ぺんぺんぐいん

ぺんぎん歩きは卒業したよ。

ラグビー

2006-02-20 02:12:00 | 長々と
急に招待していただけることになって、ラグビーの早稲田vs東芝、見てきました。

学生チームのスポーツ観戦って、初めて。思わず「ワセダ」コールしちゃった。笑

筋骨隆々とはまさにこのことか、と思われる体格の選手たち。
しかもボディビルのそれと違って飾りでは一切なく、フィールド上の格闘にばっちり活かされてます。
早稲田の選手が一人、素で吹っ飛ぶシーンなんかも目撃。うわー、東芝強かった。

早稲田も、前半終了直前までは7失点で善戦してたんだけど。。

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その後は品川に移動して、大OBの方にごちそうになる。(ごちそうさまでした。)
掲示板上でしか存じ上げなかったんですが、とても気さくで、穏やかな語り口調ながらもユーモアの溢れる方でした。
なんか、一昨年フランスで会ったドイツ人ジャグラーにすっごく似てて不思議な気分でした。笑

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自分が同じくらいの年齢になった時、同じように学生と会話できるのかなぁ、とちょっと思った。
ふじ子で5学年差、たかくさ君で8学年差、ベンツ少年で11学年差。25学年くらい違ったら、どうなるんでしょ。

まあそういうのも、年を重ねる楽しみなのかも。

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夜は家族で弟の誕生日祝いパーティー。はるあきくんも参加。

父親が長らく就職試験の面接を担当していた人なので、アドバイスなど。
あ、これも世代間交流だな。僕と父親は27学年差。父親もわりといろんな世代と会話できそうな人だ。

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仕事をそろそろ探さねばならない。何をどうやると、お金がもらえるんでしょ。

でもなー 

大道芸して世界まわって、それで食べていけたらいい人生だと思うよ。
わりと心底そう思うけどなぁ。これっておかしい?

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以下だらだら書き殴っただけなので読まない方がよいかと思われます。せっかく書いたから、残しておくだけ。なんかすいません。

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なんとなく、特に根拠もなく、それは普通じゃないんだろうなぁ、って思うから

最近は国際開発関連の団体とか入って、たぶん春からはマイムに通うヒマもなくて、
映画観たりコメディーたくさん観たりするヒマもなくて、新たにダンスを習う時間もなくて、
どんどん離れていってしまう気がするけど。。

身体能力の才能もないと思うし、笑いを作る才能もないと思うし、まあないない尽くしなんだけど、
それでも、うーん やりたいなぁ。とりあえずいろいろたくさん観たい。

で、エンターテイメントの仕掛けを研究したい。
何をどうやると人の心は興奮状態になるのか。どうしたら感動するのか。
どうしたら共感を呼び起こすのか。どんな心象風景に人は酔いしれるのか。

疑問を解明したい。心底したい。したいしたいしたい。

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会社業務は、という言い方で一般化するのもどうかと思うけど、たぶんどうやっても僕は興味を持たない。

やれば、きっと面白いんだろうし、器用にそれなりにこなせるんだろうなとは思う。
でも、じゃあ生きてる時間の大半を割いてそういうことしてそれなりに良い給料もらいたいかというと、全くもらいたくない。

それなら、それこそインドで乞食でもするよ。で、蠅と戯れながら死んでいくの。
自分が感じていること考えていることに耳を澄ませて、見つめて、そうやって生きていないと生きていけない。

大げさかな?でもそんな大げさじゃないよ。
自分はなんで生きてるのかって考えたら、自分にとって確実なものは何かって考えたら、
今の自分にとってそれは、自分が感じ取っていること、と、自分が考えていること、の二つだから。

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わかんないけど、将棋でもそうだったと思うんだけど、
感覚で捉えているものを言語化するのってわりと得意なんじゃないかと思う。

理論化されてないものを理論化する作業とか。
自分が感じていることに敏感になって、それを言葉で表現する作業、したい。

んーやっぱエンターテイメントについて研究したい。少なくとも今は。それがどうやったら仕事になるのかわからんけど。
自分が何を感じて、どういう作用が働いて、どういうメカニズムで、愉しんでるのか、ってすごく興味あるんだけどなぁ。

それをやるためには、芸術全般についても学ぶ必要があると思う。
アートとエンターテイメントって、隣り合わせだから。

でもエンターテイメントの研究って、アカデミックな分野としてやってる人いなさそう・・
どういう仕事があるんでしょ。評論とか書くのかな?

