platea/プラテア

『ゲキxシネ五右衛門ロック』『The Musical AIDA』など、ミュージカルの話題作に出演の青山航士さんについて。

『テネシー・ワルツ』再々演、青山航士さんは出演されません

2007-06-13 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 神崎順さん公式サイトJewel管理人のぼのさんより、今年の『テネシー・ワルツ』再々演に青山航士さんはご出演されないとのこと、お知らせいただきました。いつも本当に有難うございます 公演詳細はJewel様の"Schedule"にアップされていますので、どうぞご確認ください。今年は他にもキャストの変更がありますね。
 神崎さんとの共演を楽しみにしていた青山ファンも多いと思いますが、またの朗報を皆で寝て待つことにしましょう。


『テネシー・ワルツ』再々演ですが・・・

2007-02-16 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 神崎順さん公式サイト"Jewel"様で、2007年9月『テネシー・ワルツ』再々演に神崎さんのご出演が予定されている、と発表がありました。
 ここで「じゃ、青山さんも」と胸の高鳴るのがファンというものなのですが、青山さんのご出演は確認できておりません。『タイタニック』で思いっきりフライングな記事を書いてしまった私(反省しております)なんかに言われたくないわ、とお思いのこととは存じますが、今は青山さんご自身がブログを書いておられますし、公式サイト"only one"、所属事務所F.Spirit様のサイトもありますので、皆様どうぞそちらでの発表をお待ちください。

 また、この件に関しまして、"Jewel"管理人様に個別にお問い合わせ等をすることは、どうぞご遠慮くださるようにお願い申し上げます。"Jewel"さまは私の「リズム音痴のカスタネット更新」と違って、掲載されている情報は随時更新され、どれも最新のものですので、サイト上でご確認ください。これも、最初に居候として転がり込んだ私に言われたくない、とお思いでしょうが、テネシーも三回目ということで「居候、三杯目にはそっと出し」の精神で行きたいと思います。皆様どうかご理解くださいませ。

『誰でもピカソ』で9月1日・8日は江利チエミさん特集!

2006-08-30 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 う--でぶさんのブログ『江利チエミファンのひとりごと』で、こんな情報が紹介されていました。『テネシーワルツ』西日本ツアーを前にして、これは必見です! 詳しくはう--でぶさんのブログでどうぞ~。

  江利チエミファンのひとりごと

神崎順さんの公式サイト"Jewel"様で

2006-08-09 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 管理人のぼのさんにお世話になりっぱなし、というだけでも足を向けては眠れないサイト"Jewel"様ですが、7日付けで『テネシー・ワルツ』の稽古場から、島田歌穂さんのお写真とともに、青山さんの近影とメッセージが神崎さんのブログに紹介されています。もう感謝の余り、舞台に神崎さんがご登場されたら思わず席を立ってお辞儀してしまいそう。今回も華やかなお姿でレビューシーンをぐっと盛り上げてくださることでしょう。
 実は私、最初にお写真を拝見したときには「ま~、宝塚の男役にこんなにかっこいい人がいるのね・・・」と三秒ほど思ってから「じゃなくて男性」であることに気がつきました。その原体験のせいでしょうか、神崎さんがあの「大階段」から降りてこられるところをつい想像してしまいます。だれよりも似合うと思うのですが、実現しないものでしょうか。

キャリオカ!

2006-08-07 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 gettyimagesで見たオーストラリア版『ボーイ フロム オズ』の"Rio"、アンサンブルの衣装がかなり派手、リオのカーニバルが引越ししてきたようで、くいだおれ人形でも埋もれてしまいそうな勢いです。ブロードウェイ版も東京版もすこし彼岸的な感じのする白い衣装だったのでタジタジですよね~。
 さて「リオっ子/リオの~」を意味する「キャリオカcarioca」、これをタイトルにしたラテンの熱気いっぱいの曲を、島田歌穂さんが『テネシー・ワルツ ~江利チエミ物語~』でバッチリと決めてくれました。Say! Have you seen the carioca?ではじまる、映画『リオへ飛び行く』(1933)の主題歌で、当時の新しいダンスを唄ったものということです。それまでWSSでしか島田さんの歌をじっくりと聴いた事がなかった私は良い意味でイメージ裏切られました。Web上でも公開されている公演チラシのステージ写真はこの曲のものですね("OZ”オーストラリア版と比べると安心の配色)。
 そしてこの曲の江利チエミさん、最初の一声がものすごくカッコよくて、思わず震えが来るほどです。そこでまだお聞きでない方にも是非あの「キャーリオーカー!」を聞いていただきたいと思い、試聴ページを探してきました。もちろん舞台では青山さんが踊ってくれますし、心拍数アップ間違いなしのシーンです
 ではこちらでご一聴を。「テネシー・ワルツ」「カモナ・マイ・ハウス」なども少しだけ聞く事が出来ます。

