ザ・インド人の日本語ブログ

PRAYING FOR THE GOOD OF JAPAN !!!

もらってくれた人に喜ばれたみやげ物の人形焼たち!

2011-01-21 | 独り言

喜ばれたから嬉しさで笑いが止まらなくなったみやげ物の人形焼たち!

 

げらげらと笑ってなぜか逆さになり出したみやげ物の人形焼たち!

 

仲間が食べられてもなお笑い続けるみやげ物の人形焼たち!

 

ついに自らも人形焼を食べ出したみやげ物の人形焼たち!

 

仲間が食べられてもなお笑い続けるみやげ物の人形焼たちの隣で自らも人形焼を食べ出したみやげ物の人形焼たち!

 

なんか良く分からなくなったけど、「めでたしめでたし」 なみやげ物の人形焼たち! 


ある英雄の引退に思うこと

2011-01-12 | スポーツ

日本のことでもなけりゃ、インドのことでもない。今日の話しは、南アフリカのことだ。

南アフリカ...

それは、20年前まで長きにわたってアパルトヘイトに苦しんだ国。

それは、マハトマ・ガンジーが弁護士時代に 「タマネギを好んで食べる人々の合同組合」 を作った国。

それは、ガンジーもアパルトヘイト的差別を受けた国。(それをきっかけにガンジーがインドに帰国し、差別撤廃と独立運動に対し一身を投げ出した)

それは、アパルトヘイトを推奨する政府に反対して、国際クリケット協会(ICC)が1970年に国際大会無期限出場停止を言い渡した国。

 

[ここでいうクリケットは、コオロギのこと......ではなくて、バットでボールを打つイギリス発祥のスポーツのこと。 

おそらく世界でサッカーに次いで競技人口が多いスポーツのこと。(それはインド亜大陸がクリケットに対して熱狂的であることのせいか?)。

なのに、多くの日本人にとってあんまりなじみのないスポーツのこと。一言でいうと野球の原型とされるスポーツのこと。 ただ、その説をアメリカ人が嫌うきらいがある。

 

再び、南アフリカ...

それは、アパルトヘイト撤廃とともに、1991年にようやくクリケットの国際試合に復帰が許された国。

それは、復帰を果たしてもなお、代表チームが依然白人選手のみで構成されていた国。

それは、ようやく1997年に初の黒人選手を代表チームに迎え入れた国。

その代表選手の名は Makhaya Ntini 。カタカナ表記は マカヤ・ウンティニ か。

貧しかった子どもの頃に畜牛の面倒を見ていたMakhaya少年。彼がクリケット代表選手に名を連ねることは、アパルトヘイト撤廃後の南アフリカにとって最も有意義な出来事の一つだった。

1997から14年間にわたって、Makhayaが誇りを持って南アフリカのクリケット代表を務めた。笑顔の絶えない、努力を惜しまない彼の姿に多くのアフリカ人が希望を見いだした。クリケットというスポーツを通じて彼が人々に与えた影響がとてつもなく大きいなものだった。

そんな彼が、おとといをもって国際試合から身を引くことになった。引退試合となったのは対インド代表チームとの3時間制の試合。(クリケットには主に3種類の試合がある:5日間の試合、7時間の試合、と3時間の試合。それについて詳しくはまたいつか)

その試合のために、去年のサッカーワールドカップの際に建てられたスタジアムが一日限りのクリケットグランドと化した。

そこに多くのアフリカ人が詰め掛け、彼に別れを告げた。おそらく、言葉に表しきれない感謝の意を持って。

 

 


神様のためにプロデュース!

2011-01-11 | エンターテインメント

僕は日本人ではない。 (急になんだよ?) 

日本で生まれ育った外国人でもない。 (最初からそう言え)

たとえ日本で生まれ育っていたとしても、 「8時だョ!全員集合」 世代や、「オレたちひょうきん族」 世代だというわけでもない(と思う)。 (そもそも、「○○世代」 と言うときに何歳が基準なのかはわからない)

勘違いされた方はいないだろうが、その前の世代でもない。

ただ、僕は 「オレたちひょうきん族」 が好きなのだ。 (「8時だョ!全員集合」 も楽しいけど、今日はそういう比較の話しではない)

子どもの頃、もしもインドで 「オレたちひょうきん族」 が放送されていたら、おそらく 「あんな番組を観るんじゃないっ!」 として観る許可は下りなかっただろう。なんとなくだが、そんな気がする

(まあ、今の 「めちゃイケ」 とか 「ロンドンハーツ」 と比べたら、まだ 「オレたちのひょうきん族」 が許されたのかな? でも、今日はそういう比較の話しでもない)