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まあ学生団体の方は、会社に入らないのであれば組織としての活動をタダで学ぶチャンスだから一種の投資と考えよう。
なんかこういうのを責任者の立場に立ってやってる経験があると、就活とか楽勝らしい。

まあたしかに サークルとかとは比べ物にならないほど、体系化されてる。
もちろん実際の会社の方が、遥かに複雑で体系化された組織に仕上がってるんだとは思うけど。

各種調整、議事録、報告書、企画書、とかなんとか、さらに外国語での議論とか、まあプラスになりそうだよね。
開発学というのも、もし大学院に副専攻があれば学びたい分野ではある。

こちらに関しては、とりあえず途上国の現場を見たりなんだりしてから考えるつもり。

ちなみに、団体の仕事もちゃんとこなしてる。えへ。

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何かいい職場あるのかな?芸能関連の会社とか?
でもそういう会社入っても、演出の力とか身につくわけじゃないしましてや理論化の作業とは程遠い。

そうなるとやっぱ大学院以外居場所が見当たらないよ。
やりたいことの方向性は、そんなに見当ハズレじゃないと思うんだけど。
これまでやってきたことが集約されそうな気がしてるから。

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キーワードは、いくつか挙げられる。

非言語コミュニケーション。エンターテイメント。表現。
パフォーマンス。理論化。精神作用。笑い。身体性。遊び。などなど。

ちょこちょこと、関連する論文とかピックアップしたりもしてる。本も入手したり。

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今の学部の、「表象文化論」って学科は「イメージ」というものを扱う学問らしい。
芸術全般を扱うのみならず、もっと広い分野を扱うことのできる比較的新しい分野で、
東大にこの学科ができたのは1986年。

従来の学問・芸術分野を横断するようにして、研究者や表現者、アーティストのネットワークを作り出すものらしい。

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あ、これですよね。これ。どう考えてもこれ。
どの教授に師事すればいいのかよくわかんないけど、ここが進学すべき所と思われる。

あとは問題は、ある程度は既存の学問に沿った部分からアプローチせねばならないことだ。
その際に、何を選ぶか。これが、卒論を書くに当たって選ぶべきテーマ。

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うーん、意外と思ったよりも院進学のビジョンがしっかりしてるな、自分。
そして既存の学問を学ぶ話が一番後回しになるあたり、自分らしい。

生活費くらいは自分で稼げると思う。院行くか。で、本気で勉強するか。それがわかりやすいよね。

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ぶると話す時、話題は必ず「原論」的な話になる。プロ野球がどうとか、なんとか、そんな話には一切ならなくて。

すっごく、世界の原理的な部分、根源的な部分の話をいつもしてる。
たぶん、自分は仕事を与えられるとかなんとかではなくて、社会を動かす立場になるとかでもなくて、
自分にとっての世界がどうやってできてるのかを見聞きして考察して理論化したい人なんだと思う。

今の自分にとって、一番気になる世界は、エンターテイメント。いかに人は愉しむのか。
そんなに、蓄積のある分野じゃないよねぇ。でもいろんなジャンルと結びつく可能性のある分野でもあると思う。

いやそれ以前に、エンターテイメントそのものは西欧で言えば古代ギリシャ時代からあったものなわけだ。
ジャグリングもマイムもその時代からあったわけで。

ほかの地域でだって、ずっとずっと、太古の昔からあったもん。
どうアプローチするのかはまた考えないといけないけど、これを研究対象とすることになんの問題もあるまい。

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次に興味があるのが、国際問題関連。「自分が生きているということは、いかなる犠牲の上に成り立ってるのか。」

自分にとっての世界とは、今のところその二つで、それぞれの世界について、自分なりに究めたい。
それは理論化するということでもあるし、でもそれだけじゃなくて、
見聞きして、感じて、体感して、実感して、実際に何か行動に移して・・

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あ、なんかエンターテイメントと国際協力って関連性ないなー と思ってたんだけど、実は対極にある分野としてつながってる。

かたや、「いかにして人間は愉しむのか」。

かたや、「そのようにして平安に生きている人間の背後で、どんな犠牲が伴われているのか」。

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うん。なんと言われても、たぶん今の自分にとって自分がもっともリアルに感じている世界はその両者であって、
その両者にそれぞれアプローチしていけないと、歩を進めていけないと、たぶん自分はどうやっても納得しないし満足しない。

うん。そんな感じ。

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あーなんか考えがだいぶ整理された。文章はむちゃくちゃのままだけど。。
この二つについて突き詰めることができないと、たぶん生きていけないです。自分は。

