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た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

佐渡へ渡る!(その3)

2024年10月15日 | 紀行文

 私はやたら道を外れたがる。そのくせ重度の方向音痴なので、道に迷ってばかりいる。この時も早く海岸が見たいがあまり、海に近づきそうな脇道へと不意にハンドルを切ってしまった。

 その道は、本当に何もない道であった。家など一軒も見当たらない。畑すらない。ただただ放置された茂みが続く。分厚い緑に圧倒されそうである。ひょっと恐竜が道に飛び出しても、さして違和感のない風景であった。佐渡の素顔をいきなり見せつけられた気がした。

 佐渡は想像以上に「島」だった。

 ようやく海に出たが、殺風景で、まったく人気のない海である。海岸線はすぐに行き止まりとなった。仕方なく、別な山道を通って正規のルートへ。時間のロスである。助手席は文句の一つも言いたいところだろうが、毎度のことなので黙っている。私は心の中で一人反省した。途中で道路工事の人に出会い、道を尋ねなければ、二日間、ただただ道に迷って終わったかも知れない。

 道路がようやく湾に出たところで、おしゃれなカフェの看板が目に留まった。

 旅のガイドブックにも載っている店である。よく手入れされた芝生や生け垣が見え、若者の行列ができている。そこだけ熱海かバリ島かと見まがうような洗練された空気が漂っていた。妻の機嫌も取らねばならず、立ち寄ることに。しばらく待たされた後、犬同伴でも入れるデッキに陣取ってパスタを食べた。

 海を一望できる高台に位置するが、海辺の田舎じみた部分は客の目に入らないよう、巧妙な高さで生け垣が植えられている。だから海原と遠景の対岸しか見えない。よくできている。よくできているが、なぜか落ち着かなかった。さきほど迷い込んだ鬱蒼とした森こそが、佐渡の素顔じゃないのかという声が頭の片隅に響いていた。

 妻は満足してオニオンスープを啜っている。犬はここが目的地かとうたた寝の準備に入っている。私は彼らを促し、再び車に乗り込んだ。

(つづく)

 

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佐渡へ渡る!(その2)

2024年10月10日 | 紀行文

 深夜の高速をこわごわ運転し、五時半に直江津へ。フェリーに乗り込む。犬連れなので船内には入れない。二等切符で唯一ペット持ち込み可であるデッキの一隅、市民球場にあるような青いベンチに陣取る。他の利用者はいない。

 夜が明けた七時過ぎ、フェリーは盛大な銅鑼の音を合図に出航した。

 幸い、天候に恵まれ、穏やかな海である。しかし潮風は意外と冷たい。我々は長袖シャツにフリースにヤッケを着こみ、冬の身支度で二時間半の航海に臨んだ。

 妻は昔から船酔いするたちである。今回の旅行も悲壮な覚悟で臨んだ。船酔いは怖いが、島には行きたい。嘔吐は嫌だが、美味しい海の幸を堪能したい。欲望と不安の相克する中、乗船前から鬼気迫る顔つきになっていた。酔い止め薬を飲み、百草丸まで飲んだ。なぜ胃薬を飲むのか尋ねたら、嘔吐した際、胃袋が楽だろうからとのこと。何か違う気がしたが、黙っておいた。

 船酔いを恐れるがため、揺れには人一倍敏感である。背中に伝わる揺れがよくないと言って、二等客室に横になりに行くことすら拒んだ。私が仮眠を取りに船内に入るときも、彼女は一人ベンチに体育座りし、犬を抱いて暖を取り、乱れた鬢を風になびかせながら、まるで家のない孤児のような哀れな姿で目を閉じていた。

 なかなか壮絶な航海を終え、午前十時、佐渡島上陸。

 妻も結局一度も嘔吐せず、無事であった。彼女自身それを非常に喜んでいた。旅の目的は半分達成したような面持ちであった。

 車を走らせ、世界文化遺産登録の佐渡金山へと向かう。

 海岸線を走りたいのだが、地図指定の道路は山間地へと導いている。車窓から見える島内は、とにかく緑が濃い。鬱蒼と茂る植物が、下からも上からも道路を占拠する勢いで枝葉を伸ばしている。

 ここで私の悪い癖が出た。正規のルートを外れたのである。

 

(つづく)

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佐渡へ渡る!(その1)

2024年10月01日 | 紀行文

 九月の終わりに、佐渡島を訪れた。久しぶりの宿泊旅行で心躍る。カーフェリーを利用しての一泊二日の車の旅。一か月前から旅行冊子を買って計画を練り、普段しない洗車や、車内清掃、やったことのないタイヤの空気圧の点検までして準備する。空気圧の点検は、洗車場に無料で機器があったから使ってみた。正しく使えたのかはわからない。

