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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月28日・ルーシー・バーンズの灯

2021-07-28 | 歴史と人生
7月28日は、米国大統領夫人ジャクリーン・ケネディが生まれた日(1929年)だが、女性運動家ルーシー・バーンズの誕生日でもある。

ルーシー・バーンズは、1879年に、米国ニューヨーク市のブルックリンで生まれた。父親はアイルランド系カトリック教徒の銀行家で、ルーシーは八人きょうだいの四番目の子どもだった。
赤毛に青い目の美人だった彼女は、ブルッリクンの女子私学パーカー・カレッジエイト・インスティテュート、ヴァッサー・カレッジなどで学び、イェール大学で昆虫学、コロンビア大学でドイツ語を修めた後、ブルックリンで高校英語教師になった。バスケットボール部のコーチをし、二年ほど勤めた後、二七歳で教師を辞め、ヨーロッパに留学した。
このヨーロッパ留学時代、英国で、彼女はサフラジェット(女性参政権運動の闘士)であるエメリン・パンクハーストと彼女の娘たちと知り合い、オックスフォードでの学業を捨て、英国の激しい女性参政権運動に飛びこんでいった。
彼女はロンドンでのデモに参加した折、警察に逮捕、拘束された。そうして、警察署の拘置所のなかで、同じように逮捕された米国人アリス・ポールと出会った。檻のなかで彼女らは合衆国の女性の権利状況について語りあい、バーンズとポールは意気投合した。
1912年、33歳のときにバーンズは米国へもどった。そして盟友ポールとともに、女性参政権達成を目指し闘いを開始した。
1914年、バーンズは女性としてはじめて、国会議員たちの前で演説。さらにポールとともに、女性に投票が認められている諸州にそれぞれオーガナイザーを派遣し、女性票をとりまとめる政治運動をはじめ、全国女性連盟(NWP)を結成した。
NWPは、1917年には、おおぜいの女性たちでホワイトハウスを取り囲むという前代未聞の示威行為をおこなった。この「沈黙の歩哨(Silent Sentinel)」ピケ行動によって、バーンズは多くの同志といっしょに逮捕された。
刑務所に送られたバーンズは、英国じこみのハンガーストライキに踏み切り、釈放されては、また抗議行動に出て逮捕され、収監され、またハンガーストライキに入ることを繰り返した。そうしてあるとき、刑務所内で見せしめのために、彼女の両手を高く掲げて天井からのロープに結わえて立たされたまま、ひと晩放っておかれるという虐待にあった。
事態を憂慮した管理側によって、バーンズはべつの刑務所へ移送され、強制給食がおこなわれた。口を開けるのを拒む彼女を、五人の男が寄ってたかって取り押さえ、鼻からチューブを差し込んで、強制的に流動食を流し込む危険な行為で、大量の鼻血が流れた。
過激化する抵抗運動と警察との衝突は激しさを増し、世論に迫られたウィルソン政権は、女性参政権を認める憲法修正案を提出し、1919年、修正案は下院、上院を通過した。
そして各州の批准をへて、1920年「各州ならびに連邦政府が市民の性別を理由に投票権を否定してはならない」とする、合衆国憲法修正第19条がついに成立した。
悲願の女性参政権が達成されたのを見届けると、ルーシー・バーンズは政治活動から引退し、カトリック教会活動に従事した後、1966年12月、生まれ故郷ニューヨークのブルックリンで没した。87歳だった。
闘争の人生だった。現代、日本を含め世界中の女性が彼女の恩恵に浴している。
(2021年7月28日)



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