日本語教師の見た中国とか…

日本語教師が見た中国をつらつらと綴ろうとはじめました。帰国後、大学院生を経て今はとうとう専任日本語教師だ~。

‘狩り’の拡張

2007-08-31 09:34:10 | 日本語
 第一回M1グランプリを今頃見ました。漫才ネタは時々日本語の規則を背景にして作られております。ここでは、頼まれてもいないけど勝手に紹介します。ますだおかだのネタでは、

 ナイキ狩り、おやじ狩り、ブドウ狩り、さみしがり

という複合語を使ってネタが作られていました。

 そもそも、‘狩り’という言葉は、「マンモス狩り」なんかにあるように、なんらかの獲物を捕まえるというところが基本義でしょう。ここでは、狩る対象と獲得した獲物を分けて考えてみます。←マンモス

「マンモス狩り」では、狩る対象も獲得した獲物もどちらもマンモスです。対象と獲物が一致しているということになります。これが動物から植物にまで拡張したのが「ブドウ狩り」でしょうね~。この場合も対象と獲物が一致しております。植物は逃げないから、マンモスに比べるとかなり平和な狩りですね~。遠足とか家族旅行なんかを連想して、「マンモス狩り」みたいなイメージはありません。←ブドウ

「ナイキ狩り」になると、狩る対象が人間になります。ナイキが勝手に野原を走り回ったり、気にぶら下がっていたりはしないもんね。つまり、対象は人間、獲物はナイキという対象と獲物の不一致が出てきます。もとの「マンモス狩り」とはかなり構造が違ってきます。←ナイキ・・・もといマイク

「おやじ狩り」は、対象はおやじですが、捕まえたおやじを持って帰っても仕方がないので、獲物がおやじではありません。←おやじ

 稲中卓球部のサンチェみたいになってしまうもの。

この場合も、対象と獲物が不一致ということになります。「さみしがり」になるとまったく‘狩り’ではないので、オチになってしまいます。

以上のように‘狩り’という語はいろいろな構造に拡張していて、それぞれが微妙に違うわけです。それらの構造の違いを背景に漫才のネタは作られていくわけです。そう考えると漫才師はアホではできない、といううちのばあちゃんの口癖をしみじみ思い出しますね~。

ところで、「もみじ狩り」は?


対象も獲物も紅葉ではないのです。これまた別の構造。


さ~て、「暑がり」の私にはいい季節になってきました。

テンション上がるわ!!

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3 コメント

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Unknown (ガリガリくん)
2007-08-31 13:34:22
ホタル狩りってのもあるね。
狩猟民族 (8子)
2007-09-01 22:47:25
「もみじ狩り行こーよー。」
って誘ったら、
「もみじは“狩る”モンじゃない!」
と言われたことがある。
いろんな意味で悲しかったナー。
昔のことだから、それが友人の誰だったか
もう覚えてないけど、今でもどこかで
「おやじは“狩る”モンじゃない!」
って訴えてて欲しいな。
あ、そうか (管理人)
2007-09-04 08:45:49
ガリガリさま

蛍狩りっていうのありますね。これはもみじ狩りから拡張したんじゃないかなあ。見て楽しむものっていう共通点がありますもんね。

8子さま

確かに、もみじ狩りっていう言葉は定着度が低いかもしれませんねえ。イメージ的には想像しやすいと思うんですけどね。