 私と妻と柴犬、三者の旅である。犬を車に乗せるなんて愛犬家と思われるかも知れないが、犬を預けるところがないから仕方なく連れて行くのである。何年も前に一度、ペットホテルに預けたことがある。犬が店員に一切なつかず、散歩はおろか餌も拒否して吠えてばかりいた。私が迎えに行って店を出たとたん、路上に盛大な脱糞をした。以来気が引けて預けられないでいる。

 この厄介な性格の柴犬が、もう十一歳になる老婆なのだが、異常なまでのドライブ好きなのだ。日曜日に車のエンジンを掛けただけで、自分を乗せるよう猛アピールする。ワンワン、オン、ワオン、オオーン、と、明らかに何かを喋っている。おそらく、「乗せてってくれよう、ねえ、乗せてってくれよう、お願いだから乗せてってくれよう」とでも言っているのだろう。乗せたら乗せたで、開けた窓から鼻を出し、風を切って恍惚感に浸っている。つくづくおかしな犬である。日々、心の中で一週七日間をカウントしながら無聊を慰めているのだろう。

 僅かな睡眠をとって、深夜三時半、出発。異常性格の犬はもちろん、深夜だろうが、後部座席のドアを開けるだけで狂喜乱舞して乗り込む。(つづく)

※佐渡汽船上の筆者。明らかにカメラを意識している。

 

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飛騨日帰り一人旅

2022年12月23日 | 紀行文

 11月末の平日、一人でバスに飛び乗り、飛騨高山に向かった。

 現地に到着したら思いのほか寒かった。慌てて近くにあった服屋に入る。おばちゃんが一人で営んでいて、常連のおばちゃんがもう一人丸椅子に腰かけ、互いにほとんど記憶に残らないであろう他愛もない世間話を日がな一日交わしているような、田舎町によくある服屋である。大いなる不安を抱えつつヒートテックを求めると、ヒートテックはないが、これなら代用できる、と似たものを手渡された。男用ですか、と念を押したら、大丈夫だ、とのこと。実際履いてみたら十分温かい。気をよくして街のあちこちを歩き回り、写真を撮った。

 昼を過ぎたので、おなかが空いた。あまり観光地然とした店には入りたくない。だがそもそもシーズンオフなのか、ほとんど店がやっていない。なるべく地元の人が通いそうな、と物色していたら、数字を並べただけという珍しい店名の喫茶店を見つけた。入ってみると、おばちゃんが二人、おしぼりを丸めている。今回はよくよくおばちゃん二人組に縁がある。ビールと焼うどんを頼んだ。しばらくすると、奥の扉からおじちゃんが出てきた。だがおじちゃんは誰に挨拶するでも、何の仕事をするでもなく、カウンターにあったキャンディーを口に入れ、また奥の扉に引っ込んでしまった。何だったのだろう。

 会計を済ませて帰り際、店名の由来を聞くと、ただの番地だと笑われた。

 帰りのバスを途中下車し、平湯温泉につかる。誰も管理人のいない露天風呂である。

 湯を出ても、次のバスまでにはかなりの時間があったので、食堂に入り、ビールを飲んだ。それでもなお時間を持て余したので、バスターミナル併設の足湯に向かったら、若いドイツ人夫婦が先客にいた。聞くとほぼ一年をかけて、世界中を旅しているらしい。うらやましい限りである。彼らにとって、私が今回したような小さな旅は、どう映るのだろう。

 そもそも自分はこの日帰りの旅で、何をしたかったのだろう。

 夜が更けてから帰宅。服を脱ぐとき、ヒートテックもどきを見てみると、しっかりと、「婦人用」と書いてあった。

 

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飯田日帰り一人旅

2022年05月28日 | 紀行文

 一年に一度、旅をしなければ───それも必ず一人旅だ───自分の精神のどこかが異常を来してしまいそうな気がする。気がするだけかも知れない。そういう風な自分でありたい、という願望に過ぎないかも知れない。人生において旅をし続けざるをえない男、といったような。

 いずれにせよ、世間は相変わらずコロナコロナで旅どころではない。それでも終息の見えてきたこの春、電車に乗って一人旅をした。

 ただし日帰りである。一泊すれば感染のリスクが高まる、と考えている辺りがすでに旅人らしからぬ。地元信州を出なければリスクを極力抑えることができる、となると、さらにさもしい。この場合のリスクとは、どちらかと言うと、感染よりも、感染した時浴びる世間の批判の方である。こうなると、もはや旅人ではない。そんなに安全志向なら、旅などしなければいいのだ。

