ぺんぺんぐいん

ぺんぎん歩きは卒業したよ。

そいや

2007-11-29 01:49:26 | いろいろ
最近めっきりサーカスの話とか書いてないですけど、

http://diary.jp.aol.com/cp569frs/206.html

いちおう10月にはフランスで、
フランスの国立サーカス芸術センター日本人初の卒業生の方と会って、話して、
ジャグリングしてきてました。

+++++

地味に、駒場祭も一瞬出てました。あーまた演技を磨きたいな。



どうでもいいけど今24時間連続で起きていて、
その間はずっと移動、メール、翻訳作業&勤務、資料作成、会議、飲み。

これからたぶん寝る間もなく発表準備うぃせねばならず、発表をこなし、
勤務に行き、夜はまた別のミーティング。

で、恐らくは明日の夜には寝ることができて、
しかし42時間置き続けた後なのに結局7時間くらいしか寝ることができなくて、
また金曜の朝から出勤して、夜にはまた用事。
航空券の代金振込みも忘れないようにしないと。

さすがに若干きびしい気がしてきた。眠りたい。

言動がありえない人。

2007-11-29 01:27:31 | いろいろ
たまにいるんだよね。びっくりー?!?!な人。
ええっっそんなことまでハッキリ言っちゃうの?!?!みたいな。

面白いわー。

その人なりに芯が通っていればそれで全く問題ないと思うし。

まあその人と接していたく傷ついてしまう人はいるかもしれないから、
ずばずば他人を否定しちゃったりする人は(もちろん否定の仕方・度合いもいろいろだけれども)
合う人、合わない人いるんだろうなと思いつつ。

++++

でも、すごいよくわかる。

アメリカ的なのかな。わからん。
アジア人は日本人と似ている部分がとても多い気がする。

他方、フランス人とかは例えば舞台で日本語が出てきたら
「はぁ?!中国語しゃべってんじゃねーよ」みたいなことを野次る人もいるらしいので
そのへんは人種差別意識と相まってなんともわからないけれども。

+++

ただ、最近気付いたこと。

英語は、NOって言い易いんです。

否定疑問文に対して、「相手の言うことが正しい」時にも「NO」と応えるケースが存在するから。

日本語で「いいえ」と言うときはほとんどの場合、「相手の言うことを否定する時」。
だから「いいえ」と言いにくい部分が(感覚的に)あるのではないかと最近よく思う。

++++

いずれにせよなんにせよ。

言動がまったく異なる人と接して初めて、
自分たちが特定の文化圏の文化的規範に従って生きていることを自覚させられる。

いまだ人類は共通の価値観を見つけられないでいる。
「生命を大切にする」とかそのあたりは共有できてそうだけど。

世の中にはいろんな人がいて、また案外それぞれに魅力的だったりするのです。

++++

12月6-9で北京ということで最終決定。
そのまま10-16まで、本郷に釘付けです。学生会議。

面白いこと、退屈を吹き飛ばしてくれるものは、案外目の前にあるのかもしれない。

てか会議とか、間違いなく刺激的。
これまで国際交流の団体の代表をやってきたような人たちがたくさん集まっていて。

++++

風邪だけひかないように、気をつけなきゃ。



それにしてもあの人を食ったような物言い。いい加減な言い草。

「将来は小説も書いてみたいんですよね」

「ていうか進路なんてなんでもいいと思う」

そうしてある程度圧倒的な能力と(たぶん)けっこうな人望も備えているという。



日本だと少々生きにくいのかもしれないけれど
(やっぱりまあわからないんだけど)

ほんと今日は衝撃的でした。おもしろかったわー。

SNSと政治

2007-11-28 15:53:09 | いろいろ
おー 

アメリカではすでにSNS大手のひとつ、Face Bookが
来たる1年後の大統領選に向けて、テレビメディアと提携した模様。

+++++

ちょっとぼくは 世界のお金の分布図と権力の分布図がいまいちよくわかっていないのですが

SNS系の企業も、時価総額で計られているだけじゃなくて
もろもろ権力と結びついたりするようになるのでしょうか。

+++++

政治と経済。力と金。

あ、でもここ1、2年くらいのトレンドでいうと、
情報分野は一般市民=マスから発信される情報にすごく影響を受けるようになっていて、
例えばブログから情報収集してくるツールがだーいぶ開発されるようになってるみたいですね。

