リカコの、これは「ゴミのようなブログ」か「ブログのようなゴミ」か

今までの人生は挫折つづきでサボテンのぴょん太さんもベランダで干からびているけど、最近ようやく自分を肯定できてきてるかも…

自分はただ、通り過ぎていくだけ…と思い知った日 (ちょっと追記あり。)

2010-07-16 23:12:16 | 日記
NONA REEVESというロックバンドの西寺郷太さんは、マイケルジャクソンの研究家だということで有名だけど、このまえ彼がラジオで「僕はひとりで勝手に“1985-25th”を祝ってるんです。その後の音楽シーンを方向づけた1985年から今年で25周年。」と話していて、とても興味深く聞いた。

1985年といえば私なんてまだ小学生だったけど、でも80年代最後の1989年にはティーンエイジャーの仲間入りをしていて、80年代の音楽はもう狂ったように聴いた。学校から帰ってきたらラジオをつけて、次の日の朝まで消さなかった。自分の好きな音楽が流れると天にも昇るほど喜んで、ピアノで真似して弾いたりしていた。

当時の、というか結構最近になるまでそうだったけど、好きな歌手やグループをリスペクトする手段として
・CDを買う
・ファンクラブに入る
・コンサートに行く
・自分で歌ったり演奏したりする
以外の方法を思いつかない蒙昧な少女だった私は、当然CDを買って歌ったり、楽譜を買ってきてピアノで弾いたり(弦楽器がまったく理解できなかったのでギターは挫折した)、東京や横浜はこわいところだと思っていたからコンサートには行かなかったけど、そんな感じでファンをやってた。
そして、今はもう誰も「愛は勝つ」を歌わないように、私の好きな音楽もやがて廃れていくものだと思っていた。

そして、カセットテープの時代が終わったり、MDの時代が終わったり、自分自身が学生じゃなくなったり、独身じゃなくなったりした時に、私の好きな音楽は人に譲ったり捨てたり貸したまま返ってこなかったりしてすっかり整理されてしまった。


でも80年代の音楽って、まだまだ全然みんな聴いてるじゃないか。

そして、西寺郷太さんが80年代の音楽を「研究」しているというのを知って、こういうリスペクトの仕方もあったんだ…と頭を殴られたようなショックを受けた。
当時は考えもしなかったけれど、80年代の音楽はやはり研究するに値する。偉大だと思う。
そして、それを大切にしてこなかった自分は、西寺郷太さんの名前を目にしたり耳にしたりする度に、自分が「あぁ、この歌好きだった。あのころ自分は元気だったなぁ」と懐かしむだけの能もない人間だということを思い知らされるんだなぁ。



っつうわけで、20年ぶりくらいにこのPVを見て感動した。
http://www.youtube.com/user/TAZ19762006



追記
というか、その西寺郷太さんの話をリンクしろよって話だ。
http://www.tbsradio.jp/kirakira/2010/06/20100623-2.html
http://www.tbsradio.jp/kirakira/2010/06/20100630-2.html
TBSラジオ小島慶子のキラ☆キラ 6/23と6/30のサウンドパティスリー

ヤンキーペアレンツ

2010-07-15 17:53:36 | 日記
このまえの日曜日。

窓の下でボボボボ…という低いエンジン音がして、なんだかガラの悪い改造車がマンションの前に停まったと思ったら、親だった。


親が私の弟に買い与えた車だった。
それを弟(と嫁)が好きなように改造して何年か乗っていて、ゲンゼーホジョキンとか言ってるからエコカーがほしいなぁなんて言って、そしたら親が「うちにある車の方が高く売れるから、下取りに出すならこっちにしなさい」なんて言ってエコカー買い与えてその改造車と交換したんだそうだ。

やめてくれ、還暦にもなってヤンキー車なんて。


ていうか、うちの親おかしくないか?