 それでも旅人のフリをしたいらしい。旅人であることを否定したら、自分の心に着せた鎧の大きな一部分が欠落するような不安を覚えるのだろう。

 自意識のために、旅をするのだ。

 今回選んだ場所は、信州の最南端、飯田。鈍行電車で片道三時間。一日で往復するなら六時間。四十後半にはなかなかきついが、それくらいが達成感を味わえていい。

 飯田駅に降り立ったのは、昼前。平日のせいか、人はほとんど歩いていない。車さえあまり見かけない。

 だだっ広い道路を自分専用の歩行者天国みたいに我が物顔で歩いていたら、だんだん気分が良くなった。

 日差しが暑い。上着を脱いで手に持つ。

 交差点で小さな饅頭屋を見つけた。真面目そうな商売である。帰りに土産をここで買おうと算段する。去年暮れまで同居していた亡き義母は、甘い物が大好物で、よく買って帰ってあげたものだ。もう、持って帰っても、食べる人がいなくなった。それでも構わない。買おう。

 細い路地を抜ける。猫に見つめられる。また大通りに出る。

 市街地を歩き続けること半時、動物園にぶつかった。

 動物園か。何年ぶりだろう。入場無料の看板を見て中に入る。

 園と言うよりは、牛舎のような手狭なスペースに、イノシシやアライグマやムササビが入っている。観ている人は小さな子を連れた母親が二組くらいである。

 ぐるっと回ったら、鹿に出会った。

 遠い目をしている。当たり前だが、表情がない。感情も、あるとすれば、ずっと昔に失っている気がする。私を見ているのか、私の背後を見ているのか。とにかくじっと見つめて動かない。剥製と変わらない。だが生きている。

 猟銃に狙われているのを知りながら、村を見つめて佇む鹿の詩を思い出した。いい詩だった。誰が書いたのかは覚えていない。

 覚悟、というものについてひとしきり考えた。あるいは、諦念、というものについて。

 動物園を出て、さらに歩いた。駅でもらった観光地図にミュージアムがあったので、立ち寄る。菱田春草の絵を見る。ロビーの向こうで、巨大な恐竜の骨が来訪者を見下ろしている。もし目玉があったなら、あの鹿と変わらない色をしていたろう。

 そろそろ歩きくたびれたので、温泉場に向かった。飯田城温泉という。天空の城、とまで歌っている。大層なことである。とにかく展望がいいらしい。

 大浴場に入ると、確かに市街地を見下ろせた。だがガラスが湯気で曇る。露天風呂は小さかったが、そちらの方がよく見下ろせた。

 知らない街なので、どこをどう見ればいいかはよくわからない。山がある。家がある。道路がある。車が走っている。ぼうっと眺めていたら、いつしか、自分の目があの鹿の目と同じになっているのではないか、ということに思い至った。

 

 湯上りに、併設された飲み屋に入り、生ビールを注文した。店員が大阪出身らしく、ノリがいい。旅先でしたい会話は、そこですべて済ませた。調子に乗って何杯か飲んだ。

 今回の旅はこんなものだろう。日帰りだから、致し方ない。

 酔っぱらって駅に向かう途上、饅頭を買い求めることだけは忘れなかった。

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電車ではしご酒!の旅  ~信州ワンデ―パスを使って~ 《後編》

2018年06月07日 | 紀行文

 小淵沢駅で一本電車を見送り、歩いて大滝神社を目指す。

 まだ雨は落ちない。朝の涼風が爽やかに首筋を撫でる。

 もともと住む人が少ないのか、あるいはこの時刻帯にはみんな別の場所に行っているのか、ほとんど誰も見かけない閑静な田園地帯を、我々三人はほろ酔い加減で適当なことを声高にしゃべりながら十五分ばかり歩いた。

 やがて道路端に大きな鳥居が現れた。鳥居をくぐり、さらに遊歩道を歩く。道端の側溝には透明度の高い清水が豊富に流れ、ニジマスが泳ぐ。神社に湧水があるというから、そこからの水なのだろう。線路下に、人が歩いて通れる高さの小さなトンネルが見えた。トンネルを潜ると、目指す神社の出現である。石垣を築いた上にそびえ建ち、巨木に囲まれ、なかなかに立派である。すぐ脇に苔むした樋が突き出て、大量の湧き水が滝になって流れ落ちている。滝の落ちた場所では湧き水を利用してわさびを栽培している。

