ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

自由・権利の保持義務とカミングアウト

2007-03-03 04:05:25 | Weblog
カミングアウトするかしないか、それは個々の生き方によるものが大きいと思う。

自分がどうでありたいか?それに向き合ってよく考えたことであれば
それぞれの思う判断をすればよいのだと思います。

俺がカミングアウトしようと思い立ったのは、自分にとってしないでいる方が
違和感を感じたし、苦痛と感じることであったし、自分の人生としてそうであり
たくないと思えたからだ。
そのように思えたからそうしてる、それだけのことかもしれない。

一人でも多くの人がカミングアウト出来るようになれば、そのことが社会を変
えていくだろうとは本当に思っているけど、なかなかそうは簡単にいかない。

目立つと危険、そう思えてしまうこの社会では、ゲイをばれない様に生きて
行きたいと思うことも当然のことだと思う。
自分もそのように怯える時を何年も過ごしてきました。

しかし、俺たちの立場をよくしてやろうと思うなら、存在しないままでは不可能だ。

この相反する思いで身動きとれず、行き詰ってしまい
切り開くことも出来なくなってしまうのですよね。本当に厄介な話です。

今、県会議員向けにアンケートを実施していますが、そのやりとりで
憲法12条のことを示してくれた方がいらっしゃいました。

12条にはこう書いてあります。

「この憲法が国民に保障する自由および権利は、
 国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」

基本的人権は認められてはいるけれど、自分たちがたゆまぬ努力で守っていく
必要があると書かれてあるのですね。

先の方は今回のアンケートの行動は、まさに12条の要請に応えたものだと
言ってくれていました。

カミングアウトをすることって言うのは、この12条の精神にのっとった行動で
もあるのだなと思います・・・

さて皆さん、この12条を読んでどう思われますか?

俺はいいや・・そんな面倒でうざったいこと・・
そのような考えがこの国では多くを支配していると思う。

俺もそう思いたいなって時はいっぱいある。
しんどいし、もっと受身でいさせて欲しいと思うもんね。

この受身感覚の中で起こる政治に対する無関心、あきらめ、選挙の低投票率。
この感覚が、憲法改正の足音を大きくさせ、次々と怪しげな法律が決まり・・・

と、私たち国民はひとつひとつと権利を放棄していっているのかもしれない。

それもまた国民の自由だ?・・で済まされることなのかどうか
・・次の世代に申し訳がつくのかどうか

そんな想いが、俺にはよぎってしまうのです。
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