今回の散歩の目的のひとつはここ松蔭神社、維新の師、吉田松蔭が祀られています。ここは江戸時代は長州藩の別邸、安政の大獄で刑死した吉田松陰を、門下生高杉晋作らがこの地に葬り、その墓所の横に建てられた神社です。
創建時の鳥居の柱
本堂が見えてきましたが少し寄り道して
まずはヒカン桜から
逆さに見ると
バラの花束みたいです
建物を背景に
マクロモードで
参道に戻ると松陰先生が厳しいお顔で
手を洗うのではなく心を洗う
本堂御社殿、伊藤博文、山縣有朋、井上馨、乃木希典等によって造営された社殿です。やはり普通の神社とは違いますねえ。
そしてその右手にあるのが、これなくして明治維新成し得ないとまで評された松下村塾があります。もちろん本物は萩なので、これは模造ですけど。この小さな塾が日本を変えた、多くの偉人を輩出したと思うと感慨深いものがありますね。
私は今まで松下村塾は、「松蔭の門下生の塾」で松蔭が作ったと思っていましたが、説明文を読むと吉田松陰自身もここの塾生で、松蔭が引き継いだとなっていました。前からあったんですね、知らなかった。
明治になってから寄進された石灯籠がズラリと並び、各々の灯篭には伊藤博文、木戸孝正、山縣有朋、桂太郎、乃木希典、井上馨、青木周蔵などの名前が刻まれていて、吉田松陰の偉大さを物語っています。
そして墓所入り口へ
松陰先生のお墓です
花が絶えることはありません
このような人神を祀った神社は、その人が偲ばれ、他の神社とは趣が異なります。近代の人であればなおその功績が顕著ですから。明治以降だと乃木神社、東郷神社など軍人、英雄系などが思い浮かびます。
最後に神社の外にある桂太郎の墓の写真。総理大臣のお墓が寺ではなく通りに面しているとは・・・。それだけ松蔭を慕っているということでしょうか。格式にこだわらない、なかなか好感持てる総理大臣ですね。
RICOH GR
創建時の鳥居の柱
本堂が見えてきましたが少し寄り道して
まずはヒカン桜から
逆さに見ると
バラの花束みたいです
建物を背景に
マクロモードで
参道に戻ると松陰先生が厳しいお顔で
手を洗うのではなく心を洗う
本堂御社殿、伊藤博文、山縣有朋、井上馨、乃木希典等によって造営された社殿です。やはり普通の神社とは違いますねえ。
そしてその右手にあるのが、これなくして明治維新成し得ないとまで評された松下村塾があります。もちろん本物は萩なので、これは模造ですけど。この小さな塾が日本を変えた、多くの偉人を輩出したと思うと感慨深いものがありますね。
関守石 これより中は遠慮されたし
私は今まで松下村塾は、「松蔭の門下生の塾」で松蔭が作ったと思っていましたが、説明文を読むと吉田松陰自身もここの塾生で、松蔭が引き継いだとなっていました。前からあったんですね、知らなかった。
記念碑も並びます
本堂の前には
本堂の前には
明治になってから寄進された石灯籠がズラリと並び、各々の灯篭には伊藤博文、木戸孝正、山縣有朋、桂太郎、乃木希典、井上馨、青木周蔵などの名前が刻まれていて、吉田松陰の偉大さを物語っています。
そして墓所入り口へ
松陰先生のお墓です
花が絶えることはありません
このような人神を祀った神社は、その人が偲ばれ、他の神社とは趣が異なります。近代の人であればなおその功績が顕著ですから。明治以降だと乃木神社、東郷神社など軍人、英雄系などが思い浮かびます。
最後に神社の外にある桂太郎の墓の写真。総理大臣のお墓が寺ではなく通りに面しているとは・・・。それだけ松蔭を慕っているということでしょうか。格式にこだわらない、なかなか好感持てる総理大臣ですね。
RICOH GR