 清涼な神社である。森の匂いが鼻をくすぐる。湧き水を口に含むと、酒よりもずっと美味しく感じる。それでも酒を飲むのに変わりはないのだが。私は大きく伸びをする。水、空気、森、静寂。なるほど、巷(ちまた)で言うパワースポットとは、何か特別なものがあるのではなく、かつて当たり前にあったものが、現代になってもまだ残っている場所なのではないかと、ふとそんなことも考えた。

 林の斜面に屹立する大岩や用途不明の洞窟など一通りを見て回った後、駅へと戻る。

 小淵沢駅構内で買い込みをして、いよいよ小海線に乗りこむ。

 

 日本一の高原列車、小海線。

 特急あずさでは缶ビールを開けたが、ここではワインを開けた。小海線にワインが似合う気がしたのである。想像していたよりも木立が多かったが、ときおり視界が開け、広々とした丘陵に綺麗な縞模様を描いて畝が作られているのを目にすると、赤ワインとチーズがことさら美味しく感じられるのだった。こんなのも、フランス農村部を電車で旅するテレビ番組か何かの影響かも知れない。

 佐久海ノ口駅で降り立ち、海ノ口温泉『和泉旅館』へ。電車を乗り継ぐ旅はとにかく駅から近い場所でないと立ち寄れないのだが、そこは駅から歩いて数分である。大変助かる。

 湯殿に入ると、違う種類の湯船が三つ、花びらのようにとなり合っている。非常に珍しい形態である。一つは明らかに源泉とわかる濃い茶色の湯。入ってみると、ぬるく、肌を引っ張られるような刺激がある。二番目はそれを薄めた様な湯。これもぬるい。三番目の比較的大きな湯船は、無色透明に近く、沸かしているのかほかほかと温かい。どうして湯船が三つあるのか、果たして三つ必要なのか、下調べを怠ってきたため、我々はその理由を勝手に憶測しながら湯につかった。

 和泉旅館を出て無人駅に戻る。

 曇天だが、まだ雨は落ちない。ひと気のない小さな駅の待合室に荷物を降ろし、電車を待ちながら長く伸びるレールを眺める。ふと、映画『スタンド・バイ・ミー』を思い出した。いい歳して鈍行電車に揺られ、田舎をうろうろしている我々は、現代のおっさん版スタンド・バイ・ミーなのかも知れない。何か探し物をしに出かける旅。果たして何を探しているのか。

 ちなみに我々は缶ビールを探していた。驚いたことに、酒類を売っている場所がない。自動販売機もなければ駅の売店もなく、地元の人に聞くとコンビニは十キロ先にあるという。

 「何と健全な町だ」と同行者の一人は感動した。「コンビニもないというところが、とてもいい」と。

 とは言え感動だけでは満足しないのが、不健全たるこの三人である。結局、もう一人の同行者が和泉旅館まで戻り、旅館にあった四本の缶ビールを買い占めてきた。一本四百円。執念である。我々は無人駅の待合室で、しみじみと味わいながらそれを飲んだ。

 小海線に乗り、小諸駅へ。市街をうろつき、蕎麦屋に入って飲み直しつつ蕎麦を食う。それにしてもよく飲む。小諸駅からしなの鉄道に乗るころには、三名ともしっかりと昼寝体勢に入っていた。

 目を閉じたまま、電車に揺られながら考えた。

 今回の旅はなかなか良かった。信州ワンデ―パスというチケットの存在も知った。ただ、せっかく観光目的のフリーパスを作るなら、それをもっと使いやすく、かつ気軽に楽しめるような工夫が必要ではないか。今回は一周を試みたが、しなの鉄道だけ別料金というのも解せない話である。一周できなければワンデ―パスの意味がないではないか。新幹線に乗ればいいというのは情緒のない話である。JRは私鉄と協力し、本当の意味での「信州フリー」を目指してもよいのではないか。それに、フリーパスで乗り降り自由を満喫するなら、基本的に駅からあまり離れた観光スポットには行けない。それなのに、途中下車して楽しむすべがあまりにも少ない。たとえばフリーパスがあれば、各駅構内の土産飲食が割引、とするだけでも、人はそのチケットを使うことに魅力を感じるだろう。要所の駅でレンタサイクル無料なんてのもいい。フリーパスを使う旅なら、こんなおすすめコースでこんな楽しみ方がありますよ、というモデルコースをいくつか設定するくらいの、企画としての完成度が欲しい。このマイカー時代にあえて電車の魅力を広く訴え、観光目的の乗客数を増やしたいのであれば、もっと利用者目線のサービスが必要である。そして私は、電車の魅力がもっともっと広がるといいと強く願う一人である。

 もちろん以上のことは、女性客や家族連れや高齢者の利用者層を増やすための話である。おっさん連中はどうでもいい。彼らは適当に缶ビールでも持ち込んで飲んでいれば、それで十分幸せなのだから。