話しは、 「オレたちひょうきん族」 が好きだということだけ。そして、それをプロデュースした横澤彪さんがお亡くなりになったということだけ。

去年だったかな、「爆笑問題」 のお二人が横澤さんと対談する番組があった。そのとき初めて、「オレたちひょうきん族」 (や 「笑っていいとも!」) は横澤さんがプロデューサーだったことを知った。そして、テレビに対する横澤さんの熱意に圧倒された。

好きな番組はどれも、画面に映っている人たちの名前とリンクして覚えたりする。裏方の名前や顔をほとんど知ることがない。でも、その人たちの知恵いかんで番組が面白くなり、楽しくなる。横澤さんの話しを聞いていたら、そんなことに改めて気づかされたのを覚えている。

ぜひ、天国でも 「オレたちひょうきん族」 みたいのをプロデュースしていただきたい。神様もげらげらと笑ってくれることでしょう!


「合同」 なのに 「自主」 って本当にあり?

2011-01-10 | スポーツ

年も明け、そろそろプロ野球シーズン開始への機運が高まってきた。選手もあっちこっちで自主トレを始めている模様だ。

ただし、自主トレと言ってもみんながみんな自主的に行うとは限らないようだ。中には 「合同自主トレ」 ってのがある。何回聞いてもしっくりこない言葉の一つだ。

本当はどうでも良いことだけど、やっぱりひっかかる。

個人的な付き合いで複数の仲間とやるトレーニングなら、まだ 「ただの」 自主トレの範囲内だろう。でも、わざわざ頭に 「合同」 を付けておいて、球団の管理下で行うトレーニングに、自主的な要素なんか本当に含まれているか?

(主に新人)選手を最初から管理しなきゃ不安だって球団側が言いたいなら、それはそれでよろしい。ただ、その場合に 「自主トレ」 ってかっこつける必要がある?

素直に、 「キャンプ前合同トレーニング」 か何かに言い方を変えたらどうだ。

本当はどうでも良いことだけど、やっぱりひっかかる。


日本じゃなきゃ知ることのない 「インド映画」 の魅力

2011-01-09 | エンターテインメント

インドはいろんな意味で日本と対照的な国なのだ。両国の間に対照的でないところを見つけることが楽な作業かもしれない。

正反対なことの一つは、言語環境。主に単一言語環境の日本に対して、公用語だけで22にも上るインド。だから、前々々々回書いたけど、言葉が理解できるCMが理解不能な言語に吹き替えされたら慌てっぷりも良いところだ。同じ話しが映画にもつながる。

まず、インドで制作される映画のことを インド人は 「インド映画」 と呼ぶことはあまりない。代わりに、映画が作られる言語を使って 「ヒンディー語映画」、 「タミル語映画」 のように呼ぶ。

次に、ヒンディー語 (インドの第一公用語) 以外の映画は、その言語の地方のみで公開され、鑑賞される。よっぽどなことがない限り、ある言語で作られた映画は他の言葉に吹き替えされることもなければ、字幕が付くこともない。

となると、多くのインド人が鑑賞するのは、ヒンディー語の映画と (ヒンディー語圏以外では) 各自の母語の映画なのだ。(ところで、僕も母語はヒンディー語ではない)。だから、たいていのインド人が、理解できない言語の映画には興味がない。かつてなぜか日本ではやった 「ムトゥ 踊るマハラジャ」 のことは、タミル語が理解できるインド人の他に誰も知りゃしない (もちろん日本人を除いて) 。

その一方、日本では、インドで制作される映画の全てが当然ながら 「インド映画」 になる。ある意味、インド料理における 「カレー」 と同じ立場だ。

どっちみち元の言語が理解できない日本人からすれば、インドの何語の映画であろうとかまわないわけだ。だからこそ、インドの映画をインド人とはまったく違う切り口で楽しむことができる。そのことが、僕みたいなインド人にいつも新鮮な視点を与えてくれる。

最近もそんな新鮮な経験をすることがあった。

まずこの歌と踊りをご覧いただきたい

「Ashok」 というテルグ語映画の一曲だ。(なぜだか一応ヒンディー語にも吹き替えされている映画のようだが、僕は知らなかった)。それに、僕はテルグ語がまったくわからないため、歌詞は理解できないし、曲名の 「Gola Gola」  の意味も分からない。(ただ、曲の直前のシーンからすると、歌と踊りは夢の中での話しだ。それはインドの映画で良く使われるパターンであって、現実世界でそんなに歌って踊る暇がないから白昼夢状態を利用することが最適ってわけ)

とにかく、踊りが軽やかなので観ていて楽しいと思われる

この曲が最近日本でちょっと話題になっているとかいないとか。以前から知っている人もたくさんいるようだが、改めて注目されるきっかけとなったのは年末の 「バカデミー大賞」 というフジテレビの番組で紹介されたこと。そして、日本のいくつかの曲にこの踊りがぴったり合うとして1位に輝いてしまったこと。

  

最初はこれ 「365歩のマーチ」 とのシンクロをどうぞ!

