platea/プラテア

『ゲキxシネ五右衛門ロック』『The Musical AIDA』など、ミュージカルの話題作に出演の青山航士さんについて。

いのうえひでのり版『TOMMY』千秋楽おめでとうございます

2007-04-26 | TOMMY
 大千秋楽おめでとうございます。観劇前に映画版、そしてオフィシャル本をもとにブロードウェイ版の記録を追ってから見た「いのうえ版」は、作品への誠実さにあふれる愛すべき作品でした。
 予習しないとわかりにくいということに抵抗のある方も多かったようですが、れっきとした日本語上演なのに「イヤホンガイド」のある歌舞伎、ネイティブでも歌詞を完全に聞き取ることは難しく、リブレットとよばれる台本を携行する人も多いオペラなど、「舞台芸術」と呼ばれるものには、あらかじめ観客が何かしら準備をして出向くものが少なくありません。
 BW版"Tommy"は史実を周到に織り込みリアリティを、そしてストーリーの輪郭を強調してわかりやすさを演出し、「ブロードウェイミュージカル」という一大産業としての成功も手にいれたことになりますが、いのうえ版『TOMMY』は、純粋に『TOMMY』という舞台であって他の何物でもない、と思えました。開幕前の特別番組で、青山航士さんが「これはミュージカルじゃない」と話されたのも、もっともなことです。The Whoのサウンドが、はっきりと舞台で「見える」感触はとても新鮮でした。
 前の記事で触れたパロディ"Pommy"では、ケン・ラッセル監督の「シネマを脱する映画」という言葉にひっかけて脱出劇が展開されるのですが、"Tommy"という作品自体が、既存の枠にはめられることを拒否していると言ってもいいのかもしれません。多分いのうえさんには「受ける」舞台をつくることなど幾らでもできたのだと思います。でもこの"Tommy"という作品を舞台空間という立体に仕上げるとき、野性を侵すことなく美しい野獣を手なずけるような、深いリスペクトと愛情を最優先されたのではないか、とまた勝手な想像をしています。
 そして今回青山さんが歌った"Eyesight to the Blind/押し付けがましい男"は、観劇後改めて聴くと、サウンドと記憶がフィットするのに驚かされます。違う演奏者で、そのうえ英語で聴いているのだから、「やっぱり違うな」と思うのが普通なのですが(まして私は青山さんのファン)、まったく違和感なく、記憶がますます鮮明になります。唯一The Whoのオリジナルでなく、他にも多くのアーティストが歌っていることは以前にも触れましたが、その中でも際立って劇的なアレンジでThe Whoがこの曲、この音にこめたドラマを、いのうえ版ほど忠実に演出するのは難しいのではないでしょうか。もう一度観たい、聴きたい場面です。
 
 Deaf, dumb, blindのトミーを巡って、日本の観客が見て、聴いて、話した二ヶ月にわたる公演、本当にお疲れ様でした。再演があればなお嬉しいです  

モンティパイソン+”TOMMY”~!!

2007-04-25 | TOMMY
 『TOMMY』前楽の日にぴったりな話題をビー玉さんに寄せていただきました。ようこそいらっしゃいませ~皆さんどうぞ前の記事のコメント欄をご覧下さい。
 ミュージカルファンにもトニー賞受賞作品『モンティパイソン スパマロット』でおなじみとなったイギリスお笑い界不滅のキング、モンティパイソンのエリック・アイドルが、1976年に"Tommy"のパロディ"Pommy"を制作していたというのです。一番感受性の高い時期にこのミュージカルの原作となった映画『モンティパイソン・アンド・ホーリーグレイル』をリバイバル館で見て、脳がねじれるほど笑った私にはたまらない話題です 本当に有難うございます!
 "Pommy"というのはオーストラリアのスラングで、イギリスからオーストラリア、ニュージーランドへ移住した人たちをさして(早い話がおちょくって)使われている言葉です。Roger Dull(dull=愚鈍な、面白くないの意味)演じるオーストラリア移民のPommyがケン・ラッセル監督の映画を見ているうちに、deaf, dumb, blindになった上、映画の中に入り込んでしまい、そこからなんとか脱出しようとする・・・という話。
いや~、これ70年代当時の熱狂の中で見てみたかったですね~。ブリティッシュロックファンとモンティパイソンファンは重なる方が多いと思うんですが、大楽を前にして最高のトリビアとなりました億万「へぇ」です~。

