platea/プラテア

『ゲキxシネ五右衛門ロック』『The Musical AIDA』など、ミュージカルの話題作に出演の青山航士さんについて。

アンコールはOZで

2005-06-28 | ボーイ・フロム・オズ
 千秋楽、おめでとうございます。・・・さっきまでログインできない状態だったので、もう日付は変わっているのですが、新しい形のエンターテインメントを見せてくださった、この公演に関わった方すべてに拍手を贈ります。

 私の観劇した6月18日('92)はピーター・アレンが、22日('69)はジュディ・ガーランドが亡くなった日、そしてガーランド追悼の会場だったバーで起きたゲイ・リブの原点、ストーンウォールの反乱が27日、とこの日本公演中にはこの作品をリアルに感じる日付が刻まれていました。ライザ・ミネリも、遠い極東の島国で懐かしい人たちの物語が上演されたことに想いを馳せているかもしれません。

自分のルーツを確かめるように"Tenterfield Saddler"('72)を書いた後、P.アレンはヒットメーカーとして頭角を現します。第2幕はその華やかなパフォーマンスの再現があり、ダンスもいかにもショー的な振付です。もっと青山さんがバリバリ踊る姿が見たい~というのが偽らざる気持ちなんですが、坂本さんの熱唱する一曲一曲に合わせて次から次へと衣装替えを重ね、観客の目前に描かれるそれぞれの世界が楽しく、青山さんの全身からこぼれる豊かな表情とあいまって、劇場の空気がふわっと優しく包まれているような気がしました。

 劇場に行くと、演目によって空気が違う感じがします。たとえば「ウエストサイドストーリー」などは作品の緊張感が客席をも支配するうえ、誰もがストーリーを知っている、さまざまなカンパニーによって上演されてきた大作なので、「どれぐらいの出来なのか」を見極めようとする冷めた視線というのがどこかにあったように思います。ですが、今回の客席はとにかく暖かく、カクテルでも片手に見るのが似合うような、私にとっては初めて味わう雰囲気でした。フィナーレの"I go to Rio"でBW版と同じ、白のカーニバルの衣装で軽やかにステップを踏む青山さんを目にする頃には、なんとなく口元がほころんでしまいます。

 それはこの作品を作り上げたすべての人のパワーであり、誰もが思わず口ずさんでしまう歌を何曲も作ったピーター・アレンという人の残した豊かな遺産でもありました。2006年夏シドニーで、再びヒュー・ジャックマンでの上演がきまったそうですが、マリオンの歌う"Don't Cry Out Loud"はじめとして、美しく優しい曲がちりばめられたこの作品の生きることへの暖かな視線は、またたくさんの人の心をすっぽりと包むだろうと思います。

Continental American/She Loves to Hear the Music

2005-06-25 | ボーイ・フロム・オズ
 ブロードウェイ版「ボーイ フロム オズ」の公式サイトでビデオギャラリーがあることは以前にも書きましたが、そのなかの"She Loves to Hear the Music"での青山さんのポジションはライザの向かって左側でした。ビデオのダンサーもカッコいいですが、青山さんのジャックナイフみたいにシャープなダンス、脳内で何度リプレイしたかわかりません。赤いラメの手袋が青山さんの動線の独特のキレを強調して、とても印象的でした。

 ・・・が、衣装が60年代末に流行ったのを意識したのだと思うのですが、いわゆる「ベルボトム」だったのはダンスファンとしてはかなり残念~。大腿筋が発達して、膝から下がぎゅううっと絞られ、つま先が床に突き刺すように強いのがダンサーの脚のカッコよさだと思うのに、それがゆったりとした裾であまりわからないのです。BW版ではタイトなブーツで、さすがファンの気持ちをわかってらっしゃる、というところでしょうか。胸元フリルは、観客側のイメージがどうしても披露宴の新郎か演歌歌手とかなり近い気がするので、変更されていて嬉しかったのですが、青山さんのブーツをはいた姿のかっこよさは「めぐりあいっていいね '03」、「マネトリックス パフォーマンス」で証明済み、ボトムはBW版のままでお願いしたかった・・・ブーツではなくても「わたしはブラックオドレーヌ」のときの衣装なんかいいのにな~。