マス的にあふれる情報の中から少しでもユーザがほしい情報を集めてくる仕組みの開発がホットらしい。

+++++

冷戦体制が終焉しますます進む経済のグローバル化の中、
70年代80年代に成長を遂げた国々の間で、格差が進行している。

日本だけではなく。

今日買ったニューズウィークによると韓国・台湾・シンガポール・香港でも
格差が果てしなく広がっていっているらしい。

記事中に、「国立台湾大学の入学者のうち、エリート高校10校の出身者は6割を越えた」ともあった。

そういえば今年3月に、国立台湾大学の中でもさらに優秀な学生が集まっているであろう、
国際交流活動を大学と協力しながら推進していく団体のグループには、
台湾のトップ女子高校の卒業生も多くいてちょっとびっくりしたんだっけ。

+++

戦後、多くの国民が貧しかった頃は、多くの人物が無一文からでも這い上がった。

しかし、裕福な層と貧しい層が分かれてはじめるにつれ、
その裕福な層の子供はまた高学歴な道を歩む。習い事から塾から、教育には基本的にはお金がかかる。
格差の再生産が、徐々に進行していった。らしい。

(フランスのブルデューさんは、教養の高低が経済力の高低につながることを主張したと思うのだけれど、
 日本ではあまり「教養面」に着目した話は聞かないですね、気のせい???)

++++

ところで2年前くらいに、有限会社という形態がなくなって株式会社に統一されましたね。
株式会社という形態は19世紀くらいから増えてきたんだっけ??

当時、会社の価値は何で計られていたのでしょう??

例えば最近では学校教師は「忙しい」「給料もすくない」とか
「PTAの相手でたいへん」とかなんとかいわれてますが
明治時代なんかにはたいへん尊敬される職業だった模様。

職業やその組織である会社に対する世間の評価基準というものは、
時代によってかわってきているものだと思うのです。

+++

最近、気持ち悪いくらいに話題になっている社会事業家たちが採っている形態はNPO。
これは、利益を株主に還元せず事業目的に再投資する仕組みになっています。
だから、株価の変動等に左右されず運営していけるメリットがある。らしい。

CSRなんかも盛んに叫ばれていますけれども、大手企業はほんとこぞってCSRに力を入れるようになりましたね。
この5年くらい??

それは、企業が持続可能な社会を担うアクターの一員であるという意識が
浸透してきたことの表れですよねぇ。

+++++

さて。

ネット=情報 という分野の台頭およびチカラやカネ、マスと結びつく現象、
グローバル化による格差の進行、
事業形態の変遷とその評価の変遷。

+++++

うーんそれぞれ密接に絡んでいるようで

頭の中で整理しきれない。あらら。

ぼくの中でのキーワードは「市民社会」なんだけど。なにがどうなるんでしょ。
んー もやもや。

+++++

そして今翻訳の勤務中です。ブログ1600字も書いてしまった。

うおうお

2007-11-27 20:11:47 | いろいろ
ふと気になって、自分がいまやるべきことを全て書き出してみた。

・・・

やばい。やばすぎる。山積みだ。やまづみくん。

++

特に根拠もなく「最近は時間に余裕がある」と思っていたら
明らかに思い込みでしかなかった。
どおりでなんとなくもやもやしていたわけだ。

AISEP直前期に負けず劣らずの状態なのかもしれない。
たしかにほとんど毎日終電帰りって明らかにおかしい。

それなのに自分はヒマなはず、特に何もやらなくていいはず、って思い込んでたから
妙にやるべきことが溜まりに溜まってしまい。 



覚悟を決めて、ばりばり動くようにします。

++

それにしても就職活動、終わりが無いというのはなかなか大変なことですね

はろはろ

2007-11-27 03:57:22 | いろいろ
ねむい。

人のブログにコメントしようとしたら、
「コメントは最大500文字までです」とか表示されて困りましたw

なのでココに書きまする。

元ブログはこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/shennmulu/38106434.html

一般向けのパフォーマンスをするのと、自己表現を追及することの、
どちらをとるべきなのか色々考えている後輩のブログでした。

+++++

最高美を追求すればいいんじゃないの?w

学園祭とかなら多様な人が見に来てるわけだし。
サークル員の自己表現の場でもあるわけだし。

ただ、たとえば幼稚園のお楽しみ会の営業に行って、
暗黒舞踏みたいのを見せるのは、
1)先方の依頼を受けている(=先方のニーズに合わせる必要性)
2)暗黒舞踏のようなわけわからないものは、
  「幼稚園児に見せたいもの」という依頼者のニーズにそぐわないであろうこと
から、不適切と考えられる。けど。

