ザ・インド人の日本語ブログ

PRAYING FOR THE GOOD OF JAPAN !!!

てっきり思い込み

2011-08-29 | 日本

「安全神話」

3・11以降、日本のマスコミがそう言い出したと思っていた

  

てっきりそう思い込んでいた

  

でも、それが大きな勘違いだった

「安全神話」 に言及していたのは、ほかならぬ原子力安全委員会だった

しかも、11年も前の2000年にそう明記していた

  

東海村の臨海事故を受けて 「2000年度 『原子力安全白書』」 が作成された

その中に、原子力は絶対に安全だというのは 「誤った安全神話」 であることが明記された

 

そんな事実を知った恐ろしさで呆然とした。

 

 

その全容を小出先生が伝えてくれていた

 

 


男の子の目

2011-08-27 | 日本

どうしたって宗教間の対立が耐えないこの世の中。

多宗教・多民族国家のインドも例外ではない。

特に、イスラム教徒に対するその他の人々の目が日に日に厳しさを増しているように思う。

まあ、世界中の宗教間問題にイスラム教徒が必ず絡んでいるのをみると、無理もないことか。

  

話変わって、先日、ヒンズー教の神 「クリシュナ」 の誕生祝いのお祭りが全国で盛大に行われた(はず)。

お祭りに際して若いクリシュナに扮したある男の子の写真が、次の日に新聞に掲載されているのを伝え聞いた。

両親がスクーターでお祭り会場 (もしくは学校?) に子どもを連れて行く途中の写真のようだった。

 

という説明だけを聞いて、一見何の変哲もない光景に思えた。

でも、写真を観たら話しが違った。

 

 

ヒンズー教の神に扮した男の子は実はイスラム教徒だった。

両親の格好がそのことを物語っていた。

 

宗教が違ったって、みんなの血の色が同じだよ。だから無駄に流しちゃだめ!

男の子の目がそう訴えていた。

写真を見つめている僕が勝手にそう解釈したがっていた。


Bye Bye! See Ya~

2011-08-26 | スポーツ

MLBの試合でホームランが出ると、向こうのテレビ解説者がよく口にするセリフがある。

 

「Bye Bye! See Ya~」

 

大きな軌道を描きながらスタンドに消えてゆくボールに向かってそう叫ぶのである。

数多くの名解説者が幾度となくそう叫んできたのである。

 

なんてことを、MLB史上初の珍記録が誕生した試合を観ながら考えていた。

 

そして、そう考えながら自分の目を疑っていた。

そこに、1本じゃなくて、2本でもなくて、3本の満塁ホームランが出ていた。

同じチームが同じ試合でそれをやってのけた。

そのチームはニューヨーク・ヤンキースであった。

別に贔屓にしているわけじゃないから、ヤンキースの記録で興奮したのは珍しかった。

 

豪華な記録を目の当たりにして純粋に喜んだ。

 

 

それだけ。


「想定外」 なこと

2011-08-25 | 日本

「想定外」 とされた10m級の津波到達の可能性が、実は把握済みのことだった。

でも、そうした試算を東電が原子力安全・保安院に長らく報告しなかった。

津波の高さではなくて、そうした東電の対応こそが本当の 「想定外」 と言わざるを得なくなった。

そんな認識の甘さが日本の未来を変える一役買ってしまった。


押す力の話し

2011-08-21 | 日本

ちょっと調べものをしていたら面白いことに気づいた。

 

まあ、面白いと思うのは僕の主観なので、面白くない可能性だってある。

ただ、このブログそのものが僕の主観の上に成り立っているわけだから、そんなのは知ったことじゃない。

 

で、本題だ。

 

英語の 「be under one's wife's thumb」 という表現をご存知だろうか。

旦那が女房に支配されてしまっている、という意味の表現である。

英語では、「支配する」 を表すために用いる体の部位は 「親指」 になっている。

指の中で押す力が最も強いのは親指なわけだから、理解に苦しむ表現じゃないのである。

 

 

それに対して、日本語は何か?

 

 

もちろん、「女房の尻に敷かれる」 なのだ。

 

「親指」 がまさかの 「尻」 に変わっているのだ。

体重がかかる具合を考えたら、「親指」 より 「尻」 の方が圧倒的に強いはずだ。

 

そうなると、英語圏の旦那たちより、日本の旦那たちが強く押されていることになるというのか?