Heathfield Gardenのトミーの家

2007-04-24 | TOMMY
 大阪で盛り上がっている『TOMMY』、ブロードウェイ版のスクリプトにはトミーの家も実在する地名で書かれています。上の地図で言うと赤く表示されているロンドンシティ西側でテムズ川の南側、Wandsworth地区のHeathfield Gardenです。アシッド・クイーンのいるIsle of Dogs(前の記事をご覧下さい)はシティ東側のTower Hamlets地区ですから、結構離れていますね。BW版スクリプトではポン引き(The Hawker)と仲間、トミー父子で工業地帯を通り抜けていく、とト書きにありますが、当時ならテムズ川をボートで行ったような気もします。

追記:21日に総閲覧数が18万pvを超えました。たくさんのアクセス有難うございます

Hawkerのいる街

2007-04-21 | TOMMY
 『TOMMY』大阪公演いよいよ始まりましたね。もしも大阪にいたらHawker見たさに絶対毎日通いましたわ~。あの舞台と客席の近いシアタードラマシティで見たら最高だろうと思います。お迷いの方は今からでも全然遅くありません、ぜひ大阪に観にいってください。
 さて、日本版『TOMMY』はブロードウェイ版"Tommy"に沿って作られている部分とそうでない部分がありますが、ファンタジーに満ちた映画版に比べ、BW版は歴史的事実の裏づけを綿密にとっている印象があります。例えば青山航士さん演じるHawker/ポン引きのいる街はBW版スクリプトには"Isle of Dogs"と実際の地名で明記されています。
 日本版では映画版と同様、青年トミー(中川晃教さん)がこのシーンを演じますが、BW版では10才のトミーと両親が病院めぐりに疲れて帰宅するところにThe Hawkerが現れ「押し付けがましい男/Eyesight to the Blind」を歌いアシッド・クイーンを売り込みます。トミーと父親を連れて行く、その先がIsle of Dogs/ドッグス島。ロンドンを流れるテムズ川が馬蹄型に蛇行しているため、東・南・西側を川に囲まれた半島です。
 "Tommy"という作品で大きな意味を持つ第二次世界大戦のロンドン空襲で、ロンドン・ブリッジの東側のこの港湾地域は大きな被害を受け、倉庫の多くが破壊されました。ブロードウェイ版『TOMMY』の時代設定となる50年代に再建され、好景気に沸いたのも束の間、物流革命で大型コンテナが使用されるようになると、規模的に対応できなくなり、60年代後半から70年代にかけて急速に廃れていったそうです。
 現在はウォーターフロント再開発でモダンな高層ビルを擁する地域になったドッグズ島、毒花のようなHawkerが歩いていたのは、この旧い町が港としてその命を終える前の一瞬の繁栄の中だったことになります。すぐそこに終わりの近づいている、かりそめの賑わいを味わう彼やアシッド・クイーンのたどる時間は、テムズ川の傍らでどんな風に流れて行ったでしょうか。



