人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

「忙しい!」は縁がなくなってしまった侘しさ 今日はセガン生誕の日

2019-01-20 10:44:42 | 日記
 体が不自由だ、体の部品が痛む、痺れる、だるい…などを口実として、寒い季節には、自室に閉じこもり、「由無し事」に時を過ごす。もともと怠け癖のある人間だから、なおさら怠けに浸る日々を過ごすこの頃。これでいいわけはないのだが、良しとしてしまっている心には、なかなか抗いがたい。
 今朝の起床後、車庫屋根庭に登りて、せめて体ほぐし体操をと、ごみ場から拾ったゴルフのウッドを振り回し始めたが、やはり心が入らない。すぐ飽きる。これは何とかしないとなあ、という殊勝な建前心が湧いてきて、何とかする材をきょろきょろと探した。きょろきょろという表現にはとても及ばない狭い空間ゆえ、すぐに見つけて、それで折り合いをつける。空気が抜けた使い物にならないゴムボール。これをウッドで叩いたら飛びはしないけれど、ド派手な音が出て、気持ちいいだろうなあ、と思ってクラブを振り上げたが、早朝からパコーンという音はご近所の迷惑。で、頭を切り替えて、クリケットを模してみよう…。ああ!「忙しい!」
 左回りがボールの走りに追いつかない、右回りだとクリケットの「ドリブル」もどきになる。左回りは要するにボールを追いかけるのに「忙しい」そしてもたつく…。左脚の運びがぎこちないからだ。そうだ!これ、訓練に採り入れましょう。春にW⁻FBFと約束した両国界隈お花見散策、M-FBFと約束した浅草界隈人力車散策に向けて、歩行のための脚の鍛錬にもなろう。
 なんとか、「忙しい!」が無い「侘しさ」から逃れる糸口がつかめたようだな。これを「学問」にも向けようじゃあないか、まだ枯れるのは早いぞ!

今日はこれを忘れてはならなかったのだ!

[今日はセガンの生誕の日]

 今日は、知的障害教育の開拓者エデュアール=オネジム・セガンの誕生日(1812年1月20日生まれ)。この人と研究的に出会ったのは、偶然でしかない。

 研究者になることを夢想し教育学研究のための武器としてドイツ語学習に夢中になって取り組んだ10代後半から20代半ば、もちろん、アメリカの初等教育改革運動とその教育実践を追い求めた30代後半から40代終わりまでにも、考えもしなかったフランス語圏の、60代になってからの、しかも知的障害ならびにその教育という領域。教育学研究では決して「主流」という扱いはなされていない。人によっては、「なんでまた、好きこのんでそんなものを!」という侮蔑的な声を投げてよこすことさえあるのだから。
 世界を見渡せば、セガンに関する「先行研究」は、おびただしい数がある。しかし、セガンを対象として書かれた学術論文(博士論文)は、アメリカ1本、フランス2本しかない。アメリカのそれは教育学博士論文、フランスのそれらは医学博士論文。日本ではアメリカの博士論文だけしか知られてこなかった。

 「セガンはとても有名ですが、これまで、本当のところはほとんどわかっていませんでした。」―2012年セガン生誕200年祭(国際会議)の場での、主催者あいさつ。ぼくもその場で付け加えて発言。「セガンはわが日本でも、知的障害教育・福祉の世界、広く障害児・者教育の世界でもとてもよく知られた人ですが、わが国の言葉で言えば、その名声の実はほとんど<でっち上げ>られてきたのでした。」
 
 <でっち上げ>とは穏やかならぬ表現だが、取り消すつもりはない。その源はと言えば、セガン原書の翻訳、解説、セガンが没した際の弔辞にある。史資料調査がほとんどなされないままに、自称セガン研究者たちがあれこれと、セガン像を創りあげてきた、というだけのこと。

 何かの宣伝文句ではないが、「クサイ匂いは元から絶たなきゃ、ダメ!」 史料発掘と、それらを時代状況と絡ませて読解し、論理化するという、研究の常道を実践するしかないだろう。
 未だ、道、遠し---。

 併せて、我がデイ社長さんのお誕生日。