+++

もちろん学園祭のような多様な人がいて、かつ、
「自己表現のための場」という要素がある場においても、
もし演者の自己表現を追及したものが、
見に来ている人のある程度多数が「つまらない」と思うようなものであれば
自己表現を追及することに懐疑的になるのもうなづける。

そういう場合、「自分の表現したいこと」群と、「観客の求めているもの」群との
ある程度の刷り合わせを試みるのも良いだろう。

++

さて「一般ウケするものを」という話の由来については

「ジャグラーしかわからんようなマニアックなものをやるのはまずいんでないの?」
という話なんだと認識してる。

例えばまらばりステージは案外サークル員やジャグリング関係者が
観客の6-7割を占めていたりして、
「関係者しか楽しめないものではなく、学園祭に来たより多くの人が楽しめるものを」
という目的の下にステージを構成するのであれば、
ジャグリング専門知識の無い人たちでも楽しめる演技内容を作る必要があるだろう。

それは例えば、「超難易度の高いが地味な技を、汚くよろよろしながらでもやる」よりは
「難易度は(ジャグラー的には)易しいものでも、形も綺麗にできる技を多く取り入れる」
という姿勢を打ち出すなどして実現される。

(ちなみにこれは、ジャグリングの専門知識がなければ、
 技の難易度は相対的に理解しづらく、難易度の高い技を
 やることにこだわる意義が若干薄れることに由来する判断。)

++

だから、まらばりで言う「一般向け」の話と、
「自己表現か、観客の嗜好に合わせるか」という命題とは、厳密には少し違うと思う。

前者においては、
「ジャグリング技術を専門的に知っている人にはウケるが、
 ジャグリングをよく知らない人相手にはもっと別のやり方の方が
 ウケが良いようなパフォーマンス」が問題となる。

他方、後者はもっと一般的な話で、
たとえば専務のパフォーマンスも、ジャグリング技術に特化したものではなく、
いわゆる芸術的なパフォーマンスのため、
もし専務のパフォーマンスを駒場祭でやることの是非を問うのであれば、
こちらの枠組みで考える必要があると思う。

++

ただし、ダリの例については一言指摘したくて。

ダリはたしかに「わからない芸術」の例として適切だけど、
一般の人が見に行くに際してはけっこう「わからないものを見に行く」
という意識が強いんじゃないかと思う。
それで解説読んでわかった気になってみたりして。

それは、ダリが社会的に認められているからこそ、
「わからないけど、(有名だし)見に行ってみたい」という奇特な感情が
一般人にも起きるわけだよね。

自分のパフォーマンスと比較対象して考えるなら、
本当にわけのわからなくて、かつ、まったく無名な現代芸術を考えるといいのでは。
そして、そういう現代芸術に、わざわざ足を運ぶ一般人はなかなかいないよね。

++

「自己表現が許されない場」はなかなかないと思う。

幼稚園の例だって、ある程度ちゃんと幼稚園児も愉しませる内容が含まれているなら、
幼稚園児がぽかーんとするような謎な演技をちょっとやったって
クライアントが不満に思うことはないだろう。

また、観客が全く愉しまなかったとしても、
なにかしらの影響を観客に与えることもできるかもしれない。
「ふうん。へんなの。」としか思われないとしても、
少なくとも「へんなの。」と思ってくれてるわけだから、反応は0ではない。
「なんでこの演者はこんなことやってんだろ?」と少しでも考えてくれたなら、
それで成功といえるかもしれないわけで。
「なにかを感じてくれた」ら良しとする、というのもアリ。

だから無名の現代芸術だって、学園祭に展示することは全然アリだとぼくは思う。

++

なんかコメント記入の欄が小さくて、
今どれだけ長々と書き連ねているのかよくわからないけどwww、

専務の今回のパフォーマンスは、
まあ、ぽかーんとした人は(特に前半部分で)わりかしいるとは思うけどね。^^;

もしも、まらばりステージが、まらばりステージに見に来る人の
大多数が本当に見たいものだけを提供するために開催されているのであれば、
適切なパフォーマンスではなかったと言える、かもしれない。