B.B.Kingの「押し付けがましい男」

2007-04-17 | TOMMY
 『TOMMY』大阪公演まもなく開幕、ということで頭の中では"Eyesight to the Blind"がエンドレス再生中です。あのイントロが劇場に響く瞬間が忘れられません~~。
 ところでこの曲、B.B.Kingが"Live in Japan(1971年3月6日収録)"でも歌っていました。知る人ぞ知る名曲という感じですね。アマゾンの試聴ページはこちらです。歌詞はSonny Boy Williamsonのオリジナル版(51年)のようです。
 ピート・タウンゼントが最初に耳を留めたのは、59年のMose Allisonによるカバー・バージョンなのですが、それぞれ歌詞が変更されているのが「彼女」と「父親」の関係です。

<Sonny Boy Williamson版>
"Her daddy must have been a millionaire/I can tell by the way she walks"
(父親は億万長者だったに違いない/彼女の歩き方を見りゃわかる)
<Mose Allison版> 
"Her daddy's got some money/....."
(父親はちょっとした金を手に入れて)
<The Who版>
"Her dadday gave her magic/....."
(父親は彼女に魔法を仕込んだ)

 億万長者から怪しげな妖術使い?へと父親像がかなり変わっていますね。曲想もB.B.Kingのゴキゲンな感じとは違って、The Who版は少しまがまがしい位に劇的です。アシッド・クイーンの紹介として歌われるというミュージカルでの曲順はアルバム制作当初のピート・タウンゼントのアイディアで、舞台版のこのシーンは、アルバムやライブ、映画版より"Tommy"のもともとのストーリーに近いと言えそうです。
 一概には言えませんが、ジプシーと呼ばれる人々の一部は、まっとうな仕事とはいえないことを親から子へと継いで暮らしているようです。父親に得体の知れない「魔法」を与えられ、居所を定めずに旅から旅へと生きてきたであろうジプシー、アシッド・クイーンが行き着いたのがあのThe Hawkerのいる街、ということです。彼女はもう旅をすることも、あの街を出て行くこともないでしょう。人生の奈落のようなその空間が、見えない罠のように強烈な磁場をはるサウンドと青山航士さんのドラマティックな歌声で、また劇場に拡がりますね。文字通り「劇的」な場を皆さんどうぞ堪能してください(ああ羨ましい・・・)。

Pinball Wizard (Reprise)

2007-04-15 | TOMMY

 「・・・でこれは失敗じゃないの?」と言われると笑ってごまかすしかありませんが、エフェクトばかりいじっていると何やっているのかわからなくなってきたのでアップします
 いつも豪快な青山さんの開脚ジャンプ、これはセットの少し高くなっているところから、かがんだROLLYさんの頭上を跳び越していくという離れ技で、しかもこのあとダブルのトゥール・アン・レール(日によって違うかもしれないけれど・・・)に続きます 『TOMMY』大阪公演をご覧になる方はお楽しみに!
 垂直に上がるものは『うたっておどろんぱ!プラス』のオープニングテーマでも見られますが、『うたっておどろんぱ!』「ジャンプしてキャッチ(2003年度版)」のイントロでのジャンプが印象的です。これは上体が空中で綺麗に静止して両脚が引き上げられるのがバッチリ映っています。お持ちの方はスローで見てみてね

エアロスミスも『TOMMY』のあの曲を・・・皆さん知ってました?

2007-04-09 | TOMMY
 青山航士ファンにとって2007年の贈り物、といっていい"Eyesight to the Blind(The Hawker)"/「押し付けがましい男」。エリック・クラプトン(映画版)、スティーヴ・ウィンウッド(ライブDVD)、ロバート・プラント(これはライブへの友情出演だったようです)と、歴代Hawkerの顔ぶれが凄いんですが、なんとエアロスミスもこの曲を2004年のアルバム"Honkin' on Bobo/ホンキン・オン・ボーボゥ"でカバーしていました。皆さん知っていたのでしょうか、・・・うう~ん今頃キャーキャーいってるの私だけかしら。かなり雰囲気が違って面白いです。ともあれご試聴ください。
 
エアロスミスAerosmith:"ホンキン・オン・ボーボゥ/Honkin' on Bobo"


