第一回M1グランプリを今頃見ました。漫才ネタは時々日本語の規則を背景にして作られております。ここでは、頼まれてもいないけど勝手に紹介します。ますだおかだのネタでは、
ナイキ狩り、おやじ狩り、ブドウ狩り、さみしがり
という複合語を使ってネタが作られていました。
そもそも、‘狩り’という言葉は、「マンモス狩り」なんかにあるように、なんらかの獲物を捕まえるというところが基本義でしょう。ここでは、狩る対象と獲得した獲物を分けて考えてみます。←マンモス
「マンモス狩り」では、狩る対象も獲得した獲物もどちらもマンモスです。対象と獲物が一致しているということになります。これが動物から植物にまで拡張したのが「ブドウ狩り」でしょうね~。この場合も対象と獲物が一致しております。植物は逃げないから、マンモスに比べるとかなり平和な狩りですね~。遠足とか家族旅行なんかを連想して、「マンモス狩り」みたいなイメージはありません。←ブドウ
「ナイキ狩り」になると、狩る対象が人間になります。ナイキが勝手に野原を走り回ったり、気にぶら下がっていたりはしないもんね。つまり、対象は人間、獲物はナイキという対象と獲物の不一致が出てきます。もとの「マンモス狩り」とはかなり構造が違ってきます。←ナイキ・・・もといマイク
「おやじ狩り」は、対象はおやじですが、捕まえたおやじを持って帰っても仕方がないので、獲物がおやじではありません。←おやじ
稲中卓球部のサンチェみたいになってしまうもの。
この場合も、対象と獲物が不一致ということになります。「さみしがり」になるとまったく‘狩り’ではないので、オチになってしまいます。
以上のように‘狩り’という語はいろいろな構造に拡張していて、それぞれが微妙に違うわけです。それらの構造の違いを背景に漫才のネタは作られていくわけです。そう考えると漫才師はアホではできない、といううちのばあちゃんの口癖をしみじみ思い出しますね~。
ところで、「もみじ狩り」は?
対象も獲物も紅葉ではないのです。これまた別の構造。
さ~て、「暑がり」の私にはいい季節になってきました。
テンション上がるわ!!
ナイキ狩り、おやじ狩り、ブドウ狩り、さみしがり
という複合語を使ってネタが作られていました。
そもそも、‘狩り’という言葉は、「マンモス狩り」なんかにあるように、なんらかの獲物を捕まえるというところが基本義でしょう。ここでは、狩る対象と獲得した獲物を分けて考えてみます。←マンモス
「マンモス狩り」では、狩る対象も獲得した獲物もどちらもマンモスです。対象と獲物が一致しているということになります。これが動物から植物にまで拡張したのが「ブドウ狩り」でしょうね~。この場合も対象と獲物が一致しております。植物は逃げないから、マンモスに比べるとかなり平和な狩りですね~。遠足とか家族旅行なんかを連想して、「マンモス狩り」みたいなイメージはありません。←ブドウ
「ナイキ狩り」になると、狩る対象が人間になります。ナイキが勝手に野原を走り回ったり、気にぶら下がっていたりはしないもんね。つまり、対象は人間、獲物はナイキという対象と獲物の不一致が出てきます。もとの「マンモス狩り」とはかなり構造が違ってきます。←ナイキ・・・もといマイク
「おやじ狩り」は、対象はおやじですが、捕まえたおやじを持って帰っても仕方がないので、獲物がおやじではありません。←おやじ
稲中卓球部のサンチェみたいになってしまうもの。
この場合も、対象と獲物が不一致ということになります。「さみしがり」になるとまったく‘狩り’ではないので、オチになってしまいます。
以上のように‘狩り’という語はいろいろな構造に拡張していて、それぞれが微妙に違うわけです。それらの構造の違いを背景に漫才のネタは作られていくわけです。そう考えると漫才師はアホではできない、といううちのばあちゃんの口癖をしみじみ思い出しますね~。
ところで、「もみじ狩り」は?
対象も獲物も紅葉ではないのです。これまた別の構造。
さ~て、「暑がり」の私にはいい季節になってきました。
テンション上がるわ!!