若手ダンサー(残念ながらこの人は未見)なんですが、メアリー・タンカードの振付は、M・ボーンとは違った意味でユニークだったと語っています。サッカーの試合の場面では、実際のプレー写真をモンタージュのようにつないでいったとか。
 M・ボーンは、プロの踊り手としての経験がなく、いわば観客の目で振付をすることでよく知られていますが、タンカードも形にこだわらない人なのかもしれません。ロンドンという演劇の都は今も実験的な試みを積極的にするところなんだなと痛感します。いつだったか、中田英寿選手のプレー中の写真で、ダンスをしているような綺麗なフォームのものを目にした事がありますが、質の高い動きというのは分野を問わず、本当に美しいものです。この「モンタージュのような振付」見てみたかったな~。

 一方の日本版の演出・振付のジョーイ・マクニーリーは、優秀なダンサーとしてのキャリアを持った方、違ったアプローチが期待できそうです。『ウエストサイドストーリー』のジェローム・ロビンズの公式バイオグラフィ"Jerome Robbins His Life, His Theater, His Dance"には、『屋根のうえのバイオリン弾き』("Jerome Robbins' Broadway"の一シーンかな?)のリハーサルで、ロビンズに指導をうける、バイオリンを手にしたマクニーリー青年の写真があります。完全主義者で知られるロビンズのお眼鏡にかなった方らしく、かなり緻密な人のようで、青山さんの実力を充分把握したハードな振付を期待してしまいます~♪ もちろん『グランドホテル』はとても素晴らしい作品で大好きですが、「青山航士のダンス」ということでいうと・・・どうでしょう、百分の一ほどが見えたか見えないか、ぐらいかもしれません。

 まだブロードウェイでは上演されていないという"The Beautiful Game"、ストーリー的には切り離されたこの極東の国で、アイルランド系と思しきマクニーリーさんが何を見せようとしているのか、稽古場で形が現れている頃でしょうか。今回の『グランドホテル』でも、ウォルフォードさんという異文化の「目」を何度も通した青山さんの姿にはエレガントな新しい個性を感じました。ご本人達にとってはやりにくい面も色々とあるのかも知れませんが、ファンは新たな化学反応が楽しみでもあります。

platea(平土間席)より

2006-01-26 | グランドホテル ザ ミュージカル
>myさん

コメント有難うございます。ありのままの、不完全な人間同士が出逢い、空間をわけあい、言葉をかわす『グランドホテル』、どうしてもまた見たくなります。myさんは宝塚版もご覧になっているのですよね、羨ましいです。

 藤木孝さんの、「台詞」であることすら意識させない、憑かれるままに湧き出るかのような演技のせいか、あの回転ドアが、大恐慌前夜、そしてナチスの影がひろがっていく時代を生きたいくつもの魂を呼びさます魔方陣の中心のようにも見えました。その魔が現実に降り立った、観客の一人一人がそんな風に感じていると思います。現代の時間をも吸い込むようにして消えてしまい、私にとっても特別な作品になりました。

 この作品がビジネスとしてどうとらえられているのか、私には想像つきません。でも、観客のこの作品への想いは、ネットの海の1ページにしか過ぎないけれど、少しでも多く記録し、一人でも多くの方の目に触れるよう、残しておきたいと思います。「本当にいいもの、心に響くものが見たい」という見る側の要求って、なんとなく制作側は小さく見積もっておられるような気がして。興行が奇麗事ですまないのはもちろんでしょうが、観客と演者の対話は、私利私欲と離れて、この世を慰める「きれいごと」であってほしいです。皆さんのコメント、無期限でお待ちしていますので、どうぞ宜しくお願いします。

『グランドホテル』千秋楽

2006-01-24 | グランドホテル ザ ミュージカル
千秋楽、おめでとうございます。

 この二時間に満たない作品に、出演者の方々の魅力がぎっしりと詰め込まれていました。それほど多人数でなかったせいもあるとは思いますが、ミュージカルですべての出演者の顔を上演中に覚えてしまったのは私は今回が初めてです。それぐらいに、ひとりひとりのキャラクターに存在感がありました。ウォルフォードさんのワークショップが実際にどのようなものだったのか、一観客には想像もつきませんが、「演劇してます!」というオーラに萎えやすい私にとっては、居心地のいい台詞回しが多かったです。「ミュージカル」というより「芝居」を見た感触ととても似ていて、それがミュージカルファンの方には不満の残るところなのかもしれませんね。

 紫吹さんのフレムシェンは、普通の女優さんが演じたらベチャベチャした感じが出てしまう役を、可愛い鹿のように無邪気に演じて、19才の命が輝くようでした。死を迎えつつあるクリンゲラインが「ついてきてくれ」と頼む気持ちもよくわかるし、魅力的な人はどこか中性的、という言葉を思い出します。また、小堺さんの役者であることをいったんどこかに置いたような、目の力みの抜けた表情で歌う"Table with a view"は、もうすぐ自分のいなくなる世界を抱きしめるような切なさがあって、セットにはないホテルの庭や花々が見えるようでした。

