ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

「女系家族」の最終回にギョエ~

2005-09-30 00:39:33 | Weblog
この最終回の為に今までの回があったのだなと言う修羅場大爆発!
次々出てくる隠し玉に、久しぶりにぎゃーぎゃー騒ぎながら見た。
結構俺、野次馬根性いっぱいな性分だったりするんだよね。
この番組ゲイ仲間内でも結構盛り上がってた、と言うかこういうの大好きだよね?(笑) 

最後の最後に来て森本レオと米倉コンビの最終兵器、
別にあった本物の遺言状登場で矢島家滅多切りにされてもうみんなボロボロ。

橋爪功演じる宇市さんのいやらしさふてぶてしさは毎回凄いものがあったが、今回はもう・・エゲツナイ目とはこのことかといった顔つきで(あれはマジですごい顔だった・・・)
でもあんな家族に50年も奉公してたらあーなるでしょ。かわいそうだ!

登場人物それぞれが自爆して皆を地獄連鎖に引きずり倒す!
高橋克典の憮然とした表情。
高島礼子ら3姉妹総崩れ!
久しぶりに最終回でスカッとさせてもらった。

そうそうたる女優の悪女ぶりの中から、俺が一番恐ろしいなと感じたキャラは高島でも朝香でもなく三女の雛子(香椎 由宇)だ!。
あのように若いままに無邪気に苦労を知らず冷酷に・・なんて表現したらいいのかなあ、あー言うの。あんな恐ろしい存在は無いなと思った。
あんなのにつかまる男は大変だ。おー怖っ。

最後にお歴々を前に済ました顔で文乃(米倉)がのたまう言葉は・・・

「世間がなんと言おうと、自分の価値観に生きることが出来たとき、
         人は本当の幸せを手に出来るのだと思います・・・」

こんな番組でそういう台詞に出会うとは
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ナイトに参加するか否かで論争?

2005-09-28 01:16:42 | Weblog
先日あった松山でのクラブイベントについてネット掲示板で参加か否か?と変なやり取りがあった。

「会社でもホモのイベントがあると話題になっている、おかまの集団を見に行ってみようぜ!と茶化していたぞ。田舎の松山でそんな派手派手しいイベントに参加しているとゲイだとバレるから参加しない方がいいぞ!」
という投稿があったことから始まった。

そのやり取りはあまりに陳腐な展開を遂げるのだけど、何かこのイベントを妨害する意図なのか、地元のゲイにある不安や恐怖(ゲイだとバレること)を煽るこのような書き込みに対して俺も腹立たしい気持ちになった。

しかし、この程度で不安がって参加したくても遠慮する、なんて人がいるのならそれもどうかと思う。
発展場、ゲイバー、ゲイショップに立ち寄る、ネットで出会う、
・・・ゲイ的活動をしている限り、それは多かれ少なかれカミングアウトしているということだとは認識しておきたい。
自覚してカミングアウトしているかどうかといった程度で十分ゲイとして存在している訳なのだけれど、未だ自分たち自身で大きな壁を作ってしまう。

たしかに、地方都市の松山での行動となると、東京で行われるものとは訳が違う。知り合いや家族に見られバレルのではないかという恐怖・・・。
でも、やっぱり本当の自分を解放して活動する欲求にはかなわないことも体験して知っている。
90年代から始まるハッピーゲイライフというゲイシーンの高まりで、多くのゲイが自己肯定を出来るようになりゲイライフを楽しむようになった。
それは松山にも波及している。

そのことの明らかな表れとして去年に引き続いて2回目となるゲイナイトの企画があり、成功にあると思う。松山であんなに豪華なゲイナイトが開催できるなんて・・・そして一度にあんなに多くのゲイを松山で見たのは初めてだ!
参加した人は何か大きな変化を感じたと思う。

その影響はこれから松山でもなんらか変化として出てくるに違いない。

「隠れた本当の自分」を解放させる場所や時間は少ないながらも用意できるようになった。
しかし、隠れた場所でしか「本当の自分」を見せられないのだろうか。
普通の生活で「本当の自分」でいられるようにできないものだろうか。