でも、駒場祭のステージは自己表現の場としての要素もあると思うし、
専務のパフォーマンスを面白いと思わないような人に対して
「こういうのもアリでしょ?」と敢えて問題提起する、
という意義もあったと思う。

+++

ま、個人的には、震えが来たパフォーマンスは専務のだけだったから、
むしろ断然愉しませてもらったわけなのだけれども。

と、諸々専務のパフォーマンスを引き合いに出してしまい
しかも長々と書いてしまいましたがどうなんでしょ。

++

バレエのも諸々つっこみたいところはあるのだけれども。

それも社会的権威をすでに獲得しているところが大きい。
すでに、「一般的な個人のわかる/わからない」によって
内容の是非を問うことはできないと思われる。

個人的に理解できなくても例えば「バレエを見た」ことでもう満足する観客もいるだろうし、
個人的に理解できなくても例えば「理解したければ、ちゃんと事前学習してきなさい」
と言うことすらまかり通るだろう。

まあそんなところで。

もろもろおつかれー

++


なんで人のブログに3000文字もwww

最近は

2007-11-24 01:43:56 | いろいろ
終電帰りの毎日。相変わらず特に遊んでいるわけではないのだけれど。

なぜだー

それで毎日朝から出かけてるもんだから、さすがに体の調子が、、

+++

でもこれでもなんとかなってるんだから、就職して
「深夜2時まで仕事して次の日は朝8時出発」とかになっても、
そこまでたいしたことないかもしれない。

将棋やってた時だってそれくらいしてた時期もあったわけで。

ばりばり働こう。



んー 

生きてる間になにがしたいのでしょう。なやむところ。



12ヶ国語くらい話せる人にはなってみたいけれど。
でも語学マニアになりたいわけではなく。

文学とか哲学とか読み耽って、大自然の中で自己との対話を重ねていくのも面白そうだけど。
世捨て人になりたいわけでもなく。

世界中のお祭りを見てまわりたいけれども。
ただお祭りを観光するのが好きな人になりたいわけでもなく。

うーん、なんでしょう。なにがしたいのでしょう。

+++

最近は音楽をたくさん聴いていてなんとなく幸せな日々。
世界中の音楽も聴いてみたいね。



「世界の果てを生で見たい」というのもひとつある気がしてる。

いわゆる大人気企業の、明らかに非人間的な職場環境というのもそのひとつ。
マネーゲームの極致にいるような人たちの世界も覗いてみたい。

他方、サバンナとかで自給自足してる部族の中に入り込んでもみたい。



なんだなんだ、なにをすればいいんでしょう。
2月にフランスへ行く予定。中東経由とかできるのかな。

ドバイとか、少し見てきたい。
でも、うーん。ただ行ってさらっと見て終わりじゃつまらなくて。



結局は世界とのかかわりかたがよくわかってない。



本とか書いて出したいと思ってた。

でもそれは目的になりえない。
意義あることをやってれば出版する機会はどうやらいくらでもある。
来年夏に出す本の編集にも携わり中。



さまざまな世界の最高峰の人たちと交流を深めたいとも思ってた。

やはりそれも目的になりえない。
自分がこれと思うことを一生懸命やっていれば、
遅かれ早かれたどりつくこと。



うーん。つかみたいものをつかみきれてないような、

つかみたいものがよくわかってなくてなにをつかんでいいのかわからないような、

宙ぶらりんな気分。



語学とか、芸術とか、学問とか、体を鍛えることとか、そういう基本的なところは押さえるとして、

その上で、んーなにをどうしたいのでしょう。

なにか自分にできることないものか。

++++++++++

Five Hundred Twenty-Five Thousand Six Hundred Minutes

Five Hundred Twenty-Five Thousand Moments So Dear

Five Hundred Twenty-Five Thousand Six Hundred Minutes

How Do you Measure - Measure A Year ?