 パンフレットでモーリー・イェストンも語っているように、この後"Some have, some have not"で怒り・不満をぶつける労働者達がナチスに傾倒し、ドイツは闇の時代へとはいっていくことになります。現代に生きているものは、大戦終結の年の荒れ果てたグランドホテル=Hotel Adlon(「グランドホテルの1945年」をご参照ください)も、それがふたたびブランデンブルク門のそばに美しい姿でよみがえったことも知っていますが、その間このホテルが見つめた幾多のドラマも、あの舞台の上に蜃気楼のように浮かび上がっているように思います。それとも、もうこんな時間ですから、セットはすっかり解体されて、また呼び活けられる日まで霧散した後でしょうか。タキシード姿で美しい女性とダンスを楽しんでいた男性も、チャールストンを軽やかに踊っていた青年も、いつかまた「1928年」の空間に姿を現すような気がします。

 公式ブログも消えてしまったようですが、このブログでも何度か紹介させていただき、いつも楽しく拝見していました。最後のバックステージツアーも普段絶対に覗けないところが伺えて、とても嬉しかったです。作成してくださった方々、本当に有難うございました。

I Waltz Alone

2006-01-21 | グランドホテル ザ ミュージカル
小堺一機さん演じるユダヤ人・クリンゲラインを見ていると、ユダヤ教に天国や極楽という「彼岸」がないということがよくわかります。働いて働いて、不治の病におかされてしまった境遇にあってなお、「よりよく生きるため」(がユダヤ教の特色らしいのです)行動をおこす、たとえ最初はお金の力に任せたものであっても、その気持ちに共感し涙するひとは多いでしょう。そして病院を飛び出してきた彼と最初に言葉をかわす元軍医のオッテルンシュラーグ(藤木孝さん)は、彼と対をなすように、モルヒネを打ちながら、少しずつ死んでいるような存在で、メイクもデスマスクのようでした。自殺を禁じられているキリスト教徒という設定なのかもしれませんが、もう一晩、と毎夜滞在をのばし人々を眺めているのは、どこかに「生」への断ち切れない思いがあるからでしょうか。

 幾人もの兵士が、また市民が亡くなるのを目にしてきた医師と、医療による延命を拒否してあらわれる一人の男性。クリンゲラインが可愛いフレムシェンと踊り、男爵と杯をくみかわす一方で、当時飛躍的に進歩をとげ、医療の発達と大量殺戮の手段を同時に生んだ「科学」の担い手である医師は、一個人としての幸せとは隔絶したような時間の中で"I Waltz Alone"を歌います。舞台の上を漂うように緩やかなステップを踏む姿を見ていると、この人の目に焼きついた悲惨な光景が、薄暗い照明の中に映し出されるようでした。

 この痛切な歌の間、舞台上手では事業に行き詰ったプライジングがフレムシェンに服を脱ぐように強要し、下手では男爵が運転手に盗みを命じられ・・・そして青山さんたちアンサンブルは、ほの暗い照明の下、マリオネットの動きを静かに続けるのですが、想うままにならない、自由になれない一人一人にとっての「自分」と、操り糸に吊るされて自分を動かす力を持っていない人形の空っぽな体が幾重にも重なり、この後におきる悲劇の序曲を視覚的に奏でるようでした。すき間風やなにかの振動で人形がわずかに動くような、「動」のとても少ない振りですが、時間と空気の質感まで変えてしまう、「動き」を突き詰めたもので目が離せませんでした。「静止する」ことがここでは「動くこと」と等しく語りかけてきて、その哀感は、いまも鮮明な画像となって記憶に残っています。

 ベルボーイたちが最高の敬意を払ってクリンゲラインを送り出すのは、彼がマリオネットの糸を切り、自分で「よりよく生きて」いこうと歩き出し、若い母親と新しい命を見守る人となったからでしょう。その旅立ちを見つめ、「もう一晩泊ることにした」オッテルンシュラーグの孤独な時間がそれで終わったわけではないでしょうが、彼が亡くなるときには、クリンゲラインのことを思い出し、二人でゆったりとワルツに身を任せたかもしれません。

Maybe My Baby Loves Me

2006-01-20 | グランドホテル ザ ミュージカル
アメリカを代表する芸術大学であるジュリアードでダンスを学んだ青山さんがジャズを踊る、これを見ないで「日本のダンサーがジャズを踊ると・・・」なんて語ることはできません。「狭いスペースでジミーズとしての演技を交えて」なので、ご本人としては技術的に必ずしも「全開」モードではなかったと思いますが、あの「ノリ」をこの目で見られて本当に嬉しかったです。「音楽に乗る」といいますが、この曲での青山さんの足はフロアを蹴っているというより、まるで音の上を戯れながら渡っているようで、この言葉によって「意味されるもの」を目にしてしまいました♪

 そしてまた『ウエストサイドストーリー』ではジェローム・ロビンズの要求どおりであろう、クラシックバレエの特徴である外股=アンドゥオールを駆使しながらジャズを見せてくれた(「WSS-Koji Aoyama Plays it Cool」を読んでいただけたら幸いです)青山さんですが、爪先を内側に向けてのステップ(は"The Grand Charleston"の特徴でもあります)も自由自在でした。この人の関節の可動域の広さは天賦のものとしか言いようがありません。おどろんぱでいうなら「はしれ!」や「ジャンプしてキャッチ」の開脚ジャンプで強くしなる脚、「ことばでアクション」では肩を叩きそうな足先、またグレイウォーターズ役で見せてくれたうねるような腕の動き、・・・関節の形状、靭帯の強さ、筋肉の質・・・などもろもろの条件がすべて揃っているんだろうな、としみじみ思います。ジュリアードの入学試験はその時点の実力に加えて、その後どれだけ伸びる人材かを重視する、とききます。なるほどですよね。