完璧だ。

  

次はこれ 「セラミックムガール」 とのシンクロをどうぞ!

踊っている女優の口が 「セラミック」 の動きをしているように見えませんでしたか?(1回目は1:05頃)

 

こういうものを誰がどういう熱意(?)で作ったんだろう? ただ、僕が日本と関わっていなきゃ一生知ることのない曲だったかもしれない。「Gola Gola」 なんて意味不明だけど、今度 「365歩のマーチ」 や 「セラミックムガール」 を聴くことがあればこの踊りを思い出すに違いない。

そんな和印融合が、僕にとってはなんとも不思議な感覚なわけだ。すごいの何の!

 

本当は軽い気持ちで動画だけを乗せるつもりが、調子に乗って長々と書きすぎた、かな? でも、ここまで読んでいただいたってことは退屈ではなかった、かな? それなら良いっか。そう思うことにしよう


等身大の日本人形

2011-01-07 | 日本

日本人形 (又は衣裳人形)。それは、僕のある種の既成概念かも分かりませんが、「日本女性」 という特徴を絶妙に捉える伝統工芸品。

様々なサイズに制作されるが、等身大日本人形を目にすることがなかなかありません。

昨日その機会を得られた気分になりました。振り袖姿の浅田真央ちゃんを見たときに。  

 

 

 

本当にそう思ったんです。実は以前からそう思っているんです。

それをどう説明したら良いのかな...説明しても伝わるかな...

真央ちゃんを見るたびに、「おぉ、日本人だぁ!」 という気持ちがわいてきます。なんというかな、真央ちゃんにどこか本来の日本女性らしさを勝手に感じてしまいます。 

ここで、「本来の日本女性らしさ」 とは何かという問題があります。でも、そんなのはうまく言葉にできません。そもそも、理解していない可能性が高いです。ただ、自分の感性がそうだから仕方がありません。

僕の言う、いかにも抽象的な 本来の日本女性らしさ」 ですが、その対象となる女性が他にもいます。たくさんいます。

なのに、衣裳人形制作のためモデルにしたい人となれば、真央ちゃんだけかもしれません。

それをどう説明したら良いのかな...説明しても伝わるかな...


とうとう(?)観ましたよ、座頭市 THE LAST!

2011-01-06 | エンターテインメント

う~ん、でもなんだろう、観終わった後のこのモヤモヤ感が。いまひとつピリッとしないなぁ。最も印象に残ったのは、ワンシーンしか出演していない中村勘三郎さんかも。

武さんの座頭市が好きだ。とてもインパクトの強い作品だったと思う。

今度はやっぱり勝新太郎さんのを観てみなきゃ......(ってまだ観ていなかったんかい)


「アイシュワリア・ラーイ」 つながりで...

2011-01-05 | エンターテインメント

前々回書いた写真処理騒動に巻き込まれている元ミス・ワールドの Aishwarya Rai。

この何年かで僕が気に入ったインド映画音楽 (ヒンディー語限定) の中に、彼女が出演している曲がある。それをご覧いただこうと思っただけでごじゃる。

  

この曲にアイシュワリア・ラーイと競演している2人の男性...

若いのは 「アビシェーク・バッチャン」 (Abhishek Bachhan) という。今現在、アイシュワリア・ラーイの実の夫でもある。というわけで、「アイシュワリア・ラーイ」 は今、「アイシュワリア・ラーイ・バッチャン」 という名前になっている。

おじさんは 「アミターブ・バッチャン」 (Amitabh Bachhan) という。競演しているアビシェークの実の父親であり、ひいてはアイシュワリアの義父である。そして、何より、インド映画の空前の巨匠なのだ。日本でいえば、「石原裕次郎 + 高倉健」 といったところか。

 

ということは、「アビシェーク・バッチャン」 は、日本でいえば 「石原良純」 といったところか?

そりゃ石原裕次郎の息子じゃなくて甥っ子だろうっ! と突っ込んでくれたそこのあなた......サンキュー 


僕だってさっぱり分からないから...

