土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

亡国のスイッチを押した韓国

2013-08-31 16:53:25 | 歴史の読み方 海外編

土佐のくじらです。

私はこの手の記事は、余り乗り気ではありません。
しかし当ブログが、歴史の法則を主なブログ記事の中心に置いている以上、どうしても眼を背けることは出来ないし、日本人には、ある意味での覚悟をしていただかなければならない可能性もあり、私見を記事にすることにしました。

これまでの日本の歴史において、お隣の国朝鮮半島の歴代の国々の動向が、我らが母国日本の国としての在り方に、多大な影響を与えてきたことが、当ブログの記事をお読みになったかたなら、ご承知のことであろうと思います。

この困ったお隣さんの、自分本位の動向には、いつも我々は難儀してきたわけであり、まぁ、それに応じて我々も智恵を絞って自己改革に励んで来たのが、日本の歴史であるとも言えます。

その、「日本の歴史の局面に、朝鮮半島あり。」の法則が、今まさにリアルタイムで目前に迫ろうとしています。

よくもまぁこれほど、やってはいけないことを、次々とできるものだと、半ば呆れ、半ば関心します。
ただただ、口を開けるしかできません。

アメリカを主な舞台に、各地に慰安婦像を建てて回るだけならいざ知らず。
韓国大統領、パク・クネ女史は、同盟国アメリカ大統領との会談直後の中国訪問で、中国の習近平国家主席に、「中国のハルビン駅に安重根の銅像を建てて欲しい。」と依頼しました。

パク女史が、何か大きなビジョンがあっての行動ならばわかりませんが、この行動何らの策略もなく行われているとするならば、韓国大統領の知性はゼロです。

パク大統領のやっていることは、一つは二股外交であり、そしてもう一つの日本の初代首相暗殺者の銅像建設は、国際社会的に見て、明らかな異常行為です。

もし、セルビア共和国が第一次世界大戦の発端となった、オーストリア皇太子暗殺者の銅像を、母国の英雄をして建てたなら、国際社会はなんと言うでしょうか?
もし、生麦事件で英国人を切り殺した薩摩藩士を、英雄視した銅像を日本が建てたなら、イギリス人は日本をどう思うでしょうか?

日本人は大人しく、我慢を美徳とする国民性なので、今のところ嫌韓論で済んでおりますが、これが新たな征韓論に発展しないことを祈るばかりです。
できれば日本政府は、一発バシッと国家として、釘を刺しておくべきです。

あちらは、言われないとわからない国民性なのですから。
早めに言って差し上げて、早くシュンとさせてあげるべきなのです。

二股外交に関しては、この国の歴史では、そればっかりやって、そのたびに大国を手引きし、蹂躙された歴史ばかりです。
基本的に近視眼的で、主体性に欠ける国家の行動を歴史では繰り返しています。

韓国人は一刻も早く、歴史を振り返るべきです。
でなければ、二の舞三の舞になってしまいます。
しかし、ハングル文字しか読めぬ現代韓国人には、漢字で書かれた古文書を読むすべはないのでしょう。

韓国出身の現国連事務総長、潘基文氏は、「日本のリーダーには(歴史問題に関して)深い省察と、未来へのビジョンが必要だ。」と、韓国メディアに述べました。
紛争当事国でもない日本に対し、明らかな自国有利の発言を、厳格な公平性が求められる現職国連事務総長がしました。

韓国では、強いものは弱いものに対し、何をしても良い・・・という文化があります。
国連事務総長になり、世界の王にでもなったおつもりでしょうか?
自国の文化を、世界の公の立場でも通用すると思っているなら、この事務総長は、とんでもない田舎者です。

潘基文には、国連人事において、氏の親戚などを登用する韓国式人事も行われており、氏が国際的諸問題に対して無策であることから、これから国連内部でも何らかの追及が始まるでしょう。