 もちろんご本人のダンスへの想いと努力も大きいとは思うのですが、これだけ恵まれた身体条件に、あの音楽性の豊かさを兼ね備えているのですから、「天はニ物を与えず」の愛すべき例外、ということなんでしょう。今はさらに歌、演技とますます表現者としての幅を広げておられますが、たぶんダンスの女神も音楽の女神も貴方を愛してる、その愛情が変わることはない、と思わずにはいられない"Maybe My Baby Loves Me"でした。これからも三物、四物と、詩神たちと相思相愛のところを見せてくれるに違いありません。

大澄男爵 千秋楽

2006-01-19 | グランドホテル ザ ミュージカル
ラフレシアのような赤い薔薇の作り物に眼を奪われないようにしながら、大澄さんの笑顔の魅力を存分に見せていただきました。ダンサーとしてずっとキャリアを積んでこられた大澄さんにとって、一番得意なものを封印しての舞台ですが、私の目にはとても魅力的に見えました。男性ダンサーは、一流スターであっても「パートナー(女性ダンサー)のために踊っている」と明言する方もいるくらいで根っからの紳士が多く、大澄さんもそんなジェントルマンぶりがにじみ出ていたように思います。

 男爵とはいっても、ドイツでは1919年のワイマール憲章ですべての特権が廃止されたため、彼は「名前だけ」の貴族であったことになります。また、戦場では弾にあたらなかった、という歌詞が出てきますが、1928年、といわれている作品の設定からすると、「29才と29か月」ならば、20才前後の青年期を戦時下ですごしているので、子どものときはいざ知らず、優雅で安楽な時間とあまり縁のない人生を送ってきた「男爵」のようです。そう思うと、グルーシンスカヤの舞台の想い出を熱く語り、自分の能力で生きてきた彼女の内面に魅かれるというストーリーにも説得力を感じますし、よからぬ輩にいいように遣われている寄る辺なさも理解できます。

 この作品に初めて接して、最初に感じたのは敷き詰められた絨毯のように「説得力」が物語を支えていることです。たとえば青山さんのベルボーイも、あの姿勢のよさ、歩く姿で「ああ、ここは世界でも有数の一流ホテルなんだな」と視覚的に分りますよね。ウォルフォードさんの演出については賛否両論のようですが、たとえば「三忍者」で青山さんが自由に踊っている(もう本当にカッコよくって素敵なんですけど~)のとはまた違う魅力が見えてきたのも事実です。大澄さんのファンの方もそうなのではないでしょうか。演じる方たちが、それぞれの個性と共に、絶対に自分からは見えない面を無意識に輝かせているような感じのする舞台でした。そしてそれがウォルフォードさんの手腕によるものならやっぱり凄い方だと思います。

 それにしたってあの薔薇は少し強烈すぎました。大澄さんなら黄~クリーム系の優しい色の薔薇の方がお似合いのような気もしますし・・・。岡幸二郎さんはどんな色の男爵なのでしょう。『グランドホテル』、もう一度見たい、の一言です。

カラス舞う空の下

2006-01-18 | グランドホテル ザ ミュージカル
 前田美波里さん、とても綺麗でした。バレエファンですから当然気になっていて、BW版の写真や公開舞台稽古の写真を見て、率直なところ「亡命したであろうロシアのバレリーナが革命のシンボルカラーの真っ赤なコート・・・すか・・・。」と思っていたのですが、パンフレットのモーリー・イェストンのインタビューを一読して納得、すっきりと観劇できました。それによると初演時に、グルーシンスカヤ役のフランス人女優、Liliane Montevecchiのために、このバレリーナを「名前がロシア風のフランス人」の設定にしたということです。

 ロシアのバレリーナは内面はさておいても、外見は楚々とした方が圧倒的多数、体重増のために解雇されたバレリーナが話題になったことがありましたが、本当にロシアのプリマには顔の小さい、折れそうに細い、お人形のような美女が多いのです。

 でもパリオペラ座はちょっと違って、現役ではマリ=アニエス・ジロ、引退した方ではマリー=クロード・ピエトラガラなど、長身でダイナミックな個性のバレリーナが活躍していて、美波里さん、このお二人に感じがとてもよく似ておられました。チュチュも映画版よりずっとセンスのいいもので、よかったと思います。

 そしてその友人役の諏訪マリーさん、踊る方だということをネットで知り、その面が伺えず残念でしたが、ただイタリア人というだけでなく、南部アクセントな"Pronto!"の発音が、BW版"Villa on a Hill"で歌われているイタリア南部のリゾート地、Positano(日本版では歌詞に出てきません)の近くの出身かな、と思わせてくれました。複雑な感情の殆どを歌で表現する、というのは、やはり「イタリア人」の設定からでしょうか。綺麗で表情豊かな歌声でしたね~♪ (イタリア人イコール歌が上手い」は罪のない偏見ですが、イタリア人で音痴だと、外国で肩身が狭いらしいです。)

