ブロードウェイ版『TOMMY』は1940年のプロローグから幕開けです。そしてトミーが殺人を目撃するのは1945年、4才のとき。映画版ではトミーが6才、実の父親が被害者となりましたが、BW版はアルバム発表当時の設定どおり、父親が母親の恋人を殺害する設定です。
もともとピート・タウンゼントには、トミーに三重苦を与えた親の責任・罪などを描くため、生き残るのは血のつながった親子であるべき、という考えがあったそうです。が、映画監督ケン・ラッセルは父親が犠牲となり、イコン的な存在となることを希望したため、映画版はあくまでトミーを中心に描き、親の心理・責任にはさほど重点をおかなかったといいます。それに映画版は、恋人=義父役のオリバー・リードのね~っとりとしたコミカルな演技がなければ、まったくの別物になりそうですよね。
トラウマによるトミーの境遇は現在ならばおそらく「自閉症」と診断されるものなのでしょうが、40年代前半のイギリスの医療現場ではまだ疾病として認められていませんでした。戦後、医療は急速に発達し、50年代には医療制度も一新されましたが、自閉症の子どもを持つ親へのサポートは60年代後半までなかったそうです。BW版では50年、10才のトミーをウォーカー夫妻が教会に連れて行きますが、どれほど追い詰められていたかは想像に難くありません。
ピート・タウンゼントは、子どもを苦難の多い境遇に至らしめたというだけでなく、トミーの反応は血を分けた者だからであり、彼らは生物学的に、遺伝子の底からも親として非難されるべきと感じている、という見方をしているそうです。BW版の母親は、映画版のコケティッシュなアン・マーグレットとはかなり違う、どこか清新な感じのあるMarcia Mitzmanです。いのうえ版は高岡早紀さんだと思いますが、一体どんな母親になるのでしょうか。
もともとピート・タウンゼントには、トミーに三重苦を与えた親の責任・罪などを描くため、生き残るのは血のつながった親子であるべき、という考えがあったそうです。が、映画監督ケン・ラッセルは父親が犠牲となり、イコン的な存在となることを希望したため、映画版はあくまでトミーを中心に描き、親の心理・責任にはさほど重点をおかなかったといいます。それに映画版は、恋人=義父役のオリバー・リードのね~っとりとしたコミカルな演技がなければ、まったくの別物になりそうですよね。
トラウマによるトミーの境遇は現在ならばおそらく「自閉症」と診断されるものなのでしょうが、40年代前半のイギリスの医療現場ではまだ疾病として認められていませんでした。戦後、医療は急速に発達し、50年代には医療制度も一新されましたが、自閉症の子どもを持つ親へのサポートは60年代後半までなかったそうです。BW版では50年、10才のトミーをウォーカー夫妻が教会に連れて行きますが、どれほど追い詰められていたかは想像に難くありません。
ピート・タウンゼントは、子どもを苦難の多い境遇に至らしめたというだけでなく、トミーの反応は血を分けた者だからであり、彼らは生物学的に、遺伝子の底からも親として非難されるべきと感じている、という見方をしているそうです。BW版の母親は、映画版のコケティッシュなアン・マーグレットとはかなり違う、どこか清新な感じのあるMarcia Mitzmanです。いのうえ版は高岡早紀さんだと思いますが、一体どんな母親になるのでしょうか。