 夕刻五時、松本着。小雨がぱらつく。

 おっさん三名は駅近くの安居酒屋に入り、今回の旅の締めとしてさらに飲んだ。さらにはカラオケまで行った。まったくのところこういう連中は、放っておけば自分たちで何としてでも楽しむのである。

 電車ではしご酒!の旅は、こうして幕を閉じた。

 

(おわり)

                      

 

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電車ではしご酒!の旅 ~信州ワンデ―パスを使って~  《前編》

2018年06月02日 | 紀行文

 時刻表が楽しい。

 別に「鉄ちゃん」を自認しているわけではない。公認されているわけでもない。普段はまったく鉄道に興味がない。しかし、ぶらりと電車の旅でもしてみたいなあと思いながら分厚い鉄道案内をめくってみると、今まで観光地図やネットでは点としてしか見えてこなかった場所と場所が、線でつながれていく。すると、まるで知らなかった沿線の土地まで、観光ルートとして輝きを放ち始める。この路線からこちらの路線に乗り換えたいけど、ここで下車してみるとどうだろう、とか。この路線に乗りながら弁当を広げたら、ここら辺りで車窓に映る景色はどんなだろうか、とか。

 五月下旬、平日の仕事休みに男三人で電車の旅を組むことにした。信州ワンデ―パス。一日乗り降りし放題のチケットである。これを最大限活用し、気ままな日帰り旅行を洒落こむのだ。ただ乗っているだけでは飽きもこようが、気心の知れた知人と酒を酌み交わしながらであれば、車窓は飽きない借景、電車の揺れは心地よいBGM。気の向いた駅で下車し、地元の食堂にぶらりと立ち寄ってはしご酒、なんてのも悪くない。全然悪くない。

 そういういきさつで時刻表をめくってみたのだが、これがなかなか、難しい。接続が悪くて時間ばかりかかったり、せっかく乗り継いでも駅近くに見るものや食べるところがなかったり。それでも調べれば調べるほど可能性が開けてくるのが時刻表のよいところである。いつもは行き当たりばったり主義の私であるが、今回ばかりは時刻と時刻を突き合わせながら四苦八苦して、なんとかぐるりと一周するコースを編み出した。

 松本から中央線を小淵沢まで南下、そこから小海線に乗り換えてゆっくりと北上する。小諸からしなの鉄道に揺られて西に向かい、篠ノ井で折れ曲がれば松本に戻ることができる。

 一周は奥の細道しかり、旅の基本である。悪くない。

 最初の中央線ではスーパーあずさに乗る。ここが肝心である。特急料金がかかるが、その分確実に対面で座れる。ゆったりシートで最初の乾杯といくわけだ。帰りのしなの鉄道が別料金という問題もあるのだが、それを払わなければ戻れないのだから仕方ない。乗り換え待ちを利用してぶらついたり、温泉に入ったり、駅前食堂にでも立ち寄れば、まずまずの一日旅行となろう。格別な観光スポットのない旅程なので、同行者たちの気分次第ではただの退屈な移動旅行に堕してしまう。が、今回のメンバーは酒さえ入れば気分の乗りに問題はない。酒さえ入れば、彼らはだいたい問題がない。

 問題は天気であった。

 当日は曇天。天気予報は午後から雨。車窓の景色が望めなければ、さすがに同行者も不満だろう。ここは断念して予定変更か、と悩みつつ松本駅の集合場所に着くと、メンバー二人はすでに到着している。開口一番、「で、どうやって切符を買うんだ」。ありがたい。天気に関係なく楽しもうという気概である。この面子なので、今回のような多少無謀な旅行計画も組めたのだ。

 午前八時。我々は切符と袋一杯の買い出し品を手にし、意気揚々と、スーパーあずさ新型車両へ乗りこんだ。

 

(つづく)※見出しの写真は別日に安曇野で撮ったもの。

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松之山温泉一人旅

2018年04月03日 | 紀行文

 旅に出る。

 一泊二日、電車を使っての一人旅である。こういうことを年に一度はしないと、何と言うか、感性が鈍るような強迫観念がある。もっと頻繁に旅したいのだが、仕事と家庭が許さない。仕事と家庭に容易に阻まれるくらいだから、もともと大した感性ではない。

 体調もさほど良くない。年始から痛めた咽喉が長引き、良くなったと思ったら、ぶり返したりする。治りそうでなかなか治らない。貧乏神でもしそうな弱々しい咳が出たりする。情けない。こうなるとじっとして体を休めるより外へ出て空気と気分を入れ換えた方がましだくらいの思い切りで、結局旅を決行した。

