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日本語教師の見た中国とか…

日本語教師が見た中国をつらつらと綴ろうとはじめました。帰国後、大学院生を経て今はとうとう専任日本語教師だ~。

ベイビーベイビーベイビー!

2009-09-08 09:36:42 | 言語
  

 突然ですが、子供ができました。といっても正確には、奥さんに子供ができたのであって、私が生んだわけではなく、その辺に父親のジェラシーがあったりして、母子の絆は強いな~などと思っています。

 子供のメッセージは単純で、「はらへった」「ねむい」「おむつ変えろよ!」「なんかだるい」程度のもんです。その伝達手段は、「泣く」こと。うちの子は両親に似ず、大変愛想が悪いので、通常の状態はむっつりしています。つまり「むっつり」か「泣く」という2チャンネルデジタル方式でメッセージを伝えてくるわけです。メッセージ内容は、上記の4種類くらいなもんだから、こっちもまあ適当におむつをいじったり、ミルクをやったりすればいいわけです。

 数日して伝達手段に変化が。「はらへった」って伝えたいときには、泣くだけではなく、私のオっパイをちゅうちゅうするようになりました。これで2チャンネルデジタル方式から、3チャンネルに!こうやってメッセージは細分化して、言語が出て来て、さらに複雑なメッセージを発するようになるのでしょう。

 現在は、基本的なメッセージなのでこちらも簡単に対応できますが、将来はどんどん複雑・抽象化していくことが予想されるわけです。

 「なんで、4分の3を3分の4で割ったら、16分の9になんの?」

 「そもそもそんなことして、社会の役に立つの?」

などと言い出したら、ご注意。反抗期のはじまりですよ~


 よかった、まだ0歳で。

 

一冊の本の歴史

2009-03-11 14:59:49 | 言語
 冠詞(aとかtheとかのことね)研究をしている人には、バイブル的な文献なんですが、ホーキンスという人が書いた『Definiteness and Indefiniteness』という本があります。1978年に出たんですが、今だにいろんなところで引用されています。

  突然読まざるをえなくなった(全部じゃないけど)

探してみてびつくり。広島の図書館や大学にはまったく置いていないんです。検索しているとなんと、広島工業大学の図書館に一冊あるとの情報が・・・なんで工業大学なの??

 そんでもって、ほんでもって、借りてきたわけですよ。(プレミア付だから米アマゾンの中古で買おうとしたら300ドルくらいしてた!)1978年に出版、1983年に工大図書館に入ってきたわけです、それ以来ずーーーーーーーーーーっと!

 誰も借りてない←閑古鳥ね

寄る年波のせいか、全体的に古びてはいるんですが、借りた人は私が最初です。一体この子はなぜ工業大学にはいって、今までどんな人生を送ってきたのだろう??25年もたって、僕が借りてあげたからいいものの、誰も借りなかったらなんて悲しい人生なんだろう??

 本を抱えてみるとなんとも感慨深いものです。

 運命ってこういうときに使うのかもね。

 

不思議惑星キンザザ

2009-03-04 15:24:14 | 言語
 冒頭のタイトルは、1986年のソ連映画です。異文化コミュニケーションに興味のある人はおもしろいと思いますよ~。ソ連で大ヒットをとばしたコメディでもあり、SFでもあります。

 ちょっとだけひっかかったのは、宇宙人の言語についてです。彼らの言葉では、身分を表す言葉など一部の語彙を除くと、

 クー

という表現しかありません。ののしるときには、

 キュー!

というんですが、それ以外のコミュニケーションはすべて、「クー」で成り立つというのです。つまり、会話はすべて、「クー」だけで進行するという恐るべき超コンテクスト依存型の言語!!

 そんなアホな・・・

しかも、彼ら宇宙人は、未確認生物である地球人に会っても、数時間経つと言語中枢にアクセス可能になり、突然ロシア語ぺらぺらになるという設定。今まで「クー」「クー」「クー」「くー」「くー」「くー」「食う」しか言わなかった宇宙人が、ある瞬間から突然

 「スパシーバ、ウニベルシチェ、ガガーリン、シュビイチ。(デタラメです!)」

などという会話をしだすんですよ。『言語のレシピ』のマークベイカーによると、1950年代には、近い将来コンピューターが完全な言語を話すようになると想像していたが、その期待は裏切られたと言ってます。要は、言語能力を完全に解明することは当初思っていた以上に難しいってことですね。だから、こんな宇宙人はありえないってことになります。終盤でアルファ星という別の星にも行くんですが、そこの連中なんか、初対面からロシア語ぺらぺらやっちゅうねん。


 映画自体はとてもおもしろいのよ。

 オススメ クー!