 この曲の直前には"Continental American"で思い切りセクシーなダンスが披露されます(これも衣装はベルボトム。それも素敵だけど、ん~)。男性と抱き合うピーターを、予定より早く帰宅したライザが目撃してしまい、またライザもピーターが撮影現場に会いにきた事を忘れている・・・と夫婦間の亀裂が明らかになる場面です。パーティーに明け暮れ、奔放でイージーな関係で快楽を追求するという、当時のNYの一種のモードを投影した振付なのですが、青山さんのダンスには、ただ単にエロスを感じさせる、というのではない、都会の孤独をはらんだ、ドラマティックで冷めた艶やかさがありました。曲の最後で、グランドピアノの上に横たわる姿は本当に絵になって綺麗で、アルマーニか何かのポスターのようです。

 ・・・その人がさっき"Love Crazy"で、ステージをぴょんぴょんと駆け回っていた人だとは信じられないくらいに、見事な変容ぶりでした。冗談めかして赤い薔薇を持つ姿が多い青山さんですが、この2曲の青山さんは血のように赤い薔薇の似合う、日本男性にはめったにいない艶麗な魅力を漂わせています。カッコイイとはこういうこと、ですよね~。 

Everything Old is New Again

2005-06-21 | ボーイ・フロム・オズ
 公演パンフレットに演出のフィリップ・マッキンリーのメッセージが掲載されています。ミュージカル用に書かれたわけではないピーター・アレンの曲によるミュージカルを、というオファーに沿うこと、そしてピーターの人生の「真実」をエンターテインメントとして展開する作業はかなり難しいものだったようです。

 映画と舞台はまた違うのでしょうが、往年の名画には非常に深みのある芸術的創造とエンターテインメント性が均質に溶け合っているものがたくさんあるように思います。「ウエストサイドストーリー」はその好例なのではないでしょうか。最近のものはそんなに数を見ているわけではないけれど、映画に限らず、巨費を投じて作(って破壊す)る超娯楽大作と、いわゆる芸術志向の強いものに大きく二分されてきているような印象をうけます。もちろん桁はいろいろと違うのでしょうが・・・

 「ボーイ フロム オズ」は、そんな印象を受ける興行界にあって、深いテーマとエンターテインメントを共存させようとしているように思えました。坂本昌行さんのサービス精神たっぷり、全力投球の演技はファンでなくても楽しめ、思わず拍手を贈りたくなりますし、苦悩を幾重にも纏っているガーランドを豪快に華やかに演じる鳳蘭さん、息子の生をじっと見守り、苦境に屈しない母親マリオン役の今陽子さん、「生きられない」苦しみをにじませる団時朗さん達ベテランの三人の演技は、涙のバミューダトライアングルとでもいうか、それだけで完成されたひとつの芝居のようで、客席のあちこちからすすり泣きがもれました。

 そして青山さんたちアンサンブルの役割は、通常とは少し違っていたように思います。「ショー」らしさの演出かと思いますが、舞台上にオーケストラが上がっているため、大規模な舞台装置はなく、スタッフさんが舞台袖からコンパクトなセットを引っ張り出すことが殆どでした。情景を大きく変化させていたのはアンサンブルで、一曲ごとに曲調も衣装もダンスのジャンルも異なり、どんな豪華なセットより、その「空間」の中に観客を滑り込ませるパワーを感じました。

 バレエ界のカリスマ、ルドルフ・ヌレエフはバレエ=ダンスの主役は群舞、という言葉を残していますが、この一年ほど意識的にミュージカルを見たことで、その意味がよくわかってきました。この「ボーイ フロム オズ」も昨年の「ウエストサイドストーリー」も、ダンス作品でなら「主役/ソリスト」であるパートは、主として俳優の歌と演技に託しています。ライザ役の紫吹淳さん、元男役の方ならではの線の強い雰囲気が、私はブロードウェイ版の俳優さんよりしっくりきて配役としてはすごくいいと思うのですが、ダンスシーンは予想よりもずっと少なく、ファンの方ならもったいない、と思われたのではないでしょうか。