そして、そんななめらかな歌声と対照的に響く、田中健さん@プライジングの" The Crooked Path"は、上空から不吉な鳥が、これから起きる悲劇を察知して集まって来るようで、強く印象に残ります。青山さんの「カラス」、二年ほど前に松戸で見たミュージカルの「グレイウォーターズ」みたいなダークサイドの魅力が少し味わえて希少価値でした。この青山さんはお酒にたとえるなら、南イタリアのワイン「コルボ」の赤、そのまんま「カラス」という意味です。たとえてないか・・・。でも虫の好くワインなんです。 

記憶のソファ

2006-01-16 | グランドホテル ザ ミュージカル
「ダンスシーンが少ない」そうした噂を耳にして、一ダンスファンとしては正直なところ気落ちしていたのが嘘のような、深く静かな満足感を『グランドホテル』は与えてくれました。昨夜も書いたチャールストンをCDでエンドレス再生しながら、香気立つようなステップを頭の中で反芻して楽しんでいます。蒸留酒をスピリット、と呼ぶのをなんとなく不思議に思っていましたが、青山さんのチャールストンは、まさにチャールストンの精霊/spiritが姿を現したように、人の心を酔わせて芳香を放つスピリットそのものでした。

 そして心も体も踊る様なチャールストンと対照的に、インフレの進む敗戦国であったドイツで、「ベルリンで最低のこの仕事」をしながら生きる労働者の気持ちを吐き出す"Some have, some have not"があることで、抑圧される黒人の深い悲しみと激情を分け合うように「ジミーズ」(BW版はアフリカ系アメリカ人)がジャズに魅了されているような気がして、改めてこの日本版のプロットの有機的な連続に引き込まれてしまいました。

 確かに舞台上のスペースはとても狭くて、街のバレエ教室でもこの倍くらいは・・・とは思います。自身ブロードウェイのダンサーであったトミー・チューン版で来日公演があり、まして宝塚もチューン本人を迎えて上演しているとなれば、今回の公演でダンスをフューチャーする、というのは最初から方向としてなかったのかもしれません。でも、ダンスに適しているとはいえない条件下で、アンサンブルの方たちがここまで精度の高いダンスで魅せてくれるとは誰も思っていなかったでしょう。『ウエストサイドストーリー』『ボーイ フロム オズ』『テネシーワルツ』などで拝見している佐々木誠さん、中村元紀さん、上野聖太さんたちが、満員の会場の空気を何度も吸って、どんどん魅力的になっておられるのが観ていて楽しいです。

 作品の冒頭、あゆあゆさんが書いてくださったとおり、青山さんたちがスローなマイムでホテルの中を動きます。それを見ていると、まるで当時のロビーのソファで、その光景を眺めていた方の記憶の中に滑り込んでいくような気持ちになります。この『グランドホテル』の重層的な空間は一度や二度では味わいきれないかもしれません。お近くの方、わたしはとっても羨ましいです、どうぞまた足をお運びください。

上質のブランデーのような"The Grand Charleston"を

2006-01-15 | グランドホテル ザ ミュージカル
やっと見ました『グランドホテル』。音楽は前評判どおりですが、私は台詞も人物像が浮き上がるようで、素晴らしいと思いました。作品そのものについてもいくらでも書くことはありますが、やはり今夜は青山さんのチャールストンです。

 舞台下手から出ていきなりのピルエット/ジュッテ・アン・トールナン+ドゥブル・トゥール・アン・レールと、ファンなら「待ってました!」のこの曲、パンフレットにもあるように、1920年代に入ってから流行した「観るだけでなく踊るためのダンス」には違いないんですが、洒脱な、という表現がぴったりの青山さんのチャールストンは、そのだれもが楽しむダンスを蒸留して、内側から光るブランデーに仕上げたような感じ(酔ってる)。音楽とはじきあうようにして刻まれる軽妙なステップは言うまでもなく、ポーズからポーズへ移る時のスリリングでいて流麗な動き、肩にも指先にもあふれる表情、どれをとっても本当に素敵でした。これだけの踊りが見られる場所は他にはそうありません。

 しかもそれはただ素晴らしいダンス、というだけでなく、全編が『グランドホテル』の時代を語る「演技」であるということを強く感じさせてくれるものでした。「バレエは流行おくれ、これからはジャズ」という台詞の示している時代、若い国アメリカから入り込んできたリズムに、ヨーロッパの伝統と敗戦の疲労のなかで生活している青年の目の前がパッと開かれるような感触が伝わってきます。たまたま私がバレエファンで、19世紀から20世紀初頭に作られた作品に親しんでいることもあるかもしれませんが、人種のるつぼの新しい国がアフリカのリズムを吸い上げて生んだ新しい音楽が、このとき見慣れぬ美しい獣のようにヨーロッパの人々を魅了した、そのことが実感できるダンスでした。

 そしてまた一方で、青山さんがターンするたび燕尾服のテールがすーっと綺麗に宙を切るのを観ていると、脳の中で日本舞を見て美しいと感じるのと同じ部位が刺激されている気がしました。「三忍者」を見ても明らかなように、「欧米のダンサーのように」素晴らしいのではなく、青山さんの身体の描線というのは、あれだけのリズム感に矛盾することなく、どこかにいつも「所作事」の美しさに通じるところがあるのです。今に始まった事ではないけれど、青山さんのダンスの複雑で魅力的な多面性が、いつもより強く感じられる舞台でした。皆さんがおっしゃるようにダンスはそう多くない、多くないんだけど、長いリハーサルで費やされた時間が、きちんと結実しているということなのだと思います。