トルコ編3 あいさつ考

2008-09-07 13:26:31 | 言語
 トルコ語のあいさつはなかなかおもしろい。

 「こんにちは」で「さよなら」という意味も持っているのです。イタリア語のチャオみたいな感じでしょうかね~。日本人にとっては最初、変な感じをするものです。

 「会ったときと別れる時が同じやったら困るやろ~」

なんていうのは、日本人的発想でしょうね~。

 もう一つ日本人に引っかかるのは、「さようなら」に2パターンあること。送る側と去る側で「さよなら」を区別するのです。韓国語にもこの区別はありますから、何もトルコ語が変わっているなどと言うつもりはありません。イスタンブールの超ど真ん中でレストランから出てきた日本人が、お店の人に向かって

 「ギュレギュレー」

って言ってました。ところが、お店の人は「なんのことかいな!?」っちゅう顔していたので調べてみたら、ギュレギュレは、送る側が使う「さようなら」でした。ちなみに去る側は「ギュルシュルズ~」と言うようです。

 よその言語を見ると、自分の言語のルールがよくわかりますね。


 それがとても楽しいのよ

スコットランド飲み会

2008-07-26 08:59:19 | 言語
 なんでかわからないんですが、飲み会に行ってみたら、スコットランド人がだだだーっていて、いっしょに飲むことになりました。彼らは一生懸命日本語の単語を話そうとするし、マッドカプセルマーケットが好きだとか言ってるし、日本への興味がしんしんで、とても好感の持てる人達でした。

 のむのむのむのむ・・・

飲み放題にしておいてほんとによかったよ~。たぶん、店にダメージを与えるくらいは飲んだと思う。その分、僕はあんまりダメージを与えられなかったので悲しいんですが…何はともあれ、みんなかなり酔っ払ってきたその時!

 ちゃんちゃ~ちゃちゃん、ちゃんちゃ~ちゃちゃん(蛍の光のメロディーね)

うちらにとっては、これがなると「早く帰れコノヤロー」みたいなメッセージを受けるんですが、実はこれスコットランド民謡。いっしょに飲んでた1人が突然、

 にゃんにゃーにゃにゃん、にゃーにゃーにゃにゃん

スコットランド語で歌いだしました。ひゃー、ほぼ絶滅したと言われているスコットランド語も歌にはちゃんと残っているんですね~。感激。そして、このタイミングでこの曲がかかったことに感謝~。なにやら、向こうでは新年に歌うんだそうです。

 「ちなみに、日本人歌手で好きな人はいる?」

 「ジェロ」

 
 まじかよ!!


名前におけるランドマーク

2008-02-29 20:26:55 | 言語
 ドリーファンクジュニアが引退試合をするらしいのです。らしいのではなくて、引退試合をするのです。もう70歳近いおじいちゃんが、プロレスをするんだから、王さん・長嶋さんの引退試合とはかなりノリが違うんでしょうねえ~。ここまで書いたところで、私はほとんどプロレスのことなんか知らず(馬場さんと猪木さんくらいは尊敬してるけど・・・)、話題は言語の方に大転換。

 ドリーファンクジュニア、チャボゲレロジュニア(バッファロー吾郎のネタで覚えた)、ブロッケンジュニア

なんちゃらジュニアって名前が結構あります。人の名前に、「○○の子供」っていう表示を付けると確かに便利ですね。名前を言うだけで、「あ~あそこの子供か~」ってわかるんだから。何か目立つもの(親の名前)をランドマークにして子供の属性を示すのです。これは、いろんな言語に見られるもの。

 スウェーデンのバンド、カーディガンズのボーカルは「ニーナ・ガスタフソン」、一時期日本でブイブイ言わせてた「トーレ・ヨハンソン」、これらの「○○ソン」ってのは、「子供」っていう意味です。エリクソンもスウェーデン企業ですね。

 ゲール語(スコットランドやアイルランドの言葉ね)では、お馴染みの「マクドナルド、マッカートニー、マクレガー、マッコーレイ」(うちらはアイルランド移民系アメリカ人名 [長い!]としてよく目にしますね)。これらの「マク」っていうところは「子供」の意味ね。

