日本語教師の見た中国とか…

日本語教師が見た中国をつらつらと綴ろうとはじめました。帰国後、大学院生を経て今はとうとう専任日本語教師だ~。

おどる体操左遷

2007-10-30 08:41:27 | 日本語教育
 新学期が始まり、海外から学生がどどどどっと押し寄せてきたのですが、今年は例年になく故障者が多いのです。まるでジャイアンツのようなのです。日本の気候にあわない人は毎年いるみたいなんですが、今年はその数が桁違いに多い。

 水荒れ、胃痛、腹痛、ヘルニア、突き指、転んで打撲

よくよくみると、日本の気候もクソも関係ない病名も並んでいますが、まあ、ストレスが多いのは事実でしょうね。大多数の学生が関節や筋肉の痛みを訴えているのです。そこで立ち上がったのがうちの課長。

 ちょっとラジオ体操でもしよう。

ここの動詞に注意!「しよう」という意向形になっているけど、課長が私に向かって言う時点でこれは命令形になるのです。つまり、立ち上がった課長によって立ち上がらせられた(使役受身)私が、みんなに体操指導をする羽目になりました。

 あかんあかんて~。高校から文化系ひとすじで来たのに、みんなの前で体操するなんて大役はやったことないですよ~。歌う体育系と言って馬鹿にされてた弓道部に始まり、飲み会だけは体育系の軽音楽部、文科系どまんなかの英会話研究会(NOVAじゃないよ。)など、私の人生は運動とは反対のベクトルへ邁進しておるのです。

 ひろみち兄さんのような笑顔もない。

 ストロングマシン2号のようなキレもない。

 NHKの長野さんみたいなバリトン美声もない。

いろいろ言い訳したけど、結局やるのさ。やらされるのさ(使役受身二回目)。どうせ私はNOと言えないし。

 ところが!!!

やってみると、すげー気持ちいいのです(人前でやるのがいいという意味ではないよ)。体がシャキっとするし、ちょこっと筋肉痛になるし、いかに自分が運動不足かを実感します。

 運動の秋ですね~

言語の類型と差別

2007-10-29 22:15:22 | 言語
 古典的類型論では、日本語のように名詞にくっつく助詞を持つ言語を膠着語、英語のようにI→my→me のような変化をするタイプの言語を屈折語と呼んでいます。厳密にいうと、英語が屈折するのは代名詞だけで、普通名詞は屈折しません。だから、英語は中途半端です。ちなみに中国語みたいに助詞もなく屈折もない言語は孤立語と呼ばれています。

 かつては、屈折語は発展した言語、孤立語は原始的な言語と言われていました。

そこまでは、知っていたのだ。まあ、昔はいろいろな偏見があったからね~。ヨーロッパが中国を侵略する大義名分みたいなもんですよ。言語で勝手に分類するなよな!って怒ってしまうのは現代的発想。

 ところで、某アメリカ人作家のコメントがサピアの『言語』に出てきます。

 「屈折語話者の女性は、膠着語話者の男性と結婚してはならない。」

こら~~~!!つまり、英語話者、ギリシャ語話者、ラテン語話者(そんな人もういないけど)などは日本人と結婚するなってことですよ。言うたのは作家であり、サピアはそれを批判しているのです、勘違いしないで下さいませ。

 学校給食で、クッキーとジュースとフライドポテト食ってるような人々が、うちらよりも文化が進んでいるというのでしょうか?『スーパーサイズミー』を見たから、アメリカの食生活には完全に勝っていると確信しているのだ。まったく日本の給食制度をみならえっちゅうねん!!