ゲイナイトで本当に楽しそうにしている数百の仲間を眺めて、俺たちそれぞれの人生においてどう切り開いていけるだろうか?なんて考えていた。
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尾辻かな子さんのテレビ番組を見た

2005-09-27 00:36:55 | Weblog
朝日テレビ、スーパーモーニングで放映された例の番組をネットで見ることが出来た。
今年の東京ゲイパレードでレズビアンをカミングアウトした大阪府議、尾辻かな子さんを取り上げた番組だ。
とても好意的に取り上げてくれていたし、内容も良くまとまっていた。
取材ディレクターとの間で相当うまくコミニケーションが取れないとあれほどの番組にはならなかったろうと感心した。

コメンテーターの弁護士にいたっては、日本では議題にも上がってないなんて遅すぎる!同性愛者の権利拡張をすべきだ!と明言していた。

そのコメンテーターが同一性障害にかかわる法律改正を指揮していたのは現在の南野法務大臣だと触れていた。
南野法務大臣といえば、昔あった子供番組の「できるかな」に出てくる”ゴン太”のような風体で就任当初、国会でまともに質問にも答えられず、本当にこの人が法務に通じた専門家で大臣の資質のある人なのかと大バッシングを受けたあの女性大臣だ。

こんな仕事にかかわってきていたとは・・とすると同性パートナー制度についても彼女が実はキーパーソンになるような人なのかもしれないのかあ??うーん何者!

番組でも取り上げられていた、同性愛者の権利拡張についてどう思いますか?という問いに、多くの人から「まあ、いいんじゃないですかあ?」という他人事的な意見が多いことが触れられていた。

一応否定的でないことが多いのであれば、やっぱり当事者が権利を獲得したければ出来るということだ!という意味に理解したい。

俺もカミングアウトして見える存在になることから始まると思って10年たつが、ここのところのゲイリブシーンでも本格的にカミングアウトの意味をこのように明確に旗振る時代になったかと思うと心強い。
パレードでも「見える存在」として社会にかかわって変えて行こうという発言を多く聞いた。

今なら下記のサイトで番組を見ることが出来るのでまだ見てない人はぜひ見てみてください。ぜひ見た人の感想を聞いてみたいな。

「私はレズビアン~なぜ彼女はカミングアウトをするのか~」
   テレビ朝日系列「スーパーモーニング」
   9月6日(火)9:00~9:30(約15分間の放送)
    http://dp23055276.lolipop.jp/tv.htm 
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松山でゲイナイト大盛況

2005-09-25 00:30:58 | Weblog
昨日、1年ぶりに松山でゲイナイトがあった。

クラブイベントは東京に行くときは良く寄っていて好きなんだけど、
去年初めて松山で開催のときはちょうど東京行ってて残念だったんだ。
だから今回始めて参加できた。

人口50万の地方都市である松山でもこんなビッグなイベントを企画してくれて本当に主催者の方やスタッフの方にはサンクスです。

300名くらい入ったんじゃないかな?広島や東京、はてはローマから参加!?の人までいて、もう大盛況。かっこいい人いっぱいでびっくり。
みんなとっても楽しそうな顔でイキイキしてた。

俺は若いころはバーも常連で行ってたのだけど、最近はあまり飲みに出ないもんだから久しぶりの地元ゲイ社交界!?にドキドキしてた。
一緒に行った彼氏も場所が近づくにつれ相当緊張して可笑しかった。眺めてみたら知らない顔ばかり、顔ぶれも随分変わって若い人いっぱい。

今回はアッパーキャンプのショーが盛りだくさん見られて大爆笑、彼氏も大喜び。
やっぱり同じこと考えるんだね、「女王の教室」のパクリを超うまくやってた。「いい加減目覚めなさ~い。発展場は6%のイケメンが幸せになるシステムなの・・」(笑)

友達のGOGOもカッコよくキメてくれていて、これまたびっくり!より身体引き締めて顔もシャープになって、しっかり踊ってとても頑張ってたなあ!

