こっこの『Raining』は歌詞が素敵。文法ウンチクが好きな人にはもってこいの教材ではないかと…。こっこにも文法にも興味がない人には全く面白みのないブログですが今日はご勘弁
「ママ譲りの赤毛を2つに束ねて みつあみ揺れてた なぜだったのだろうと 今も想うけれどまだわからないよ 静かに席を立って ハサミを握りしめて おさげを切り落とした」
ここまでがÅメロBメロ。状況設定がはっきりわからない「ある時点」においての悲しい出来事がつらつらと導入されています。
「それは とても晴れた日で 未来なんて いらないと想ってた 私は無力で 言葉を選べずに 帰り道のにおいだけ 優しかった 生きていける そんな気がしていた 教室で誰かが笑ってた それは とても晴れた日で」
サビになると指示詞「それ」が二回出てきます。「それ」というのは現実世界と直接関わりのない文章の中の世界を指示するとされており、この歌で言うとABメロで導入された「ある時点」を指すことになります。タイトルが「Raining」なのにサビでは「晴れた日」ってフレーズが耳に残ります。
なんやなんや!矛盾してへんか~??
っていう心配が、一部のせっかちな人(私を含む)の間に浮かんできます。2番は省略しますが、同様に「それ」は「晴れた日」ってフレーズがまたまたリフレインされるのです。
なんでやなんでや!?っていう疑問を抱いたまま終盤に差し掛かったとき・・・
「今日みたく雨なら きっと泣けてた」
そうか~、今日は雨だったのね。と納得するわけです。
「ある時点」を導入して、その架空の時点を「それ」でひっぱってきて、最後で今日の様子と比べるという展開は、「それ」という指示詞の功績が大きいのではないかと思うのです。英語見たく、「this」「that」しかない言語では、日本語みたいな架空の時点を明確にひっぱりつづけることはできないのではないかと思うのです。もちろん、似たようなことはいえるはずですが、ニュアンスが異なるはず…
そのへんのところを詩人はつくんだな。
そのへんっていうのはどのへんかというとですね…
はははは、やめとこ、話がおわらへんようになってまう。
それでは、失礼。

「ママ譲りの赤毛を2つに束ねて みつあみ揺れてた なぜだったのだろうと 今も想うけれどまだわからないよ 静かに席を立って ハサミを握りしめて おさげを切り落とした」
ここまでがÅメロBメロ。状況設定がはっきりわからない「ある時点」においての悲しい出来事がつらつらと導入されています。
「それは とても晴れた日で 未来なんて いらないと想ってた 私は無力で 言葉を選べずに 帰り道のにおいだけ 優しかった 生きていける そんな気がしていた 教室で誰かが笑ってた それは とても晴れた日で」
サビになると指示詞「それ」が二回出てきます。「それ」というのは現実世界と直接関わりのない文章の中の世界を指示するとされており、この歌で言うとABメロで導入された「ある時点」を指すことになります。タイトルが「Raining」なのにサビでは「晴れた日」ってフレーズが耳に残ります。
なんやなんや!矛盾してへんか~??
っていう心配が、一部のせっかちな人(私を含む)の間に浮かんできます。2番は省略しますが、同様に「それ」は「晴れた日」ってフレーズがまたまたリフレインされるのです。
なんでやなんでや!?っていう疑問を抱いたまま終盤に差し掛かったとき・・・
「今日みたく雨なら きっと泣けてた」
そうか~、今日は雨だったのね。と納得するわけです。

「ある時点」を導入して、その架空の時点を「それ」でひっぱってきて、最後で今日の様子と比べるという展開は、「それ」という指示詞の功績が大きいのではないかと思うのです。英語見たく、「this」「that」しかない言語では、日本語みたいな架空の時点を明確にひっぱりつづけることはできないのではないかと思うのです。もちろん、似たようなことはいえるはずですが、ニュアンスが異なるはず…
そのへんのところを詩人はつくんだな。
そのへんっていうのはどのへんかというとですね…
はははは、やめとこ、話がおわらへんようになってまう。
それでは、失礼。
