日本語教師の見た中国とか…

日本語教師が見た中国をつらつらと綴ろうとはじめました。帰国後、大学院生を経て今はとうとう専任日本語教師だ~。

家庭菜園を言語学する

2007-09-25 19:36:24 | 日本語
 このブログもはや3年目、みなさんがちょこちょこコメントを残してくださるようになり、感謝ハムニダ。(←これを今年流行らそうとしているのに、あまりみんな乗ってくれない。

 別に終わりじゃありませんよ。

 身の回りには、モノは知っているけど名前は知らないというモノがたくさんありますよね。例えばすし折に入っている、緑色のギザギザしたモノ、あんなものの名前を知らなくても日本社会では生きていけます。他にも、シャーペンの根元にあるポケットにひっかけるつめ、めがねの鼻に当たる部分、自転車の空気を入れる部分にあるニョロニョロ・・・

 これらはちょっとかっこよく言うと、シニフィエのみの認識になります。

逆もあって、言葉は知っていてもモノをしらないなんてことよくあるでしょ?‘うぐいす’という言葉は知っているけど、たくさんいる鳥の中で、うぐいすを指差せといわれても困る(私が無知なだけかな??)。‘さるすべり’なんてのも名前しか知らないし、‘アフリカツエツエバエ’もどんなんかはわからないなあ。 

 これらはちょっとかっこよくいうと、シニフィアンのみの認識。

 実家近所の農家直売所でおばちゃんから「これはししとうだ。」と言われて、3株も庭に植えたのが5月の話。実がなってみたらびつくり!!

 ピーマンやがな~。しかも、今年、もんのすごい豊作

ししとうとピーマンの違いもわからずなんちゃって農民をやっている私が悪いのさ。これも言葉はしってるけど、モノを知らないという例だなあ。異常気候のせいで、いまだにものすごい収穫量をほこるうちのピーマン。


 実家に帰るたびに、チンジャオロースやがな。

 みそ汁にピーマンは嫌やわ~、と、文句も言えない私。

 
 植えた本人だもの。

映画における方言の機能

2007-09-19 21:37:24 | 言語
ちまちまと映画ネタやります。

『青春デンデケデケデケ』と『うどん』をなぜか連続して見たら、どちらも香川県が舞台でした。どちらもいいですよ。まあ、僕は映画評論できるようなするどい視点もないし、井筒監督みたいな情熱もないので、何を見ても感情移入して楽しめてしまいます。

しかし、両映画で、何か違うのです。『デンデケデケデケ』の方は、四国にいるっていう状況設定がものすごくリアルに伝わるのですが、『うどん』はなんだかちゃっちいのです。東京なんだか四国なんだか、どっちでもいけそう。

違いは方言の扱い。

『デンデケデケデケ』は、完璧に方言を話します。字幕がないとわからないシーンもありますが、状況からだいたいの意味を推察しながら観衆は楽しむのです。一方、『うどん』は・・・

久々に香川で同窓会的なことをするシーンで、トータス松本はベタベタの関西弁、サンタマリアはニューヨーク帰りという設定ですが、全く標準語、まわりの仲間もなんだかよそよそしい言葉。

そんなことありえへんでしょ??

私も高校の同級生と地元で会ったときにゃあ、条件反射的に滋賀弁(ソフィスティケイティドでアバンギャルドな関西弁)になるものです。それが地元の雰囲気を出すリアリティだと思うのです。家族とだって反射的に方言が出るものです。

『うどん』はスタッフが豪華だったから、方言練習とかしてるヒマがなかったのかなあ。


もっともっと言葉を大事にして欲しいの思うのだ。



こんなことチクチク言うおっさんってうざい??  ふーん。



使役余剰

2007-09-14 08:50:49 | 日本語
 テレビ見てたら、小沢セイジさんのことをやっていました。オーケストラのメンバーのセリフが心に残っています。文法的にね。

 (小沢さんに)能力を引き出させられました。

どうよ?違和感はありますか?いわゆる文法教科書的に見るとこれは文法的に間違った文です。受身だとわかりにくいので、能動文にしてみますね。

 (小沢さんが)能力を引き出させた。

‘引き出す’という他動詞は、目的語をとることができるから、正確には・・・「能力を引き出す」というのがいわゆる正しい日本語です。つまり上の文は、使役にしなくてもいいのに、使役になっているのです。こういった文を使役余剰と呼び研究している方がおられます(定延利之『認知言語論』)。

 ラジオを聴いていたら某お化粧系チャラチャラバンドが、「ニューシングルをリリースさせます」と言っていましたが、これも使役余剰。使役にしなくてもいいですから。つまり、使役余剰は文法教科書的には間違いですが、世間にはかなり広まっているのです。

 能力を引き出したり、CDを出したりするという行為は、主語の意思だけで決定できることではありません。能力を引き出せるかどうかには、いろいろな要素がからんでいてうまくいくかわからないし、CDリリースもそう。そういった不確定要素をなんとかがんばって乗り越えていく、という気持ちが使役になって現れるとおもうのですが、定延先生はかなり理論的に分析されております。

 これらの現象は、‘日本語の乱れ’と言ってしまえばそれまでなんですが、そこを突っ込んでいくといろいろおもしろいことが見えると言うハナシ。

 あ~僕も早く自分の論文集を出版させたいものだ。(これまた使役余剰)

限りなく不可能に近い不確定要素を乗り越えて出版という行為を完了したいという底抜けに無謀な野望が、使役形になって現れているのです。


 写真集よりは実現可能性があるはず 

カラスの種類

2007-09-07 17:52:21 | 日本語
 カラスはハシブトガラスやハシボソガラスといった種類があります。のっけから変な話題で切り出しましたが、別に日本の都会におけるカラスの被害状況をつべこべ論じようという社会的ブログではありませんよ。あしからず~。

 ヤタガラス

なんていう伝説のカラスもいましたね。神のお告げを知らせる鳥だとか・・・

 ハシブトガラス ハシボソガラス ヤタガラス

すべて、○○カラスという構造でできています。名詞+名詞構造では、後ろの名詞が全体の意味を決定するという原則なので、○○のところに何が入ろうが、後ろがカラスならすべてカラスの種類を表すのです。

 ところが、英語ではcrowなんですが、これにscare(恐怖)という語を複合させると、scarecrow(かかし)っていう意味になってしまうのです。恐怖の鳥なんやから、火の鳥とかセサミストリートに出てくるビッグバード(ちびっこには恐怖やと思うなあ)なんか想像してしまうのですが、そうじゃないのです。

「カラスをおどかすもの」

っていう意味なんですね。こういった例外的な構造はうちらに新鮮に響きます。英語でも基本的には○○crowと言えばカラスの種類を表すんですけどね。

 
「シェリルクロウはどないやねん?」

 などと言われても困ります。