知り合いのスタッフもこのイベントの準備に大変だったみたいでお疲れ様! 久しぶりに会う友達にもいっぱい会うことが出来たのもとても良かった。
俺は久しぶりに弾けて遊ばせてもらったよ、お土産にCDやエロビまで貰えて大満足の夜だった。

ショーも3部まで見て、結局帰ったのは朝5時。
でも次の日は出勤の土曜日だから8時に起きてクラクラしながらも仕事行った。
久しぶりに朝まで遊んだ!満喫!
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親へのカミングアウト

2005-09-23 01:35:07 | Weblog
会社、友達、知り合い・・これらのカミングアウトは結局のところ他人事だから大して気も使わなくてもいいのかもしれない。

親へのカミングアウト、これは一生かかる内容だ。
切っても切れない関係だけに、長い目で捉える必要がある。
しかし、いづれどうするのか決めないといけないときが必ず来る。

俺の親へのカミングアウトは21歳くらいか、就職してすぐだったと思う。
そのころ部屋にはバディなどゲイ雑誌は散乱させていて家族に信号は出し続けていた。

そういえば中学のときに薔薇族が親に見つかったことがあったが、当時問題にしてこなかった。
親は内心いつ本気になるのかと気が気でなかったようだ。

カミングアウトのきっかけは子供じみている。
当時付き合ってた初恋に近い奴との恋愛が不安定であったときに、母が俺の恋愛を否定してきたことに始まった。
抑圧的な教育指導の家庭に育った俺は親に対して怨念に満ちていたところもあった、そのタガが切れたように、なんと親子喧嘩から最終兵器のようにカミングアウトをした。

今でも大人げ無いな~と思うものであった。
そのことで、母親は狂乱し俺を責め立てたが俺もこんなきっかけであるとはいえ、どこかでやらねばならぬこと、と腹をくくって毎日話をしていくことになる。

ほとんど口を聞くことも無かった父親ともすぐ話し合いの場を持つことになった。
まあ就職もしたし、場合によっては勘当も受けて立とうと覚悟していた(相変わらず計算づく)。

しかし、父親は思わぬことを言い出す。
「お前が幸せに生きていくことが親の幸せだ、自分で抱え込まずにこれからは話してほしい。母さんには早急に展開させるな、徐々にだ・・・」などなど。

暴力的で体育会、まったく話にならない相手だと思っていた父親がすんなり理解を示してきた。
気が抜けると同時に父親の器量の大きさに本当に恐れ入って涙した。
母親は生理的に拒否をしていた感じだった、父親は頭で冷静に考えてくれた、すごいなと思った。

当時オウム騒動があったこともあり、俺の言っていることは母にとってはまるで宇宙人でオウムのようだと言われた。
でも、俺としては自分の尊厳にかけて話し込んで行く。
ゲイであることは自分自身の根幹だ。それを認めないのなら俺はあなたを認めることも出来ない!
そんな調子で俺が話せば話すほど母親は窮地に追い込まれるように耳をふさいだ。

でも、実の親に存在否定されたのではたまらないじゃないか!
何度も何度も切々と語りかけていった。
俺は近所に別世帯を構えて生活しはじめたが、あんまり酷い発言(俺の尊厳を完全否定したようなこと)が出たときはしばらく1,2ヶ月顔を出さず、母親に考える時間を与えた。

時が長いと親の方もさすがに折れて寄ってきた、子離れの儀式かと思うようにそれを繰り返しで数年間続いていった。

そんな繰り返しであれから15年経った。
今はやっと理解したというよりは諦めたといったところのようだ。

カミングアウトの前、俺が家族から去り、カミングアウトもせず田舎を捨ててめったに帰ってこないといった生活も考えてみた。
でもそれは違う!と結論していた。

そのことについては母親も悩んでいる間よく言われた
「黙っていてくれた方がマシだったのに。その方が親孝行だろう!」
「お前がすべて一人で抱えて墓場まで持っていけばいいのだ!・・・」
親のメンツのためにゲイを隠して生きていくことなど出来なかった。
俺は女性と結婚しないし、この家を継ぐ孫も用意できない。
このことはいずれ対峙しなければならないことだからと突きつけた。

