11年前
2011年
3月11日
忘れ去られようとしている...あの時のこの日
まるで無かったことになろうとしている...あの時のこの日
ブログをまったく更新しないまま時が流れていくのみ…
何のためにこのブログが存在しているのか…頭の中はあやふやなまま
でも、
今日この日に一筆書くのは、あってしかるべき…かも
フクシマのせいで苦しみ続けるみんなへの思いを再確認するためにも。
当たり前のことだが、この半年間でいろんなことが起きた。
嬉しいこと
楽しいこと
へこむこと
人生が変わること
たくさんあった。
でも、今日の日付を見て沸いてくるような悲しみは、そこにはなかった。
もうすぐ2年半が経っちゃのかぁ
責任ある立場にいながら、無神経で無責任な人々は、相変わらず無神経のまま
そいつらは、この男の生き方をどう思うのかね?
自らを忙しくしてしまったおかげで、ブログを書きたいといくら思っても、なかなか手付かずの状態の今このごろ。
書きたいことがたくさんあっても書くタイミングを逃すばかり。
でも、今回はタイミングを逃すまいと感た。
あの時、あの人が、やるべきことのタイミングを逃していたら...
考えなくてもゾッとする。
あの時、あの人が、あそこにいなかったら...
いたことは、みんなにとって不幸中の幸いである。
そんな、あの人のことを書くタイミングぐらい守ろうと思った。
福島大1原発・元所長の吉田さんに感謝の意を表したかった。
心底から、ご冥福をお祈りいたします、と言いたかった。
それを言いに来ました。
ちょっと調べもののために、インターネット上辞書を引いていた
一つの単語について、辞書によっては異なる訳語が記載されることがしばしばあった
とある訳語に目が留まった
普段使われる単語とは違う言葉が載っていた
理由はなんだろうと思い、単語が載っている辞書の名に目を向けた
名前を見て一瞬でひらめいた
その単語は主流の意味で使うんじゃなかった
とても専門的な意味合いが含まれていた
なぜなら、乗っている辞書の名前は 「脱原発和英小事典」 だった
http://ejje.weblio.jp/category/dgpws
もうとっくにそんな辞書ができていた
これからの日本を語る上で、知らなくてはならない単語の宝庫がそこにあった
なんだか、というか、やっぱり、悲しくなっちゃたぁ...
それとも、真実だからこそいつも不都合なわけか?
見て見ぬふりするのもありだけど、どうしてもできない。
むしろ、してはいけない。
見て見ぬふりする人の方が大多数に決まっている。
だからこそ、今年もこの話題から目をそらすわけにはいかないのである。
大女優の森みつこさんに、政治評論家の三宅久之さんの訃報...
悲しい
衆院解散で、国民が新政権を選ぶチャンスという朗報...
嬉しい
でも、選挙後どの党が政権をとったって、おそらく何も変わらないという凶報...
空しい
オリンピックが終わった
わくわくどきどきの2週間だった
日本は、メダル総数が過去最多となる活躍ぶりだった
当然ながら、日本の報道もオリンピック一色になった
そんなときに、忘れがちになる大事なことがあった
それは、原発事故に関する報道だった
報道されようがされまいが、危うい状況には変わりがなかった
そこでさらに、ある仕打ちが待っていた
「たね蒔きジャーナル」が打ち切られる可能性が伝えられた
日本の原発の真実を伝えることに尽力してきたラジオ番組だった
それが、つまらないことを理由に終わっちゃうことになった
フクシマが本当は起きていなかった、
そんな方向に日本を持っていこうとする人たちにとっては、また一つ朗報が増えた
僕はというと、無念でならなかった
http://hiroakikoide.wordpress.com/2012/08/11/tanemaki_2012aug4/
僕は信じていること
ただ信じているだけじゃなくて、資料をもって証明もできること
それは、
野田さんが嘘をついているということ
(全録)野田首相、大飯原発再稼働の必要性について会見(12/06/08)
それに対してどうしようもないことが、悔しいこと
原子力安全保安院・深野弘行院長
国民の安全を担保する責任がある人間
その人間が、
福島原発事故調査委員会で、
まともに受け答えすらできない状況を、
どう考えるべきか?
こういう人間しか保安院院長に抜擢できないほど、
人材不足が深刻か?
それとも、
こういう人間だからこそ、
保安院院長には的確な人材とされているのか?
前者なら情けない状況だ
後者なら許せない状況だ
いずれにしても、システムが腐っている
インドみたいにおおっぴらに腐っていないかもしれない
でも、おおっぴらじゃないからこそ、逆に日本のほうが空恐ろしい
原発は再稼動して本当に安全なの?政府は安全というけれど 前編
原発は再稼動して本当に安全なの?政府は安全というけれど 後編
去年、東京圏から福岡市に転入した人が、福岡市から東京に転入する人を上回っちゃった
その理由が明白なだけに、
ぜんぜん喜ばしいことではないと感じた
一方でそれは、
多くの日本人が、
周りから 「逃げた」 と言われかねないのを恐れなくなったことを意味すると思えた
それはそれで有意義な話しじゃないかと考えた
それだけ