当時まだ駆け出しだったソンドハイムを迎えて『ウエストサイドストーリー』は始動することになります。バーンスタインは彼のことを「一つの発見」と語っていますが、この時期のブロードウェイには、もう一人、のちに巨匠と呼ばれる若い才能が頭角を現しています。27年生まれのボブ・フォッシー、最初は映画界で活躍していた彼をブロードウェイに呼んだのはロビンズだそうです。
映画『キス・ミー・ケイト』の振付を見て、フォッシーの独創性と個性を高く評価した彼は、自分に依頼された"The Pajama Game"(54)の振付をフォッシーに任せてはどうかと提案します。そしてロビンズは初の監督・振付作品となる'Peter Pan'カリフォルニア公演に取り掛かるところでしたが、共同ディレクターとして"The Pajama Game"にも同時に関わることになりました。
フォッシーに振付の仕事を譲ったのは、ロビンズに「振付師」としてだけでなく、「ディレクター」として活動していく意図もあってのことだそうですが、この二人が一つのステージに関わった事があるなんて、ダンスに興味のある人ならクラクラするような組み合わせですね
もちろん立場はロビンズが上で、フォッシーが振付けたものを彼が変更することもあったそうですが、フォッシーは「彼を二、三時間見つめている間に、それまでの自分の人生すべてで学んだことよりも多くのことを学んだ」と語っています。また、フォッシーの目の覚めるような振付が、ショーストッパーという言葉はあっても、本当にショーの流れを止めてしまうほど際立っていたのを嫌った監督がそのナンバーをカットしようとしたのを、ロビンズが阻止することもあったそうです。
二人とも頑固者だとか譲ることを知らない完全主義者だとか、なにかと気難しい面を語られる事が多いのですが、創作という真剣勝負に同じテンションで挑む者同士、わかりあい、尊重しあっていたようで、いいエピソードですよね~。そして"Bells are Ringing"(56)振付のオファーも、ロビンズはフォッシーに手渡して、いよいよ『ウエストサイドストーリー』に取り組むことになります。
映画『キス・ミー・ケイト』の振付を見て、フォッシーの独創性と個性を高く評価した彼は、自分に依頼された"The Pajama Game"(54)の振付をフォッシーに任せてはどうかと提案します。そしてロビンズは初の監督・振付作品となる'Peter Pan'カリフォルニア公演に取り掛かるところでしたが、共同ディレクターとして"The Pajama Game"にも同時に関わることになりました。
フォッシーに振付の仕事を譲ったのは、ロビンズに「振付師」としてだけでなく、「ディレクター」として活動していく意図もあってのことだそうですが、この二人が一つのステージに関わった事があるなんて、ダンスに興味のある人ならクラクラするような組み合わせですね
もちろん立場はロビンズが上で、フォッシーが振付けたものを彼が変更することもあったそうですが、フォッシーは「彼を二、三時間見つめている間に、それまでの自分の人生すべてで学んだことよりも多くのことを学んだ」と語っています。また、フォッシーの目の覚めるような振付が、ショーストッパーという言葉はあっても、本当にショーの流れを止めてしまうほど際立っていたのを嫌った監督がそのナンバーをカットしようとしたのを、ロビンズが阻止することもあったそうです。
二人とも頑固者だとか譲ることを知らない完全主義者だとか、なにかと気難しい面を語られる事が多いのですが、創作という真剣勝負に同じテンションで挑む者同士、わかりあい、尊重しあっていたようで、いいエピソードですよね~。そして"Bells are Ringing"(56)振付のオファーも、ロビンズはフォッシーに手渡して、いよいよ『ウエストサイドストーリー』に取り組むことになります。