息子のことを何も分からないで家族も何も無いじゃないか!?
親のために生きていくという訳にはいかない、俺は俺自身の人生を歩んでいる、
そのことで親が壁となるのなら、俺は親を踏み台にもしていく覚悟だ!といったようなせめぎあいだった。

互いに厳しいことであったと思う。

それでも近くにいて家族でいることの方が良いに違いない、
いづれはこれでよかったという日が必ず来る。

そう自分自身を言い聞かせるようにこつこつ関係をつないできた。
この15年、親は俺への結婚相手の紹介を相当数受けてきたようだが、すべて親のところで抑えてくれていた。
どのように周りのお節介をごまかしてきたかと推測すると本当に大変だったろうと思う。
俺はそういう両親を今ではいとおしくてたまらなく思う。

これからもずっと続いていく・・・親へのカミングアウト、それは長い時間をかけていく親子の関係づくりだと思う。


しかしね、15年もたってまだ自信の無いことを言ったりするのを聞くと腹立たしくなっちゃうときもあってね、親子関係の甘えに乗じて文句言うこともある。「おい、もっと勉強してくれよ、何年たってんだ!」

今回の俺の文章から修羅場を恐れて億劫になる人もいるだろう。
でも20代、結婚や見合いをどうごまかすか、30も過ぎてくるとどのように結婚観を説明するのか、そしてどう生きていくと胸を晴れるのか?どこかでは面と向かわなくてはならないと思う。
まさか今時女性との偽装結婚もあるまい。

海外の映画では家族の関係をとても大切に思い、悩みを共有しようというシーンをよく見る。
でも日本の場合は「家」のシステムに見るように格好だけの家族をよしとしている風潮が感じられる。

この「家」のシステムを崩壊させる俺たちゲイの息子は、「家」にとってはとんでもない自分勝手な破壊者となってしまう。

でもそれはおかしいよね、21世紀、既に家のシステムも崩壊し始めている、個々の幸せを第一に考える時代だ。
また親の世代も核家族化を推進してきた張本人だ。
個人が幸せでないものが周りを幸せに出来るわけが無いと思う。


最後に、試行錯誤した俺の経験から。
親には十分に愛情を持ってカミングアウトできる方法を考えていってほしいと思うのです。
自分を隠して心を開かず親の死を待ち続ける、なんてことは不幸な親子関係だと思うのです。
そしてその作業は手を抜かず時間をかけて親子の対面をしていってほしいと思うのです。
子供の幸せを願わない親なんていないのだから・・・。

ゲイである自分自身を肯定出来るようになったほどの時間が、親にも必要なのだそうです。

力強く生きていく息子の姿を見せていく、それしかないかと思うのです。



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女王の教室

2005-09-22 01:27:46 | Weblog
受身に生きていると、影響の強いものに生き方までも奪われてしまうものなのだ~!
現在の甘えに甘やかされ成長さえ止められたかのような子供たちに「目覚めなさい~」と冷たく世の中の厳しさを教える鬼教師!
今期のドラマでは一番面白かった。

「いじめ」でも想像力と自己解決能力の欠如が問題を悪化させる。
やっぱドラマも季節に1つ位は価値観を揺さぶる作品がほしいね。
番組のホームページにある掲示板では賛成派・反対派に分かれて議論が白熱してるとか。
最終回も25%超えたらしい。

大人が子供に対し大きな壁になっていないらしい。
社会に出てへこたれないために子供のときから壁を乗り越える力と考え方を身につけたい。

親はいつまでもうるさくウザイものだけど、親くらいの壁を乗り越えれないで社会の軋轢にどう立ち向かえられるのか!ウザイ親にも立ち向かってほしい。
考えが違っていたら理解させればいい。
それでも親はそんなことでは社会は冷たく厳しいぞ!といろいろ難癖をつけてくるだろう。
それを乗り越える成長を見せることだけが親を安心させ、子供を認めることにつながるのだと思う。