 今夜はまだ言葉が追いついてきません。この作品、とにかく語りたいことが一杯です。理想はブランデー片手に夜の明けるまで、なんですが・・・。

Guest Room of "GRAND HOTEL"

2006-01-15 | グランドホテル ザ ミュージカル
公演が終了いたしましたので、お寄せいただいたコメントを記事としてアップしました。もう一度この時間に戻りたいような気も・・・。(1月28日)



[ じゅんじゅんママさん 2006/1/7 21:58]

へーまさん、ご覧のみなさま、こんにちは。

本日グランドホテル2日目、行ってまいりました!!!!!
まだ興奮冷めやらず、PCの前に座っています。まだご覧になっていない方のほうが多いので、内容のほうは差し控えますが(がまん)、今までとはまた違った青山さんでした。もちろん、大感動です。さて、今夜は眠れるでしょうか。。。

そして!次回の公演のお知らせがありました。
パンフに載っているので、もうオープンだと思われます。(よね?青山さん)

作品:「ザ・ビューティフル・ゲーム」(主催:フジテレビ、関西テレビ)
アンドリュー・ロイド・ウェバーの傑作ミュージカル日本初上演!とのこと。
公演日:
東京(青山劇場)2006年3月27日~4月15日
大阪!(NHKホール)2006年4月23日~26日
チケット発売は、2/18(土)からだそうです。カレンダーに赤○です!

今年も青山さんからは目が離せませんね。
なお、ご参考ですが、グランドホテル中は休憩がありません。
ので、女性のみなさま、お気をつけください。
だいたい1時間50分くらいですが、あっというまです。

と、ひとりで盛り上がり、長文になりましたが、
また楽日を迎えて、みなさまのコメントが楽しみです。
もちろん!楽日はまいります!!!(会社はお休み・・します。)
では!


[あゆあゆさん: 2006/1/08 02:13]

本日7日、『グランドホテル』観て参りました!じゅんじゅんママさんが書かれていたとおり、「今までとはまた違った青山さん」ですよ!今回は、基本的には、ベルボーイを演じておられますが、Who Couldn’t Dance with You?では、カップルでダンスを楽しむホテルのゲストを演じておられます。そして、BW版では、ジミーズはアフリカ系アメリカ人の二人組という設定だったようですが、今回は青山さんを含めた数人の男性アンサンブルがジミーズという設定になります。

とにかく今回の見どころは、「青山さんが踊るチャールストン」ということだと思います!!「青山さんがチャールストンを踊るのを、この眼で観られてよかった!」というか、「チャールストンを青山さんで観られてよかった!」というか・・・、なんと言ったらよいのでしょう。とにかく私は客席に座っていて、何ともいえない幸福感に包まれたのです。気持ちが華やぐ、ざわめく・・・、the Roaring 20’sと呼ばれていた当時の人々が刻んだ身体と心の感覚って、こういう感じだった・・・?と独りよがりかもしれませんが、感じていました。ちなみに、青山さんのチャールストンが観られるのは、Maybe My Baby Loves MeとThe Grand Charleston(BW版では、H‐A‐P‐P‐Y)です。非常に短いですが、紫吹さん@フレムシェンと青山さんが向かい合って踊るシーンもあって、最高です!フレムシェンと言えば、Girl in the Mirror(BW版では、I Want to Go to Hollywood)のシーンも素敵です。この曲、初めてBW版で聴いたときから、紫吹さんのフレムシェンで観たら最高だろうな~、と密かに期待していたのですが、コケティッシュな魅力で、予想どおりでした!この曲の後半部分でも、青山さんをはじめとして数人のダンサーが登場し、紫色の燕尾服で盛り上げます。とにかく青山さんがチャールストンを踊りだせば、舞台の高揚感、そして舞台に漲るエネルギーが俄然違ってきます。現代の曲で「人間リズムマシーン」になる青山さんは、これまでたびたび目撃してきましたが、1920年代を彷彿とさせる曲で「人間リズムマシーン」になる青山さんは、ものすごく新鮮だったし、身体中からエネルギーが溢れ出ていました!最高です!

それから、Who Couldn’t Dance with You?では、タキシード姿でホテルのゲストとしてペアダンスをする青山さんを堪能できます。OZでも香港のヒルトンホテルのラウンジでダンスをするシーンがありましたが、今回はもっとクラシカルで端整な雰囲気です。背中から腕のライン、青山さんはやっぱり美しい!!!初日の日の「めざましテレビ」でも、ラストで、キャスト全員が一列に並んだところが映ったのですが、青山さんの背中のラインの美しさは、シルエットだけでもすぐわかりました。そして今回はなんだかとても透き通っている雰囲気で、デヴィッド・ボウイにも通ずる貴公子ぶり!!堂々としたリードの仕方には、余裕と自信が感じられて、素敵でした~。もし青山さんのこのタキシード姿を、神崎順☆様もご覧になったら、きっと大きくうなずかれるに違いありません。

確かに、今回のウォルフォード版『グランドホテル』は、ダンスを多用している作品とは言えないと思います。また、WSSやOZ、そしてテネシーワルツで眼が慣れている青山ファンにとっては特に、たくさんのダンサーが大勢で踊るスタイルのダンスを想像して観劇すると、イメージとのギャップを感じるかもしれません。しかし、現代からは遠い世界である、1920年代のベルリンという場の気分を、このミュージカルで再現しているのは間違いなくダンスで、同時にとてもエンターテインメント性の高い場面になっていると思います。そしてとりわけ青山さんがチャールストンを踊りだすと、ダンスシーンがぐっと凝縮される感じがして、観客は直球を打ち込まれた気分になるのは確かです。

