やっと、半年が過ぎた。
でも、何年分かを生きたような気がした。
残りの半年は、半年のままであってほしいと思った。
インドだったら (たぶん) そんなに驚くこともなかった。
それが日本だというからビックリした。
良くもまあできたなあと思った。
ムカついたというより、ちょっと感心しちゃった。
だって、1回でも、100回でも、500回でもなかった。
数は1129回にものぼった。
何かというと、高速料金を払わないままETCレーンを通過した数だった。
それを成し遂げた (?) 男が逮捕された。
でも、なんで1129回までばれなかった?
インドだったら (たぶん) そんなに驚くこともなかった。
それが日本だというからビックリした。
お客様は神様!
サンスクリット語で Aatithi Devo Bhavah! という。
それは、インドでは大昔から伝わる行動規範の一つである。
それを謳うインド (ヒンディー語) のCMがある。
その中に、不思議と日本語が聞こえてくる。
それだけ多くの日本人がインド全土を旅して回っている?
「萌えぇ~」 じゃないんだなぁ、これが。
どっちかというと、「燃えぇ~」 だったなぁ、これが。
ほんま久々に燃えたなぁ、これが。
女子テニスの試合で釘づけになったのはかなり久しかったなぁ、これが。
まだウィンブルドンの2回戦だというのに、すさまじい試合だったなぁ、これが。
3セット目の第13ゲームが取れるところで取り損ねたのは痛かったなぁ、これが。
大健闘だっただけに勝ってほしかったなぁ、これが。
惜しかったけど大あっぱれだったなぁ、これが。
熱戦の末、ビーナス・ウイリアム選手に負けた伊達クルム選手の話しだったなぁ、これが。
気付いたことがあるだろうか。
考えたことがあるだろうか。
「Nuclear Weapon」 という英単語をご存知だろうか。
「Nuclear Development」 という英単語をご存じだろうか。
日本語ではどうだろうか。
前者は 「核兵器」 となる。
後者は 「原子力開発」 となる。
英語ではどっちも同じく 「Nuclear」 が含まれている。
当たり前である。
だって、どっちも同じ物質を処理することを指している。
でも、日本語では、「核」 と 「原子力」 に使い分けている。
「核」 といえば、いわゆる悪者である。
しかし、「原子力」 を言うと、なにか我々にとって必須なものに聞こえる。厳密には、必須なものだと聞かされてきている。
「核開発」 をしてはいけないという。
けれども、「原子力開発」 は大いにやって良いという。
ただ、「核開発」 と 「原子力開発」 はどう違うのか、いやっ、そもそも違うのかどうかを誰も説明しないまま今日に至っている。
そのわけは、 「核開発」 と 「原子力開発」 は根本的には同様なことであるに尽きる。
だとすると、「核」 と 「原子力」 の使い分けは、日本(語)のズルさになる。
そして、そのズルさによって日本人がこれまで騙されてきたことになる。
だから伺いたいのである。
気付いたことがあるだろうか。
考えたことがあるだろうか。
「Nuclear Weapon」 という英単語をご存知だろうか。
「Nuclear Development」 という英単語をご存じだろうか。
英語ではどっちも同じく 「Nuclear」 が含まれている。
当たり前である。
だって、どっちも同じ物質を処理することを指している。
「中長期的な出張のため大阪へ出向かないかとオファーされたんだけど、どうしたら良いと思う?」
ごく親しい間柄の親戚からそう相談を持ちかけられた。
その親戚にとっては久々にめぐってきたチャンスだった。僕はそれを知っていた。
その親戚が日本を訪れることを心から待ちわびていた。僕はそれを知っていた。
だから、本来ならば、その親戚が来日の是非について相談するのではなくて、来日が決まったことを報告するだけのはずだった。僕はそれを知っていた。
でも、、、相談された。
相談されたからには、ちゃんと答えてあげなきゃならなかった。
でも、ちゃんと答えられるわけがなかった。
「今この時期には行かないで」 とも言えなかった。
「うん、頑張ってきなっ!」 とも言えなかった。
一方では、大阪だからあんまり問題がないだろうと思っている僕がいた。
他方では、大阪だといっても、アノ場所からはたかが500キロぐらいしか離れていないんじゃないかと思っている僕がいた。
自分のことならともかく、他人のことで選択を間違えたら取り返しがつかなくなると怖くなった。
こりゃ、とんだジレンマに陥った。
今日は朝から、スピッツのCYCLE HIT (1991~1997 と 1997~2005) を聴いていた。
どう表現すれば良いのかな、、、なんかこうフワッとした気分になった。
後、 「ホタル」 だったか 「チェリー」 だったか、そこらへんの曲を昔カラオケで唄ったら、採点の一等賞のお好み焼きをゲットしたことを思い出した。
もちろんみんなで食べたけど、僕のために肉抜きにしてもらった。
まあ、僕がゲットしたお好み焼きだったから当然か (笑)
そんなこともあったなぁ、と。
懐かしい!
それだけ。
インドをPRするCMのシリーズがある。
キャッチコピーは 「INCREDIBLE INDIA」 なのだ。
インドに対して 「Incredible」 は実にぴったりな単語だと思う。
「信じがたい」 とも訳せる一方で、「ほど素晴らしい」 とも訳せる。
理不尽な出来事が多すぎて信じがたい気持にもなれば、その魔法に魅せられることも多い。
そんな感じの国だから大勢の日本人がはまってしまうものだろうか?