シアター・アプルから

2006-07-16 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 『ボーイ フロム オズ』再演→"She Loves to Hear the Music"のフォッシー調振付→映画『シカゴ』と自分ながら話題はどこに行くのやら・・・と思っていたのですが、この『シカゴ』、83年に日本版がシアター・アプルで上演されていました。
 シアター・アプルは『テネシー・ワルツ ~江利チエミ物語』初演の会場ですが、思わぬところで話題ってつながるものですね。
 扇田昭彦さんの著書「ビバ! ミュージカル」によると、83年当時、新宿西口の四季キャッツ・シアターでの『キャッツ』が大盛況だった一方で、東口の『シカゴ』は残念ながら空席が眼についた、ということです。草笛光子さん(ロクシー・ハート役)、上月晃さん(ヴェルマ・ケリー)、植木等さん(弁護士ビリー)ら成熟度の高い演技はとても素晴らしかったようで、「年輪と奥行きを感じさせる俳優がもっと活躍するようにならなければ、日本のミュージカルの成長と成熟はむずかしい。ミュージカルは決して若者文化の一環にとどまるものではない」と記されています。
 ・・・でもこれは結局は観客の問題なんですよね~。ずっと以前にも「日本にはいい職人はたくさんいても、いいクライアントが少ない」というイギリス人女性の発言を引いた事がありますが、この言葉はミュージカルにもある程度当てはまってしまうようです。実力のある俳優はいても、その価値を認め、観にいく観客が多くはないために、日本版『シカゴ』のようなことが起きてしまったような気がします。そんな中で明治座に会場を移してスタートする今年の『テネシー・ワルツ』再演は、数少ない大人のためのミュージカルの成功例ということになるでしょうか。
 シアター・アプルは、松竹が製作した映画『上海バンスキング』を、「私が思い描くものとまるで別のもの」と思われた舞台演出家の串田和美さんが、ご自身の脚本・演出による映画『上海バンスキング』を公開された劇場でもあります。新宿の雑踏のまんなかのあの劇場には、効率主義で疾走する時代にブレーキをかける人たちの想いが残されているのかもしれません。今年の再演がいろいろな街にもそうした想いを伝えていくような気がします。 

『テネシー・ワルツ』九州公演チケット発売日

2006-07-14 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 すでに一般発売中の長崎公演以外の4公演、チケット一般発売日は以下の通りです。ぴあ、楽天チケット、ローソンチケット他で扱いがあるようです。また、以前公演日程をアップした時点では、料金に変更の可能性有り、とのことでしたが、熊本公演のB席が6500円から7000円に変更されたのみのようです。
 
 9月16日(土)熊本県立劇場 16:00~
  一般発売日 7月28日(金)10:00~
   A席8500 B席7000
    7月14日18:00からぴあでプレリザーブ
 
 9月17日(日)宮崎市民文化ホール 17:00~
  一般発売日 8月4日(金)10:00~
   A席8500 B席6500
 
 9月19日(火)福岡メルパルクホール 18:30~
  一般発売日 7月15日(土)10:00~
   A席8500 B席6500
    7月14日 9:00までぴあでプレリザーブ(役に立たない情報ですみません)
    
 9月20日(水)大分文化会館 16:30~
  一般発売日 7月22日(土)10:00~
   A席8500 B席6500
    7月21日までぴあでプレリザーブ
 