「ストップ・モーション」、「からす」、「人形振り(マリオネット振り)」についてもお話したいのですが、今日は特番が始まってしまうので、このへんで、失礼します。明日また観劇の予定なのですが、この続きはまた明日の夜にでも・・・。

[あゆあゆさん 2006/1/9 02:46]

本日『グランドホテル』2回目観劇(8日のソワレ)に行って参りました。さてさて昨日の続きです。・・・と言うよりは、2回目の観劇を終えて、この作品の風合いというか、肌触りというか、感触というか、そういうものが私自身にとても馴染んだという気がしています。昨日は、深夜の特番見たさに時間切れということもあって、「青山さんのチャールストン」を中心にお話しました。生を謳歌する当時の人々の息づかいを感じることができるような、また登場人物の感情の高まりを表現しているようなチャールストン、今日も最高でしたが、こちらは一度観てしまったら、中毒です。私は、7日の初見から今日の2回目まで24時間あるかないかでしたが、禁断症状が出ました。これから次の観劇までちょっと間があくので、どうやって毎日を過ごそうかと思っています。しかし、今回の青山さん、いわゆる「ダンス」だけではありません。「ダンス」ではない、「身体の表現」に最初から最後まで注目です。青山さんの非常に肌理の細かい「身体の表現」を見ていると、今回の作品で「ダンス」を多用していないことにも納得のいくような気持ちになります。これからご覧になるファンの方々、チャールストンを踊る青山さんは最高ですが、最初から最後まであの肌理の細かい身体の表現の仕方にどうぞ注目してください!私としては、この作品では、いろいろな意味における「マイム」的な青山さんの魅力全開という気がしています。

例えば、冒頭の「グランドワルツ」でのマイム表現。そしてプライジングの歌う「歪んだ道」での「カラス」、全てが幸福に向かうかのように見えたのに、男爵が命を落とすシーンに進んでゆく寸前の「マリオネット振り」(ここでは皆がハッピーに歌い踊ったはずの「グランドチャールストン」が全く違った趣で奏でられます)・・・などです。他にも細かいところ挙げだすとキリがないので、このぐらいにしておきます。とにかく一瞬一瞬眼が離せませんよ!

今回の青山さん、とりあえず区分してみると、ベルボーイ、ジミーズ、ホテルのゲストという3役を演じておられると思います。衣裳の方も、赤系でまとめられたベルボーイの制服、ジミーズ(あるいはベルボーイ?)の紫系の燕尾服(服飾史的には、名称ちがうかも・・・)、そしてゲストの黒タキシードと変化します。勿論、衣裳を着替えて次のシーンに登場すれば、例えばベルボーイからジミーズ、そしてゲストと変わっているのですが、ベルボーイとしてその場にいる、あるひとつのシーンのなかでも、キャラクターとしての「質感」が変わるというか、「モード」が変わるというか・・・。そういう変化みたいなものを青山さんは、非常に繊細に演じておられるのです。

例えば、冒頭の「グランドパレード」、オーケストラの始まりとともに、藤木さん@ドクターがモルヒネの注射を腕に突き刺し、「物語」が始まるのですが、ロビーにあちらこちらから登場してくるアンサンブルたちのダンスではない、「身体による表現」に注目です。この曲のなかでは、どこか眼の前にいる生身の人間でないような空気感が漂っていて、「マイム」的な動きをする場面があるのです。つまり、実際のゲストもいないし、実物のカバンもないのだけれど、彼らはマイムの動きでホテルの従業員としての業務をこなしてゆく・・・。そして、やがてそのシーンが、ゲストたちが訪れる現実のホテルの一日へとパッと変質するのです。青山さん演ずるベルボーイも、人格、あるいは感情を持つひとりの人間として眼の前に急に現れる・・・。それまでは、どこか夢の中にいるような、現実味のない出来事のような印象を与えていたにもかかわらずです。観客が「物語」に入っていく仕組みなのでしょうが、この作品の至る所で、そのシーンの質感、肌触りを決定するような部分に、アンサンブルの「身体による表現」が関わっているような気がします。

藤木さん演ずるドクターは、最初から最後までずっと、ホテルで繰り広げられる出来事を、自分の人生も抱えながら、見続けるという「ストーリーテラー」であり、「目撃者」であり、とても存在感のある不思議な役どころなのですが、ある意味アンサンブルが演ずるホテルの従業員たちも、「目撃者」のような、あるいは「人生を思わぬ方向に動かしてゆく、眼には見えないなにか」、そんなものとしての役割を負っているような印象を受けました。

7日の「初見」の後、心のなかにふんわりと漂う、この作品の「残り香」みたいなものがずっと気になっていました。パンフレットのウォルフォードさんの言葉によると、「イリュージョンのような光景と、人生の波が溢れ出てくるような巨大なエネルギー。そういった感覚を劇場で表現したい」ということです。ウォルフォードさんがおっしゃる「イリュージョン」とそのような「エネルギー」、今はまだうまく言葉にできませんが、私が感じた「残り香」のようなものにつながっている気がしてなりません。