In Daylights - In Sunsets

In Midnights - In Cups Of Coffee

In Inches - In Miles

In Laughter - In Strife

In - Five Hundred Twenty-Five Thousand Six Hundred Minutes

How Do You Measure A Year In The Life

++++++++++++

うーん 音楽聴いてばかり。

1年は52万5600分。

1分1分、どんな風に過ごしていくのでしょう。

今日は300分くらい音楽聴いてたやもしれん。

まわりくどい

2007-11-21 01:59:29 | いろいろ
とある人気企業の人に会った。

なんか学生に就職活動アドバイスをしてまわるという業務をこなし中らしい。

まるまる1時間もお話におつきあいいただき、アドバイスもらってました。

+++

『学生時代なにをやりましたか?』という質問に関しては
「話す内容に困らないでしょ。いいなぁ」とよく言われるのですが

普通にこれ、話しきれません><

今日も1時間お話じっくり付き合ってくださいましたが
将棋の話で爆笑したりしているだけで、あっという間に1時間。

ジャグリングの話も少ししたけれど、AISEPも北京大学の話もなにもするヒマなし。



いかに短く、魅力的な形にまとめるかと考えると、5分程度与えられただけの時間では、
特になにもしないまま大学時代をすごした人と、あんま差がつかない気がする。

それは、1時間の持ち時間で将棋するのと3秒将棋で指すのとの違いと似た感じで。
短距離決戦では出し切れない部分が多い。

+++

「自分にはがんばる力があります」

ということと、

「自分は伸びてゆけます」

ということ、おおまかに言ってこの二つをアピールできたらいいんだって。
根性なり熱意なりと、素直さとか前向きさとも言い換えられるのでしょうか。

+++

ほかにももちろんいろんな、アピールポイントの仕方を聞きますが 
果たして、ちゃんと相手に伝わるようなものに仕上がるのでしょうか><

なんか、大学の総長に会う時も、その直前にべつの先生から遠まわしに
「もっと短くまとめなさい」
とゆうことを言われてしまったwww



ブログもいつも長いし、どうも僕は短くすっきりまとめるのが苦手な模様。

スピーチも10分くらい与えられたら諸々力を発揮すると思うのだけど。
短く印象深く感動を与えるような話ができる人になりたいところ。



うひ

でんわ

2007-11-20 00:15:02 | いろいろ
気付いたらひろせくんもかたがみさんも随分と有名になってしまいました。

なので

もろもろ気軽にブログのネタにできなくなりました。ざんねん。

+++

おほほほ。月日の経つのは早いもので。。

+++

あー。そうか利益をあげるために活動するのか。
働くってことは学生生活とは全く違うわけね。

今日はそんな文章を読んですごく納得した。

荒海の中から"利益"をかっさらってくるような技術と意志が必要になる場所、
それが社会なんだって。別世界だよね。

将棋で勝つためにやるのと一緒で、やっぱり面白いのかもしれないけど。



でもさ、時代はかわってくじゃん。

四次元ポケットはいまだにないかもしれないけれど、
"知識の"四次元ポケットは生まれてしまった。インターネット。

資本も人脈もなく、日々画面に向かうだけでお金が気軽に稼げるようになった。



緒方貞子は「政治」と「技術」で世界が動いていくと言った。
20世紀を率いたのは「冷戦構造の崩壊」と「グローバリゼーション」であるとのこと。

シリコンバレーを代表するベンチャーキャピタリストの一人、原丈人は、
「経済が文化をつくり、技術が政治をつくる」と言った。

王権時代には豪奢な宮殿なりが作られそれが文化となり、
あるいは印刷技術や輸送手段の発達により、民主主義が可能となったとのこと。

++++

世界がどう変わっていくのか、というのは絶えず気になるところ。

例えば少なくとももう10年以上前から文系最優秀のアメリカの学生は
投資銀行やらコンサルティングファームに入るようになっていて。

今、東大の中でも優秀と言われる学生は投資銀行・コンサルティングファームに進む人が多い。
官僚の人気は確実に落ちている。

アジアの学生を振り返ってみても、僕の知る限り、
北京やら香港に台湾、シンガポールの学生でも、
やはりいわゆる優秀どころはたいてい、投資銀行にコンサル。

(あるいはgoogleも?今日、スタンフォード工学部の人と
 チャットで話していたらgoogleはすでに見学済みとのことだった、、やっぱ食堂は良いらしいw)



世の中の流行廃りがある中で、10年以上続いてきた流れに乗るのはちょっとあぶないんでないの、
たとえその業界の先細りする姿が見えないにしても、とも思うのだけれど

じゃあどうするのか。

+++

デジタル技術は今なお世界を変えている。
人々の価値観も変わってきている。

マス的な流行を追いかけるのも、もしかしたら賢いやり方なのかもしれないけれど。
その道が20年後に本当に面白い分野なのか、といわれると、それはわからないし、
たとえば、じゃあ仮に10年だけ働いて1億円くらいの貯金ができるとして、
その1億円を貯金している間に、なにか大切なものを失わないか。

