た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

不定期連載 『街よ、踊れ!』 ~1~

2017年05月07日 | 連続物語

 かつて私は、なるべく他人との接触を避けて生きたいと思った時期がある。もともと神経質な性分であったが、高校生のときにそのピークを迎えた。ヘッセの小説に出てくる少年のように賢いがゆえに傷つきやすく、尾崎豊の歌のように孤高であるがゆえに切なく、ニーチェや道元のように悟りを開く必要があるから、自分はさっさと山にでも籠って世捨て人として生涯を終えよう、と半ば本気で望んでいたふしがある。種田山頭火が青い山を独り分け入っていくテレビドラマを観て、妙に感動し、とりあえず行脚のための杖を手に入れようと家の裏庭を探してみたのを覚えている。

 一方で、寂しいのは人並みにいつでも寂しかった。人との交わりを避ければ避けるほど、胃袋をねじられるような喪失感に苦しんだ。友だちが欲しかった。恋人はもちろんそれ以上に欲しかった。とびきり素敵な女性と、腕を組んで、枯葉の敷き詰めたパリ郊外の公園とやらを散策したいと夢想した。これもテレビの影響であろう。ところが世の中には、とびきり素敵な女性も、本当に気の合う親友もなかなかいそうにないので、肩を落とし、再び隠者への道を模索するのである。

 人を避け、同時に人を欲した。

 別離と出会い。この相反する二つの願望を同時に満たすものがあるとすれば、それはおそらく旅である。それで私は、高校二年の夏くらいから、頻繁に旅に出かけた。

 しかし、ここで私の旅について事細かに書くつもりはない。むしろ旅が終わったあと、私が出会った人々のことを書くつもりである。ただ一言だけ書き添えておきたいのは、旅を重ねるうちに、私は、自分の面の皮が────おそらく心臓のそれも含めて────浅黒く、分厚く、いくぶんか無神経になったということである。旅は私の行き過ぎた繊細さを矯正した。同時に、私を少し薄汚くした。神経質だったはずの私は、いつの間にか、道端にじかに座り込み、服の端で拭いただけのリンゴを丸齧りできるようになったのである。

 最後の旅は、半年がかりの日本縦断を企図したものであった。まともな就職活動をしなかった私は、大学卒業と同時に得た自由と空白を、とりあえず何かで埋めなければならなかった。三月末に地元島根を出発し、まずは自転車で九州を巡り、それからフェリーで四国に上陸。自転車が壊れて使い物にならなくなったところで、バスと電車に切り替え、大阪、京都を通過し、高山に到着した。そこから何を思い立ったか、まだ雪の残る峠を命からがら徒歩で越え、最後はヒッチハイクまでして辿り着いたのが、松本であった。

 出発から三か月ばかり。日本縦断の全日程の半分ほどもまだ到達していなかった。しかし私は、心身ともに疲弊しきっていた。ありていに言えば、旅にうんざりしていた。将来の展望がまったく持てないでいたことも、その気分に拍車をかけたかも知れない。いったい、いつまでこんなことを続けるつもりなのか? 一生旅をし続けるつもりか?────いや、そんなことはできない。旅には終わりがある。人は一生、旅人でいるわけにはいかない。

 そんなことを考えながら、二〇〇五年初夏の晴れた昼下り、松本城の堀に面したベンチで、私は顔を手で覆って座っていた。旅程にこの松本の街を組み込んだ理由は、今となっては思い出せない。どこかで日本地図を広げたとき、ほどよく山の中にあり、ほどよく人口が多そうで、人嫌いだが人恋しいという厄介な性癖を持つ私にはなんとなく惹かれる場所に見えたのかも知れない。しかし到着直後の私は疲れ切っていた。国宝松本城も、その背後に遠く冠雪した北アルプスの雄大な尾根も、ほとんど目に入っていなかった。当然である。私はまるで観光バスで車酔いした観光客のように、体を屈め、両手に顔を埋めていたのだから。

 誰かが私の前に立ち止まったのが、砂地の音でわかった。

 私は顔を上げた。私の目の前には、ハンチング帽を斜めに被り、腕を組んだ一人の男が、何とも挑発的な表情で私を見下ろしていた。

 それが私と本田ヒロシとの出会いであった。

 

(つづくつもり)

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