 ジェローム・ロビンズがWSSを振付ける際、「群舞」であるJets & Sharksのパートを非常に重視していたことは公式の伝記にも書かれているとおりで、晩年のロビンズに直接指導をうけたマクニーリーもその部分を受け継いでいるのかもしれません。ソロパートの技術あるいは表現は優れた演技や歌に置換する事が出来ても、鍛えられた体躯が舞台いっぱいに躍動する姿は何にも置き換えることは出来ないのではないか、そんなことを思いました。

 演じるほうからすれば、今回のアンサンブルは衣装がえが多いうえ、その曲の世界に入りこんでテンションをあげた状態でいきなりスタートする場面が多く、高い集中力と気持ちの切り替えの早さを交互に要求されるような感じなのかもしれませんが、これが「ショー」の醍醐味という気がして観客はとても楽しかったです。そしてそれは俳優の演技によって克明に描き出される人生を、躍動する身体の生命力で縁取り、最後には白昼のようなライトのなか、パラダイスへと牽引する役割を負っていたように思います。アンサンブルの放つ身体のエネルギーに接することで、この4人もの登場人物の、決して安らかとは言えない死が描かれている作品を、観客は安心して楽しめ、繰り返し見る事ができる様な気がします。

 音楽と演劇とダンスの融合、それがミュージカルであることは当然なのだけれど、各ジャンルの長所を生かした、こんな重層的なエンターテインメントが可能ならば、マッキンリーが「陽気で軽いタッチ」とのべている従来の傾向から脱して、ミュージカルの表現領域は果てしなく拡がっていくような気がします。実際この間まで、往年の映画でしかミュージカルを知らない人間だった私が、"We will rock you"も見てくれば良かった、と思っているくらいです。

なんてったってLove Crazy

2005-06-20 | ボーイ・フロム・オズ
OZ観劇から帰れば、おどろんぱが新作。青山航士15変化を見て頭にモザイクがかかったような状態です。

 「演技者。」でもチラッと映ったライザとのダンスは(パンフレットによると青山さんお気に入りだそうです)予想通りのカッコよさでした。ブロードウェイ版の舞台写真で見ると、ダンサーの衣装は胸元フリルのシャツで、ひそかに反対していたのですが、シンプルな黒一色のものに変更されていて(ウエストに切り替えかなんかあったほうがもっとカッコイイような気も・・・)よかったです。この作品のダンスシーンの衣装は、Continetal American 以外は場面自体が舞台だったり、TVの収録中だったりするので、日常からの逸脱ぶりが激しくて面白いです。

 なかでも"Love Crazy"は、青山さんのなかの「少年」が天真爛漫に顔を出すシーンで、衣装も「おどろんぱ」のアイドルキャラ、「アオッチ」以上の屈託のなさです。ピーター・アレンがアイドルだった頃のTV収録という場で、ピーター役の坂本昌行さんのおどけたフィンガー・スナップや、カメラ独り占めアクションがユーモラスなシーンなんですが、この場面の青山さんのダンスは、思わず微笑んでしまうような若さにあふれて、本当にチャーミングでした。子供時代のピーターを演じる二人はとても素晴らしい子役さんでしたが、生身の少年である彼らの魅力を「表現」として踊るとこんな風だろうなと思える、弾むたびにフラッシュするキラキラのスーパーボールみたいなダンスです。これは欧米のダンサーにはちょっと真似の出来ない種類の軽やかさ、若さで、青山劇場まで出かけてきてよかったとつくづく思いました。