自分の問題意識に本気でぶつかって得られる有形無形の財産と、一億円。
(しかも期待値で考えたら10年で一億の貯金ができるかというと、
 それは投資銀行のトレーダーでばりばりやってもやっぱり大変な気がする。)

ま、失ったら失ったで何も気にならず、なるように生きていけるんだろうなともすごく思うけれど。

やっぱり世界の中でいるなら、なにかしらホットな場所に身を置けたら面白いと思う。

+++

国連などなどを機軸とした貧困削減の歩みの先もなんとなく気になる。
WTO体制にはすでに翳りが見えてるんでしょ?
多極化する世界の中で戦後以降設けられてきた体制もきしみ始めているという議論はまったく珍しくない。

あんまり明るい未来はなく、しばらくすればまた政治的に
大きな緊張を孕む世界になっているのかもしれないし。

+++

引用。今日は原丈人という人の本を少し読んでいたのですね。
どこぞの副会長がおすすめだったらしい。

   新しい技術が生まれ、世の中の枠組みが変化すれば、
   すべてが変化するということを忘れてはいけません。
   西部開拓の時代からアメリカ各地で発達し、重要な交通機関となった
   幌馬車のことを知っている人がいま、どれだけいるでしょうか。
   各地で設立されたたくさんの幌馬車会社をつぎつぎと買収し、一握りの大企業が
   ようやく独占的な支配を確立した頃、現れたのが鉄道です。
   そして巨大化した幌馬車会社は、あっけなく消えてしまったのです。
   歴史が教えてくれるこういう事実は、今から振り返ればごく当たり前のことでしょう。
   しかし当時、長距離を移動する乗り物といえば幌馬車しか知らなかった大多数の人々にとっては、
   いつか幌馬車会社がなくなるなどということは想像すらできなかったのです。

+++

どんな世界でも飛び込もうと思うし、どんなことでもやってみようと思うけれど、
それはやっぱり世界を掴むための活動に位置づけたい。これは学生のわがままか。



社会といわれる範囲での状況があって、自分がリアルに認識できる限りでの世界があって。

資本主義も民主主義も組織論も経営手法も諸々がそう遠くないうちに問い直されるんだろうなと思うから

未来から見た時の"クラシックな"現場に敢えて飛び込むのも
アリだろうし、それとも飛び込まないのもいいかもしれない。

+++

なにかの選択肢を選んだ時、きっとあっぷあっぷするんだろうなと思う。
会社で働いて上司に飲みにつれていかされてぐだぐだに潰されて次の日も9時出社。ああ大変。

身体的な限界は確実にあるわけで、自分の生命が脅かされることは簡単なことだとも思う。
そうして入院でもしたら、世界がどうとかもうどうでもよくなるんだろうなぁ。

とはいえとはいえ。


やっぱり"常識"になってることってちょっと"ホントなの?"って思いたくなるじゃん。

ひねくれてるかな。



一番見晴らしのいい場所はどこなんでしょう。世界を眺めるのにいい場所。

モンブランも地中海もよかった。日本ならやっぱり富士山?
それもいいんだけど、でもそれは古典的な"見晴らしのいい場所"だよね。

動的なダイナミズムを持つこの社会をもっともリアルにそしてリアルタイムに眺められるような場所。

ぼくはこれを"7つの職業"と表現している。

変わり行く時代の中で、流れに浮かびつ沈みつ、気ままに、世界を舐めるように眺め回せる立ち位置。



どこをどう歩いたらたどり着くのでしょう。

とりあえず3歳から103歳まで、いろんな人と話していこう。

北京行き

2007-11-19 01:09:36 | いろいろ
AISEPとは別件で、12月頭に北京に行くことになりそう。

すさまじく急な話だ。2週間切ってる。

ほんとに行けるのかはわからないけど、行く場合は、
北京大学生とがちんこで会議です。

就職活動もしてるはずなんだけどな。大丈夫なんだろうか。

++++

TISS、東京でやる学生会議のは、なぜかスタッフメーリスが全て英語になり始めたorz
次の会議からはすべて英語で会議するという噂もwww

でも、なんか、そういう"普通じゃない"状況に絶えず接していられるのは、
少し大げさに言うと生きていて嬉しいことなのかもしれない。

++++

あとは学生のうちに、フランス語に囲まれる生活をしたいところです。


社会の格差と将棋 などなど

2007-11-16 15:27:03 | いろいろ
あ、12月にこんな会議やります!