番組の中で子供たち自身が、「辛い時には笑ってみよう!」と言い出したシーンでは子供の強さに感動した。

俺の少年時代は愛媛県の管理教育真っ只中、軍隊かのような体育、廊下に立たせられる、学年朝礼で皆の前で赤恥をかかされる、受身的な詰め込み教育などがんじがらめだった。俺はその時のムカつく管理教育の怨念のようなものを糧に自分を作っていったように思う。

対抗もしてきた。でも今は、少年時代は抑圧されるくらいの方がいいのかもしれないと思うようになってきた。抑圧の中から自我は目覚めるものだと気づいてきた。

ドラマではそれらしつけが悪魔の仕業のように描かれていたが、現在の学校はあのような指導はまったく無くなってしまったのだろうか?

今季のドラマにはもうひとつ教室ものドラマがあった。
「ドラゴン桜」こちらは受験の段取り術を教えて現役世代から30代のマニュアル世代にウケが良かったみたいだ。

まあ世の中の道理を教えるドラマでどちらもナカナカ面白かったなあ。
でももっと強烈に魂を揺さぶるドラマは最近無いなあ。
なんか描き方が軽くてコミック調なんだよね~どのドラマも。

この女王の教室のパターンで大人を目覚めさすドラマしたらいいんじゃないかな?

しっかし天海祐希の一途な顔、俺は可愛いと思ったぞ!
そうだ、もう一人の恐ろしい宝塚出身キャラ、踊る大走査線の”真矢みき”とぜひ戦わせてみたい。
凄いことになる気がせん??
てか天海の教師の名前、阿久津“真矢”なんですけど!!
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彼氏の運動会を参観!

2005-09-21 01:21:24 | Weblog
先日土曜日、盲学校に通っている彼氏の運動会に父兄気分で応援に行ってきた。
お弁当買ってビデオカメラ持って行ってきた。

昔は恥ずかしいから来ないで!と言っていた彼だったのに、自分から来てほしいと言って来た。
パレードなどの影響で自分のセクシャリティに自信を持ったようで、
学校での様子を見てもらいたいと思うようになったそうだ。

初めて行く盲学校は生徒の年齢幅広く、誰が先生なのかも分からない感じ。
生徒も50人位だろうか、こじんまりとしながらもみんなが助け合って大会を進行させていた。
目が不自由でも一生懸命走ってる小さな生徒を見ると「生きているっていとおしいなあ~」
と本当に元気付けられる。

学校で見る彼はいつもの彼とは違って大人びて見えたし、多くの友達や先生に囲まれた彼は
中々の人気者だった。

先日彼が学校に出した、あの人権作文を読んだ担当の先生から
「あの人が彼氏か?いい人だなあ、運動会にも来てもらって優しいなあ」
とか言われ得意になったらしい。

ちゃんと紹介でも受けたら挨拶したのにな~。
先生もドギマギしたんだとか。
作文についてはどういう扱いにしたもんか未だ悩んでいるらしい。
でも勉強してくれているみたい。
彼もゲイ関連の本なら松山市の図書館にいっぱいあるよと教えたとか。

本当にゲイカップルを目の辺りにして改めて考えてもらえばいいなと思う。

大会中アナウンスをしてた全盲の男の先生がいたのだけど、とても綺麗な声をしていて
「ここはディズニーランドか?!」と思うようだった。
その先生がリレーを実況アナウンスしはじめたのにはびっくりした。
よく見えないはずなのにどっちが勝ってるかとか詳しく説明したり出場選手の紹介をしているのだ。

よく見てみると背中でリレーの様子を見て伝えている別の先生がいて、指点字を駆使して
コーナーのどこを走っているかとかも伝えていたのだ!!
これはすっごいなーと本当に恐れ入った。やはり可能性は無限だなあ!

昼休みに彼の教室や席にある拡大読書器も見せてもらったりと、
彼の学校生活を知るとてもいい一日になった。
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コネ当選は失敗の巻!