そしてブロードウェイ版では鏡を使って多人数に見せた演出が「安っぽい」と批判されていた、ロケッツとピーターのラインダンスシーンは、アンサンブル全員がロケッツのいでたちで豪華に盛り上げてくれます。トロカデロやグランディーバだと登場した瞬間に「ぶはっ」とくるような、筋肉隆々とした体とヒラヒラ衣装のアンバランスがお約束なのですが、今回の男性アンサンブル、青山さんも含めて皆さんなんだかお綺麗。さすが女形文化のある国は違うと、演出のマッキンリー氏も思ったのではないでしょうか。

 他のダンスも作品自体もたくさん書きたいことはあるのですが、ひとまず今日はここまで・・・まだ余韻に浸っています。

Tenterfield Saddler

2005-06-17 | ボーイ・フロム・オズ
 ブロードウェイのプレビューではフィナーレ"I go to Rio"の前に歌われたこの曲、本公演ではカットされたらしく、CDにはボーナス・トラックとして収録されています。日本版はどうなのでしょうか。アレンの祖父、父親、自分、そして故郷テンターフィールドのことを歌ったもので、他の曲と違い、ロマンチックというにはほど遠い、素っ気無いともいえる歌詞です。

 お祖父さんは馬具職人(Saddler)のジョージ・ウールノー、「羊や花や犬のこと」なら何でも知っている物知りだったようで、彼のlibraryが作られる、という歌詞がでてきます。父親のディックは名前でではなく「ジョージの息子」として書かれており、ディックは戦争から帰還した後、アルコール依存症になり、その末に銃で自ら命を絶った事がわかります。戦場での凄惨な経験により精神を蝕まれ、通常の生活を送れなくなる帰還兵の問題は今も依然としてありますが、ピーターの父親もその一人だったようです。

 そして「ジョージの孫(ピーター)」は、と続きます。「世界中をめぐり、どこか特定の場にすむこともなく、苗字を変え、おもしろい顔の娘と結婚した/彼らのことはどちらも殆ど忘れていたよ、だって彼の送る人生には、ジョージや彼のlibraryや、銃を持ったその息子の居場所なんてありはしない/この歌以外にはね」

 確かにアレンの人生は時代の先端と同じスピードでつぎつぎと展開していった感じがします。歌詞にも出てくるように'war baby'(44年生まれ)であり、映画の黄金期の後、第一の大衆娯楽となったテレビ番組で世に出て、大スター、ジュディ・ガーランドに見出され、妻であったライザは一足早く世界的スターに、ゲイ・リブがもっとも盛り上がったころにその拠点であるグリニッジ・ビレッジで活動し、70年代のシンガーソングライターのブームにも乗り、その後" I go to Rio"は、発表の1年ほどあとに公開されたビデオクリップによってヒット、音楽界でのビデオの重要性をいち早く証明する形になったようです。思い出したくない過去を振り返る間を自分に与えず、自らを急き立てるようにして生きていたのかもしれない、という気がします。

 "I still call Australia home"がオーストラリアの非公式国歌、とまでいわれていても、いったんはオーストラリアに帰ったピーター・アレンが、最期の場所として選んだのはアメリカ、カリフォルニアのサン・ディエゴだったことが、Tenterfield Saddlerの歌詞を読むとうなずけます。このあまりにも悲痛な歌がブロードウェイの本公演でカットされたのも無理はないかもしれません。ですが同時に、この歌詞によって、私の中のピーター・アレン像が急にタイトルにフィットしてきました。父親を「ジョージの息子」、自分を「ジョージの孫」と名無しのように呼ぶ彼が、ひょんなことから住み着いた異国で、たくさんの歌を作り、歌って、人を愛し、人を楽しませ、そして自分の血を残すことなくひとり逝った。最初目にしたときにはあまりにシンプルに思えたタイトル"The Boy from OZ"、今は納得です。

ラクダに乗ったPeter Allen

2005-06-13 | ボーイ・フロム・オズ
 ステージでラクダ・・・何度読んでもそう書いてあるけど、うう~む、ひょっとして何かのスラングで私が知らないだけだったりして・・・とひとり悶々としていたのですが、そのまんま事実でした。ビデオコレクションのホームページなのですが、少しスクロールすると写真が見られます。ちゃんと生きてるラクダです~。

http://www.bettemidleraloha.com/allen.htm(2006年7月2日付記:残念ながらこのサイトはクローズされました)