キャリアがどうとかじゃないです。お金がどうとかでもない。
たぶん好奇心が先に立ってて、それで生きてる。好奇心が原動力で生きてるようなもんだ。
お金はほんと最低限あればいいや。ご飯と味噌汁と焼き魚とお漬物があれば毎日生きてけるよ。

インドで乞食して蠅と戯れるのも、なんか悟りとか開けそうで良いんじゃん?笑

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あーなんかふっきれたかも?ていうかここでふっきれないとわざわざ留年した意味もないですね。

はいはい。がんばる。

別に20年後、同級生が年収5000万で豪邸に住んでても、たぶんあんま羨ましくない。
いや羨ましいかもしれないけど笑、少なくとも、「お金持ちになる仕事に就けばよかったな」と後悔することは絶対無い。

だって、世界がどうなってるか知りたいじゃん。で、それだけ知って死んでくの。

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ああ、そうかそういう運命だったのか。もう仕方ないね。

なんか手が震えてる。なんでだろ。

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話は飛ぶけど、受験勉強をした期間は、ムダだったけど、でもムダじゃなくて、ちょっと幅が広がった。
その前までの自分の世界は、将棋盤の中だったから。

で、それと同時に、「おぉ自分いわゆるエリートじゃない??」って勘違いしちゃったんだよねたぶん。
なんか、「せっかく東大入ったんだから」みたいに刷り込まれちゃった。
官僚とか有能ビジネスマンとかさぁ 理系ならバリバリの研究職とかさぁ

どこから見ても「東大生」なんてガラじゃないね。笑 元々将棋だけやって生きてたんだし。自分は自分。
来週の土日は東大入試の日。ふっきるのに丸4年かかったかー

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友だちにこないだ他己紹介された時、
「授業に出てなくてもしっかり単位がとれちゃう人」
みたいな紹介のされ方したけど、たぶん、それだけで人生終わっちゃもったいないよ。すごくもったいない。

器用に、手際よく、物事こなしてるだけじゃさぁ 

それって、ホントにやりたいことは別にあって、でも名目上の本職は別にあって、
で、その名目上の本職を手抜きしてこなしてるってことじゃん。

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あー覚悟できた。たぶん。すっきり。たぶん。
でも人生あきらめた、とは思ってない。生きるってこういうことか。やりたいことやるってことか。

もちろん、周りの人のおかげで自分が安心に暮らしていけてる、ってのもわかってる。むちゃくちゃ感謝してる。
ご飯食べさせてもらって、まだ全部お金を払いきれてない家に住まわせてもらって、洗濯とかしてもらって、
話相手がいて、遊び相手がいて、メールの相手がいて、将棋指す相手がいて、
よくわかんないけど知らない人までこのブログ読んでくれたりして。

だから、そこに還元していくのは当然のこと。
でも、その感謝の念とか畏敬の念とかなんとかとかとは全く別に、自分自身のやりたいことがある。

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「いかにして人間は愉しむのか。」
「その背後でどんな犠牲が払われているのか。」

とりあえずこの二つを、テーマにして取り組んでみよう。

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あー5500字思いつくままに書き殴って得られたのはこれだけだね。短いね。人生も短い。

でまあ万が一最後まで読んだ人がいたなら、今度ビスコをおごりますので申し出てください。

金持ち父さんの話って

2006-02-14 22:50:12 | 長々と
小学生とか中学生の勉強の話に似てるなぁと思う。

どうでもいいけど将棋って、たぶん、盤の前に座ってる時に強くなるんじゃない。
盤の前にたくさん座って、で、「盤から離れた時にまだ将棋のことを考えているかどうか」で決まる。たぶん。

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受験も同じで、たくさん机の前に座った人がいい点を取るんじゃなくて、
机の前から離れてもまだ「さっきの数学の問題はこんな解き方もあったなぁ」とかなんとか考えてる人の点が良くなる。

極端な話、一切机の前に座らなくたって成績ってよくなる。

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まあ「成績が伸びるのは良いことか」と聞かれたら、「全く良いことじゃないよ」って答えるけど。。

なんでかっていうと、いい点を取ると次もまたいい点を取りたくなっちゃうから。

金持ち父さんなら、「退屈している人ほど、いい点を取りたくなるものだ。」って言うんじゃないかな。
親も先生も褒めてくれるから、ますますいい点取りたくなっちゃう。

麻薬みたいなもんだよね。

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勉強したらどうなるのか?もう勉強しなくてよくなるのか?