2005-09-17 01:41:27 | Weblog
東京では比例名簿人数を超える自民の大勝で議席を社民党におすそ分けしたとか。

以前に問題視していた、愛媛から四国自民党比例名簿15位にて出馬した参議院議員の息子についての続報。

結果は落選した。14位まで当選したが及ばず。

11日の選挙特番の勢いから、もしや当選か!と思ったが、ぎりぎり落選してホッとした。
結局、選挙中も目立った選挙活動をしていたようには思えなかった。
今後の県会議員とか何かの選挙の前哨戦としての名前を売るデビューという感じにも思えなかった。やはり本人のやる気を感じられなかった。

自民党愛媛県連では14位の希望が15位に押しとどめられたことに対し、「面目丸つぶれだ!」といまだ小泉執行部への相当な恨みつらみがあるようだ。
2003年まではあった愛媛枠の比例を今度こそ復活させようと狙っていたらしいのに果たせなかった。しかし、なんでその枠に経験も無い息子を据えるんだ!!??

そのようなやり方がいわゆる旧態全とした ぶっ壊すべき自民党そのものであった。執行部はそのことを理解してあえて順位を下げたとすれば、本当に自民党を変えてしまおうという意思の表れであったのかな?
そういうことであれば、今回の総選挙の流れも少しは救いがあるのだけど。

選挙ぎりぎりの出馬で批判的な記事も書きつらかったのか、地元愛媛新聞は結局、今回議員の息子が出馬したことについて大きく疑問を呈してない、またそのことに対する批判も県民から大きな声として上がっていないように思う。
これが気になって仕方が無いのだ。

そんな人が名簿に乗っていたのか?
そんなこと知らずに自民党に投票してしまったぞ!
と言う人も多かった。

こんな親のコネをなんとも思わない風潮、当然に思ってしまう意識が、今でも愛媛には平気であるのか?といやな気分になってくる。

愛媛からは小選挙区4区からすべて自民党議員が当選した。
民主党から強い候補もでなかった。でも彼ら4人が帰る自民党はもう別物になっているのかも知れない。
そこを愛媛の人間も気がつかないと割を食うだろうな。
いや、すでに自民王国として代議士を生産し続ける愛媛であっても利用されているだけで見返りはなくなってきているように思うのだが。
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「エピソード3」をやっとこさ見た

2005-09-15 00:34:44 | Weblog
なんという悲壮感
自分の能力を過信しすぎた実は凡庸で、甘く、決して賢者ではなかった青年の悲劇。
物語のすべてがひも解かれるにつれ空しく悲しい。
シリーズ最終章の期待感を満足させるには足る物語だったと思う。

民主主義がどのように衰退していくのか?今の日本やアメリカに通じるようなテーマ性も気に入った。
自分の影響力を示し続けるためにあえて、いや自分で火を付け回ってまでも戦争状態を続ける為政者。その欲望の果ては・・。

まるでどこぞの国の大統領のやり方をダブらせたところはこの映画に最高の深みを出していた。

「オーダー66を」連発していくダース・シディアスのシーンは、もしかしてお笑いを狙っているのか!?そんな簡単にジェダイたちを処理しないで欲しかったが、
それは簡単に民主主義を捨てた後の祭りよ!といった具合の切り捨てぶりだ。
ここは心したいところ。

女性の感想でよく聞くけれど、パドメが男に依存した、ただの弱い女に成り下がってしまった!というのは確かに残念だったところ。
男並みに体を張り、女王として、また現在も元老議員として活躍しているはずの強い女性像はいったいどこへ、民主主義の危機である時でも自分のことで精一杯なの?あのアミダラが・・美しさも半減・・。

アナキンとオビワンの関係は本当に悲しい最後なのです。
旧三部作につながる後半はまさに感無量であります。

アナキンがパドメの妊娠を聞き「人生で最高の幸せな時だ・・」というシーンは泣けるのだ。
そうだなー3はいい物語だと思うから、1,2をくっつけてエピ1。3はエピ2とエピ3に分けてもっと丁寧に描いてくれたら新三部作はより伝説的な作品になったのではないかな~。1,2も俺はイマイチに思ってたから。