http://tiss.ut-iris.org/

ここから、オフィシャルな形で、大学間の国際連携体制について提言を出していく予定です。

政・官・財・学・ものつくり・リーダーシップ論の各分野から
一流として活躍されている方々をゲストに迎えて。

ハーバードからインド工科大学にオックスフォードやら東京大学に北京大学などなどなど、
ヨーロッパ・アメリカ・アジアのいわゆる一流大学の学生の、
その中でもさらに目覚しい活躍をしてきた学生を集めて。

ますます課題が乱立する現代国際社会において、
どのような人材を、どのように生み出してゆくのが望ましいのか。

各国において今後活躍していくであろう学生たちは、
今の世界を、これからの世界をどう捉えているのか。



「社会起業家(Social Entrepreneur)」という言葉が流行っている昨今ですが、
社会問題に取り組むために、社会的弱者を助けるために、社会を良くするために、
自分の人生の選択をする若者が増えてきています。

こないだ読んだ本では、イギリスで500倍だかの難関を突破して、
外交官の中でも最高級の待遇で選抜されたにも関わらず、
弱小な国の支援をするために名誉もお金もすべて捨てて事業を始めた人の話が載ってました。

世界の問題をどう認識し、それをどう解決しようとしているのか。

TISSでも、それを突き詰めていきたいなと個人的に思ってます。



「社会の格差」とそれが「拡大再生産」されているであろうこと。
最近はこれが気になってます。

そして、将棋など社会的にどんな立場の人でも参画しうるような趣味の分野は、
そうした社会問題の解決にも(ささやかながらかもしれないけれども)役に立つものだと思ってます。

かつ、僕は、将棋が社会に果たしうる役割の中で最も大きいものはそこなのではとも思っています。

老若男女関係なく、お金のあるなしやら、権力のあるなし、教養のあるなし、
そういうところにも関係なく楽しめるのが将棋だし。
そこそこ人気がないというのも、のんびりしていて悪くない。

そういう意味では国内で普及していくことにも、
お金に回収されない価値があると思うのです。

「社会的な立場に関係なく人々が接し会える場の創出」、
ということを目的にして活動していくのは、
日本社会にとっても良いことなのでは。



将棋が、地下水脈のように、地味ながらもしっかりと、
社会のあらゆる立場の人たちをつなぐ存在になったら。



あと「娯楽のない国に持って行けば将棋は流行るかも」って書きましたが、
国内だって、局所的に娯楽が少ない環境はあるはず。

入院してて退屈してる人たちとか。
地方の村とか。

退屈してる人が将棋を通じて楽しく時間を過ごせるようになるなら
それは良いことだとも思う。

もちろん将棋じゃなくていいわけだけど。



世界と関わる手段。

自分にはこれまでやってきたことがいろいろあって、それを用いて、
誰かの役に立つこともできる。活動しながら時間を過ごす。

これから先、新しく自分の中に蓄積していくものもきっとたくさんあって、
そこで得たリソースを元に、また別の時間の過ごし方、他者との関わり方、を模索していくんだと思う。



東大総長なりなんなり大物が集まるところで世界的な学生たちの会議を行うのもいいし、
昨日は地域の子供たちとつまようじで工作して遊んでいてw、そういうのもいいと思うし。

骨が折れやすくなる病気に関する医学系の学会の理事会の宴会でパフォーマンスしつつ、
また別の日には目も見えてるんだかわからないほど病気で苦しんでいる子の前でもジャグリングする。

いろんなところにひょっこり現れて、何か面白いことをして、またひょっこり去っていく。
そんな感じでこれから20年30年生きていけたら嬉しいところ。

++++

それにしても。
前も書いたけど、劇団四季は役者とスタッフと制作と営業とを
同じくらいの人数にして一つの組織を率いていて、それで利益をあげている。

将棋も、いろんな立場から全力で将棋のプローモションするなり
社会的価値を高めていくなりする体勢があればいいのにね。

個人的にも、英語圏、フランス語圏、ならいろいろ協力できる気が。中国でもいいし。
いい棋譜を残す係りの人ももちろんいい棋譜を生み出していったらいいと思うし。

+++

とりあえずは文化政策とフランス語をちゃんと勉強して、
プロフェッションになるようにしないと。

ユネスコで働いてみたい。実現するのだろうか。