そこはかとなく好き。
でも、どうして思い浮かんだのだろう。
そこはかとなくめったに耳にすることがないのに。
なんか、年に2回しかブログを書かない感じになってきたなぁ...
いけない、いけないと思いながらも書かずにいる
いやっ、書きたくならずにいる
前回投稿の日付は3・11...いやな日
今回投稿の日付は9・11...いやな日
自分にとって、生涯忘れられない衝撃を2つ受けた日
どうしたって、好きにならない日
それだけ
今年は欠かさずブログを書くつもりでいたことは良いんだけど
それを自分に思い出させるには、あえてその考えを公にすべきと思ったのも良いんだけど
したがって、新年早々そんなことをブログに書いたのも良いんだけど
ましてや、名刺にブログのURLを乗せたのも良いんだけど
結局は、そんな宣言をした上で、まったくブログを書かなかったのは恥ずかしい
その間にいろいろありすぎて、書きたくても書けなかったのは恥ずかしい
しばらく更新していなかったら、ブログ・ページのデザインが変わっちゃっていたのは恥ずかしい
まあ、今日はそれだけ
(爆)
新しい名刺を作成した
あえてこのブログのURLを記載した
なんとしても読者数を増やしたかった.........わけではない
ただ、自分に少しプレッシャーをかけたかった
しばらく何かと疎かにしているこのブログをまた活気づけたかった
それを新年の抱負の一つにしようと思った
長い間更新されてなくても、まめにチェックしてくれているたくさんの方に応えなきゃと感じた
だから、新しい名刺にブログのURLを載せた
でも、
よく考えたら、
なんて無謀なことをしちゃっていた
あぁ、
やっぱり君、
バカだった...
七夕は七夕でも、インドで過ごす七夕
かなり久しぶりの、日本で過ごさない七夕
それでも願いをして良いんでしょう?
距離が遠いから届かないようなことはないんでしょう?
まあ、
だめって言われても、願いはするから
だって、
空との距離は、日本もインドも一緒だから
なんてね~
暴論だって思われても良い
思われただけじゃ、
正論が暴論に変わらない
恥知らずのWHO、恥知らずのIAEA、
それが現実であることに違いない
ひどい身勝手さに、ぞくぞく寒気がして、胸が痛い
真実はどこに?―WHOとIAEA 放射能汚染を巡って
そう言い切っちゃっているよぉ
妙に説得力があるし
考えてみたら、みんなも心底はそれに近いことを思っている? (爆)
興味深い
実に興味深い
現代のコペルニクス:白人は人間てはない?
現代のコペルニクス:欧米人が仕掛ける罠
これで一安心といったところか
それとも、ただ終わりが長引いただけなのか
「2012年世界滅亡」なかったことになった
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120511/trd12051108050006-n1.htm
がしかし、世界中に人間が行っている破滅的な行為じゃ、
少なくとも終わりの始まりがやってきているのかなと勘ぐりたくなった
同級生の友人を失った
彼女が突然の心不全に見舞われた
30代前半の若者がなんの前触れもなくこの世を去った
近いうちに会おうと話しながらも、日常の忙しさによって会う時間をしばらく割けていなかった
でも、僕ってほんとにそんなに忙しかった?
なにをもって忙しいと思い込むようになっていた?
僕のいわゆる忙しさがそんなに大事なことだった?
それとも、つまらない意地を張るための口実に過ぎなかった?
今さら考えたって、時すでに遅かった
忙しさが、とっくに空しさに変わっていた
彼女のご冥福をお祈りいたします。
心底からそう思っていても、その言葉がただうつろに響いていた
新年の抱負を決めかねたままの方
新年の抱負をいまだに考えあぐねている方
新年の抱負を決めたのは良いけど、それに向かってはまったくもって進んでいない方
し~んぱいないさぁ~~~
改めて抱負を決定し、実行に移すチャンスが今日やってくる
なぜなら、ヒンズー教の暦によれば、今日はお正月にあたる
地元のマハラシュトラ州では、Gudhi Padwa という
他には、地域によって Ugadi や Navreh などの名がある
そんな詳細はともかく、今は抱負を決めることに神経を集中したいところでござる
でも、ほんとは、抱負を決めた後、それを実行に移すことに神経を集中する方がきっとためになる
あなたにではない
自分にそう言い聞かせておる
Wish You A Happy Gudhi Padwa & A Peaceful New Year!!!
時折これを聴くことがあるのだ
インドの国歌をアレンジしたものだ
インドという国も好きだけど、その国歌が何よりも好きなのだ
インドという国に対して怒っていることの方が多いけど、国歌を聴くたびに鳥肌が立って、その怒りも少し収まる気がするのだ
誰に命令されなくたって、国歌が流れれば自然と立ってしまうのだ
自らを鼓舞するにはうってつけの唄の一つなのだ
別に、これは、国歌演奏の際に立つべきかどうかという議論が絶えない日本とは無縁の話しなのだ
「君が代」には「君が代」の歴史があるのだから、僕がどうこう言う立場ではないのだ
みなさんにとって充実した一年になりますように願っております。
今年もめげずにザ・インド人がブログを綴ってまいります。
みなさんもめげずにご一読いただければと思います。
ブログにおいては久々な丁寧口調、大変奇妙に感じております。
忘れたいわけじゃなかった
むしろ、忘れてはならないと思った
ただ、一日でも早くこの日が来ないかなと待っていた
今か今かと待ち遠しかった
とうとう今日が来た
毎年のように来た
いよいよ明日も来る
毎年のように来る
でも明日は何か特別な気がする
明日になればまた気分が変わる
明日になればまた元気が出る
明日になればまた夢が膨らむ
そんな希望を持っていた
そんな希望を持って、今日の終わりを待っている
そんな希望を持って、明日の始まりを待っている
動乱な年から平穏な年へ...そう祈ってやまないでいる
良い年を!!!