『テネシー・ワルツ』を観る前に

2006-06-26 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 「ネタバレ」というものに対して配慮ゼロ、おまけに事前にああだこうだと作品の情報を探して回るこのページ、「まっさらな気持ちで見たい!」という方にはご迷惑をおかけしているかとは思うのですが、舞台はできるだけ予備知識を詰め込んでいったほうが楽しめる、というのが私の経験則です。昨年の『テネシー・ワルツ』も、江利チエミさんの数々のファンサイト様に日参して、付け焼刃ながらも私なりのチエミさん像を持たせて頂いてから、「昭和」の空気の残る新宿へ行きました。生まれるのが早すぎた、ともいえる優れたジャズシンガー・チエミさんを知らずに行くとあまりにも洗練された音楽に戸惑うかもしれませんよ~。
 そんな情報もチエミさんへの愛情も満載のファンページ『江利チエミファンのひとりごと』様から5月24日付け「江利チエミファンとしての小林秀雄」にトラックバックいただきました。有難うございました。資料室のように何度も伺ったページから頂くと恥ずかしい面もありますが、皆さんも『テネシー・ワルツ』開幕まで是非こちらのページで江利チエミさんというシンガーの魅力に触れてください。トラックバックは右サイドバーを少しスクロールしていただくと表示されています。最近の記事の、チエミさんのプロマイド写真が可愛いのです。どれだけたくさんの人に心弾む思いを与えていたか、想像つきます。
 

二本目の国産天然色映画『ジャンケン娘』

2006-06-15 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 1955年11月、東宝映画『ジャンケン娘』がクランクインしました。『テネシー・ワルツ』のなかでもその撮影シーンがありましたね。大人気の江利チエミ、美空ひばり、雪村いづみの三人をひとつの画面に、と雑誌「平凡」の編集長清水達夫さんが発案、彼女達をモデルにした小説を同誌上で一年連載し、満を持しての企画だったそうです。
 これ以前にとられた日本産のカラー映画は『カルメン故郷に帰る』の一本だけ、ということですので、52年の『雨に唄えば』なんて色の洪水、音楽の洪水という感じだったのでしょうね。当時18才だった彼女達にまだ珍しかったカラー映画の企画・・・人気の凄さが伺えます。アメリカでは線の太い男性スターの出演する映画が続々と撮られていた時代、日本の大衆はなにか初々しい感じを求めていたのかもしれません。
 最初はこの顔合わせを渋っていた美空ひばりさんのお母さんも、この映画で孤独な大スターである娘が明るくなったと喜ばれていたそうです。お年頃だった三人は、それぞれがあまりにも早いデビューのために私生活では味わったことのない、他愛のない女の子らしい友情を結び、タイトルどおりグー・チョキ・パーで誰が勝ちでも負けでもない仲の良さだったといいます。
 それぞれの結婚は破れても、この三人の友情は続き、『テネシー・ワルツ』でも清涼剤のように彼女達のほほえましいエピソードがちりばめられていました。日本の経済的繁栄が一息つく頃には、三人三様の人生になったようですが、この三人は昭和の大衆と恋をして昭和の大衆と結婚した、ということなのかもしれません。眼の覚めるような総天然色の画面いっぱいに笑顔を見せる女の子達・・・きっとアメリカ映画にはないみずみずしさを振りまいていたのだと思います。

江利チエミさんとアメリカ

2006-06-07 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 アメリカで7年間ダンスを学んだ青山さん自身の経歴がベースになった『青山航士先生の英語で踊らナイト@おどろんぱ広場』でしたが、江利チエミさんとアメリカの縁も深いです。
 バンドマンのお父さん、喜劇女優のお母さんのあいだに生まれたチエミさんは、幼い頃からまわりをびっくりさせる歌唱力の持ち主だったそうです。そしてわずか10才の時、アメリカからの賓客をもてなすため渋谷の料亭に呼ばれます。生活は苦しく、衣装らしいものもない時期で、チエミさんのお母さんは運動靴にエナメルを塗って革靴に見えるように工夫されたそうです。この時の歌があまりに見事で評判になり、進駐軍のキャンプに呼ばれるようになったといいます。往年の大女優、ソフィア・ローレンも経済的に苦しい家庭に育ち、美人コンテストに出るため、靴をペンキで白く塗ったという話を聞いた事がありますが・・・やはり大事ですね、「足元」。
 その後は多忙な日々だったでしょうに、チエミさんは「級長さん」もしていたという話です。パワーありあまる小学生だったのですね~。
 デビュー曲「テネシー・ワルツ」、そしてそのB面の「カモンナ・マイ・ハウス」は、その頃キャンプの兵士に貰ったレコードで知った曲で、英語も耳からどんどん覚えていたといいます。チエミさんの場合は「歌いながら英語を覚えたのよ」ということなんでしょう。
 昭和27年、進駐軍がいっせいに引き上げた後、キャンプで演奏していたジャズプレイヤー達は新たな活動の場を探すほかなかったようですが、チエミさんはキングレコードのオーディションに合格し、あの「テネシー・ワルツ」を吹き込むことになったのです。アメリカのもたらすもの全てが、彼女には好機となるめぐり合わせだったのかもしれません。
 デビューの翌年、昭和28年(1953)には、「テネシー・ワルツ」のヒットでアメリカから招待されて渡米。15才の少女にはどんな世界が見えたのでしょうか。チエミさんの長いとはいえない人生の旅の終わり近くにも、アメリカでの公演が記録されています。「唐獅子牡丹」を熱唱したというこの公演は、スターとしての自分を生んだ大地へ、チエミさん自身の来し方を語りかけていたようにも思えます。 