 三月三十日、天気良好。松本駅へ向かうバスの車窓越しに、城の堀端の柳を見る。大きな柳である。普段はその存在に気づかなかった。帰るころには、堀一面に桜が咲いているだろうか。

 松本駅から電車に乗り長野へ。そこから北しなの鉄道に乗り換える。沿線にはリンゴの木が幾重にも広がる。見えない天井に押さえつけられたように、どれも一定の高さで終わり、あとは枝を水平に延ばすのみである。その方が収穫しやすいのだろう。リンゴも大変である。人間も似た様なものかも知れない。妙高高原からえちごトキめき鉄道というやたら長い名前の私鉄に乗り換え、直江津へ向かう。

 直江津で一時間以上の待ち時間ができたので、海でも見ようと街を歩く。途中の菓子屋で、越後の笹あめが売っているのに驚いた。夏目漱石の『坊っちゃん』でお清が「越後の笹あめが食べたい」と言った、あの笹あめである。包装には、丁寧に『坊っちゃん』の一節が印刷されてある。物語の中で坊っちゃんは笹あめを買ってもいなければ、もちろん食べてもいない。夢の中でお清が笹までむしゃくしゃ食うだけである。それを現代まで売りにしているのは、やはり夏目漱石が偉大だからこそであろう。大したものである。店の婆さんに訊いたら、歯にくっつきやすいから入れ歯の人には向かないらしい。それで義母へのお土産に買って帰るのはやめた。

 『ニューハルピン』というラーメン屋がやっていたので入る。ラーメンと餃子と瓶ビールを注文する。大瓶は昼に一人で飲むには少々腹が張った。店を出てから再び坂道を歩き、海岸に辿り着く。公園のベンチに座って海をしばし眺める。少し咳が出る。駅まで引き返す。

 直江津からの電車も私鉄であった。やたら私鉄の多い地域である。あとで訊いたら、新幹線が通ったせいで、JRが民間に払い下げたせいらしい。長いトンネルを抜け、まつだい駅下車。目的地である。ほとんど時刻表だけを頼りに来たので、予備知識がない。意外と綺麗な駅である。

 見渡せば、三月下旬にもかかわらず残雪が多い。 場所によっては数メートルもありそうである。日差しは暖かいが、雪を撫でた空気が、少しだけひんやりとする。 

 宿からの送迎に時間があるので、駅に隣接した郷土資料館というものを覗いてみた。小さいが、豪農の持ち家だった立派な民家が移築されている。入ってみると、私以外の観光客など誰もいない。冬場は本当に誰も来ない資料館なのだろう。受付からおばさんが出てきて、一部屋一部屋丁寧に説明してくれた。

  聞くと、この一帯は日本有数の豪雪地帯らしい。私はそんなことも知らないで来たのだ。雪が積もると一階から出入りが出来ないから、二階の部屋から外へ出入りする構造になっている。

 

 養蚕をしていたとかで、屋根裏部屋が広く取ってある。狭い梯子を登ってそこに上がってみる。窓からの明かりはわずかだが、暖房の空気が集まっていて大変暖かい。豪勢な家で一番居心地がいい場所が屋根裏部屋というのも面白い。そのままそこに大の字に寝ころびたかったが、下で受付のおばさんが次の説明のために待っているので、早々に降りた。それにしても隅々まで綺麗に磨かれた家である。移築の時に柱を磨いたら、黒ずんでいた柱から漆が出てきたらしい。私の郷里の実家も古いだけは相当古い。柱が黒ずんでいるのも確かである。今度親に磨いてみろと言おうかと思う。

 一通りの説明を受けて土間に戻る。おばさんに礼を言い、今度は一人だけで再び各部屋を回る。屋根裏部屋で大の字に寝てみる。

 三時を過ぎたところで迎えの車が来た。二十分ほどかけて松之山温泉へ。運転手の話では、今年は雪が少なく三メートルほどだったが、普段は四メートル積もるという。四メートルとは、どんな情景なのか想像するのも難しい。おそらく、集落全体が雪に埋もれた感じだろう。それでも人は生活していくのだから、人間の営みというのは馬鹿にならない。五月になれば、棚田も美しいらしい。その頃に、今度は車で来てみようかと思う。

 

 宿は凌雲閣という、時代を一つ間違えた様な古い旅館である。文化財に登録されているらしい。廊下はやはりぴかぴかに磨いてある。この辺の人たちは雪深い冬にずっと家を磨いているのではないかしらん。部屋は昔の造りだから小さい。なぜだか知らないが民芸品のような食器棚や引き出しがやたらある。