 中国語学の論文でよく出てくる例文は主語に「張三」「李四」なんて人名を使っていますが、「張さんところの三番目の子供」「李さんところの四番目の子供」っていう意味だそうです。

 そんなこんなでダラダラ書いてきたけど、現代日本語にはそれっぽいのが思いつかないんだな~。

 誰か友だちに、「孫次郎」で次郎の孫を表したり、「小太郎」で太郎の子供を意味したりするような人います??「桂子」さんの親の名が「桂」だったりしたら、まさにこのパターンですね。ありえへんけど…その桂さんが、姓の桂さんと結婚してたりしたら…
 
 かつらかつら

子供がぐれてまうわ

 

 話がそれまくり。


 日本語は親の名前をランドマークにしないということなら、そこには何か深い深い日本文化が垣間見えたりするのです。

 ほんまかな!?

カ・メハメハ(ハワイ語2)

2008-01-06 09:34:05 | 言語
 ハワイ語について書いたらえれーアクセスが伸びました(まあ、たぶんなんかの偶然だろうケド)。それでもなんでも二匹目のドジョウを狙ってハワイ語ネタ。ハワイ語は畳語形式が多いことで知られています。

 冒頭のメハメハとは「孤独」という意味

 ヒラヒラ 恥ずかしい
 ホロホロ 散歩する

なんか、かわいいでしょ??しかしこういった形式は、「子供っぽい」としばしば批判対象になっているのでした。ほんまにヨーロッパ人って自己中心だわ。この形式は実は機能的に非常に優れているのです。

 クイ 殴る  →  クイクイ 殴り続ける
 ハイ 言う  →  ハイハイ 言い合う
 アウ 泳ぐ  →  アウアウ 水浴びする

ある単語と別の単語に関係性がつけられますよねえ。これは暗記の効率を上げるし外国人にとってもうれしいことです。こういう関係を言語学で類像性(iconicity)といいます。日本語にも似たような現象があるから、うちらにはなじみやすいのですよ。

 キラ → キラキラ
 クルリ → クルクル

これらは英語などでは副詞をつけて表すような微妙な表現を言い分けることができると言われています。表現が豊かになるんですね。こんなところからもハワイ語と日本語の近さが感じられます。

 最後に復習

 文法について熱くハイハイした私は、頭を冷やそうとホロホロに出た。
 ジャイアンがのびたをクイクイした結果、みんなに嫌われメハメハになった。
 しずかちゃんはアウアウしているところをのびたに見られてヒラヒラだ。


 かわいい

 



 

ハワイ語

2008-01-04 08:24:41 | 言語
 ワイキキのサービス業関連の人々は、アロハ~とかマハロ~などとあいさつしてくれます。なんだか南国気分で気持ちいいのですが、彼らは観光地モードでハワイ語のあいさつを使っているだけで、ハワイ語ネイティブではありません。みんな母語は英語。

 ハワイ語母語話者は現在1000人足らず(お年寄りばかり)と言われております(『ハワイ語のすべて』(2007))。この数は近いうちに必ず絶滅してしまう絶滅確定言語になります。ある言語が消滅するということは、外野からみれば悲しいことですが、本人達は意外と何も思っていないこともあります。政策や経済活動の結果としてこうなってしまうのです。

 「英語をしゃべったほうが便利だ」

っていう発想が、現在の状況につながっていくのだと思います。ところで、ハワイ語は子音が少ないことで有名です。摩擦音のsや破裂音のd、半母音のyなどがありません。だから…

 クリスマス→カリキマカ
 ダイヤモンド→カイマナ

なんて発音に変わってしまいます。メレ、カリキマカ!なんていうあいさつは、日本人にとってものすごく発音しやすいと思うのです。日本人にとって使いやすいのは当然であり、薄いけど日本語との血縁関係が認められるのです。日本語の起源の一部とされるオーストロネシア語が、

台湾→インドネシア→オーストラリア→タヒチ→ハワイ

という順に広がっていったと考えられています。そういうふうに考えると、日本語と関わりのあるハワイ語が絶滅してしまうというのはなんだか他人事のように思えないのです。

 日本語は漢字を輸入して平仮名を発明することで文字を持つことができました。ハワイ語は文字をもたなかったのです。それも絶滅に関わっている気がします。

 文字の力は大きいのだ。
 

 アロハ、マハロ、なんていう語彙レベルでハワイ語が英語に溶け込んで生き残ってくれたらいいな~と思うのです。


 おくればせながら・・・メレ、カリキマカ!!!