 論点がずいぶんずれてもた。

まあまあ、興奮せず冷静に回りを見てみると、確かに日本人とヨーロッパ人カップルは怪しいのが多い。

 センマサオとシェパード

 川崎マヨとカイヤ

 どっかの地方公務員さんとアニータ

おうおうおうおう、関西のおしどり姉妹、お笑い界の皇族と言われているカリスマを忘れていた。
 
 西川キヨシとヘレンさん

まあ、なんでも一概には言えへんなあ。ということで今日はお開きとさせていただきます。


 いろんな意味で議論がずれまくりだなあ、今日は。

今日も苦笑い

2007-10-17 08:28:19 | 今日もトホホ
 高校時代の知り合いに、切手オークションで掘り出し物を見つけては高値で売りさばきかなり稼いでいる人がいます。そういう頭を使ってチョイチョイっとお金を動かす人にあこがれ続けて早や10年以上。ついにワタシにもチャンスが回ってきたのであります。なんつってもワタシのライフワークは・・・

 古本屋めぐり。

といっても何か掘り出し物があるのではないかという下心満載の古本やめぐりであり、純粋に学問的探究心などかけらもないのですが…その積もりに積もった下心を持ち続けているとたまには神様がご褒美をくれるもの。

 埼玉の某さびれた古本屋さんに入ってみると、いきなり国語学の大御所の本がでででん!と目につくではありませんか。定価の7掛けで7000円。これは匂うぞ~と思って振り返ると、なんと・・・

 エロ本の山。

これはいける!いやいや変な意味じゃなくて、この手の古本屋は、小銭稼ぎに走っていてて、古本の価値を判断するというより、適当に裁いて流してしまえ!的な店が多いのです。じっくり検査したいところをぐっと我慢して別のコーナーへ(ここは職場に近いのだ)。

 探すこと5分。とうとう見つけたのはイェスペルセンの『文法の原理』。これは相当古いですよ~、しかもド有名。定価を見たら1400円(1958年の物価よん)。古本の売値を見たら…

 1000円。 ← や、や、やはり、ここのおやじはなんでも7掛けしてる~

即買いして、そそそそくさくさくさと帰りました。本当の価値はいくらかな~と喜び勇んでネット検索をしてみると・・・

 文庫版で新書が出てる!しかも去年!!

こうなったらハードカバーなんか持っててもどうしようもないねえ。あ~やはりワタシは商売には向いてないなあ。っていうかリサーチが足りないですな。しょんぼり、がっくり、げんなり、はんなり、すっかり、ちんまり…落胆

 っていうことは、あの7掛け大好きおやじは、新書が出て値崩れを予測した上で、ワタシのようなバカを待ち受けていたのではないでしょうか?しかも、すべてが7掛けであるように見せかける巧妙なトリックを使ってまで!!

 あかん、やめとこ、考えるほど自分がアホみたいやわあ。

その日本語どうよ。

2007-10-14 08:56:23 | 日本語
 某研究会に参加しました。

アメリカ帰りの先生が講演者に対して質問しています…

「・・・マス・カウントやジェンダー、助数詞の問題は、オブリガトリ、フリクエンシーの問題であって、別種のものというわけではないんじゃないでしょうか??」

こらこらこらこら!ルー大柴かいな~~。

発言者は通じているつもりで話しているんでしょうが、みんなわかっているのかなあ。

 例えば会話の一部を中国語にして見ましょう。

「ズオティエン、講演に行ったら、ヨウディアール チーグァイな発表者がおってな、英語混じりのリーユーでしゃべんねんよ。

 こんな日本人おらんやん?

 つまり、英語混じりなら通じるだろうという考えがどこかにあるのです。もう一つ、英語混じりの発話って評論家に多いんですよね。つまり、一般の人はわからない言葉を話すことで、ステータスを確保しているのです(『ダーリンは外国人』のオグリさんも、そういう発話嫌いって言ってた)。古くは、漢字を書けることが日本人インテリのステータスでした。庶民には意味不明だったんですから。

 時代は変わっても人間は変わらないんですよねえ。

でもでも、やはり、ああいう発言者にはおじいさんクラスの年配の方がはっきりと言ってあげなければならないと思うのです。


 「あなたの日本語乱れてますよ」って。

受身

2007-10-12 07:44:16 | 日本語
 学生としゃべっててふと日本語の文法に気づくことがあります。そしてそれが頭から離れなくなってグルグル回りだし、学生の話が入ってこなくなって・・・文法マニアなワタシ。

 「先生の授業はほめられていますよ。」

っていう文、変ですよね?(間接的にワタシの授業を自慢しているわけじゃないのよ。結果的にそうなってるんだけど…)

 受身の導入時、形の指導(よむ→よまれる)が大変で使用方法とかをじっくりはできないのですが、「受け手を中心に描く表現なのだ」くらいのことは説明します。なんで上の例が変になってしまうのか?