 ラジオシティー・ミュージックホールのライヴ映像で、ロケットダンサーと華麗な脚捌きを見せた後、フィナーレの"I go to Rio"で登場するときこのラクダに乗ったようです。曲目は少し違うのですが、今回のミュージカルはこの時のステージを下敷きにしているかも知れませんね。もう少し下のほうには三日月に乗ったアレンの姿も・・・おお、宙乗りまで♪と私の頭の中では「ブロードウェイの市川猿之助」のイメージが定着してしまいました。

 日本の誇るショーマンの猿之助丈、今は体調が思わしくなく休養されていますが、'77年にはニューヨーク公演(キャパ2600の会場で2週間)で大うけした方、アレンもひょっとして見たかも知れませんね。本当に「舞台は生もの、一期一会」といわれるように、演ずる人の命を見せてもらっているんだなあ、という気がします。青山さんのダンスはもちろん、「今しか」「そこでしか」見られないものがたくさん待っているかと思うと楽しみです。やっぱり劇場通いはやめられません。

明日は開幕

2005-06-09 | ボーイ・フロム・オズ
もうご覧になった方も多いと思いますが、あゆあゆさんから「ボーイ フロム オズを100倍楽しむ方法」のレポと「おどろんぱ ファミリーステージ」の開催情報いただきました! 「グリニッジ・ビレッジで」の最後に出てくる「コメント」のところをクリックしてください。

 じつはこの間、京都・南座で坂東玉三郎特別舞踊公演を観まして、アタマがすっかり古典モードになっていました(単純)。この公演は10年ほど不定期に続いているのですが、毎回京都ならではの趣向をこらしたもので、東京の歌舞伎座ではかからないような演目も目にする事が出来るのです。今回もこの公演のために機の設計から能装束専門の職人さんが携わられたという衣装が素晴らしく、まさに眼福でした。そして耳が節穴の私にも、藤舎名生さんの笛は「この世のものならぬ響き」を感じさせてくれ、その音に誘われるままに非日常の空間にゆったりと浸りました。

 で、少し現世に帰ったら、もう明日は「ボーイ フロム オズ」が開幕! 私なんでミュージカル観に行くんだったかしら、と本当に一瞬ぼけましたが、青山さんが出る、そうでした。そりゃ観にいかないと。

 私が呆けている間に今年度のトニー賞も発表され、製作におよそ5年を費やしたという宮本亜門さんの「太平洋序曲」は残念ながら選外だったということですが、「ブロードウェイで上演されているほかの作品とは異質なものをつくりたい、そうでなければ意味がない」という気概に拍手をおくります。トニー賞発表会場となったラジオ・シティー・ミュージック・ホールはピーター・アレンが81年公演の"I go to Rio"でなんとラクダ(!)に乗ったといいます。ニューヨークの夢と興奮の殿堂という感じなんでしょうか。

 ジュディ・ガーランドの死、ライザ・ミネリとの別居そして離婚、アレン・ブラザース解散を経て、ピーター・アレンは、ありのままの自分をさらけ出していくように思えます。ライザ・ミネリが押しも押されぬ大スターとして活躍する一方で、グリニッジ・ビレッジのナイトクラブでソロライヴを行い、71年にはオフ-オフ-ブロードウェイでロックオペラ(3回公演)を発表するという独自の活動を展開し、メトロメディア社に作曲家として雇用されます。

 手がけた曲が全米トップ40にチャートインしたのをきっかけにソロアルバムを発表、73年にはショービジネス界に復帰。オリビア・ニュートン・ジョンの"I honestly love you"、メリサ・マンチェスターの"Don't cry out loud"などの大ヒット曲を書き、アレン自身もシンガーとしてブロードウェイに活動の場を移したそうです。そしてあまりにも有名な'When you get caught between the moon and New York City'のフレーズが映画「ミスター・アーサー"Arthur"」のテーマに織り込まれ、この曲はアカデミー主題歌賞を受賞、その後、全米ツアーを成功させます。