「あれこれ」考える

2007-12-19 21:49:33 | 言語
 論文はなんとか出したので、かねてから気になっている調査をしようと近所のウイグル料理屋に行ってきました。

 指示詞を調べています。ほぼ、趣味レベル。

「あれこれそれ」ってやつです。モンゴル語では指示詞が2つしかありません。近いところと遠いところを指すんですね。まあ、英語も中国語も二つだから、二つあればえーんでねえの?などと最近の若い人は思うかもしれませんが、もう若くない私には気になるんですよ。

 モンゴル語は2つなのに、回りのアルタイ諸語であるウイグル語、朝鮮語、日本語はみ~んな三つあるんです。まあ、日本語と朝鮮語は厳密なアルタイ諸語ではねえんですが、ここではそんな細かいことどーでもいいのです。西に広げていっても、カザフ語、ウズベク語、キルギス語、トルコ語など、すべて三つなのです。

 チンギスハンはどこかで一つ忘れてきたのかも。

まあ、指示詞がみっつあると一言で言っても、日本語と全く同じとは限らないわけで、トルコ語なんかは、「近くのもの、遠くのもの、相手が気づいていないもの」なんていうわけ方をしているようです。

 ウイグル語はどーなんだろとウイグル人のおやっさんに話しかけるチャンスを狙う。

まずは顔つなぎと思って、すでに2回くらい行っているんですが…。いつもお店は忙しそうだし、今日は早く行ったもんだから、仕込みで忙しそうでした。自分の母語のことなんて考えたことない人にとってチマチマ質問されるのは迷惑かな~などといろいろためらってしまい、なかなか声をかけられないんですよね。あ~やっぱり今日もダメだな~、声かけるのは無理でした。

なんて小心者なんだろう。

梨元さんみたいなずうずうしさが欲しいわ。


まあ・・・いいのいいの今日も顔つなぎだけで…

言語の類型と差別

2007-10-29 22:15:22 | 言語
 古典的類型論では、日本語のように名詞にくっつく助詞を持つ言語を膠着語、英語のようにI→my→me のような変化をするタイプの言語を屈折語と呼んでいます。厳密にいうと、英語が屈折するのは代名詞だけで、普通名詞は屈折しません。だから、英語は中途半端です。ちなみに中国語みたいに助詞もなく屈折もない言語は孤立語と呼ばれています。

 かつては、屈折語は発展した言語、孤立語は原始的な言語と言われていました。

そこまでは、知っていたのだ。まあ、昔はいろいろな偏見があったからね~。ヨーロッパが中国を侵略する大義名分みたいなもんですよ。言語で勝手に分類するなよな!って怒ってしまうのは現代的発想。

 ところで、某アメリカ人作家のコメントがサピアの『言語』に出てきます。

 「屈折語話者の女性は、膠着語話者の男性と結婚してはならない。」

こら~~~!!つまり、英語話者、ギリシャ語話者、ラテン語話者(そんな人もういないけど)などは日本人と結婚するなってことですよ。言うたのは作家であり、サピアはそれを批判しているのです、勘違いしないで下さいませ。

 学校給食で、クッキーとジュースとフライドポテト食ってるような人々が、うちらよりも文化が進んでいるというのでしょうか?『スーパーサイズミー』を見たから、アメリカの食生活には完全に勝っていると確信しているのだ。まったく日本の給食制度をみならえっちゅうねん!!

 論点がずいぶんずれてもた。

まあまあ、興奮せず冷静に回りを見てみると、確かに日本人とヨーロッパ人カップルは怪しいのが多い。

 センマサオとシェパード

 川崎マヨとカイヤ

 どっかの地方公務員さんとアニータ

おうおうおうおう、関西のおしどり姉妹、お笑い界の皇族と言われているカリスマを忘れていた。
 
 西川キヨシとヘレンさん

まあ、なんでも一概には言えへんなあ。ということで今日はお開きとさせていただきます。


 いろんな意味で議論がずれまくりだなあ、今日は。

映画における方言の機能

2007-09-19 21:37:24 | 言語
ちまちまと映画ネタやります。

『青春デンデケデケデケ』と『うどん』をなぜか連続して見たら、どちらも香川県が舞台でした。どちらもいいですよ。まあ、僕は映画評論できるようなするどい視点もないし、井筒監督みたいな情熱もないので、何を見ても感情移入して楽しめてしまいます。