54年前

2006-06-01 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 このブログでも何度か紹介していますが、わからないことがあると必ず覗くサイトが、私の場合"gettyimages"。一流のカメラマンによる膨大な量の写真から読み取る情報は、まさに百聞は一見にしかず、イメージが一気に鮮明になります。
 今日も1952年の日本って・・・? と"1952, Japan"で検索したところ、破壊活動防止法をめぐる大学での紛争、農村の風景、子ども達の日常・・・などを写した作品がいっぱい、激動する「54年前」の空気が伝わってきます。
 社会がどんどん変わっていく、活気はあるけれど不安定な空気の漂う写真の多いなか、アメリカから来日したジャズプレイヤーの写真は、憧れの目線まで焼き付けたように熱気に満ちています。"Franky"とあるドラマーは、あの「フランキー堺」さんのことですよね。
 着物に下駄や割烹着の女性が歩く街で、14才の女の子の歌う「テネシー・ワルツ」はどんなに新鮮に耳に響いたのでしょう。江利チエミさんの短すぎる生涯は、日本という国を、時間が駆け足で通り抜けた時期に、同じペースで全力疾走したかのようです。矢のように過ぎた時間を戻して、心をいっぱいに満たしたあの声をもう一度ゆっくりと聞きたい、『テネシー・ワルツ』はそんな想いがあって生まれた作品なのかもしれません。

"gettyimages" web site
現在10ページ目にアメリカから来日したジャズプレイヤーのライヴ写真が表示されています。更新の早いサイトですので、ある程度の時間が経過するとトップページが表示されます。その際には"Search"欄に"1952, Japan"と入力してください

1952年・雨に唄えば・テネシーワルツ・そして・・・

2006-05-30 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 『雨に唄えば』が発表された1952年、日本では14才の小さな女の子が「テネシー・ワルツ」でデビューしました。
 この年には、サンフランシスコ平和条約によりGHQの日本支配が終わり、「豊か」とは言えなくても、蔵前国技館が新装開館し華やかな相撲のぼりが復活したり、競馬のためにアメリカからサラブレッドが輸入されたりと、人々の暮らしに娯楽が戻ってきたようです。手塚治虫の「鉄腕アトム」の連載も開始されています。
 終戦の1945年生まれの子どもが小学校に入学したわけですが、前年比マイナス27万人の154万人、当時としては「激減」ということで報じられています。でもこれ、今の110万人強よりも多いのですよね・・・。現代日本の「少子化」を実感したりもしました。
 その一方で、戦没者遺族が政府の援助に不満を示し、官邸前で座り込みをしたり、また、フィリピン戦争未亡人連盟が、日本から戦争孤児に対し贈られた玩具の受け取りを拒否するなど、生々しい戦争の傷跡の見える時期でもあったようです。
 
 時々引っ張り出させていただいている淀川長治さんは、終戦して3日め、自宅付近でアメリカ兵のトラックが停まり、兵士達が話しているのを聞いて「胸ドキドキ」したそうです。「・・・もうアメリカ映画そのまま。戦争でアメリカ映画を見られなかった私。アメリカ映画に飢えきっていた私。」
 戦前に見たアメリカ映画を、密かな夢のように抱いていた人は他にもきっとたくさんいたことでしょう。「敵国だった」という事実とは切り離された次元で、生き生きとしたアメリカ文化への憧れは、戦後、日本中に広がっていったといいます。江利チエミというまだあどけなさの残る女の子が、少し不似合いなくらいに艶やかな声で歌う「テネシー・ワルツ」には、戦争の傷跡を癒し、未来を信じさせるような生命力があったのかもしれません。
 
