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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月24日・谷崎潤一郎の道

2021-07-24 | 文学
7月24日は「パリの王様」アレクサンドル・デュマが生まれた日(1802年)だが、文豪、谷崎潤一郎の誕生日でもある。

谷崎潤一郎は、1886年、東京の日本橋で生まれた。祖父が、活版所や洋酒を扱って成功した実業家で、父親はそこへ入った婿養子だった。潤一郎は次男だったが、長男が早産で死んだため、事実上、長男になった。潤一郎の下に弟が3人、妹が3人いた。
成績はつねに優秀で「神童」と呼ばれ、小学校時代の教師の影響で、早くから文学に関心をもった。17歳のとき「学友雑誌」に彼はこう書いた。
「われ幼きより、最も嫌ひしは軍人にて、次は商人なりき。たとへ名声を世界にふるひ、功名を天下にたつとも、他人の生命を奪ひ、刃をふるひて血を流すは、これをしも人の道にかなへりとやいはむ。たとへ巨万の富を重ね、栄華の春にふけるとも、ただ夢の世を夢とすぐすは、あはれ人と生れし甲斐ぞなき」(「春風秋雨録」『新潮日本文学アルバム7 谷崎潤一郎』新潮社)
東京帝国大学の国文科に入学した谷崎は、仲間と同人誌「新思潮」(第二次)を創刊し、その雑誌に小説『刺青』を発表した。この耽美主義の傑作が作家の永井荷風に激賞され、注目の新進作家となった。以後、『痴人の愛』『蓼食ふ虫』『吉野葛』『蘆刈』『春琴抄』『細雪』『少将滋幹の母』『鍵』『瘋癲老人日記』など名作を書き、生涯を通じて絶大な人気と存在感を示しつづけた。一文一文が長い、王朝風を感じさせる華麗な文章を書いた名文家だが、その文章の論理はひじょうにすっきりと整っていて、その本質はじつは西洋的な作家だとも言われる。
1965年7月、腎不全から心不全を併発し没した。79歳だった。

日本人で最初にノーベル文学賞候補に名がのぼったのは、谷崎潤一郎だった。

全集のほか、谷崎についての資料をたくさんもっているが、谷崎文学の魅力はまず、その文章にある。とにかく文章が平易でわかりやすい。論理が明晰に通っている。それでいて流麗で、文章の上手さに酔ってしまう。それから、趣向が凝っていて、題材と筋立てがひじょうにおもしろい。読み出すと、止まらなくなる。ページを繰っていると、読者の首根っこをつかんで離さない、谷崎の強い腕力を感じる。

日本の古代から現代にいたる文学の歴史を通じて、谷崎こそはいちばん姿の大きな作家かもしれない。紫式部や滝沢馬琴より大きい。「大谷崎」という自分の運命をしっかりと見据え、大作家の道を若いときから信じて歩き、その道をまっすぐ歩いて世界の谷崎になった。そんな巨大さを感じる。
三島由紀夫がうまいことを言っている。
「八十年の生涯を通じて、氏がほとんど自己の資質を見誤らなかったということはおどろくべきことである。横光利一氏のように、すぐれた才能と感受性に恵まれながら、自己の資質を何度か見誤った作家のかたわらに置くと、谷崎氏の明敏は、ほとんど神のように見える」(「谷崎潤一郎」『作家論』中公文庫)
(2021年7月24日)



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