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いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

時代の感性を伝えるのは短歌

2018-12-12 23:03:29 | 短歌


現代和歌の秀作を
紹介している。
それぞれ、
自分の年齢と比べつつ
選んでいる。
自分がどのような状態の時
歌われたのか。
どのような時代背景があるのか。

抽象的な
語を並べる
歴史のテキストでは
時代のみずみずしい事実は
理解しえない。

短歌は、
そのようなとき、
事実に関し、関わって
時代を過ごした
生の感情を
伝えてくれるのである。

永田和宏の歌~その1~

2018-12-12 22:53:54 | 短歌


永田和宏は、
すでに現代短歌界の
重鎮となった。
作風は、
伝統を踏まえつつ、
自由に歌い、
短歌史に新しい歌を
加えつつある。

‥‥‥

このごごの日差しに隙の多くして誰かがわたしのすぐそばにゐる

死んでゐるのも知らずにきっと走りいむそんな我なら想像できる

わがからだしきりに重しと佐太郎の歌ゐしこ頃われは生まれたり

ウィキペディアに常に【私】は更新されわたしは私に追いつけるのか

奥村晃作の歌~その1~

2018-12-12 22:41:35 | 短歌


奥村晃作の歌は、
現代的である。
機械の使用の頻繁たることが伺われる。
ITの中で育つ歌たち。
いずれも、
新鮮な情緒をたたえる。

‥‥‥

スマホ持たぬ我のしあわせ外出をすれば断たれたるツイッター世界

AIの時代の証気象庁天気予報も精密となる

改札はピピッと2秒銀行の口座から運賃の引き出しもなす

コンピュータ神のごとしも踏切の開閉つかさどり全く事故なし

島田修三の歌~その1~

2018-12-12 22:29:53 | 短歌


島田修三の病と、
亡くなった妻への歌。
切々と歌い上げている。
息子と我。
妻と我。
日常と、空想とが
錯綜する。

‥‥‥

嗚呼「いこい」父の喫みたる両切りの「今日も元気だ、たばこがうまい」

父と並び煙草喫みたる覚えなし息子と喫みきその母逝かむ夜

「侵襲」は陸軍用語にあらざればがんセンターの診察室に聴く

「侵襲」の低き内視鏡手術もてわが内臓はごそつと抉らる

坂井修二の歌~その1~

2018-12-12 19:07:14 | 短歌


「ここからはじめる短歌入門」
という好著で知られる
坂井修二は、
東京大学でIT関係の教授であるとともに、
歌人でもある。
その作風は、
伝統を踏まえたうえで、
新しい意匠もこなす
現代風である。

新奇な題材も取り上げるが、
伝統的な和歌に関する知識も豊富である。
今回は、
4首ほど
紹介してみる。

‥‥‥

講堂前敷石でコンとつまづきぬ学者はみだす茂吉とわれと

地獄帰り渾沌の王が俺なのだ 黙れ浮世の屁理屈男

裁量労働教授十人癌で死ねどニュースはセクハラ・捏造に尽く

かみさんと産業医同じ口調なり「仕事ヲ減ラセ、寝ヨ7時間」

地域の力~平成最後の年末~

2018-12-12 18:54:02 | 人生


広島で生まれ育った私だが、
関東圏に住んで
40年近くたつ。

故郷広島では、
定年後の両親は、
地域になじんだ生活を送った。

とくに、
父方の親類は
ほとんど原爆で亡くなった。

その地域で、
父、
母、
父の弟たち、
兄、
私が育った。

母には、とりわけ苦労が多く、
なみなみならぬ努力をしなければならなかった。
他人には知られたくないこともあった。
その秘密は、
墓場にまでもっていこう、
誰にも話せない、
と思っていたが、
母が死んでから、
地域の方々が、
その母の苦労をよく知っていて、
苦しい事情を察しつつ
付き合ってくださっていたことを知った。

十数年前、
そうした
「地域の力」

健在であった。

そして今も、
地域での助け合いが、
方々でなされているのだろう。

個人情報が極端に重視される世だが、
固く地域の団結で
困難を乗り切っている方も多いことを、
肝に銘じたい。

師走を迎えて~地域の力~

2018-12-12 18:42:46 | 人生


師走も、12月中旬になった。
さまざまなことが
頭をよぎる。
新しい仲間との交わり、
旧友たちとの再会。

とりわけ、
地域の方々と
親しくなったことは、
大きい。

住んでいる地域で生まれ育った私ではないが、
今年は、今住んでいる地域の方々との
接触が増えたことが
思い起こされる。

問題がないわけではないが、
「受け入れられた」という思いは、
心を和ませる。

また、
苦しい中で、
旧友が、
自分を犠牲にしてまで
助けてくれた、
という事件もあった。

喜寿に近い年齢で
若々しい(?)
1年を過ごすことができたことを
感謝している。

もうすぐクリスマスだ。
諸事万端、思い残すことなく
年を終わりたいものである。