 昨日亡くなられた岡田真澄さんは、この年有楽町に開場した日劇ミュージックホールが初舞台だったそうです。出演予定だった『グランドホテル』を降板され、回復につとめておられるとのことでしたが・・・。どこか空しかったり危機感のある現代の豊かさとは異質な、往時の華やかさをたたえた方がまた一人、人生の幕をおろされました。でもいつかまた幕の向こうに、お姿を見る事があるかもしれませんね。島田歌穂さんの歌声に、江利チエミさんの姿を見たように。  

『テネシー・ワルツ』愛知・追加公演と長崎公演開演時刻訂正のお知らせ

2006-05-28 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 いつもお世話になっている神崎順さんの公式サイト"Jewel"管理人ぼの様より『テネシー・ワルツ~江利チエミ物語~』愛知厚生年金会館での追加公演のお知らせをいただきました。
 9月4日(月) 開演時間 16:00
 また、公演日程詳細のページで、長崎公演開演時刻に誤りがありました。正しくは18:30です。深くお詫び申し上げます。
 
 ・・・実は、この間違いもぼのさんに教えていただいて気付きました。お世話になってばかりでもう何と言ってよいのやら。いつも情報満載のあの素敵なサイトを運営されているだけでなく、神崎順さんの雰囲気にぴったりの綺麗で楽しい公演チラシも製作されていて、本当に頭が下がります。『テネシー・ワルツ』での共演、楽しみにしています。

江利チエミファンとしての小林秀雄

2006-05-24 | テネシーワルツ ~江利チエミ物語~
 自分の要領を得ない文に辟易して、今日は安易に文筆家の力をお借りします。小林秀雄が江利チエミさんのファンだったということで、新聞社の人に「何故ファンなのか書けと」依頼されて書いた「江利チエミの聲(こえ)」という短い文章をみつけました。読んでいると自分が「何故青山航士のファンなのか」もよく分るような気がするのでご紹介します。(原文の旧い漢字は現代表記にしてあります)
 
 新聞社の依頼に「それは無理な話で、ファンはファンであってたくさんだと思ふのだが」といいつつ、「一番感心しているのは、言葉の発音の正確」で、その正確な発音で正確な旋律が流れ出すのが、聞いていて気持ちがいい、とのこと。確かにチエミさんの発音は、決してキンキンした感じはしないのに、声がしゃきっと立ち上がっているような印象です。なるほど。
 そして歌を絵にたとえて「節回しは色で、歌詞はデッサン」のようなものとして、「デッサンの拙さを色でごまかしている画家が多いやうに、歌詞の発音の曖昧を、節回しでごまかす歌手が実に多い。[略]余り正確に言葉を発音すると、歌の魅力を損なふと信じ込んでいるのではないかとさへ思はれる」

 これ、節回し=振付、歌詞の発音=技術って置き換えると、そのままダンス界にもあてはまるような・・・。そして青山さんのダンスが「見ていて気持ちがいい」理由ってこれだ、という気がします。例えばコンテンポラリー、と呼ばれているもののなかには、踊り手の思い入れだけで「新しい」振付として見せ、それをマスコミが面白がって取上げる、というようなことがままあります。
 青山さんが「おちばであそぼ」や「どうぶつケチャ」で回転の軸を倒す動きを見せるときは、そのあとに嘘の様に静かなポーズや大きな跳躍(しかも後方に)が綺麗に続きますが、「なんちゃってコンテンポラリー」だと、軸を外した動きのあと止まり切れず、どうかするとステップと称してよろけてたりするのです(本人としてはそういう「振付」なのでしょうが)。
 バレエ団、特定のカンパニーなどに属していない青山さんのファンは、皆さん言われるように今まで舞台やダンスに接する機会がなかったかもしれません。でも、それまで特にダンスに興味のなかった人「だからこそ」、マスコミに毒されたり広告に惑わされることもなく、青山さんの発音=技術の明瞭さを「気持ちよく」うけとめるんだな、と改めて思います。小林秀雄も特にジャズファンだったとか舞台好きだったというのではないようで、「無精者だから聞きに出向いた事はないが、テレビでは、よく聞くし、レコードも持っている」のだそうです。江利チエミさん、きっとこの文章を読んで喜ばれたでしょうね。
 
 「語るやうに歌へといふ教へは古くからあるさうだが名人でなければ、なかなか出来ないものらしい。」
 語るように踊れ・・・やっぱり青山さんのダンスを思い出します~。小林秀雄、かなりの江利チエミファンだったに違いありません。