Pinball Wizard

2007-04-07 | TOMMY
・・・すみません、失敗しました。次がむばります。

付記:・・・今2008年6月なんですが、上の文書いたのがつい昨日のよう。時間のたつのって速いのか遅いのかよく分りません~。前のイラストからちょびっといじりました。

『TOMMY』/音がみせるもの

2007-04-05 | TOMMY
 今回、観る事を諦めていた『TOMMY』、想いもよらない巡りあわせで私は観る事が出来ましたが、公演会場から遠かったり、お子さんが小さかったりで観にいくのが難しい、という方もたくさんおられると思います。「青山航士さんの歌った曲ってどんな曲?」とお想いの方に、アマゾンの試聴ページの紹介です。
 この曲、改めてCDで聴いてもカッコイイですが、今回のバンドの方がまた素晴らしい演奏をされていました。「音」が情景を描く、というか、イントロのギターが響くと、ロンドンの隠微な街にたちこめるマリファナの匂い、霧の湿気に重く冷たく沈んだ空気まで伝わってくるようで、青山さんの歌い出しまでの何秒かのうちに、その世界にすっかり取り込まれます。
 BW版制作に際し、ピート・タウンゼントが、(日生劇場もそうですが)「いい」劇場にロックバンドのドラムセットが入った事がないのを変えたかったと語っていますが、ここのドラムは本当に、「この音でなければ/この音以外にはない」というキマリようでした。もう一度だけでいいから、生でこの曲が聴きたいです。
 今回、演技の中では演奏されなかったROLLYさんの「いとこケヴィン」にも、歌い出しだけで、残虐さに憑かれた一人の青年の歪んだ心が剥き出しになって舞台に差し出されるような感触を覚えました。これまでもヴィジュアル性の高いステージ作りをしておられるのですが、視覚的要素をあとから「足す」のではなく、音の一つ一つが視覚的に捉えられるまでに凝縮して表現している印象を受けます。

 プロデューサーのキット・ランバートは、ロックというジャンルが音楽的に低く見られていることに対し、その意識を変えることに取り組んでいたと聞きますが、確かに今回のこの公演を聴いていると、"Tommy"という曲によって与えられる感情、カタルシスの大きさには、世界の名曲と言われるものが与えるものと何の違いもないと感じます。私はBW版も来日版も見ていませんが、このいのうえひでのり版が「ロック・オペラ」の本質を誠実に提示しているのは間違いないようです。

Whose is ”The Who’s TOMMY”?

2007-04-03 | TOMMY
 日本版『TOMMY』の観客の感想で、中川晃教さんの声質と曲があわないんじゃないか、という意見をチラチラと見かけました。確かに昔ロック少女だった頃聞いたライブのボーカルはあんなにメロディアスで明瞭な声ではなく、「ロックらしくない」というのはもっともな感想だと思います。ただその一方で、R&Bとロックンロールを愛するロジャー・ダルトリーは、ロック・「オペラ」というものに対して自分の中でかなりの拒否反応があったと語っています。彼に言わせると「ロックではない」要素が強い作品で、中川さんのように綺麗にメロディをつむぐ声はこの曲にあっている、と言う事もできるのです。それは、この作品が目的どおりに「音楽の領域を超えて」いる証でもあると思います。
 