 

そこの旦那さん~、そんなことを大声で告白しなくてもかまわないのだ。

このブログ自体がそうだから、匿名のままそ~っとコメントを残しておいても良いのだ。

尻に敷かれていることへの反発として、それぐらいはできなきゃだめなのだ。


よりどころが抜けた

2011-08-17 | 日本

技術的安全大国にっぽん。

な~んて思っていたのは大間違いだったのか?

 

このニュースがそう訴えているように感じた。

 

「水素爆発予測できず」東電社員が証言 電源喪失時のベント手順書もなし

産経新聞 2011.8.17

 東京電力福島第1原発事故で、内閣が設けた第三者機関「事故調査・検証委員会」(委員長・畑村洋太郎東大名誉教授)の事情聴取に、東電社員が「原子炉建屋の水素爆発は予測できなかった」と話していることが17日、事故調関係者への取材で分かった。事故や被害拡大防止に向けた東電の想定の甘さが改めて浮き彫りになった。

 同日の記者会見で、東電原子力・立地本部長の相沢善吾副社長も「建物の爆発の予測は難しかったのではないか」と述べた。

 事故調関係者によると、3月12日午後に1号機の建屋上部が吹き飛んだ水素爆発について、東電側は「原子炉や格納容器の状況把握に集中するあまり、建屋に水素が充満して爆発する恐れにまで考えが及ばなかった。爆発の予測はできなかった」と証言したという。

 また、津波などですべての電源を喪失した際に、格納容器を守るために実施するベント(排気)のマニュアルがなかったことも判明。事故対応に遅れが生じた可能性があるが、東電は「今回の事故のように津波で予備電源まで失われる事態は予測していなかったため」と理由を説明している。


「あい」 という二文字

2011-08-16 | 独り言

「あ」 と 「い」

続けて打ってみる

漢字変換してみる

「愛」 と出てくる

 

日本語の最初の二文字がなぜそんなに深い意味合いの単語になるのか、と考え込む

 

ふと母語のマラーティー語のことが頭をよぎる

そこにも 「アイ」 という単語がとてつもなく重要な意味を持っている

その 「アイ」 とは 「母」 のことである

 

生まれてくる命にとって、 「 母」 によって 「愛」 が具象化される

その生き物にとって 「愛」 も 「母」 も同じことである

言い換えれば、「母」 は 「愛」 そのものとなる

 

そこを、日本語でも 「あい」 と読み、マラーティー語でも 「アイ」 と読む

なにか不思議な縁を感じてしまう

  

うちのおじいさんが最近書き下ろしたことを思い出す

「アイ」 (母) とは、「トマン」 (自我) を 「ーシュワル」 (神) につなぐ存在である

今までで一番しっくりきた 「母」 の表現である

 

そんなことを意識したことすらない自分が、今日もまたちっぽけに思える

 


日本人が結ぶルーマニアとインド

2011-08-14 | エンターテインメント

久~しぶりに思い出した。

無性に聞きたくなった。

だから調べてみた。

そうしたらもちろんそこにあった。

 

楽しい音楽に聞き入った。

面白いアニメに見入った。

ルーマニア語が日本語に聞こえる...そう見いだした日本人に感心した。

 

とそのとき、こんなものも見つけた。

 

以前紹介したシンクロダンスほど完璧に合っていないけど、観ていて楽しかった。

ただ、シンクロそのものよりも、ルーマニア語の曲にインドの地方映画の踊りをシンクロさせる...それを思いついた日本人にまた感心した。

 

そんな、好奇心旺盛な日本人に感心しきりの日曜日の朝なのであった。


信号機のつぶやき

2011-08-11 | インド

おいらは信号機たち!

ザ・インド人の地元であっちこっちの交差点で立っている。

そしてちょいっと高いところから町の交通事情を見守っている。

 

そんなおいらには、何年か前にある助っ人が付けられた。

そいつの名は秒数カウンター君。

その名のとおり、とても便利な機能を備えている。

信号が赤になった後、青くなるまでの秒数を教えてくれる。

(ちなみに、明らかな緑色の信号をどうして 「青信号」 と呼ぶのかなぁ...)