 名実共にトップアーティストとなってなお、4年の歳月をかけてチャレンジしたのがミュージカル"Legs Diamond"でした。これは興行的には失敗したということですが、ラメのマラカスを持って、舞台上でピアノを滑らせ、ラクダまで出すというエンターティナーの彼がどんなステージングをしたのか、見てみたい気がします。バレエダンサーでもカリスマ的・天才的といわれる人たちが、夢として「ミュージカルを創りたい」と語るのをよく耳にしますが、ありとあらゆる表現手段を駆使して、自分だけの空間、ひとつの小宇宙を作り出すような感覚なのでしょうか。

 宮本亜門さんが言った「異質」とは違うのかも知れないけれど、私が青山さんの舞台「森羅」を初めて観たとき、確かに欧米のダンサーとははっきりと違う、そしてそれまで観た日本のダンサーの誰とも異なる「異質」なものを感じました。聖と俗の別を軽やかに飛び越える、原初的なエネルギーに満ちていながら洗練された動きは鮮烈に目に焼きついています。「ウエストサイドストーリー」では、そんな面が充分味わえてとても嬉しかったのですが、今回もきっと、他のどこでも、ブロードウェイでさえも見ることのできない、青山さんならではの「異質」な空間を見せてもらえるような気がして、とても楽しみです。

グリニッジ・ビレッジで

2005-06-03 | ボーイ・フロム・オズ
 ’69年、ジュディ・ガーランドの死を悼むゲイたちが集まっていたバーに強制捜査が行われたことに対し、ゲイ側が抵抗した一連の騒動は「ストーンウォールの反乱」と呼ばれ、舞台「ボーイ フロム オズ」でもエピソードとして出てきます。オリジナル版ではガーランドの死後、ニュースとして流れ、ブロードウェイ版ではヒュー・ジャックマン演じるピーター・アレンがアナウンスする、という演出だったそうですが、一体どういう意味を持つのかよくわからない、というのが本音でした。いろいろ探してみたところ、当時はゲイバーには酒類取り扱いの許可を出さないという事実上の法的差別があったようです。そしてこの事件をきっかけとしてゲイは差別撤廃に向けて声をあげたということです。

 聖書の記述に同性愛を否定する部分があることから、キリスト教社会ではゲイは日常的なことから法的なことまで、いろいろな差別を受けてきたそうです。例えば男性の「女装」は、イコール同性愛者ということで違法行為、個人の自由となったのは60年代に入ってからです。青山さんが「女装」と書かれていましたが、そんな時代を思うと、ただの「仮装」とは違う意味があるのかもしれません。’98年にも「ゲイである」というだけで暴力をうけ、学生が殺害されるという事件があったぐらいですから、日本社会では想像のつかない根深さがあるようです。日本の状況に合わせて演出も多少の変更があるかもしれませんね。

 ピーター・アレンは、マンハッタンの一角にあるこの街で盛んになっていたモダンアートや、オフ-オフ-ブロードウェイと呼ばれる実験的演劇に関心を寄せ、型にはまった「ショー」には飽き足らなくなり、妻ライザ・ミネリとの心理的距離も広がっていったといいます。離婚、アレン・ブラザースも解散と生活を変え、グリニッジ・ビレッジでソロ活動を開始、その後は内省的な歌詞を美しいメロディで歌い上げるシンガーソングライターとして全米チャートを飾る存在となります。

 そして個人としては、まだまだ差別の色濃い時代にゲイであることのカミングアウト、パートナーとの出逢いと死別、病、死・・・でも最後には人生を謳歌するかのような華やかなフィナーレ、と続くのを想像すると、演出のマッキンリー氏が語るように、「登場人物の一人一人がみんな自分自身になるために模索していく、そして自分の人生を精一杯生きていくための作品」なのだな、と思えてきます。最初はわからないことだらけだったこの物語に、少し近づけたような気がしました。そういえば、最初に書いたストーンウォールの反乱を記念して、6月の最終日曜日にはゲイ・プライド・パレードが今も行われているそうです。そして千秋楽の6月27日は、36年前、ストーンウォールの反乱が起きた日なのです。