 さていのうえ版『TOMMY』、イメージメッシュを初めて体験しましたが、これは奥行きと高さのない日本の劇場/舞台を一新するかもしれませんね。歌舞伎の舞台美術には、舞台全体を一幅の絵画のように仕上げる、という美意識があると聞きますが、西洋の「立体の美」の向こうを張る、日本の「いま」の舞台美術を目にして楽しかったです。アニメ部分と実写部分のテイストがちょっとチグハグに感じるところも有りましたが、今後どのように展開していくのか、これ見たさに劇場に行く日も近そうです。
 ・・・そしてもっと言うと、"See Me, Feel Me"あたりで、私の頭の中のイメージメッシュでは青山航士さんがスローで踊っておりました。出演者の顔がババ~ンと映し出されるのも、背景が素早く転換するのも面白くはありますが、踊っている人の筋肉の美しさを特大アップで見るのって絶対綺麗だと思います。今回の振付はノリが強調されたものが多かったのですが、あれほど美しい曲、美しい声にはそれに相応しいヴィジュアル面での特別な演出が欲しいように思いました。音楽の領域を超える作品なだけに、視覚的芸術面でもこのイメージメッシュで領域の壁を取っ払ってほしいものです。
 ・・・とまあダンスファンはこんなことを考えてあの舞台を見ていたわけですが、ミュージカルファンの方、ロックファンの方、思いは様々のようですね。この"Tommy"という作品は、普段相容れないものを結びつけて作られたキメイラのような夢の獣なのかもしれません。誰のものでもなく、接する者一人一人のものでもある、そういう作品なのかなと思えています。 

3D Pinball Wizard!

2007-04-02 | TOMMY
 舞台の余韻に浸りたくて、つい何度も見てしまう『TOMMY』ゲネプロ映像
 中川晃教さんとROLLYさんが乗っているセットの前で踊る青山さん、カッコイイですよね~。でも実際のステージでは、これだけではありません。
 「あら?ROLLYさんが少し前かがみになった」と思った瞬間、背後から青山さんがピンボールのように大きな開脚ジャンプで飛び出すんです、どうぞお見逃しないように! そしてその後すぐに高い高いトゥール・アン・レールとにかく、息をつく間もありません。
 ROLLYさんの背に手でも置いて跳び箱のように跳ぶならともかく、脚力だけで上がる開脚ジャンプであんなに前進するものは舞台で見た事がありませんし、着地後も当然前に体重がかかるので、すぐに垂直にあがるトゥール・アン・レールにつなげるなんていうのは、青山さんのずば抜けた身体能力なしには有り得ないですわ~、なんであんなハードなことをノリノリの音楽の中でやってしまえるのでしょう
 今回の『TOMMY』の振付は、技術を並べるようなものではありませんでしたが、例えばこの「ピンボールの魔術師」では、曲想に応じて連続のジュッテアントールナン(「めぐりあいって・・・」の出のジャンプ)、異常なくらい高く、回転の速いトゥールアンレールなど披露されるので、青山ファンは瞬き+余所見いっさいできません。
 この曲では会場をピンボールマシンに、といのうえひでのりさんがお話されていましたが、青山さんはピンボールを弾くバネになり、弾かれるボールにもなり、「人間ピンボール」といっていい状態でした。・・・それも青山さんの高いジャンプを見ていると、上下方向にもボールが弾かれる次世代3Dピンボールマシン、という感じ。また、カーテンコールライブでは青山さんが想いのままにジャンプを披露してくれたのですが、空中姿勢がはっきり捉えられる浮揚感あふれる跳躍は必見です、大阪でご覧になる方はどうぞ目も耳も全開で楽しんでください。

 さて、15分版5年と5分版1年、計6年も続いた『おどろんぱ』、無くなってしまうのは本当に寂しいですが、青山航士という人を教えてくれたこの番組に心から感謝します。スタッフそしてキャストの皆さん本当に有難うございました。
 ・・・でいつもの「悪魔の囁き」ですが、まだ青山さんの舞台を見た事がないという方、ぜひこの機会に青山さんの舞台を観にいってしまいませんか? どんな遠征も「アメリカから観にいった人がいるんだって~」と言えば、旦那様も「そんなアホよりはマシだな」と思ってくださることでしょう。とにかくあのHawkerは全青山ファン必見&必聴です! おまけに会場のシアタードラマシティは交通至便、路線検索で目的地を「大阪」あるいは「梅田」にして調べ、所要時間に10分プラスすれば充分会場に着いていると思いますし、各地からの長距離バスも会場すぐそばのターミナルに到着します。またシアタードラマシティは舞台と客席が近く、スロープも程よく、とても見やすい会場でお勧めですよ~。