 仮説1 迷惑のニュアンスがでてしまう

「弟にケーキを食べられた」のように、日本語受身はほとんどが迷惑ニュアンスを伴います。そうじゃないのもあるけど、基本的には迷惑の用法が圧倒的です。でもでも次の例はオッケーです。

 「先生は人気教師NO1に選ばれましたよ。(こんなこと言われてみたい)」

迷惑ニュアンスなんてなくても使えるんですよね。

 仮説2 「ほめられる」と「ている」の相性が悪い

「彼はいつも先生にほめられている」が使えることから、この仮説は瞬間的に廃棄だなあ。

 仮説3 ウチとソトの関係

先生という目の前にいるソトの人物に対して、自分とウチグループにいる他の学生の評価を伝える場合には、わざわざ受身にしてはいけないのではないでしょうか。受身って基本的にソトの人間に何かをされて影響を受けたという意味が多い気がします。深く考えたわけじゃないけど~。

 結論は保留。ただし、上の例だと、

 「先生の授業は友達がほめていますよ。」の方がいいと思う。

この辺に受身機能の本質があると思うのだ。

PS ただし、先生のことを学生が評価するという点において違和感を持たれる人もおられると思います。それは社会言語能力であり、文法とは別レベルだと思うのです。

カリブの大砲現る

2007-10-04 07:09:55 | 日本語教育
 とうとうきましたよ~。教師生活はじまってはじめてのキューバ人学生。ラテン系のステレオタイプをそのまま人間にしたような彼は、とにかく・・・

 よくしゃべる。

しゃべるしゃべるシャベルシャベルしゃべるしゃべるスコップスコップ

女の子には声かけるし、授業にはいろいろつっこんでくれるし、みんなの発言にはコメントするし、とにかく発話能力が高いのです。言語能力うんぬんが議論に出ることがありますが、一番大事なのは

 話好きであること

なんじゃないかな~と、彼を見ていると思います。

話は変わって、弟の野球チームに助っ人で来てくれないかと声をかけました。

 「野球チームに参加しませんか?」

 「ダメですよ~」

 「大丈夫大丈夫、4番でファーストだから。」

 「野球できないんです。」

 「えー、それでもいい、4番がキューバ人なら立ってるだけでフォアボールだから。」

 「守備のときにバレマスヨ」


それもそうだ。

なかなかステレオタイプ通りには行かないという話。

ビルマのモメゴト

2007-10-01 22:36:51 | 日本語教育
 放課後、ミャンマーの教え子ちゃんが真っ赤な目で寄って来ました。きっとミャンマーの家族が心配になってホームシックになったのだろうと思って話しかけると、どうもそうじゃないようです。

 「カメラマンに申し訳なくて・・・」

日本人が巻き込まれたということにショックだったようなのです。しかもかなり神経質になってしまってて、街を歩くと、自分が日本人に批判されているように思えて外出できないというのです。過剰にナーバスなのです。

 よくよく考えると、毎日のようにテレビで大騒ぎしております。亡くなった方を悲しむための報道だとはとても思えません。なんだか大騒ぎして、いつものごとく時間がたつと、さささっと辞めてしまうのでしょう。ところが善良なミャンマー人には、

 日本人がミャンマー批判を繰り返している

と映るようなのです。確かに、あの大騒ぎ報道は、一体メッセージなどあるのでしょうか?なにも意図のない大騒ぎは、見る人に様々な解釈を与えてしまいます。

 そんなもん、軍事政権がわるいんやんけ!

と言われるとごもっとも。でも、マスコミ担当の人は、一体テレビを見る人がどんな気持ちになるのか、もっともっと考えるべきじゃないのかなあ。マスが相手だから少数意見は抹殺なんでしょうかね~。

 とてもやるせない。