ときどき,「自分っていったい何なんだろう…?」と考えることがあります。
それは詰まるところ,自分の存在意義についての自問自答です。
寝る前に,こんなことが頭の中を駆けめぐると,疲れているはずなのになぜか寝付けなくなります。
よく,ストレスがたまると,眠くても眠れなくなるという話を聞きますが,これもその一つなのでしょうか?
長崎の町にひっそりと立っている,半分だけの鳥居。
もともと鳥居とは,現世から神サマの世界への入口。
くぐることのできない鳥居は,もはや本来の意味をなさないものです。
この鳥居も,昔は神界への入口として,多くの人たちを通してきたものだったのでしょう。
長崎に落とされた原子爆弾。
町は消え,生けとし生けるものは炭と化しました。
しかし,鳥居は…もはや人を通すことはできない姿で…生き残りました。
本来の存在意義を失った鳥居…いつ倒れるかわからない危険な存在…
撤去されて然るべきの彼でしたが,彼は自らのその姿をもって,別な存在意義を見いだしました。
鳥居の残すその痛々しい傷跡は,原爆の悲劇を,いまでも我々に語り続けてくれています。
「自分っていったい何なんだろう…?」
考えるだけムダな気がしてきました。
自分は,自分なのですから
<今日の一句>
秋思の日らしく生きよと片鳥居 ぴえる
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この鳥居に会うためにだけ長崎に行ったことがあります。
そして、私におススメされた妹と妹のダンナちゃんは
先週ここに行ってきたばかりです。
世間知らずのダンナちゃんにはかなりショッキングだったみたいです。
でも、こうしてこの鳥居に心動かされた人が何人もいるんですよね。
私も戦争の悲惨さを考える時間をもらいましたから・・・。
自分の存在価値、ものすごく考えます。しょっちゅう。
いまだに自分の遺伝子残してませんから尚更です(苦笑)
いずれ消えてなくなる存在だからこそ、
余計に存在価値を考えてしまうものなんでしょうか・・・?
地球の寿命が80億歳で、今が折り返し地点くらいって
聞いたことがあるんですが、
だとしたら、いくらあがいたところで
40億年後にはすべて消えてしまうってことなんだと気づいて、
逆に開き直ったっていうか、気が楽になりました(笑)
40億年後ですか…
昔,「学研まんが」で,数万年後だか数億年後だか忘れましたが,地球の寿命が尽きる前に,太陽の寿命が来て,大爆発を起こして地球も巻き込まれるという記事を子供心に読んで恐怖していた記憶があります(汗)
蒼葉月さんも,この鳥居を見にに行かれたのですね。
ワタシの長崎の旅のテーマは,隠れキリシタンと長崎原爆についてでした。
奥が深い町です。長崎は…
んー,重たいテーマですねえ。哲学的に言うと,この鳥居は「何かを伝えたいために,偶然ではなく必然的に半分残ったのだ」とでもいえるでしょうか。何を伝えたいのかというと,単に原爆の恐怖でも,戦争の悲惨さでもなく,「とにかく生きること」なのかもしれません。
言っている自分でも,意味分からなくなってきました
難しい話はさておき,長崎は一度だけ行きましたが,長崎市には行かず,「じゃぱねっとたかだ」のある佐世保市の方に行きました。
もちろん,じゃぱねっとに用があったのではなく,ハウステンボスに遊びに行ったのですが。
テーマ重くてすいません。
たまに,重いテーマ載っけますのでヨロシク^^
ハウステンボス行ったことないので行ってみたいですね。
しかし,それより行ってみたいのは,五島列島に点在する隠れキリシタンの生き抜いた史跡巡りですね
原爆の威力って本当に凄いですよね。私は昔,埼玉県にある丸木美術館の絵を見てショックを受けましたが,こういうものもあったのですね。
ときに鳥居って,古代に門の上に横に渡されている木の上に鳥の彫り物があったことがルーツだとも言われていますね。遺跡でも出土した例があります。
でも,神社の場合は神域との境界を示すもの。その柱は神様の象徴という話もあります。そういえば京都には三柱の鳥居なんていうものもありますよね(行ったことはないけど)。見に行ってみたいなぁ。
さて,自分の存在意義,ですか。難しいですね。法華経では全ての存在には意味があるのだ,と教えているそうですが,じゃあ自分の意味は?自分でも分かりませんが,もしたった一つでも誰かの役に立つことができるのであれば,それだけでも意味があるのかもしれません。
聞いた話では,「この世は神の見ている偉大な夢である」と言った人が昔いたとか。ちっぽけな人間の人生の意味だとか言っても,結局はほんの一瞬の夢の意味を語るような話なのかもしれませんね。
誰かのために生きる。
生きる理由で一番必要なことでしょうね。
泡沫の夢のような一瞬でも,誰かの「ため」に生きて,誰かの「ため」に死ねれば,意外とそれで大往生が遂げられるのかもしれません。
でも,誰かの「せい」で死にたくはないとは常に思っているワタシだったりします…