 いつものことですが、公演を見た直後は100%ファンモードで失礼しております。次あたりちゃんと舞台全体の感想を書くつもりですのでご容赦ください。  

色悪/「押し付けがましい男」

2007-03-31 | TOMMY
 『TOMMY』東京千秋楽、おめでとうございます。
 誰もが何かを言いたくなるこの作品、私も山ほど書くことはありますが、やはり青山航士ファンとしてはこの「押し付けがましい男/Eyesight to the Blind(The Hawker)」について書かずに前に進むことは出来ません。”Tommy”という作品の中で、唯一The Whoのオリジナルでないこの曲が、ゲーム半ばのジョーカーのように使われているのがよく分りました。
 アルバムや映画版と違って、「アシッド・クイーン」の紹介としてこの曲が歌われるという曲順は、ピート・タウンゼントの最初のアイディアに基づくものです。アシッド・クイーンはいわずと知れた(?)ドラッグ中毒の娼婦、そして「俺の女」である彼女を売って歩くポン引き(The Hawker)が青山さんの役ですが、歌舞伎で言う「色悪(いろあく)=ワルの美男」の魅力が一杯でした。社会の底辺に落ちて暮らしている女と、夜の街にうごめいて彼女の生き血を吸って生きているバンパイアのような男、というストーリーは、やはり男性がこれくらい毒々しい魅力を持っていないと説得力がでません。中川晃教さんの無垢で透明感のある歌声と対照的な、心を突き刺すような、すべてをあざけ笑うような歌声も、R&Bナンバーらしい屈折した感じに良くあい、作品に奥行きのでる場面になったと思います。
 これまで『ウエストサイドストーリー』や『森羅』などで、すさまじいほどの純粋さを踊りあげた青山さんが、その対極といっていい「人でなし」のようなキャラクターをこんなにも艶やかな仇花として表現するとは、その声を聞くまで想像できませんでした。何年たっても驚かせてもらってファン冥利に尽きます。
 私のこんな感覚でいうと、アシッド・クイーン役のソムン・タクさんは、きっととても性格のいい方なんだと思うのですが、どこか健全なパワーを感じさせる方で、まだ「Hawkerに騙され始め」「ドラッグに溺れ始め」のアシッド・クイーンというところでしょうか。これから骨がボロボロになるまでHawkerに食い物にされる、そんな凄惨な未来が透けて見えるような演出もありじゃないかと思いますが、皆さんはどう思われたでしょうか。Hawkerは直訳すると鷹使いですが、「あの男に見込まれたらおしまい」とでもいうか、見透かすような目と、逃がしてはもらえない爪を感じさせる、街に巣食う鷹そのもののようなHawkerでした。

