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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月9日・細野晴臣の魂

2021-07-09 | 音楽
7月9日は、作家ディーン・クーンツ(1945年)が生まれた日だが、ミュージシャン、細野晴臣(ほそのはるおみ)の誕生日でもある。はっぴいえんど、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の「細野さん」である。

細野晴臣は、1947年、東京都港区で生まれた。父親は橋梁など大規模建築をおこなう現場監督だった。この父方の祖父は鉄道官僚で、ロシア留学の帰りに、タイタニック号に乗船し、同船の沈没に際し、救命ボートに乗って九死に一生を得た人物だった。晴臣の父親が誕生したのは、祖父が帰国して後のことだった。
晴臣は、少年時代から外国の音楽にひかれ、バンドを組みだしたロック少年であり、また漫画家志望でもあった。
大学時代にベースの演奏をはじめ、22歳のときにバンド「はっぴいえんど」に参加。メンバーは細野と、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂だった。「はっぴいえんど」は日本語のロック・ミュージックの出発点とされる伝説的なバンドとなった。
26歳のころ、「はっぴいえんど」が解散し、細野はソロ活動をはじめたが、31歳のとき、高橋幸宏、坂本龍一と組み、YMOを結成。徹底的にコンピュータによる音作りにこだわったテクノ・サウンドで、YMOは大成功した。
36歳のとき、YMOは解散(散開)し、以後、細野はポップ・ミュージック、ワールド・ミュージック、アンビエント・ミュージックの分野で活躍を続けてきた。
エレキベースのほか、キーボード、ギター、ピアノ、ドラムス、三味線など数多の種類の楽器を演奏するマルチ・プレイヤーでもあり、ボーカルをとった楽曲も多い。

細野晴臣こそ、じつはYMOとはもっとも縁遠い人なのかもしれない。彼はYMOをはじめるときのことを、こう回想している。
「YMOをやるときは、実は、YMOをやるか、高野山に行くかで迷っていたんだよ。(中略)ぼくのアイドルはその当時、お釈迦さまだったんだ。お釈迦さまは二十九歳のときに出家したんだよ。で、三十六歳か三十七歳のときに悟りを開いた。その頃、ちょうどぼくは同じ年頃だったから、『今だったらできるな』と思ったんだ。京都のお寺に通っていたし、お坊さんとも知り合いだったから、本気で得度しようと思ったらできたかもしれない。その思いを抱えながら、YMOを始めたの。でも、結局YMOが売れちゃったから、そっちに引っ張られるならそっちでもいいやという感じで続けたのさ。」(「頂上」『細野晴臣 分福茶釜』平凡社)

「同世代の人たちよりも若い世代の方に自分は似ていると思う。たとえばひきこもりとかニートとか。そういう問題、自分との共通点がある。今の若者の犯罪なんかを見てると人ごととは思えなかったりするから、むしろ団塊世代のほうが距離感があるんだ。」(「団塊」同前)

細野は、ライブ演奏のとき、からだだけがステージにいて、自分の魂は海を見渡す浜辺にいたりすると告白している。細野自身が、もっとも売れず孤独な時期だったと言っている20代の終わりごろの作品「トロピカル・ダンディー」「泰安洋行」が好きで、彼の発言を聞いていると、なんだか他人のような気がしない。
(2021年7月9日)



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