見終わって映画ロードオブザリングは改めてすごい作品だったなあ、なんて思ってしまうのだ。ルーカス人間描くの下手だよねえ。

最後に政治目線でもう少し、
イラク後のアメリカで2大巨匠が描いた作品「エピソード3」と「宇宙戦争」。
これらの映画では「国のために命をささげよう!」なんて愛国的な主人公は登場しないところが興味深い、なんて誰かが新聞で書いていた。

テロへの不毛な戦いのもと、愛国法まで認めて国を挙げて立ち向かっているらしいアメリカ。
そんな中、映画ではたしかにアナキンは自分の家族のために国や仲間を裏切る。
宇宙戦争のトムクルーズなんて信じられないくらい他人を差し置いて自分の家族だけを守りまくる!
それはもう正義もくそも無いくらいで今までのヒーロー像には無い行動。
まさか、そのとおりの姿をカトリーナで現実に見るとは思わなかったけれど・・。
そんな国とのかかわりを描いて見せてる。

エピ3にあるように愛国なんてことに騙されるな!銀河皇帝を作ったのも国民自体であったのだ!という描き方はバランス感覚の聞いたハリウッドの賢いところと思いたい。映画で社会に影響を与えていくってすばらしいことだよ。でもそこんとこ、アメリカ人はちゃんと読み取ってんのかな~?

絶叫「選ばれし国だったのに~!!」byオビワン
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どう消化したらいいか・・2/3議席

2005-09-13 14:21:24 | Weblog
各局の20時時点で一斉発表した出口調査の結果に愕然、めまいを覚えた。
あまりにも想定以上の勝たせ方をしてしまった。

すべての法律が参議院の否決であっても衆議院の採決だけで決まる。
こんな絶対権力を自民党に与えてよかったのか・・・
ただ、この小選挙区制度では政権の判断をする選挙であるともまざまざ見せ付けた。
今回の判断は、国民が停滞気味に進む改革に喝を入れたということでもある。

国民の判断しだいでは一瞬にして自民党でさえケチョンケチョンの目に会う未来が来るということだ。
何より今回は自民党の方が狡猾で民主は不甲斐なさ過ぎた。
民主に任せられるという状態では決してなかった。
でも、政権交代でチェックしあう状態を作るためには、民主党がどうしても踏ん張って生き返ってもらわねばならない。

次の選挙ではどうなるか分からないな、今回俺も期待してた若者層が相当投票に行ったようだ、その影響が自民の都市部大勝につながったという。
どんな判断であれ、いい傾向だと思いたい。

小泉が豹変したりしないのか、その先の自民党が4年間この数字に固執して勝手にトップを変え続けたりの国民無視をしたら・・・
この先、ええっつ!って思うような国民が付いてイケない展開に初めて今回の選挙の結果を後悔するなんてことが無いことを祈りたいし、そうさせないように国民は注視していきたい。


気になること・・

今回80人もの新人議員が自民で当選したらしい。
この80人は無派閥とさせるらしい、聞こえはいいが小泉直属になってことらしい。小泉チルドレンと呼ばれる彼らは小泉のおかげで当選したといっていいし、崇拝しているとも聞く。その数は、今や最大派閥となった森派50人ちょっとを大幅に超える80人。森派に入れてしまったら信じられない派閥になり批判も出るから分家させるってことなのか。でもこの機会にドンドン小泉の権力は高めていく仕組みを作っていることは確かだ。

今回の小泉の選挙手法に、ブッシュから選挙の専門家集団が届けられてはいないのか?という疑問。ブッシュの選挙に見るように、世論さえ思うがままに操る研究集団がもう存在しているように思う。どういう表現をすれば国民の心をつかむか、何を表現しなければいいのか、国民をどのように追い込めば決断が限定されてくるか・・などなど。国民は自分で判断しているようで操られていた。そんなSFみたいなことも現実化している気がしてるんだけど・・・

そんな不安で結果を思いあぐねている

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