また韓国司法では、戦前の新日鉄勤務の韓国人への賠償請求が既決され、また、戦前に日本から勲章を授与された韓国人の、財産を没収する判決も出ました。
これらは、日韓請求協定(1965年)の二国間条約締結以前の出来事が対象であり、国際法的には無効です。
何か韓国民から請求があれば、韓国政府が対応すべき問題です。

これも、法の公平性を国際的には求められる司法の現場が、強いものにはとことん弱いという、明らかな韓国文化のもとにあることが、国際的に知られる機会となりました。

要するに、法ではなく、時の政府の方針、大統領の思惑に沿った形で判決された事例が、もう出てしまった訳です。
この国は、近代的な法治国家ではなく、前時代的で野蛮な、北朝鮮と変わらぬ人治国家であることが知られてしまったのですね。

韓国経済は、とっくの昔に破綻しています。
サムスンなどの輸出産業が好調だったので、その業績に眼を奪われ勝ちですが、とっくに破綻しているのです。
その実態は、投資などの運用、つまり、海外からの借金での自転車操業なのです。

デザイン性とお買い得感で売れていた韓国製品ですが、新製品を出すことはできていないですし、相変わらず部品は日本製が主です。

これまでは、長期のウォン安で輸出が良かったのですが、日本のアベノミクス以降、ウォン高から抜け出せません。
これまでは、ウォンの増刷、つまりお金を積極的に刷ることで、ウォン安に持って行っていましたが、もうそれを続けるだけの経済的な体力はなさそうです。

韓国が法治国家ではなく、人治国家であったということが、司法の判決でバレてしまった今後、信用をなくした韓国からは、急激に投資資本が国外流出するはずです。
お得意の、自転車操業ができなくなります。

世界のどこかで引き金が引かれれば、その時韓国は破綻します。
韓国の破綻は、北朝鮮のそれより早いかも知れません。

今後韓国人が総懺悔し、韓国の新たな国民性を模索する以外は、確実に滅びの門をくぐるでしょう。

その後の未来は、神のみぞ知る・・・であります。
歴史家としては、それ以上のことは言えません。

さて、どこが破綻した韓国の面倒を見るのでしょうか?
アメリカがやってくれれば良いのですが・・・。

中国がやれば、日本は国防上、極めて苦しい立場に追い込まれます。
他国が他国の事情で滅ぶのですから、ある意味で知ったこっちゃないのですが、問題はそこなのです。

私は今ほど、征韓論を議論したり日韓併合を余儀なくされた、明治新政府の要人たちの重苦しい気持ちが、痛いほど理解できたことはありません。






銭本位とコメ本位の歴史と、日本の可能性。

2013-08-31 06:33:03 | 歴史の読み方

土佐のくじらです。

平安末期の実力派の政治家平清盛は、コメ本位制であったそれまでの日本に、始めて銭による経済をもたらせました。
コメ本位経済というのは、今では想像しにくいのですけど、要するに物々交換です。

コメならばコメと同等の反物であるとか、野菜であるとか、そういった物と物を照らし合わせて、価値が同一するものと交換していたのですね。

始めて銭を使った人はきっと、驚いたと思います。
「こんな、ちっちゃな金属の破片みたいなもので、何もかも買えるのか!」と。(笑)

つまり銭単独では、コメなどのようにしっかりとした価値があるとは思えず、始めは信頼感がなかったでしょうね。
すなわち、銭の信用をつくり保って行くには、その信用の裏づけとなる、「担保」が必要なわけですね。
この通貨の信頼担保の必要性は、主に紙幣を使う経済である現代でも同じです。

平清盛はこの、銭の信頼感の裏づけのために、軍事力を使ったと私は考えるのです。
つまり、「銭に文句がある奴は、平家に言いなされ。こっぴどくお仕置きしてあげるから。」という感じでしょうかね。(笑)

実はこれは、現代社会における世界の基軸通貨ドルでも同じなのです。
「金」を機軸としていたドルの金本位制が崩れ、ドルの信頼の最終的な担保は、アメリカの軍事力なのですね。
それでドルは、紙くずにならずに済んでいるのです。