 早速温泉につかる。何でも日本三大薬湯の一つらしい。三大かどうかは知らないが、薄く緑がかった温泉で、なかなか気持ちがよい。脱衣場の説明書きには、1200万年前の海水が地下に溜まり、マグマに温められて出てきた珍しいものだとか。1200万年前と言えば、人間がまだ猿だった時代である。よくわからないが効きそうである。舐めてみれば確かに塩辛い。よし、これで咽喉を完治させようと、咽喉に効くものなのかも確かめないまま、滞在中に四、五回は入った。

 

 夕食の膳には珍しい山菜が並んだ。熱燗を飲みながらつつくと大変旨い。刺身や肉などはいいから山菜をもっと増やして欲しい。いずれにせよ、一人で囲む膳は、なかなかどうしていいやらわからない。食事の会場には何組かの夫婦や家族連れがいて、皆楽しそうに会話している。一人で箸を動かすのは私と、隣にいる男性だけである。だが彼は温泉場で挨拶したが返してくれなかった。話しかけられるのを望んでいるとは到底思えない。お一つどうぞ、と銚子を勧めたいところだが止めておいた。

  窓の外をふと見ると、丸い月が林の上の群青の空にかかり、とても美しい。が、それを語る相手もいない。一人旅とはこういうものである。それを承知で来ているのだ。咳が出始めたので、酒も二本にとどめて、席を立った。

 夜の温泉街でも散策したいところだが、体調も不安である。月明かりに照らされた残雪も、窓から見ると物々しくいかにも寒そうである。それで大人しくすることにした。こうなると本当にすることがない。また温泉につかり、テレビのチャンネルを一つ二つ切り替えると、早々に布団を被った。

 

 

 翌日も快晴であった。

 朝食の席に、昨晩は見かけなかった婦人が一人いる。わずかに白髪の交じった髪をそのまま束ね、気取らぬ自然体である。駅まで送る車でも一緒になり、会話が生じた。ぽつりぽつりとした言葉の遣り取りは、結局まつだい駅で列車が来るまで続いた。話によると、現在は京都に在住だが、かつて劇団に属して、全国を旅して回ったらしい。劇団の名前は耳にしたことがあった。どおりで開放的な雰囲気のある人である。

 羨ましい人生ですね、と、心から言った。彼女は微笑んで立っていた。

 電車が来たので、その人とは別れた。車内は高校生くらいの若者たちで賑やかであった。日常の人たちである。ちょっとだけ非日常の人もいる。みんな片道数百円で車窓からさんさんと日を浴びながら移動していた。私は座席に深く腰掛け、目を閉じた。

  

      (※写真は、人々が乗車する前の車内。どの路線で撮ったか覚えていない)

 

 咽喉は結局、完治とまでは至らなかった。夜の温泉街も逃したのが少々心残りである。が、まずまずいい旅だったかな、と振り返りながら眠りに落ちた。

 

 

 電車は夕方四時過ぎに松本に着いた。

 城の堀端では、すでに桜が咲き始めていた。 

 

 

 

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伊豆紀行

2018年03月14日 | 紀行文

 

 冬の終わりと春の始まりは似て非なるかな。冬の終わりには喜びがある。鳥が囀り子らが走る。春の始まりは安らぎがある。猫が寝そべり蝶が飛ぶ。

 一足早い春が見たくて三月十日、伊豆に向かった。

 ところで私は自称「晴れ男」である。私が外に出ると雨は止み、雲は割れると勝手に思い込んでいる。天気予報は曇りだが伊豆まで行けば晴れるに違いない、いつも通りの神のご加護を、と勢い勇んで高速道路に乗ると、前日の降雪のせいでいきなり通行止めに遭った。やむなく下道に。通行止めが解除された辺りから再び高速に乗ったが、今度は事故か何かの渋滞に出くわし、嫌気が差し再び下道へ。慣れない土地での一般道は迷路を辿るようなもので、早々に道に迷ってしまった。おまけに行けども行けども雲は晴れない。雨が降りそうな気配までする。しまった、今度こそ神に見放されたか、考えてみれば不謹慎なことをたくさんしてきた気もする。酒が過ぎたか、運の尽きか、と気を滅入らせながら予定より二時間ばかり遅れて伊豆半島に入った。

 伊豆は想像していたよりもずっと都会だった。都会が途切れたら山が続く。その辺は信州と同じである。しかし気温が信州とは違う。三月上旬にしてすでに桜が散り際である。修善寺でズガニうどんを食って、西伊豆へ。海が見えたときはさすがに感動した。