とりとめがないうえに、抽象的かつ個人的な感想で申し訳ないのですけれど、今日はここまででとりあえず送信・・・。


2006/1/9 12:00

昨晩投稿した文章(これのすぐ前のコメント)に訂正箇所があります。2段落目の最初、「例えば、冒頭の「グランドワルツ」でのマイム表現」のフレーズで、「グランドワルツ」としたところは「グランドパレード」の誤りです。訂正してお詫びします。うち間違いでした。ちなみに「グランドパレード」は、冒頭と、物語の終わりの部分で奏でられる、テーマソングのような曲です。「グランドワルツ」は、フィナーレで最後に奏でられる曲です。皆さんご存知かと思いますが、誤解を招くといけないので、念のため。


回転ドアと四門出遊

2006-01-13 | グランドホテル ザ ミュージカル
また歌舞伎の話からでごめんなさいよ。(口調まで歌舞伎調。かぶれやすい)

 松竹座・昼の部の仁左衛門・玉三郎の『十六夜清心(いざよいせいしん)』、僧侶・清心が遊女・十六夜に夢中になり追放され、心中しても死に切れず、泥棒になり・・・という話なんですが、立場は違っても、高貴な存在である男性が泥棒に転落する、という設定、『グランドホテル』とも共通してます。また、もう一つの演目、『源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)』というのは芝居の半分くらいが切りあいのすさまじい演目で、仏倒しと呼ばれる大技(襖を使ってお立ち台(?)をつくるのです)をはじめとして、背景の襖を一気に外して奥行きの広がりをパッと見せたり、迫真の階段落ちがあったり、あの手この手で「死にゆく様」を表現する、歌舞伎演出のさまざまな手法が堪能できる演目でした。

 ピストルが登場してから、芝居のなかでの殺人も随分変わったのだろうと思います。「切り合い」のような劇的・時間的なひろがりのなかで描くものではなくなり、運命を一転させる一瞬の惨事というかたちが増えたのではないでしょうか。でも、『グランドホテル』の"Roses at the station"は、銃声の鳴り響く一瞬をスローモーションで見せてくれるような曲で、人が死ぬ、その瞬間に頭の中を走馬灯のようにめぐる想いを語りかけてくる気がします。私はミュージカルに疎いので他にもそんな作品はたくさんあるのかもしれませんが・・・。

 いろいろな方のこの作品への想いを読んでいるうちに、この作品には「生老病死」が描かれていることに気がつきました。エリックに子どもが生まれ、グルーシンスカヤは老いにおびえ、オットーは不治の病にかかり、男爵は死に・・・。ヴィッキー・バウムが仏教者だったとはとても思えませんが、この作品の力は文化の違いを超えて人間の普遍的な姿を見つめ、的確に切り取ったところにあるのかもしれません。出家するとまではいかないけれど、こういう作品が愛される日本って捨てたものじゃないですよね。僧侶が盗みをする芝居を見続けるところも。

形のないダンスに胸躍らせて

2006-01-11 | グランドホテル ザ ミュージカル
あちこちで覗かせていただいている『グランドホテル』評、肯定的なものにも否定的なものにも、作品そのものへの観客の愛着と期待を感じます。ヒーローとヒロインを頂点としない群像劇は、混沌とした現代の感覚によくあう、ということなのかもしれません。実際の人生でそうであるように、一人一人が物語の主役である、それを舞台にのせる・・・イメージとしてはミケランジェロの『最後の審判』の20世紀版のようなものが頭に浮かんでいます。群舞が成功すればどんなに素晴らしいものになるか、トミー・チューン版をご覧になった方の気持ち、想像できますし、羨ましいです。

 今回のウォルフォード版は、そのヒット作とは違うものを、ということで創られているせいなのか、いわゆるダンスシーンは少ないようですね。青山ファンにとっては残念ですが(青山さんが踊る姿はホントにかっこいいですからね~)、優れたダンサーは、「ダンス」という形を外しても、全ての立ち居振る舞いが形のないダンスであるような演技を見せてくれるので、今回はそれを楽しみたいなと思っています(あゆあゆさんの話しておられた「カラス」、ずっと気になってます♪)。

 例えば「ボレロ」の記事で書いた、完璧な技術の持ち主であるギエムも、近年では演劇性の高い、マイムのような作品を多く踊っていますし、ロシアやフランスを代表するようなベテランダンサー達も、跳躍や回転のない、シェークスピアを扱った作品を上演しています。また、ロンドン版『グランドホテル』を振付けた元英ロイヤルバレエ団のアダム・クーパーは、ミュージカルにとどまらず、最近はストレート・プレイにも出演しています。長い鍛錬によって体の全ての筋肉、関節をコントロールする力をつけた人たちが、爪先から指の一本にいたるまでフルに駆使して見せる「表現」、それが無数の言葉を織り込むようにして披露されると、何倍速という速さで物語が展開されるような気がするのです。私はダンスファンで、ダンサーの技術を見て驚嘆するのもとても好きで楽しいのですが、それ以上に、一挙手一投足が語りかけてくる「ことば」に胸をうたれます。ベルリンの豪華ホテルのベルボーイもきっと言語を介さない台詞をたくさん話しているに違いありません。

 ミュージカルが好きな方は、こんな見方はなさらないのかもしれません。ただ、あれこれ批評を読んだうえでの想像でしかありませんが、トミー・チューン版がお好きな方なら、きっとダンスもお好きだと思います。「言語」を介さない台詞、横の変なダンス好きが薦めているな、と思っていただけたら嬉しいです。 