しかし、両映画で、何か違うのです。『デンデケデケデケ』の方は、四国にいるっていう状況設定がものすごくリアルに伝わるのですが、『うどん』はなんだかちゃっちいのです。東京なんだか四国なんだか、どっちでもいけそう。

違いは方言の扱い。

『デンデケデケデケ』は、完璧に方言を話します。字幕がないとわからないシーンもありますが、状況からだいたいの意味を推察しながら観衆は楽しむのです。一方、『うどん』は・・・

久々に香川で同窓会的なことをするシーンで、トータス松本はベタベタの関西弁、サンタマリアはニューヨーク帰りという設定ですが、全く標準語、まわりの仲間もなんだかよそよそしい言葉。

そんなことありえへんでしょ??

私も高校の同級生と地元で会ったときにゃあ、条件反射的に滋賀弁(ソフィスティケイティドでアバンギャルドな関西弁)になるものです。それが地元の雰囲気を出すリアリティだと思うのです。家族とだって反射的に方言が出るものです。

『うどん』はスタッフが豪華だったから、方言練習とかしてるヒマがなかったのかなあ。


もっともっと言葉を大事にして欲しいの思うのだ。



こんなことチクチク言うおっさんってうざい??  ふーん。



仮説と思い込み

2007-08-29 09:43:00 | 言語
 『さよならダーウィニズム』という本によると、メンデルの空豆の実験(高校の生物取っていた人にはおなじみのやつね)は実はかなりデータ改ざんを行っていたらしいとか…誤差があまりにもなくて逆に疑われているんだって。
 
 生物学でも、例えばダーウィニズムが正しいということになると、様々な実験が行われる中で、反例になりそうな結果は、実験失敗という形で捨てられることが多いのだそうです。つまり、うまく理論をサポート出来る結果だけが次々と公表されることになるみたいです。だから反論がなかなか出しにくい。

 ステレオタイプ理論でも同じ事が言われます。例えば、

 「B型はマイペース」

というステレオタイプがあります。僕なんかいつも

「おまえB型やろ?」

と言われますが、その通りなのでくやしくて、「C型です。肝炎が。」などと逃げたりします。「あなたはB型ですか?」という質問が「あなたはがさつでマイペースですね。」とほぼ同義に感じてしまうのは私だけかなあ?

 あらあら、話がそれてもた。

この血液型判断みたいなものって、かなり当たるんですよね。ところが、マイペースじゃなくて緻密で細かい性格のB型人間(実は僕はここに当てはまると思っているんだけど…)を見ると、

 「あ~あの人は例外やな~。」

って思ってしまうのです。つまり、ステレオタイプは、一度形成されると絶対に壊れない。ということになります。

 日本語の文法を考えるときも同じで、ある法則を見つけたとします。その法則に合わない例を見つけると、「はは~これは例外やな。」と言って片づけようとする自分がいます。ところが実はそういった例外を集めるのが大事だったりして、そこから何かが見えてくるモノです。

 常に謙虚に事実に当たること。それはとても大事だけど難しいこと。

 生物学も言語学も同じだなあという話。

 ひさびさにアカデミックな話書いてもた~。

 これから庭の芋掘りだ!!

言語接触とリアリティ

2007-08-24 09:26:12 | 言語
 硬いタイトルやな~。先日たまたま『ラストサムライ』と『ダンスウィズウルヴス』を連続で見ました。すごいね、発想がまったく同じ映画。構造はほぼいっしょじゃないのかなあ。共通点を挙げてみると…

 ・異文化理解能力の高いお人好しアメリカ人が主人公(トムクルーズ/ケビンコスナ)
 ・どちらも野蛮とされる非抑圧者側に肩入れしてしまう(関西の侍/インデアン)
 ・主人公はどちらも鉄砲を使い、野蛮人は刃物と弓矢を使う
 ・主人公はどちらも野蛮人を理解して、野蛮人の中の美女に惚れる
 ・最後は野蛮人側に立って、支配者側(明治政府/アメリカ軍)と戦う
 ・野蛮人は全滅するのに、アメリカ人主人公だけはなぜか生き残る

 すごい似てるんですよ(映画見てない人はなんのこっちゃわからんかな…)。結局野蛮人が全滅して白人主人公は生き残るっていうテーマ多いなあ。

 もう!!白人って!!!

