デジカメコレクション デジカメ大好き

デジカメでいろいろ撮ってます 腕が悪いくせにカメラのせいにして買ったカメラが150台超えました

府中にある宇宙

2024年09月30日 | 博物館 展示会
momohakase様、コメントありがとうございます。ほんのひと世代前に今とは真逆の日本があったとは、当時を偲ばせる遺品それぞれに感じるものがありました。

まだ時間に余裕のある私は久しぶりに郷土の森博物館プラネタリウムへ。投影時間まで時間があったので、その前室、天文展示コーナーに寄ってみました。キャッチコピーは駄洒落のような「FuchuにはUchuがある」、市内にはNECの宇宙事業の開発・製造拠点や、世界でも4社しかない光学式投映機を製造できる五藤光学研究所があるそうです。



入り口にあった惑星総選挙



月探査技術の実証のために打ち上げられた
人工衛星「ひてん」の模型



小型月着陸実証機「SLIM」



日本の宇宙開発の始まり
ペンシルロケット



宇宙飛行士毛利衛氏も来たようです





棚を飾るペーパークラフト







昔からの月信仰も



武蔵野の月



幕間の時間潰しの前室扱いしてすみません、けっこう見応えのある展示内容でした。上映時間さえこなければ、もっとゆっくり見たかったところです。最後は府中にゆかりのあるネーミングをされた小惑星のパネルです。

国立天文台で発見された
「ニッポニア」



ご当地「ムサシフチュウ」



国立天文台の所在地「ミタカ」



ペンシルロケットの発射実験が
行われた「コクブンジ」



府中で発芽した「コダイハス」



五藤光学研究所に因んだ「ゴトウ」



最後は毛利衛氏の名前「マモル」



小惑星ひとつひとつに名前を付けて、どのあたりにあるかわかるんだからスゴイ。星に名を残したいものですが、望遠鏡も持っていないので無理ですね。

戦いと争い 後編

2024年09月29日 | 博物館 展示会
昨日の続き、今日は明治以降、大東亜戦争の頃の資料です。でもこれは府中を舞台の戦いではなく、日本全土の戦いですよね。小田原の資料館でも同じようなものが展示されていました。なるべく被らないものを選んで撮ってきました。

当時の風刺画
新聞に掲載されていたんですね



日露戦争の記章



大東亜共栄圏の地図
これは興味深く見てしまいました



米英撃破絵葉書
表紙は日本武尊かな



中身は戦争風刺画
誰宛に出すのでしょう



戦時下の双六
東軍司令部と西軍司令部からスタート



陶磁器の麻雀牌
娯楽も戦争中心でした



出征を祝い武運長久を祈る



出征道具 千人針がもの悲しい



松の根からガソリン、重油
抜け毛からフエルト



最後は憎き焼夷弾
いったい何人の命を奪ったことか



今年は昭和99年、たかだか80年前のことなんですよ。こういう展示を見ていると、あらためて平和な日本に生まれたことに感謝しました。


戦いと争い 前編

2024年09月28日 | 博物館 展示会
府中郷土の森博物館では大人向けの企画展もやっていて、それが「戦いと争い~将門の乱からアジア・太平洋戦争まで~」。ここ府中が舞台となった合戦や江戸時代に勃発した村同士の争いが紹介されていました。

古くは清水寺を建てた坂上田村麻呂の東征、武蔵の国の国府があった府中は蝦夷征討の中継点だったのでしょうか。次に歴史に名が出るのは承平天慶の乱、いわゆる平将門の乱です。





府中でいちばん有名な古戦場は分倍河原古戦場。鎌倉幕府打倒に立ち上がった新田義貞軍が、この博物館のそば、多摩川で北条泰家率いる幕府軍と激突しました。







古戦場から出土した矢じり



ここで新田軍は敗けるのですが
なぜか分倍河原駅前には義貞の像が



次に史実に名が出るのは、秀吉の小田原征伐。北条領だった府中にも秀吉軍が攻め込んできました。結果はご存知のとおり。



その後、江戸時代になり府中は甲州街道の宿場町として栄えました。大きな戦はなくなりましたが、郊外の農村では小競り合いが・・・。





昔の人は達筆ですね



明日は明治以降です



昆虫レストラン 水辺編

2024年09月27日 | 
企画展「昆虫レストラン」のお客様は鳥ばかり、そうか虫を食べるのは鳥しかいないのか、犬や猫も死んでる蝉は食べないものな。もうひとつ思ったのは鳥の祖先は恐竜と言うが肉食恐竜なのかな、その鋭い爪と牙じゃないけど嘴で、スケールダウンしちゃったから標的は虫なのか。穀物を食べる鳥はいるけれど、草をムシャムシャ食う鳥はいない。子供向けの企画展示でもいろいろ考えさせられます。

今日は川原にいる
バッタ、コオロギから



ヒバリも最近見なくなりました
空中静止する姿をもう一度見たい



ツバメは益鳥
カラスはどこにでも現れる



次は水鳥
コガモとカイツブリ



サギグループと言うと
聞こえは悪いが



ゴイサギ 
水鳥の主食は魚だよね



カワセミ
虫も食べるのかなあ
どちらにしても肉食



川原上空からは



トンビが獲物を狙う



ハヤブサの仲間 チョウゲンボウ



カラスの祖先がラプトルならば
こいつはティラノサウルスかな



展示タイトルが「昆虫レストラン」だから当初カテゴリーを「昆虫」にしましたが、「鳥」に変更しました

鳥ばっかりだったので

昆虫レストラン 森林編

2024年09月26日 | 
萩にも彼岸花にも満たされなかった私は久しぶりに郷土の森博物館へ。常設展は何度も見てるし、過去のブログへも掲載したので企画展を見にいくことに。やっていたのは「昆虫レストラン」、えっもしかしてイナゴの佃煮とか蜂の子が展示してあるのかなとおそるおそる覗くと、鳥が食べる虫でした。



