ほんとに27日になりそうみたいですね。リーグ戦最終日。
21人の団体演目なので、僕は将棋行けません。
こじ開けるようにして空けておいたのになぁ、13日の日曜日。非常に残念。
++++
スタニスラフスキーが面白い。19世紀のロシアの演出家です。
演技というものをどう捉えるか、みたいな。
思ったよりも、自分がやってきたパフォーマンスの話とリンクしてる。
「間」とは何か、とか、呼吸の話とか。
++++
ところで将棋指したい。無性に指したい。アマトップの人たちにぶつかってきたい。
うーん朝日アマ出たいなぁ。出れないけど。出たい。
++++
パフォーマンスって案外「やってる内容」ってたいした問題じゃないかも?
ボロが出なければ、なんでも大丈夫な気がする。
ジャグリングでいうと、姿勢とかが崩れなくて、落とさなければ、まず問題ない。
むしろ大事なのは、「リズム」と「エネルギー」じゃないかと。
基本的にはこの二つによって、観客の反応が規定されている気がする。
「リズム」というのは、音で作られるものじゃない。
動きや、表情、視線の変化によって生まれる。
究極的には、呼吸によって制御されているもののはず。
「エネルギー」というのは、自分から発するものの量。
集中力の具合とか、気合の入り具合とか、・・
++++
もちろん、それだけではないんだけど。基本的な部分かなぁと思って。
「言葉」にもリズムなどの技法が色々あるみたい。シェイクスピアのとか。
++++
将棋における論理性は全て棋譜によって規定されるから、時間芸術的な要素は少ない。
例えば、将棋においても「指し手の呼吸」というのは存在するけど、
それは「ここで何分考えてこう指した、それに対して間髪入れず次の手を指した」みたいなリズムの話ではなく、
「ここでじっと手を戻した」など、「手数」を時間軸とした話。
当然、「手数」というものは現実の時間軸とはまた別次元で進行していくものなので、時間芸術的ではない。むしろ数学的。
++++
指し手の解説に終始すると一般人が面白くないというのは、
ジャグリングで細かい技をひたすら並べたものが一般人にとって面白くないのと似てる。
どちらも、そこに流れる現実の時間や人間自身が発するもの、そう、「リズム」と「エネルギー」を全く無視してるんだよね。
21人の団体演目なので、僕は将棋行けません。
こじ開けるようにして空けておいたのになぁ、13日の日曜日。非常に残念。
++++
スタニスラフスキーが面白い。19世紀のロシアの演出家です。
演技というものをどう捉えるか、みたいな。
思ったよりも、自分がやってきたパフォーマンスの話とリンクしてる。
「間」とは何か、とか、呼吸の話とか。
++++
ところで将棋指したい。無性に指したい。アマトップの人たちにぶつかってきたい。
うーん朝日アマ出たいなぁ。出れないけど。出たい。
++++
パフォーマンスって案外「やってる内容」ってたいした問題じゃないかも?
ボロが出なければ、なんでも大丈夫な気がする。
ジャグリングでいうと、姿勢とかが崩れなくて、落とさなければ、まず問題ない。
むしろ大事なのは、「リズム」と「エネルギー」じゃないかと。
基本的にはこの二つによって、観客の反応が規定されている気がする。
「リズム」というのは、音で作られるものじゃない。
動きや、表情、視線の変化によって生まれる。
究極的には、呼吸によって制御されているもののはず。
「エネルギー」というのは、自分から発するものの量。
集中力の具合とか、気合の入り具合とか、・・
++++
もちろん、それだけではないんだけど。基本的な部分かなぁと思って。
「言葉」にもリズムなどの技法が色々あるみたい。シェイクスピアのとか。
++++
将棋における論理性は全て棋譜によって規定されるから、時間芸術的な要素は少ない。
例えば、将棋においても「指し手の呼吸」というのは存在するけど、
それは「ここで何分考えてこう指した、それに対して間髪入れず次の手を指した」みたいなリズムの話ではなく、
「ここでじっと手を戻した」など、「手数」を時間軸とした話。
当然、「手数」というものは現実の時間軸とはまた別次元で進行していくものなので、時間芸術的ではない。むしろ数学的。
++++
指し手の解説に終始すると一般人が面白くないというのは、
ジャグリングで細かい技をひたすら並べたものが一般人にとって面白くないのと似てる。
どちらも、そこに流れる現実の時間や人間自身が発するもの、そう、「リズム」と「エネルギー」を全く無視してるんだよね。