違う。ますますやるべき勉強が増えるんだ。

そうして増えた勉強をこなせば、また次の勉強が待っている。
その勉強をこなせば、さらに増えた勉強が待っている。キリはない。
学校を卒業するまでその繰り返しだ。

そして大学を卒業する頃になってこう言われるんだ。

「これまでやってきた勉強は、社会では大して役に立たないからね。」

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もちろん中には一生懸命勉強して充実した楽しい生活を送っている人もいる。

でもそんな人は、誰に認められなくても勉強が好きで好きでしょうがない人たちだ。

そんなに好きなのであれば、思う存分やればいい。

しかしほかのことが好きなのであれば、そのことを一生懸命やればいい。

多くの人は、「楽して点を取ろう」とか、「これだけ勉強したのだから良い成績が欲しい」とか、
点数という見返りばかり期待して、そのために勉強している。

点数の奴隷だ。

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学校には、二通りいる。

点数のことばかり考えてあくせくして大して点数がとれない人と、
点数も授業も気にせず勉強をして、悠々と点数も取っている人たちだ。

あくせくして高い点数を取っている人もいる。
しかしそういう人たちは勉強を非常に辛く感じているか、
もう感覚が完全にマヒして、やりたくもないことに時間を割くのが当たり前になってしまったかのどちらかだ。


学校の枠を気にせず勉強をして、点数は低いままの人もいる。
しかしそういう人たちは、やりたい勉強を存分にやっているのだから満足できる。
それに、やりたいように一生懸命やることができるのなら、いざ点を取ろうと思った時にも必ず取ることができる。
好きなことに自発的に取り組む過程で、多くのことを学べるからだ。


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ただ、「点を取らない」学校生活を送るには、ちょっと覚悟がいる。

みんな「誰々は成績がいい」とかなんとかすぐ気にするからね。

点数なんて気にしないで、学校で習う内容も気にしないで、
本当に面白いと思える勉強に取り組んでいたら、点数は取りたい時に取れるようになる。

それに、大学生になれば半数近くの人は成績なんてどうでもよくなる。
そんなことは大した問題じゃないと気付くからだ。

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面白いと思える勉強に出会ったことがない?

あぁ、それは学校教育にヤラれているね。
学校という所はモノを教えてくれる代わりに、生徒の頭をマヒさせる所なんだ。

・・・


以下略。

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あ、すごいすごい。
これって「点数」を「お金」に換えれば、全て金持ち父さんの話と一致する。

ただ点数の問題からはせいぜい高校か大学くらいで解放されるけど、お金の話は一生ついてまわるから、
その欲の魔力にひっかかりっぱなしの人が後を絶たない、って金持ち父さんは言いたいんだろうなぁ。

その場合は、死んだ後の自分の気分を考えてみたらいいのかも。
死んだ後の自分が振り返った時、どういう生き方をしてればよかったなぁと思うんでしょ。

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どうでもいいけど金持ち父さんの話とユダヤ人大富豪の話はほとんど全く一緒だ。

パクリ?ゴーストライター?何か有名な元ネタがあったとか?まあなんでもいっか。

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ただし、一つ言っておかないといけない。

人によっては、わざわざ好きなことを見つけるよりも、先生の言うとおりにやった方が楽なこともある。
好きなことを見つけて実行するというのは、不安や、悩みや、葛藤、時には苛立ちなどの感情を伴うものだからだ。

これらの感情に苛まれるようなら、無理はしない方がいい。そこは人それぞれだからだ。
それに、先生や親の言う通りに勉強して、それでうまくいく人も中にはいる。

問題は、自分はどちらを望むか、だ。

望みさえすれば、自分には無理だと思いさえしなければ、誰にでも、

・・

以下略。(こっから先は、まだ自分でも実行できてないから。)

ぜーんぶ、金持ち父さんの言葉の翻訳です。

ただ、点数は世界の皆が幸せになるように祈って、実際に行動して、ってしてもあまり効果がないのに対して、
お金は、(金持ち父さんの言うところによれば)世界の皆が幸せになるように心から願い、実行することで自然に増えていくものだ、
という点が相違点かな?

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だから上に書いたような点数に関する教訓話をしてもあまり意味はないぽい。

一応、金持ち父さんの本に書いてあるのと同じことをすれば、なんの辛いこともなく成績は上がると思う。

でもやっぱ大事なのは成績じゃないね。

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で、たぶん大学生や社会人になれば、その多くの人が
「結局、成績ってあまり関係ないよね」ってところに賛同すると思う。

だけど、「結局、お金を追い求めてもしょうがないよね」ってところにはなかなか賛同できないわけですね。笑

面白いことだ。