皆様、『ビューティフル・ゲーム』のお知らせです~♪

2006-01-07 | ビューティフル・ゲーム
じゅんじゅんママさんからいただいた「グランドホテル開幕」のコメントに、次回の舞台のお知らせが! こ、これ青山さん出演されるのでしょうか?(落ち着け自分) 日ごろファンモードは極力つつしんでるのですが、今日はもうむき出しにさせて頂きます。あっ、お礼まで後になってる、じゅんじゅんママさん、遅れましたが、本当に有難うございます。私、PCの前で歓喜の表情のまま固まっています~。『グランドホテル』もうご覧になったのですね、羨ましいです~。それとこのブログはどんなにネタバレしていただいても私としては大歓迎なので、いつでも想いのたけを語ってください。前にも書いた事があると思うのですが、私は白紙状態で観にいくと「か~っこいい~」だけで帰ってしまうミーハーなので、心の準備をしたいクチなのです。コメント欄は残念なことに記事を個別に開かないと表示されませんが、こんな時は「ネタバレコーナー」ということで活用して、ゲストの方々に自由に書いていただきたい、と思っています。ご覧の方皆様に宜しくお願いいたします。

さて、その「お知らせ」、ここにもペーストしてしまいます♪

作品:「ビューティフル・ゲーム」(主催:フジテレビ、関西テレビ)
アンドリュー・ロイド・ウェバーの傑作ミュージカル日本初上演!とのこと。
公演日:
東京(青山劇場)2006年3月27日~4月15日
大阪!(NHKホール)2006年4月23日~26日
チケット発売は、2/18(土)からだそうです。カレンダーに赤○です!

コメント欄も是非ご覧ください。また、フジTVのHPトップ・ページ上部の「イベント」をクリックし、さらに「Stage」をクリックすると、公演詳細が表示されます。ん~、ビューティフルですねえ~♪

『グランドホテル』開幕

2006-01-06 | グランドホテル ザ ミュージカル
パソコンを開けると、昨日中にカウンターが50000pv超えていました。ブログは何かとサーバーが不調な事が多く、今日もかなり重いのですが、たくさんの方に読んでいただいて本当に嬉しいです。有難うございます。

 今日はいよいよ『グランドホテル』開幕。私の観劇はもう少し先ですが、菅野こうめいさんのブログを拝見していると、間違いなくいいものが見られそうですね♪ 公式ブログもあったおかげで、出演される方、スタッフの方、関係者の方が、長い準備期間のあいだ、切磋琢磨する様子が刻々とわかるのもいままでにない楽しみでした。

 さて昨夜は大阪松竹座の夜の部で、仁左衛門・玉三郎の名コンビで初芝居・初泣きを味わいました。人気のある『仮名手本忠臣蔵 落人/五段目・六段目』、こちらはあの「討入り」の準備期間の話です。 『グランドホテル』と同じく、ここでもお金のない美男の侍と大金のはいった財布を巡る殺人が語られます。以前「経済的な側面が語られていない小説は一流とはいえない」という批評を読んだ事がありますが、確かに、時代を超える作品にはちゃんとこうした面も語られていますよね。 

主君の敵を討つために家族を犠牲にし、切腹・お家断絶覚悟で家来達が結集する・・・ここでは家臣の一人である早野勘平(仁左衛門)の、いわば「参加費」調達のために、妻のおかる(玉三郎)は遊郭に売られてしまいます。日本のもの、とはいっても今の感覚では到底ついていけないはずの遠い昔の物語なのに、役と演者の一体感が、その時代、その立場を生きた「人」の想いにいくらでも引き込んでくれて、鼓動まで聞こえてきそうな、それぞれの抱える痛みが見る者の胸をも刺すような気がしました。

 今回私たちが目にする『グランドホテル』は、オーストリア生まれのユダヤ人が、20世紀前半ドイツ語で書きドイツで発表した物語を原作にアメリカで創ったミュージカルを、イギリスの演出家が日本のキャスト、スタッフとともに練り上げたもの、ということになります。物語、というのは普段乗り越えることの出来ない壁のように見えている時代や人種や文化の違いまでも、「人」という点と点をつないでいくように、壁を貫いていく強さがあるような気がします。目には見えなくても、この世にあふれ続ける「誰か他の人の想い」に共鳴することが、観劇の楽しみなのでしょうか。

 劇場を出ると、日本の街独特の無秩序な賑わいがいっぱいに広がっていました。こんな時代、こんな街にも、なにか人を結ぶ物語があるのですねえ。私は日本のビル街と空を見ると、なぜか青山航士さんのダンスを思い出します。たくさんの角で縁取られた空を鳥のように自由に舞っているイメージなんですが、今回はどんな地面に降り立って、どんな想いを伝えてくれるのでしょう。・・・今夜の「ブロードウェイの100年」は、『ウエストサイドストーリー』を取上げています。冒頭のシーン、「クール」「マンボ」・・・ニューヨークの街角の、キリキリとはりつめた青年の想いを爆発させたようなダンス、なにもかも忘れて見入ってしまいました。昨年の冬公演からちょうど一年、いつも万華鏡のようにいろいろな面を見せてくれた青山さんの最新の姿、とても楽しみです。