などという話ではなく、今日ここで言いたいのは、両映画における最大の違い。

 ケビンコスナはインデアンと仲良くなるまでにすごく時間がかかります。

 言葉が通じないから。

 なのになのに、トムクルーズは渡辺謙とハナっから英語でしゃべってるのよね~。

 なんで関西の田舎侍が英語ペラペラやねん!

な~んてつっこんでしまうのは、私だけなんでしょうかね。要はリアリティの違いかと…アメリカ人にとってインデアンは他言語話者なんですが、日本まで離れてしまうと何語を話そうがそんなに気にならなくなるのではないでしょうか。

 例えばうちらがフランス映画を見てて、ストーリーの都合上ジャンレノがフランス人相手に英語で話していてもあんまり気にならないような気がします。


 それにしても、ラストサムライはつっこみどころ多いなあ。

 トムクルーズは、完璧に鎧を着てるのに頭は防御なしのスッペンペンで突っ込んでいくんだもの。そこへ100連発ガトリング砲が連射されるけど、不思議なことにトムクルーズ以外の人に当たりまくる。 


 普通死ぬよ。一番最初に。顔も目立つし。



 関係ないけど、今の私の教えている韓国人は、自称トムクルーズです。

 毎日トム!って呼んでます。

北京バイオリン

2007-08-01 20:15:04 | 言語
っていう映画見たことあります?

中国映画に詳しい人は、口を揃えて推薦します。近所のツタヤでも、中国映画で2本置いてあるのは、北京バイオリンだけでした。そんなところからも底知れぬ人気が伺えることでしょう。おもろいっすよ~。

話は変わって、タイトルの話。『北京バイオリン』ってのは邦題で、中国語タイトルが・・・

『和你在一起(あなたといっしょ)』

ちなみに、アメリカでも公開されており、そのときのタイトルは『together』でしあ。アメリカのタイトルは直訳でしょ?でも、日本語タイトルはなんだかかなりがんばって意訳しておりますねえ。

 「父子の愛情ものやから、『お父さんといっしょ』ってどうよ?」

 「そんなんあかんわ、NHKの『おかあさんといっしょ』みたいやん。」

 「せやなあ、それなら『立身出世』ってのはどうよ?」

 「山ノ内一豊ブームに便乗かいな!!」

 「う~ん、ほんなら楽器名でいこか、日本人はピッコロ、とかホルンとか、タンバリンとかいう音がすきやからなあ」


な~んていう会議が思い浮かばれますねえ(なぜか関西弁)。

そんなこんなで、北京バイオリン。


暑くて眠れない夜のお供に・・・




構造主義音楽学

2007-07-25 08:43:49 | 言語
 弟は関東人。しょっちゅう遊びます。 

 ところで、オセロケッツという関西のバンドがいます。ソニーからアルバム三枚だして、今はインディーズ。僕は大好きだったという話をしていると、なんと、弟も好きだったとのこと。DNAって不思議だ~

それはおいといて、ソニーのミュージシャンは(メジャーはどこでもそうだろうけど)、アルバムを2枚か3枚出して、売れなければ契約を切られてしまいます。おのずと、3枚目のアルバムには

 「これが売れなければやばいがな~~!!」

などという悲壮感が出てしまうものです。オセロケッツも、後期のシングルはもんのすごい売れ筋狙い。いろんな意味でミスチルそっくりでした。

 弟「なんや、ミスチルもどきみたいになって嫌いになったのよ。」

おおおおおお~、やはり、弟も同じことを考えていたのです。DNAって不思議。

 言語に構造があるという考えを打ち立てた元になったのはスイスのソシュール。いやいや言語だけじゃなくて、文化にも構造があるんだよ~と言い出したのは、フランスのレヴィストロース。いやいやいやいや、言語や文化だけじゃなく、音楽にも構造はあるのです。というのは、この私。

 ミスチルの構造、スピッツの構造、みたいのがあって、まねすれば、それらしさが音楽にも出てくるのです。
 
 昔、ユニコーンは「光のネットワーク」というTMネットワークのパロディを歌っていたし、ヤイコは、椎名林檎そっくりの歌でデビューしたし、だれかが誰かの構造を真似しても、必ず失敗するとは限らないのです。


 構造言語学にひっかけてあれやこれやと書いたけど、結局言いたかったことは、DNAの不思議です。今二人のお気に入りはポリシックス。

 私「ポリシックスのフミとカヨどっちがかわいいと思う?」

 弟「フミ」

 私「え~。俺はカヨやなあ」

などと、合わない点もあるのです。

 やっぱDNAって不思議だなあ。