人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

通院 その後 船橋 物産展

2020-12-02 16:53:08 | 日記

曇り

血圧は高い。寒さのもあるだろうけれど。上、142 下、92。

午前中診察。脳神経外科の定期診察。診察前に採血。今日の採血はちくりとモ痛みが感じなかった。そういうことって有るんだなあ。

中性脂肪チが高いことから「お散歩してますか」という例のご指導が入る。あたまのなかでは、やっぱりなあ、やらなきゃなあ、でもこの脚の具合ではつらいなあ、とぼやいていた。後刻の船橋物産展で同行をお願いしたDさんにも散歩の勧めを強烈にいただいた。天気次第ですが、ノロノロ歩きでも、やります!

診察の後は船橋に出て、鹿児島物産展。カルカン(家族への土産)、クロスポン酢・ごま油(海藻サラダ用のドレッシングとして)、その他いろいろ。れいによってリュックはパンパン。
 
<物産展は遠いふるさと>
 
船橋東武デパートで鹿児島物産展。「カルカン」でも買おうかなと立ち寄った。
菜種油とごま油、そして椿油の店で、足が止まってしまった。
60余年前には、我が「畑」で菜種と胡麻を作付けしていたからだ。胡麻の花の蜜吸いは甘いものに飢えていた時代ゆえだろう、盛んにやった。甘露な味。アリを吸い込んでしまったこともある。痛さを覚えるほどの酸味…。
胡麻も菜種もその場では種打ちしない。1時間余の上り坂のある道を、リヤカーに山と積んで、自宅の庭で天日干し…。
乾ききったころ種を蓆の上に叩き落し、救い集めて、米俵にいれる。リヤカーに積んで製油所に運び脂に取り換えてもらう。・・・
小学校4年からのぼくの仕事だ。おかげだろう、虚弱でいつも熱を出していたのが、すっかり健康体になり、その後、寝込むことはなくなった。
そんな生育との記憶と結びつくのが、各地の物産展。物理的な故郷を失った者も、物産展には「ふるさと」が数々ある。
菜種油とごま油は、ぼくの食生活の中で、活用されることになる。いろんな使い道があるぞー。

亡き姉を偲ぶ

2020-12-02 16:31:20 | 日記
2歳年上の姉の訃報を受け取ったのは、2000年4月7日。海外研修でパリに着いて程なくだった。義兄はぼくの帰国を待って葬儀を出すという。
 葬儀は義兄の家で為された。出棺の折、姉の演奏が流された。ぼくのたっての願いを義兄は聞き届けていた。姉のヴァイオリンの音が流れ始めた途端、認知症に病んでいた母の口から、「しげこー、なんで先、逝ってしもたんやー」と泣き叫ぶ声が響いた…。姉、60歳に手が届く年齢だった。骨肉腫罹病による。
 我が家は母と姉とぼくだけの家族。母は姉に、女がどんな境遇になっても一人で生きていくために、手に技、職を付けなければいけないと、音楽の道に進ませた。ぼくには当たり前のごとく男は出世しろ!と強烈な干渉。姉は母の望む道をまっすぐ進み、ぼくはすさまじい反抗を繰り返し自分の願いを実現しようとあがいた。暴力寸前の対立をする母とぼくとの間に入って、姉は、母をなだめ、ぼくをやさしくほぐしてくれた。
 そのような姉がわが家族の中で誰よりも先に黄泉の国に逝ってしまった。皮肉なものだ。姉亡き後も、ぼくと母との大きな溝は埋めがたく、義兄が姉に代わって仲立ちしてくれた。その母も今は亡き人だ。
 最近出会ったあるFBFとの語り合いの中で、今まであまり口にしてこなかった亡き姉のことを綴っておきたい、と思い立った次第。