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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月6日・ダライ・ラマ14世の数奇

2024-07-06 | 歴史と人生
7月6日は、女流画家、フリーダ・カーロが生まれた日(1907年)だが、チベットの生き仏、ダライ・ラマ14世の誕生日でもある。

ダライ・ラマ14世は、1935年7月6日(チベット暦5月6日)、中国(当時は中華民国)の青海省アムドで生まれた。幼名をラモ・ドンドゥプといい、羊やヤクを飼い、大麦やトウモロコシを育てる農家の9番目の子だった。彼は2歳のころ、チベット政府から派遣されてきた一行に見出され、ダライ・ラマの生まれ変わりと認定された。

彼が生まれる2年前に、チベットで生き仏、ダライ・ラマ13世が没していた。13世の没を受け、摂政は未来を見せるとされるチェ・コール・ギュエ湖へ出かけた。
ラマ教の国、チベットでは、輪廻転生をくり返す生き仏、ダライ・ラマが代々治めるしきたりで、先代亡きあと、その生まれ変わりをさがしてきてその座にすえるべく、摂政は手がかりを湖に求めたのだった。
「摂政が祈祷を重ねながらこの湖まで行ってほとりに立ち、覗きこんでみると、黄金の屋根を持った三階建ての僧院の姿があらわれ、僧院のそばには、美しい彫刻を施した破風を持った中国風の農家が一軒建っていた。」(ハインリヒ・ハラー著、福田宏年訳『セブン・イヤーズ・イン・チベット』角川文庫)
1937年になって、14世ダライ・ラマの捜索がはじめられ、それでラモ・ドンドゥプが生まれて2年後に、チベットからの捜索隊が、アムドに現れた。

アムドで捜索隊の僧たちは、三階建ての僧院と農家を見つけた。一行が近づくと、2歳くらいの男の子が駆けよってきて、13世愛用の数珠をかけた僧侶の衣をつかみ、叫んだ。
「セラ・ラマ、セラ・ラマ(セラ僧院から来たラマ僧だ)」
セラ僧院は、チベットのラサにある寺院で、彼はまさしくそこのラマ僧だった。
13世の遺品を見分ける試験が複数おこなわれ、生まれ変わりだと認定されると、捜索隊は両親と話し合い、州知事に大金を払い、その男の子をチベットへ連れ帰った。

1950年、チベットでダライ・ラマ14世となったラモが15歳のとき、中国(中華人民共和国)はチベット侵略を開始した。中国軍は脆弱な軍備のチベット軍をなんなく打ち破り、制圧。チベット全域を併合した。チベットは国際社会に助けを求めたが、救いの手は差し伸べられなかった。永らく固守してきたチベットの鎖国政策が裏目に出た恰好である。
ダライ・ラマ14世はその後、中国内でチベット民族や仏教界の代表として活動していたが、1959年、彼が24歳のときに起きたチベット蜂起(中国側の支配に対する民衆蜂起で、8万人以上のチベット人が殺されたとされる)を機にインドへ亡命し、インドにチベット亡命政府を樹立した。以後、ダライ・ラマ14世は、チベット民族の高度な自治権を訴え、また仏教の指導者として、講演活動をして世界を巡った。
14世は54歳のとき、その平和的解決の努力や文化活動に対してノーベル平和賞を授与された。カナダの名誉市民、仏パリの名誉市民ともなった。

『セブン・イヤーズ・イン・チベット』を読み、映画も観た。来日したダライ・ラマ14世をテレビで見、自伝も読んだ。ウイグルや香港もそうだけれど、大国のそばで、自治権を保つのは大変である。チベットの悲劇を知れば知るほど、国際交流の大切さを痛感する。それにしても、世の中には数奇な運命を生きる人がいるものだと驚かされる。
(2024年7月6日)



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