旅に出る。
一泊二日、電車を使っての一人旅である。こういうことを年に一度はしないと、何と言うか、感性が鈍るような強迫観念がある。もっと頻繁に旅したいのだが、仕事と家庭が許さない。仕事と家庭に容易に阻まれるくらいだから、もともと大した感性ではない。
体調もさほど良くない。年始から痛めた咽喉が長引き、良くなったと思ったら、ぶり返したりする。治りそうでなかなか治らない。貧乏神でもしそうな弱々しい咳が出たりする。情けない。こうなるとじっとして体を休めるより外へ出て空気と気分を入れ換えた方がましだくらいの思い切りで、結局旅を決行した。
三月三十日、天気良好。松本駅へ向かうバスの車窓越しに、城の堀端の柳を見る。大きな柳である。普段はその存在に気づかなかった。帰るころには、堀一面に桜が咲いているだろうか。
松本駅から電車に乗り長野へ。そこから北しなの鉄道に乗り換える。沿線にはリンゴの木が幾重にも広がる。見えない天井に押さえつけられたように、どれも一定の高さで終わり、あとは枝を水平に延ばすのみである。その方が収穫しやすいのだろう。リンゴも大変である。人間も似た様なものかも知れない。妙高高原からえちごトキめき鉄道というやたら長い名前の私鉄に乗り換え、直江津へ向かう。
直江津で一時間以上の待ち時間ができたので、海でも見ようと街を歩く。途中の菓子屋で、越後の笹あめが売っているのに驚いた。夏目漱石の『坊っちゃん』でお清が「越後の笹あめが食べたい」と言った、あの笹あめである。包装には、丁寧に『坊っちゃん』の一節が印刷されてある。物語の中で坊っちゃんは笹あめを買ってもいなければ、もちろん食べてもいない。夢の中でお清が笹までむしゃくしゃ食うだけである。それを現代まで売りにしているのは、やはり夏目漱石が偉大だからこそであろう。大したものである。店の婆さんに訊いたら、歯にくっつきやすいから入れ歯の人には向かないらしい。それで義母へのお土産に買って帰るのはやめた。
『ニューハルピン』というラーメン屋がやっていたので入る。ラーメンと餃子と瓶ビールを注文する。大瓶は昼に一人で飲むには少々腹が張った。店を出てから再び坂道を歩き、海岸に辿り着く。公園のベンチに座って海をしばし眺める。少し咳が出る。駅まで引き返す。
直江津からの電車も私鉄であった。やたら私鉄の多い地域である。あとで訊いたら、新幹線が通ったせいで、JRが民間に払い下げたせいらしい。長いトンネルを抜け、まつだい駅下車。目的地である。ほとんど時刻表だけを頼りに来たので、予備知識がない。意外と綺麗な駅である。
見渡せば、三月下旬にもかかわらず残雪が多い。 場所によっては数メートルもありそうである。日差しは暖かいが、雪を撫でた空気が、少しだけひんやりとする。
宿からの送迎に時間があるので、駅に隣接した郷土資料館というものを覗いてみた。小さいが、豪農の持ち家だった立派な民家が移築されている。入ってみると、私以外の観光客など誰もいない。冬場は本当に誰も来ない資料館なのだろう。受付からおばさんが出てきて、一部屋一部屋丁寧に説明してくれた。
聞くと、この一帯は日本有数の豪雪地帯らしい。私はそんなことも知らないで来たのだ。雪が積もると一階から出入りが出来ないから、二階の部屋から外へ出入りする構造になっている。
養蚕をしていたとかで、屋根裏部屋が広く取ってある。狭い梯子を登ってそこに上がってみる。窓からの明かりはわずかだが、暖房の空気が集まっていて大変暖かい。豪勢な家で一番居心地がいい場所が屋根裏部屋というのも面白い。そのままそこに大の字に寝ころびたかったが、下で受付のおばさんが次の説明のために待っているので、早々に降りた。それにしても隅々まで綺麗に磨かれた家である。移築の時に柱を磨いたら、黒ずんでいた柱から漆が出てきたらしい。私の郷里の実家も古いだけは相当古い。柱が黒ずんでいるのも確かである。今度親に磨いてみろと言おうかと思う。