身近にいる蝶たちを



ムクドリ、ハト・・・
身近な鳥が狙うそうです



ちょっと硬めの甲虫は



カラスが狙います



昔はよくあったのに
最近見なくなったモズの速贄



鳥は虫の羽は食べないそうです



少し山に入ると狸が



昔は多摩川にもいた野生の雉
どこにいっちゃったんでしょう



さらに山深くには猛禽類
フクロウ、ミミズクたちが





稀に食物連鎖の逆転もあるようで
鳥の死骸をカマキリが食べる



外国の虫たちも飾られて





明日は水辺編です


曼珠沙華まつり

2024年09月25日 | 秋の花
府中郷土の森を訪れたいちばんの目的は曼珠沙華まつり、9月14日から始まっているし、ちょうど彼岸の真最中だし、きっと真っ盛りを迎えてることでしょう。こんな書き出しをするということは・・・結果は賢明な皆様のご推察通りでした。

こんなのぼりが
たくさん立っているというのに



今年植えたばかりの
ところに行ってみると
なんとまったく咲いてない



奥の方にまばらに





仕方なく梅林の方へ
おう こっちは咲いてる 咲いてる



よかった よかった



次はいつも咲いているはずの水田へ



ここもまあまあ咲いているけど



まだまだ蕾の方が多い



やはり残暑のせいかなあ
稲は実っているのに



まつりというほどじゃないけど
まあよしとしよう



最後は白い彼岸花を



お地蔵さんといっしょに



萩と秋

2024年09月24日 | 秋の花
萩が咲いているのを期待して萩のトンネルへ。そういえば萩って何月に咲くんでしたっけ、昨今の気温上昇で季節感が無くなってしまいました。くさかんむりに秋って書くので秋の花だと思うのですが、植物はカレンダーなんてわかるわけないので気温で咲き出すのでしょうけど、いつもの9月ならとっくに咲いていてもいいのに。

まだ蒼いモミジの小川を渡ると



そこは萩のトンネル



でもトンネルもまだ蒼い
暑いと咲かないのかな
涼しくなると咲くのかな



奥の方に行くとチラホラと



ならば近づいて撮りましょう



陽の当たる方がきれいに撮れる





見れば見るほど不思議な形の花
ネイルチップみたい



トンネル感を出すため
天井から下がった花を探します



これがいちばん
トンネルらしくなりました



ご覧のとおり開花率はまだ一割にも満たないくらい。冒頭の疑問とボヤキがご理解頂けたでしょうか。秋の花って言っても晩秋ではなく、夏と秋の間に咲くイメージだったのですが・・・。もしかするともはや9月は秋ではないのかもしれません。


残暑 郷土の森

2024年09月23日 | 秋の花
ようやく朝夕は涼しくなって、コロナ罹患以降すぐれなかった体調も癒えてきた。そろそろ写真を撮りに出かけよう、選んだのはまたかと言われそうな府中郷土の森公園。でもその日の気温も猛暑日直前でした。

子供たちは水遊びに興じ
おじさんは汗だくだく



こちらは未就学児専用
服のまま飛び込めるのが羨ましい



もはや夏の花 キバナコスモス
夏を彷彿させるテントも



キバナコスモスには
必ずキタテハがやってくる



その中に一輪だけ白い大きな花
夏らしいなあ



まだアジサイまで咲いている
秋はどこにいったの





それでも十月桜は咲いていて





萩の花も咲いている





そうだ 萩のトンネルがあったはず
萩のトンネルの写真はまた明日


8月の風物詩

2024年09月22日 | 寺社 仏閣
清水寺の写真の中になにやら見慣れぬものがある。それは開山堂の外側と、本堂へ続く回廊につるされた南部風鈴。今まで見たことがないなあ。夏だからかなあ、それにしてもなぜ岩手の南部風鈴が・・・。

三重塔をスタート



朱色の柱に



南部風鈴が並ぶ



まぎれもなく岩手県産



なぜをネットで探してみると、話は坂上田村麻呂まで遡る。清水寺を創建した坂上田村麻呂が蝦夷征伐で岩手県に出かけたとき、敵の阿弖流為と強い友情で結ばれたことにちなんで、毎年8月に岩手から送られた南部風鈴を飾るようになったとのことでした。やや強引な理由だけど・・・。

そして本堂に続く



回廊にも南部風鈴が揺れる



金属ならではの



高い音を響かせて



その先には提灯が



横には防火用の水



8月の清水寺は暑いけど



訪れる人は途絶えません



清水からの眺め

2024年09月21日 | 寺社 仏閣
今日も娘にもらった京都の写真、暑い盛りに清水寺に行ってきたようです。私が前回行ったときにはちょうど改修中。足場が組んであって、少し興醒めしたことを思い出しました。

改修も終えて、
また観光客を集める舞台



改修中は舞台の足が見えませんでした



舞台のある本堂は国宝です



それでは舞台へ



最初に目に留まるのが
正面に建つ子安塔



望遠レンズも持って行ったようです





おそらく本堂の鬼瓦



左側には阿弥陀堂



下には音羽の滝が



京都の街も一望 京都タワー



もちろん夏の青い空も