人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

終日在宅

2018-03-22 13:48:23 | 日記
体を動かすことができないほどの狭い部屋に3人、旅の夢。血圧134 76 脈動68 布団から起きて立ち上がるのに手すり等、補助具を使わないでできた!ズボンをはくのにも補助具につかまらないでできた!ただし右足を通すのに四苦八苦、10分かかる。左足はまだまだ弱いねぇ、自分の体を支えるのに難儀してばかりだ。でも、俺って、案外辛抱強いやんか。新たに発見。懲りずに、めげずに、試行錯誤しながら、続ける努力をしましょう。
 燃えるゴミ出し。歩き始めは調子いいんだけどね。
 昨日、善君に提供したランチ(ライスは別に大森)。お世辞かどうかわからないけど、「めっちゃうまいっす!」なんてぱぃついていました。スマホで写真を撮ってたぞ。「君んちはアメリカ文化ナイズされているから、じじはフランス文化ナイズね。本格フランス田舎料理だよ。」

 小鮒智氏へ以下メール。
 目の調子が思わしくなく、いただいた書物を、集中して、なかなか読み進めていくことができません。今もなお「語り綴ぐ人間性と人格の教育」を拝読しております。
 「第2章 教育を語る」は、もともとの私の学習フィールドが「国語教育」であり、研究実践フィールドが「教育実践(史)」でありますので、きわめて興味深く、かつ共感をしながら読んでいます。
 先生が教室でお使いになっていた「教科書」「副読本」がひょっとして私の関係しているものではないのだろうか、と感覚の共通性を感じたり(日本標準の「考える道徳」の編集を担当ました。書き下しの小品もあります。著作権じゃは出版社になっていますすけれど。)、あるいは、ヴィクトル・ユゴーへの目線では大きく共通し共感をしながらも、19世紀の人間としてのユゴー論はお伝えしたいなあ、と思ったり。
 私がユゴーを正面から見つめようとしたきっかけは彼の生誕200周年記念で沸くパリ滞在でのある気づきでした。それは「子どもの権利」の初の唱道者であるということです。1850年1月15日のフランス下院議会での演説にそれが述べられています。この演説は、公教育を世俗の手に渡すべきだ、という主張が本旨であり、わが国の旧教育基本法に通じ、かつ現在のフランス公教育にも通ずる大原則の提案になっています。この「出会い」についてのエッセイのリンクアドレスを張っておきますので、よろしければ、ご笑覧ください。ユゴーの演説翻訳文のリンクアドレスをそのエッセイの末尾に張ってありますので、こちらもお読みくださればと存じます。フランス語の独習を初めて3年とたっていないころのことゆえ、こなれた文章ではありません。
http://eseguin.web.fc2.com/pdf/2002hugo.pdf
 そして、ユゴーの出会いは、パリ・コミューン研究の発展にもなりましたし、のちに進めることになったセガン研究の大きなテーマにもなりました。このことについては、また別メールで、綴らせていただきます。