 ホテルにチェックインするころ、水平線の雲間から夕陽が顔を出した。金色の光が三四郎島の輪郭を際立たせる。ああ神は、傲慢な私をいったん見放しかけたけど、最後は許して下さった。今後は「晴れ男」を自慢げに吹聴するのを慎もう、と心に誓う。

 

 

 夕食を食べたらすることがない。ホテルの外にも何もないと言われ、仕方なくホテルのバーを覗いてみることにした。ホテルのバーなんて初めてでどきどきするが、ドアを開けて見ると誰もいない。客もいなければ店員もいない。すぐに出てドアを閉め、浴衣のままホテル内をうろうろするが、それでも何もすることがないので、もう一度バーの扉を開く。私も懲りない性格である。

 二度目にしてようやくバーテンダーと対面する。聞けば他の仕事もいろいろあって不在だったらしい。

 大柄な体格にピタリと合うスーツを着こなし、白髪をアップにして、ちょっと菅原文太に似た渋さの漂う老人である。

 カラオケもセットのコースであったが、彼の話を聞く方がずっと面白そうである。話題を振ると、カウンターに両肘を突き、困ったように顔を擦りながらも、ぽつぽつと語ってくれた。

 彼は地元西伊豆の生まれであった。都会に出たが、故郷の空気を忘れがたく、この歳になって戻ってきたという。

 「昔は、海もずっときれいでした」

 「今でもきれいですよ」

 「いや、今なんかよりずっときれいでした。生き物もいっぱいいました。海金魚ってご存知ですか」

 「いえ・・・。金魚って、淡水魚ですよね」

 「ええ。でも、海にも金魚がいたんです。素潜りすれば、それこそたくさんいました。それもいなくなって。海苔も全然取れなくなりました。私ら昔は、伊勢海老を素手で掴んで取ってましたからね」 

 「ほお・・・」

 「海水も、昔はもっと塩辛かったように思うんです・・・・こうなった原因は、わかりません。新しいホテルがたくさん立ち始めて、道路がよくなって、観光客がたくさん来られるようになって、経済的にはいいんでしょうが・・・・」

 「昔の西伊豆ではない、と」

 「ええ。昔の西伊豆ではありません」

 「何かそういう自然や情緒の残っている、お薦めの場所とかありますか」

 「うーん・・・」

 バーテンダーは再び顔を擦り、考え込んだが、答えは返ってこなかった。

 

 

 翌日は快晴だった。春を飛び越え、初夏の陽気であった。海は群青色に輝いていた。海岸沿いの道路には大きなヤシの木が立ち並び、クルーズの出る港には大勢の観光客がたむろした。岬からの眺めは雄大であり、竜宮窟に打ち寄せる白波の音が心地よかった。下田で大きな金目鯛を食い、天城越えの土産物屋に立ち寄って、ようやく帰路に就いた。

 伊豆は十分美しく、楽しかった。しかしどこへ立ち寄っても、あの老バーテンダーの知る昔の伊豆ではない、という思いが頭を掠めた。

 「昔を知らない世代に、どうしたら伝えていけるだろうと」

 彼はそう言った。何とかして伝えたいと彼が思うほど、かつての伊豆の海は今と比べ物にならないくらい豊饒だったのだろう。伊勢海老を手掴みするほど豊かで、あるがままの幸福に満ち溢れていたのだろう。

 観光地として整備され、人が押し寄せ、賑わいを見せ───その一方で、どんどんその中身が貧しくなっていくのだとしたら、何とも皮肉なことである。

 

 

 旅の仕方も考え直さなければいかんな、とハンドルを手に思いながら、私は付箋紙だらけでよれよれになった観光情報誌を後部座席に放った。

(おわり)

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阿寺渓谷を歩く。

2017年11月06日 | 紀行文

 念願の阿寺渓谷へ行く。

 いつもの勇み足が出て、入口の駐車場に車を停め、張り切って歩き出したら、他の人はみんな車で上まで行っていた。しかし今更引き返すのも悔しいので、狭い道路での車の行き交いにときおりうんざりさせられながらも、紅葉と山の空気に励まされながら一時間歩き通す。

 だんだんと濃くなる水の色に目を見張る。

 川岸に近づき、岩場に腰を下ろしてしばし呆然とする。疲れた四肢に、宝石を無数に散りばめた様なきらめきが圧倒的な感動で沁み入って来る。

 両脇の山が高いので、少し日が傾くと、水面の煌めきは見られなくなった。ほんのわずかな時間帯だけに用意された芸術作品であった。

 ここまで歩いてきて本当に良かったと思う。そしてこれからも歩いていこうと思う。こういう美しさに、またどこかで巡り合えるなら。

 

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