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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月22日・岡林信康の無縫

2021-07-22 | 音楽
7月22日は、ストレプトマイシンを発見したワクスマンが生まれた日(1888年)だが、「フォークの神様」岡林信康の誕生日でもある。

岡林信康は、1946年、滋賀の近江八幡市で生まれた。父親は、牧師だった。
岡林の父親は30歳まで新潟で農家の五男として、ふだんは農業、冬は出稼ぎという生活をしていたが、太平洋戦争中の30歳のとき、とつぜん思い立ち、村を出て、滋賀県の紡績工場で働きだし、そこで今度は宗教に目覚め、大阪の神学校に通いだし、牧師になったという経歴の持ち主だった。信康は、父親が34歳のときの子どもだった。
小さいころの信康は、教会で賛美歌を歌うまじめな少年だった。しかし、本人はその「牧師の息子」という境遇を居心地悪く感じていた。京都の大学に入り、神学を学んでいた彼は「牧師の殻」を破るため、ボクシングをはじめた。また、東京の山谷で活動している牧師がいると聞いて訪ねていった山谷で、簡易宿泊所で寝起きし、日雇いの肉体労働をする生活をはじめた。大学はやめた。「受験生ブルース」を歌った高石友也のコンサートを聴いて、歌手になろうと決意。質屋でギターを買い、彼は曲を書き、歌い出した。
22歳のとき「山谷ブルース」でレコードデビュー。以後、「チューリップのアップリケ」「友よ」「私たちの望むものは」などの名曲を発表し、「フォークの神様」と呼ばれた。
フォークからロックへ移行しかけていた25歳のとき、彼はとつぜん音楽活動から身を引き、京都の山村に引きこもり農耕生活をはじめた。27歳のころ、ふたたび音楽活動をはじめたが、35歳のとき、ロック界の神ロバート・フィリップから、
「いいかげんに俺たちの真似はやめたらどうだ。日本のロックを聞かせてみろよ」(岡林信康『バンザイなこっちゃ!』ゴマブックス)
と言われ、一念発起して日本の民謡を生かした独特な和製ロック「エンヤトット」を創り出した。和太鼓や尺八、三味線にフォークギターとハーモニカを合わせるという独特の演奏スタイルでコンサート活動を続けている。

岡林の「私たちの望むものは」をはじめて聴いたときの衝撃は忘れられない。この曲を、発表されたリアルタイムで聴いていた若き日の渋谷陽一は、
「そうだ。いまある状況にとどまってはならないのだ」
と、この曲を励みにして、音楽ジャーナリズムに変革をもたらす雑誌「ロッキングオン」を立ち上げたというが、遅れて後の時代に聴いても、その熱さはよく伝わってくる。聴くたびに、行動に駆り立てられる。
現代にも応援ソングは数多あれど、「私たちの望むものは」はそういうものとはちがう。「がんばって」でなく、「いまに見ていろ」と世の中をひっくり返す革命ソングである。
知人の音楽評論家によれば、この曲の歌詞は、1968年の仏国パリの五月革命のときに、パリの学生によって落書きされていた詩がもとになっているそうだ。

岡林を師と仰ぐ泉谷しげるは、山奥の岡林の家まで押しかけた。そうして、3週間のあいだ田植えを手伝わされた。美空ひばりは田舎に引っ込んだ岡林を非難した。
「その才能を、どうして世のためひとのために使おうとしないのか」(同前)
歌もさることながら、そのゴーイング・マイウェイぶりがすばらしい。
(2021年7月22日)



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