習いごとは楽しい。
わたしの場合どれも趣味で終わっていて
極めることはほとんどない。
けれど、学ぶということは新しい発見があったり夢中になれたりして
日々の生活に新鮮なエッセンスをもたらしてくれる。
おとなになってからは自分の興味があるものを選んで習うようになったけれど、
こどものころは母につれられ
何がなんだかわからないうちに習っていることが多かった。
初めての習いごとはエレクトーン。
これもわけがわからず母に音楽教室に連れて行かれ、習い始めた。
人見知りでおとなしいわたしになんとか自信や度胸をつけさせてあげたい、
と母が発表会があるエレクトーンを習わせてくれたのだ。
わたしはそこでグループレッスンを受けることになった。
小3の終わりごろだったか、同じ学年の女の子が新しく入ってきた。
彼女は最初個人レッスンだったのだが、クラス移動の際に
わたしと友達とその子の3人でグループレッスンを受けることになった。
つまり彼女は2~3年飛び級したということになる。
(1年でわたしたちの3年分ぐらい??)
この途中から入ってきた女の子、素晴らしい才能の持ち主で
わたしはこどもながらに感動していた。
うらやましいとは思ったけれど、やきもちを焼いたことはない。
それほど彼女の才能は秀でていたのだろう。
3人で小6までグループレッスンが続いた。
学校のクラスは違えども音楽教室では仲良くやっていて、
毎年3月の発表会ではいつも3人でアンサンブルをしていた。
個人の発表ではわたしが中森明菜の「禁区」、
他の二人がチェッカーズ(「ジュリアにハートブレイク」「星屑のステージ」)
を弾いたのを覚えている。
(↑ひーちゃん「禁区」知らないって・・・。時代が~~)
とりわけ才能豊かだった彼女は小学生ながら弾き方が全然違った。
心が入っているというか。
(チェッカーズの大ファンだったというのもあるのだけど・・・。)
中学生になると部活が忙しくなり、わたし以外の二人は
レッスンをやめてしまった。わたしはしかたなく個人レッスンになったのだが
それまで6年間グループでわいわいとやってきたわたしには
なんだかさびしかった。発表会も1人。アンサンブルもなし。
彼女が入ったのは吹奏楽部のパーカッション。
彼女はそこでも才能を発揮し、顧問の先生にも恵まれ、県大会で優勝した。
音楽教室で一緒に弾くことはできなくなったけど、
わたしはパーカッションでがんばっている彼女を陰ながら応援していた。
レッスンをやめてもったいないな~と彼女の代わりにわたしが
思ってしまうほどだったのだけど、
彼女は別の道を自分で切り開いていったのだと思う。
わたしはといえば、中3の高校入試まで細々と習い続けた。
休み休みで上手ではないけれど9年間習ったことになる。
それ以降は弾くことがなくなったのだけど、
ひょんなことからピアノも練習するようになり、
これまた細々とだけれど、時々弾く機会がある。
弟の披露宴でピアノ演奏を頼まれたり、歌の伴奏を頼まれたり、と
少しは人のお役に立てているのかなと思うとうれしい。
また、8年前大好きなペットのハムスターが死んでしまったときは
毎日大好きな曲を弾いて悲しみを紛らさせ、癒されたこともある。
音楽を奏でることは、自分にとっても他の人にも安らぎや慰め、励ましを
分かち合うことができる手段になるんだということに気がついた。
今わが家にはピアノもエレクトーンもない。
ピアノは将来広めの住まいに引越したときの楽しみのひとつ。
今は自分の楽しみのため、他の人に分かち合うため、
また新しい習いごとに励んでいる。
わたしの場合どれも趣味で終わっていて
極めることはほとんどない。
けれど、学ぶということは新しい発見があったり夢中になれたりして
日々の生活に新鮮なエッセンスをもたらしてくれる。
おとなになってからは自分の興味があるものを選んで習うようになったけれど、
こどものころは母につれられ
何がなんだかわからないうちに習っていることが多かった。
初めての習いごとはエレクトーン。
これもわけがわからず母に音楽教室に連れて行かれ、習い始めた。
人見知りでおとなしいわたしになんとか自信や度胸をつけさせてあげたい、
と母が発表会があるエレクトーンを習わせてくれたのだ。
わたしはそこでグループレッスンを受けることになった。
小3の終わりごろだったか、同じ学年の女の子が新しく入ってきた。
彼女は最初個人レッスンだったのだが、クラス移動の際に
わたしと友達とその子の3人でグループレッスンを受けることになった。
つまり彼女は2~3年飛び級したということになる。
(1年でわたしたちの3年分ぐらい??)
この途中から入ってきた女の子、素晴らしい才能の持ち主で
わたしはこどもながらに感動していた。
うらやましいとは思ったけれど、やきもちを焼いたことはない。
それほど彼女の才能は秀でていたのだろう。
3人で小6までグループレッスンが続いた。
学校のクラスは違えども音楽教室では仲良くやっていて、
毎年3月の発表会ではいつも3人でアンサンブルをしていた。
個人の発表ではわたしが中森明菜の「禁区」、
他の二人がチェッカーズ(「ジュリアにハートブレイク」「星屑のステージ」)
を弾いたのを覚えている。
(↑ひーちゃん「禁区」知らないって・・・。時代が~~)
とりわけ才能豊かだった彼女は小学生ながら弾き方が全然違った。
心が入っているというか。
(チェッカーズの大ファンだったというのもあるのだけど・・・。)
中学生になると部活が忙しくなり、わたし以外の二人は
レッスンをやめてしまった。わたしはしかたなく個人レッスンになったのだが
それまで6年間グループでわいわいとやってきたわたしには
なんだかさびしかった。発表会も1人。アンサンブルもなし。
彼女が入ったのは吹奏楽部のパーカッション。
彼女はそこでも才能を発揮し、顧問の先生にも恵まれ、県大会で優勝した。
音楽教室で一緒に弾くことはできなくなったけど、
わたしはパーカッションでがんばっている彼女を陰ながら応援していた。
レッスンをやめてもったいないな~と彼女の代わりにわたしが
思ってしまうほどだったのだけど、
彼女は別の道を自分で切り開いていったのだと思う。
わたしはといえば、中3の高校入試まで細々と習い続けた。
休み休みで上手ではないけれど9年間習ったことになる。
それ以降は弾くことがなくなったのだけど、
ひょんなことからピアノも練習するようになり、
これまた細々とだけれど、時々弾く機会がある。
弟の披露宴でピアノ演奏を頼まれたり、歌の伴奏を頼まれたり、と
少しは人のお役に立てているのかなと思うとうれしい。
また、8年前大好きなペットのハムスターが死んでしまったときは
毎日大好きな曲を弾いて悲しみを紛らさせ、癒されたこともある。
音楽を奏でることは、自分にとっても他の人にも安らぎや慰め、励ましを
分かち合うことができる手段になるんだということに気がついた。
今わが家にはピアノもエレクトーンもない。
ピアノは将来広めの住まいに引越したときの楽しみのひとつ。
今は自分の楽しみのため、他の人に分かち合うため、
また新しい習いごとに励んでいる。