「劇団演技者。」やっと見ました

2005-06-01 | ボーイ・フロム・オズ
 製作発表から、スタッフと出演者の顔合わせ、リハーサル風景、メインキャストのインタビューに加えて、ピーター・アレンの生涯も駆け足ながら紹介され、盛りだくさんな30分でした。青山さんの踊る姿も、ライザ・ミネリ役の紫吹淳さんを中心としたダンスシーンでちらっと映りましたが、舞台ではもう少しゆっくりボブ・フォッシー調な青山さんがみられるかも、ですね。楽しみがまた増えました~。ファンとしては演出のフィリップ・マッキンリー氏が紫吹さんにアドバイスしている傍らの、「こーじくん」モードではない青山さんの表情、民放ならではのお宝映像で嬉しかったです。

 この番組の放映予定日を間違えてお知らせしてしまい、自分だけに感じられる程度(意味ない・・・)に謹慎中、この「ボーイ フロム オズ」という作品に関連して書かれた事をいろいろと読んだのですが、知れば知るほど奥の深い世界のようです。もちろん何でも調べてみればさまざまな事が関わっているものですが、例えば今回鳳蘭さんが演じられるジュディ・ガーランドの死はあまりに痛ましく、「銀幕のスター」という言葉があった時代の奈落を見たような思いがします。

 ボードビリアンの両親の間に生まれ、わずか2才からエンターテインメントの世界にはいった彼女は、MGMのミュージカル黄金期の真っ只中にあって、ハードスケジュールをこなすために、1日18時間働いたとさえいわれています。そして眠りにつくために睡眠薬を、目が醒めれば効率よく撮影するために中枢神経刺激剤を服用することをスタッフから要請され、まだ10代であった彼女は拒む術も知らなかったようです。この薬物依存は生涯続き、彼女の健康もキャリアも損ない、最後にはオーバードーズという形で彼女の命を絶ってしまうのです。以前コメントにアメリカのミュージックシーンに「ファウスト的」なものを感じる云々書きましたが、悪魔に魂を売ってこの世のすべての「満足」を手に入れる、というのは、富と名声にきらびやかに翻弄され、ファウストのように救いに至らないままに、天寿を全うすることなく若くして逝く、彼女のような生涯を暗示しているのだと思えてなりません。

 娘ライザ・ミネリの父親であるビンセント・ミネリとは19才年が離れているのですが、恋多き女であったガーランドはしばしば自分よりもずっと年上の男性と恋に落ちたということです。自分を保護する「父性」というものに憧れた部分があったのかもしれません。ガーランドが見出したピーターも父親との関係に苦しんだ人だというし、義理の親子となったこの二人にはやはりどこか共有する感覚があったのだろうな、と思います。「よき母」は今陽子さんがピーターの母親として演じられる一方で、ビンセント・ミネリはもちろん、この物語には「よき父」というのは一人も登場しないようです。

 鳳蘭さんは女優さんとしての舞台も、客席におられるのも拝見した事がありますが、オフでもあの華やかさはそのままで、大スターの輝きを感じました。骨の髄までスターだったガーランド役、ぴったりだと思います。

 ・・・うう、また長くなってきたので今日はこのへんで。ミュージカル初心者の迷走はまだまだ続きそうです。

 ジュディ・ガーランドの死については、ケネス・アンガーの著書「ハリウッド・バビロン」(’75)では浴室に鍵をかけ手首を切って、とあります。事実がどうであれ、その直前に撮影された彼女の写真には次のような文章が添えられています。「年齢が精神的な尺度で数えられるなら、ジュディはまさに、並みの人間の十倍も年を取った何百歳もの老婆ということになる」(上掲書、明石三世氏訳)―彼女が疲れ果てていたことは確かなようです。