副題、情報検索と発想の新システム。中公新書。
皮肉なことに、本書のメインテーマはA4一枚に「整理」される。
・文書は分類しない(例外あり)。
・書類の棚は、押し出し式にする。時間軸で処理するため、使った書類は必ず棚の左側に(逆でもよい)戻す。
・右側に溜まったファイルは「神様」なので、処分するか別の場所に保管する。
・ファクシミリは便利だが失礼だと思われている。もっと地位を向上すべし。
・パソコンでメモを取るなら、テキストファイルにしよう。
ああ五点で終わってしまった。
著者の発想はすばらしい。実際、私も実践している。ただし、本にするほどの分量はない。だが本にしないとお金にならない。そのためぐだぐだと著者が整理に苦労する姿を並べている。A方式も駄目、B方式も駄目、C方式も駄目、だから「超」整理法がよい、なんていう論法は迂遠だ。
しかし読んでみて、今回の「ドッグイアー」は長い。読むところがあるということである。
ドッグイアー。
#ユースウェアは、コンピュータを使いこなす方法論であるとともに、「コンピュータに使われない」ための方法論でもあるのだ。
#連絡は手紙で行なうというのが、人間社会が長く用いてきた方法である。電話を日常的に使うようになってのは、せいぜいここ三十年程度のことでしかない。ところで、ファクスとは、基本的には手紙(正確には葉書)と同じものである。だから、ファクスには、人間が永らく慣れてきた方法への復帰であり、自然なものなのである。(略)
問題は、「ファクスを送りつけては失礼だ」という社会通念があることだ。「投げ出すように勝手に送りつける」というイメージがあるのだろう。(略)ファクス通信に失礼なことなど、何もない。
#(KJ法に対する立花隆の厳しい評価)これが利点となるのは、頭が鈍い人が集団で考えるときだけである。
#アイディアはどこで出るか? (略)北宋の文人政治家欧陽修は、(略)馬上、枕上、厠上をあげた。これがいわゆる「三上」である。
#現在、われわれが個人レベルで持っている情報処理能力は、さまざまな面で六十年代の大型コンピュータより高い。(略)だから、情報処理の方法論も、当然変わらなくてはならない。
皮肉なことに、本書のメインテーマはA4一枚に「整理」される。
・文書は分類しない(例外あり)。
・書類の棚は、押し出し式にする。時間軸で処理するため、使った書類は必ず棚の左側に(逆でもよい)戻す。
・右側に溜まったファイルは「神様」なので、処分するか別の場所に保管する。
・ファクシミリは便利だが失礼だと思われている。もっと地位を向上すべし。
・パソコンでメモを取るなら、テキストファイルにしよう。
ああ五点で終わってしまった。
著者の発想はすばらしい。実際、私も実践している。ただし、本にするほどの分量はない。だが本にしないとお金にならない。そのためぐだぐだと著者が整理に苦労する姿を並べている。A方式も駄目、B方式も駄目、C方式も駄目、だから「超」整理法がよい、なんていう論法は迂遠だ。
しかし読んでみて、今回の「ドッグイアー」は長い。読むところがあるということである。
ドッグイアー。
#ユースウェアは、コンピュータを使いこなす方法論であるとともに、「コンピュータに使われない」ための方法論でもあるのだ。
#連絡は手紙で行なうというのが、人間社会が長く用いてきた方法である。電話を日常的に使うようになってのは、せいぜいここ三十年程度のことでしかない。ところで、ファクスとは、基本的には手紙(正確には葉書)と同じものである。だから、ファクスには、人間が永らく慣れてきた方法への復帰であり、自然なものなのである。(略)
問題は、「ファクスを送りつけては失礼だ」という社会通念があることだ。「投げ出すように勝手に送りつける」というイメージがあるのだろう。(略)ファクス通信に失礼なことなど、何もない。
#(KJ法に対する立花隆の厳しい評価)これが利点となるのは、頭が鈍い人が集団で考えるときだけである。
#アイディアはどこで出るか? (略)北宋の文人政治家欧陽修は、(略)馬上、枕上、厠上をあげた。これがいわゆる「三上」である。
#現在、われわれが個人レベルで持っている情報処理能力は、さまざまな面で六十年代の大型コンピュータより高い。(略)だから、情報処理の方法論も、当然変わらなくてはならない。