一通りの説明を受けて土間に戻る。おばさんに礼を言い、今度は一人だけで再び各部屋を回る。屋根裏部屋で大の字に寝てみる。
三時を過ぎたところで迎えの車が来た。二十分ほどかけて松之山温泉へ。運転手の話では、今年は雪が少なく三メートルほどだったが、普段は四メートル積もるという。四メートルとは、どんな情景なのか想像するのも難しい。おそらく、集落全体が雪に埋もれた感じだろう。それでも人は生活していくのだから、人間の営みというのは馬鹿にならない。五月になれば、棚田も美しいらしい。その頃に、今度は車で来てみようかと思う。
宿は凌雲閣という、時代を一つ間違えた様な古い旅館である。文化財に登録されているらしい。廊下はやはりぴかぴかに磨いてある。この辺の人たちは雪深い冬にずっと家を磨いているのではないかしらん。部屋は昔の造りだから小さい。なぜだか知らないが民芸品のような食器棚や引き出しがやたらある。
早速温泉につかる。何でも日本三大薬湯の一つらしい。三大かどうかは知らないが、薄く緑がかった温泉で、なかなか気持ちがよい。脱衣場の説明書きには、1200万年前の海水が地下に溜まり、マグマに温められて出てきた珍しいものだとか。1200万年前と言えば、人間がまだ猿だった時代である。よくわからないが効きそうである。舐めてみれば確かに塩辛い。よし、これで咽喉を完治させようと、咽喉に効くものなのかも確かめないまま、滞在中に四、五回は入った。
夕食の膳には珍しい山菜が並んだ。熱燗を飲みながらつつくと大変旨い。刺身や肉などはいいから山菜をもっと増やして欲しい。いずれにせよ、一人で囲む膳は、なかなかどうしていいやらわからない。食事の会場には何組かの夫婦や家族連れがいて、皆楽しそうに会話している。一人で箸を動かすのは私と、隣にいる男性だけである。だが彼は温泉場で挨拶したが返してくれなかった。話しかけられるのを望んでいるとは到底思えない。お一つどうぞ、と銚子を勧めたいところだが止めておいた。
窓の外をふと見ると、丸い月が林の上の群青の空にかかり、とても美しい。が、それを語る相手もいない。一人旅とはこういうものである。それを承知で来ているのだ。咳が出始めたので、酒も二本にとどめて、席を立った。
夜の温泉街でも散策したいところだが、体調も不安である。月明かりに照らされた残雪も、窓から見ると物々しくいかにも寒そうである。それで大人しくすることにした。こうなると本当にすることがない。また温泉につかり、テレビのチャンネルを一つ二つ切り替えると、早々に布団を被った。
翌日も快晴であった。
朝食の席に、昨晩は見かけなかった婦人が一人いる。わずかに白髪の交じった髪をそのまま束ね、気取らぬ自然体である。駅まで送る車でも一緒になり、会話が生じた。ぽつりぽつりとした言葉の遣り取りは、結局まつだい駅で列車が来るまで続いた。話によると、現在は京都に在住だが、かつて劇団に属して、全国を旅して回ったらしい。劇団の名前は耳にしたことがあった。どおりで開放的な雰囲気のある人である。
羨ましい人生ですね、と、心から言った。彼女は微笑んで立っていた。
電車が来たので、その人とは別れた。車内は高校生くらいの若者たちで賑やかであった。日常の人たちである。ちょっとだけ非日常の人もいる。みんな片道数百円で車窓からさんさんと日を浴びながら移動していた。私は座席に深く腰掛け、目を閉じた。
(※写真は、人々が乗車する前の車内。どの路線で撮ったか覚えていない)
咽喉は結局、完治とまでは至らなかった。夜の温泉街も逃したのが少々心残りである。が、まずまずいい旅だったかな、と振り返りながら眠りに落ちた。
電車は夕方四時過ぎに松本に着いた。
城の堀端では、すでに桜が咲き始めていた。
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