2011-01-04 | インド

前回のブログで投稿した男性用美白化粧品のこのCM

 

言葉が理解できなくてもぜひご覧いただきたいと思ったので乗せたが、実は僕もこのCMで何を言っているのかは理解していなかった。

アホちゃうか?、 なんて思わないでほしい。

間違いなくこのCMはインドのCMなのだ。そして、なにより、僕は以前から知っているCMなのだ。でも、以前から知っているところに実は落とし穴があったのだ。

僕がかつて観ていたのは、ヒンディー語で製作されたCMだった。ヒンディー語とはインドの第一公用語のこと。(ちなみに、「ヒンズー語」 や 「インド語」 という名の言語が存在しない)

ただ、ブログ投稿のためにCMを検索したときに、パソコンが消音設定になっていた。だから、映像だけを観て、このCMだっ! と思って上記のものを乗せた。

そうしたら、これ何語のやつなのよぉ? って知人に突っ込まれた。何事だと思って確認したら、確かにわけのわからない言語でしゃべっているじゃないか。

しゃべっているのは南インドの言語の一つであることだけがわかった。でも、「タミル語」 なのか、「マラヤーラム語」 なのか、「テルグ語」 なのか、「カンナダ語」 なのかはさっぱりなのだ。(ちなみに、それぞれ文字も違うからなおさらさっぱりだ)

ようやく間違いに気づいた。ヒンディー語のCMを投稿したつもりが、上記のうちのいずれかの言語に吹き替えされたものを乗せてしまっていた。

要するに、言葉が理解できなくてもCMを観てほしいと思ったのは良いが、僕もみなさんと同じぐらい言葉が理解できないCMだった。

 

 ところで、ヒンディー語のオリジナル・バージョンは、これだワン・ツー・スリー

 

両バージョンを聞き比べてはいかがでしょう?

まあ、どっちのバージョンを聞いても、何を言っているか分からないことには変わりないだろうが......(こらこらっ)


白い肌とインド人

2011-01-02 | インド

「アイシュワリア・ラーイ」 という名を聞いたことがあるだろうか。ローマ字表記は 「Aishwarya Rai」。

インド人のトップモデル・女優なのだ。1994年のミス・ワールドに輝いた経歴を持つ。

そして、地球上で最も美しい女性である。

というのは僕の意見じゃなくて、メディアの主観なのだ。まあ、美しいことに関しては異議がないとしても、「最も美しい」 かどうかは各自の美的感覚に任せることにいたす所存でござる。

そんな彼女が今ちょっとした騒動に巻き込まれている。

これが彼女が最近飾った問題の表紙。女性ファッション誌「エル」のインド版だ。

一見なんの変哲もないように思えるかもしれないが、この写真が過剰なデジタル処理によって白くなりすぎているという。

そんなの良くある事じゃないの? と言いたくなった方もいると思う。実は僕もそう言いたくなった。ただ、もともと彼女が色白であるにもかかわらず、あからさまに白く処理されることに関してインドで非難の声が上がっている。アイシュワリア・ラーイ自身も今度ばかりは怒っているとかいないとか。そして、それをきっかけに、写真で肌が白くなきゃだめなのかという議論が起きているとかいないとか。

そもそも、多くのインド人が潜在意識として白い肌に憧れているのは事実だろう。かといって、美白や白い肌に対する憧れはインドに限って見られる現象ではない。日本でだって、白人が比較的ちやほやされやすいところがある。まあ、それは僕の見解だから、異論があっても良い。

要するに、インド人だけが異質ではないということ。ただ、一方では白い肌に憧れるが、他方ではプライドがあってその憧れを公表したくないというジレンマもインドでは存在する。だから、上記の写真騒動みたいなことが起きるのだ。

それに、「美白」 が女性にまつわる話しにとどまらない。実は、最近では男性の方が神経質になっているように思う。理想の男性像として、英語では良く 「tall, DARK, and handsome」 という言葉が使われる。でも、今のインドでは 「tall, FAIR, and handsome」 が理想の男性像なのかと思わされることがある。テレビを観ていても男性用美白品のCMが驚くほど多くなっている。かつてはそんなことがなかった。しかも、それらCMの内容が嫌みたらたらなのだ。こんな感じの

 

言葉が理解できなくても、嫌みが伝わったんじゃなかろうか。あからさまに人の劣等感を煽るこういうCMが平気で放送されている。でも、それに対してはあんまり非難の声が聞こえてこない。騒がれるのは女優の写真処理問題だけだ。そんなのは、僕に空疎な議論にしか思えない。

こんなにだらだらと書いていたら、本当は何を言いたかったかを忘れちゃった。とにかく、上記のようなCMには腹が立ってたまらない。それに惑わされている人が現にたくさんいるのだ。だから、それに比べたら、アイシュワリア・ラーイの写真処理なんかはどうでも良いことだ。