で、信号が青くなったら、再び赤くなるまでの秒数も教えてくれる。

というおいらの味方、秒数カウンター君なのだ。

 

そいつが付けられたことによって、常にせかせかしているこの町のライダーたちの心に少し余裕が出てくると思った。

でも、それどころではなかった。ドライバーたちが見事に期待を裏切ってくれた。

おいらに付いたカウンター君の目的を台無しにしてくれた。

 

信号が赤のとき、青くなるのを待ちきれずにいる彼らが、何度もブレーキとアクセルを同時に踏む癖を直せずにいた。

さらにいやなことに、赤信号の最中、カウンター君が残り10秒を切るや否やズルズルズルと前に進みだすようになった。

そして残り5秒を切ると、あたかも青信号に変わっているかのごとくスピードに乗るようになった。

おいらもカウンター君ももちろんがっかりした。

 

中には、信号が赤であるため、完全に青くなるまで頑なに待とうとするドライバもたまに目の当たりにした。

そういう正義感の強い人が、後ろで待たされちゃったドライバによってクラクションや罵声を浴びせられるのも目撃した。

そのとき、周りにちゃんと停まってくれている人が他に誰もいなければ、その人の心細さも察するところだった。

場合には後ろからのプレッシャーに負けてその人も車をほんの少し前に進めることもあった。

そうせざるを得ないことに対する無念さがその人の顔ににじみ出る光景も何度となく見てきた。

 

おいらからすると、交通事情に関しては十分な無法地帯になっているように感じた。

 

最近、この町に車やバイクを運転する日本人も多くなった。

ザ・インド人のような生粋なインド人でさえ耐え難い状況下、平然とバイクを乗り回す日本人を見かけるようになった。

そういう日本人の忍耐強さには感心するしかなかった。

 

信号機があるからそれに従う!...

この町には、そういう単純な規則を守るゆとりがちっとも感じ取れずに今日まで立たされてきた。

雨にも負けず。風にも負けず。 雪にも夏の暑さにも負けぬ。

(まあ、この町に雪は降らないが...)


今日という日

2011-08-06 | 日本

今日という日をどう迎えるのか。

 

フクシマが起きた以上、今日という日の意味合いがどのように変わったのだろうか。

フクシマが起きた以上、今日という日の重みはどれほど増したのだろうか。

 

戦争時と平和時において、出てしまうものが同じじゃ意味があるのだろうか。

 

今日という日に、何を感じ、どう行動するのか。

 

今日という日をどう迎えるのか。


誇示することかぁ~

2011-08-04 | インド

I AM PROUD TO OBEY ALL TRAFFIC RULES!

 

インドの地元でそんなステッカーを見かけた。

ある車に貼ってあった。

 

なぜ車の主が交通規則に従うことをわざわざ誇示するのかと疑問に思った。

 

例えば、

毎日歯を磨く。

毎日シャワーを浴びる。

それと同じ感覚で、毎日交通規則を守る。

 

当たり前にそうだと思ったそこのあなた、おそらく日本人だろう。

少なくとも僕の地元の人ではないだろう。

 

なぜなら、地元の人にとって、交通規則が破るために作られている。

僕はそうとしか思えなくなっている。

 

だからこそ、たまにああいうやつが現れる。

交通規則に従うことを誇示しやがる。

 

そんなのを見かけると、思い知らされる。

ここは日本じゃない、インドなのである。


アシタカァ~~! サァン~~!

2011-08-01 | 日本

アシタカァ~~! サァン~~!

 

思わずそう呼びたくなった。

どうしてもあの2人に来てほしいと思った。

 

地震に、津波に、原発問題に、猛暑。そして今の豪雨。

一連の出来事がシシ神の憎悪に見えてきた。

 

そして福島県がタタラ場じゃないかと錯覚した。

 

だからアシタカとサンにシシ神の首を捜して、返してほしいと願った。

 

でも、

でも、、

その首がもしも原発の立ち入り禁止区域内に落ちていたら、アシタカでもサンでも入れないんじゃないかと思って怖くなった。

 

福島県民のご心労、お察しいたします!

本当にそう思っていても、そんな言葉がどこか無意味に感じてきた。