そんなCMシリーズの一作はこちら。
産経ニュースにこんな 【主張】 が載っていた。
伊も脱原発 日本から流れを変えよう
ドイツ、スイスの両国も、原発の順次閉鎖を決めたばかりだ。欧州全体でみれば、フランスや英国など原発堅持の国が多いとはいえ、東京電力福島第1原発の事故を引き金に欧州の一部で原発離れの潮流が勢いを増しつつある。
各国の意思は尊重したいが、正しい選択なのだろうか。持続可能なエネルギー政策であるのかどうか冷静な見極めが必要だ。
イタリアの事情はある面で、日本と似る。海に囲まれた地震火山国でエネルギー資源に乏しい。
だから原子力発電の有用性に着目し、1960年代の半ばから商業発電を開始したが、86年のチェルノブイリ事故を受け、4基あった原発は90年までに閉鎖された。その後、原子力発電の再開などを公約に掲げて当選したのが、現在のベルルスコーニ首相である。
イタリアの電力は、火力発電が80%を占めており、電力料金が高い。二酸化炭素の排出削減にも苦しんでいる。2003年には計画停電を余儀なくされもした。
そんな状況下にあって、イタリアは再び「原発にサヨナラ」を告げた。ただし、不足分はフランスから原子力製の電力を買って使える。そこが、外国からは電力を融通してもらうことができない、日本との決定的な差異である。
感性に流れる選択よりも、理性に基づく判断が必要だ。安全性を再確立して範を世界に垂れ、脱原発の流れを食い止めるのは、事故を起こした国として日本が国際社会に果たすべき責務であろう。
にもかかわらず、日本国内の原発は事故機を含め3分の2が停止している。定期検査後も地元の了解が得られず、運転再開できない原発が増えているためだ。法的根拠を欠く運転不能は、国家の機能不全だ。菅直人首相と海江田万里経済産業相の傍観は許されない。原発立地県を行脚し、首長に運転同意を「要請」すべきである。
このままだと、日本は、諸外国の目に脱原発路線と映る。それが第4、第5のドイツ、イタリアを生みかねない。脱原発の電力不足は火力発電に委ねられ、原油や天然ガスの価格高騰を招く。エネルギー不足とコスト高は日本経済、ひいては世界経済にも悪影響を与えかねないのである。
う~ん、う~ん、、、
なんか、原発推進派によってずっと聞かされてきた主張とちっとも変わらない気がした。
かといって、まったく一理もないとは言えない主張だった。
ただ、フクシマが起きてもなお原発がどうしても不可欠だ、って納得させられるだけの説得力がこの 【主張】 は欠けていた。
やっぱりそう思えてならなかった。
何の人数だろうか?
見当がつくこともなかった。
でも今日知ることになった。
1992年以降、インドで殺害されたジャーナリストは今回で28人目だった。
「今回」 とは昨日のことだった。
石油マフィアなどの犯罪組織と政治とのしがらみについて長年取材していたムンバイ在住の男性記者が郊外で射殺された。
社会の役に立つ人間がまた一人無残な形でこの世からいなくなった。
24時間経ってもなお犯人について何の手がかりも得られていなかった。
反社会的勢力がまた勝った。
残ったのは無念さだけだった。
2011年...
上半期だけでいろいろありすぎた気がする。
なかなかついていけず頭がこんがらかったままでいる。
ちょっと軽い話題では、イチローだって不振のためスタメン落ちしている。
やっぱりこいつ、異様な年である。
...非現実的な夢想家。
作家の村上春樹さんが自らをそう称した。
彼のスピーチのタイトル自体が 「非現実的な夢想家として」 だった。
「非現実的な夢想家」 とは原発に疑問を持つ人々だったという。
でも、原発を推進する国策によってそういう人たちが退けられたという。
そのことを村上さんが残念がった。批判した。
本当に正しい選択はなんなのか。
悩みがなお一層深まった。
好きです。
男性諸君、どうお思いでしょうか?
この曲を最初に教えてくれた人が今月下旬に結婚します。亭主関白になるのか、それとも...
楽しみです。
ちなみに、「男性諸君」 という言葉は使うけど、「女性諸君」 とは言いません。
なら何と言います?
さらにちなみに、ここで 「関白失脚」 の話しは禁句です (笑)
昨夜、寝ているうちにブログを書く夢をみた。
だから、起きたらブログを書こうとしてマイページを開いた。
でも、夢でみた肝心なブログ内容を思い出せずじまいだった。
だから、今日のブログはここで終わることになった。
まあ、それはそれで良いかと思っちゃった。
なんだそりゃ~
ボストン・レッドソックスの松坂投手が右肘にメスを入れることになった。
日本の最高級投手として海を渡っていただけに、この4年間の成績がせいぜいのところ平凡だった。
彼がMLBで投げるたびに、僕が消化不良のような気持ちに襲われた。
日本の松坂ファンがなかなか認めようとしなかったけど、これで事実が一つはっきりした。
彼のメジャーへの挑戦はメジャーな失敗に終わった。
なにより、これでアメリカでは以前から主流となっている考えが後押しされる形になっちゃった。
日本のプロ野球でキャリアーのある投手なら、MLBでそこそこやれても3年までという。
さあ、Mr.ダルビッシュ有、どうなさる?