・・・すぎた男

2007-03-26 | TOMMY
 1978年、映画版でアーニーおじさんを演じたキース・ムーンが32才で亡くなった後、81年には「ロック・オペラ」という言葉を生み出したプロデューサー、キット・ランバートが母親の家で階段から転落、脳内出血により、45才で亡くなりました。
 父親が高名な作曲家ということは以前にも書きましたが、祖父は画家で、ヴィジュアルな感覚にも恵まれていた彼は、『ロシアより愛をこめて』などの映画で助監督をした経験を持ち、映画版"Tommy"の初期スクリプトも書いています。
 映画版の完成(1975)後はThe Whoと共同で仕事をすることはなくなり、パンクロックバンドのプロデュースに従事していたそうです。The Whoに対し、音楽的なアドバイスをするだけに留まらず、ピート・タウンゼントがギターを弾きながら腕をブンブンまわすパフォーマンスもランバートのアイディアだったそうで、The Whoにとって「知りすぎた男」という存在だったのかもしれません。93年のブロードウェイミュージカル版は、その意味ではキット・ランバート的でない"Tommy"ということになるでしょうか。
 2002年には'Cousin Kevin','Fiddle About'を書いたベーシストのジョン・エントウィッスルが57才で死亡、"Tommy"誕生に深く関わった人物のうち3人が、既にこの世の人ではないことになります。それでもピート・タウンゼントとロジャー・ダルトリーには次のツアーの予定まであり、東京の劇場では"Tommy"の曲が演奏され、それに対して色々な人が色々なことを思う・・・そのこと自体、ひとつのストーリーという気がしてきます。
 休演日の劇場の前を通ると、人気がなく、ひんやりと寒いような感じがしますが、明日にはまた、イギリスの20代半ばの青年達と34才のプロデューサーが生んだロック・オペラが鳴り響きますね。ランバートが「知りすぎた男」なら、いのうえひでのりさんは「愛しすぎた男」なのかもしれません。これまでとは違う"Tommy"、そろそろ荷造りをして観に行く準備をします~。

 一昨日、閲覧数が17万pvを超えました。とりとめなく書く文にいつもお付き合い頂いて有難うございます。

ピート・タウンゼントとチャイコフスキー?

2007-03-24 | TOMMY
 「音楽評論家にそれがオペラじゃない、なんて言ってもらう必要はなかった。」
1969年のアルバム"Tommy"発表当時を回想するピート・タウンゼントの言葉です。支持する声と同じくらいに激しい批判を浴びたこの作品は、音楽界の「鬼っ子」のような作品だと言えるかもしれません。
 "Tommy"のプロデューサー、キット・ランバートがバレエに精通していたことを知ったからかもしれませんが、(その記事はこちら)酷評と大作、というとバレエファンは思わず『白鳥の湖』(1877)を思い出してしまいます。今ではバレエといえばこの作品、という感じですが、発表当時この作品は酷評にさらされました。また、同じチャイコフスキーの『眠れる森の美女』(1890)は、国王が、すべての精を城に招待しながら、「邪悪の精」だけは呼ばなかったために、娘である姫に呪いがかかり、百年の眠りにつく、というストーリー。親の業を背負ってdeaf, dumb, blindとなったトミーを思い出してしまいます。ついでに言うと『白鳥の湖』も、姫が呪いによって自由な人間の姿を奪われる、というあたり「トミー的」な気が。
 そして『くるみ割り人形』(1892)も・・・と続けるのはさすがに辞めておきますが、こうした19世紀作品は呪いが解けるか否か、というところで物語自体はクライマックスを迎えます。そして20世紀の"Tommy"はというと、トミーが呪縛から解放された後、真に自由な「自己」となるもうひとつのクライマックスが訪れる形になっています。解説らしいものもなく、大自然の映像と、音の洪水のような力強いリフレインで終わる映画版を見ていると、ひとつの結末でなく、見る人それぞれの結論を呼び起こされるような気がするのですが、皆さんはどうでしょうか。
 違う脳を持って生まれて、何十年と違う生活をしてきた人間が、一つの舞台を見て同じことを感じるというのもウソっぽい話です。それは映画版の、黒いメガネをかけ、耳栓をして、口に蓋をしてピンボールをして悟りを開こうとするのに似ているかもしれません。
 
 ニューヨークタイムズは賛否両論の中、「これは最初のポップ・マスターピースになるかもしれない」と評し、後の評価を言い当てたことになりましたが、21世紀の日本の観客が下すジャッジはそれとは違ったものになるかもしれません。それはそれでこの大作が語りかけ、挑発した結果でもあり、この作品の本望だという気もします。
 チャイコフスキーは『白鳥の湖』再演の成功を見ることなくこの世を去りましたが、今も現役のピート・タウンゼントの"Tommy"が、どんな作品生命をつないでいくのか、これからゆっくり見届けようと思います。