日本の円は、世界の通過では相当強い位置にありますが、今の現状は、そのアメリカのドル=アメリカの軍事力の担保があるから、アメリカの同盟国の日本の円も担保されているわけです。

それによってドルは、世界の基軸通貨であり続けていて、それによってアメリカは実質上、ドルを刷ることで、世界中から物が買えているわけです。

さて、平清盛は日本に銭をもたらせましたが、日本の歴史ではその後、またコメ本位制度に戻ります。
銭を経済の中枢に持って来た歴史は、その後の室町幕府前期の足利義満の時代、織田信長・豊臣秀吉の時代、そして明治以降の近代日本です。

結構、日本の歴史は、コメ本位制度の時代が多いのですね。
銭本位制度の運用というのが、時の政治リーダーの、ある種の経済的なリーダーの資質、優れた経営的手腕のようなものを、どうやら必要とするようであります。

徳川時代には、コメ本位制度と銭本位制度が併用されていて、それが江戸幕府の財政問題や、江戸の三大改革読み取る上で大事なポイントとなります。

江戸時代というのは、建前上はコメ本位制度です。
配下の武士を、○○石・・・という風に、コメで雇っていますね。

しかし、経済活動も活発になり、貨幣も全国的に相当出回っていました。また江戸と大阪では、金と銀による世界で初めての為替制度もありました。
ですから、建前のコメ本位制度が、力をつけてきた銭本位制度に、段々と実力で負けて来たのが、江戸時代の経済の歴史の流れです。

さて現代日本は、円という基軸通貨を使った、銭本位制度経済ですが、この法則のもと今後はどうなるのでしょうか?
円という銭の、信用の元となっているのは、日本の信用なのですね。

日本の円は、ほっとけば円高に以降しますが、それは円の信頼が厚いからです。
それはつまり、日本の信頼感は、世界レベルで言えば高いことを意味します。

日本がもし、他国に侵略されたならば、日本の円、そして日本の国債などは、全て紙くずとなります。
世界レベルで見て、日本に信頼感が薄い部分があるとするならば、実はこの部分です。

決して軍事力では劣ってはいないのですが、ソフト(法律面)においてその防衛力を、行使しにくい形となっているため、国家のセキュリティーが弱いのですね。
世界の目で見て、その部分だけが、信頼の薄い部分なのです。

このセキュリティー面が強くなれば・・・、つまり、今ある防衛力、今後導入する必要な防衛力を、正当に行使できる法整備さえすれば、日本の円は次世代のドルに続く、世界の基軸通貨を持つ国になる可能性がある・・・。

つまり・・・、円を刷るだけで、世界から色々なものが買える国になる・・・ことも、実は夢ではないのです。
詳しくは、いつかまた記事にして見たいと思います。






貿易立国日本の祖 平清盛

2013-08-30 18:18:30 | 古代日本のスーパースター

土佐のくじらです。

カテゴリーが「古代日本の・・・」ですけど、平安時代を古代というのはおかしいですね。(笑)
立派な中世でしょう。

日本では古代は、飛鳥時代の天智天皇が、中大兄皇子だった時代に終わっていると私は考えます。
ですから平安時代は、立派な中世です。

平安時代の末期に、武士階級であった平清盛が、太政大臣という官職に付きます。
太政大臣は大臣のトップですので、今まで言うならば総理大臣に相当いたします。

保元の乱、平治の乱で、源氏勢力を駆逐した平家ですが、なぜそれで太政大臣にまで上り詰めることができたのでしょうか?
その後権勢を強める後白河天皇(後の後白河法皇)側に、清盛が付いて尽力したのは大きかったでしょうが、この時期には既に、皇族や貴族階級には、世俗での現実処理能力が消え失せていたと思われますね。

温暖で、ほっといてもたくさんの食べ物が収穫でき、鎖国で究極の平和ボケの時代とも言える平安時代。

その後半期寒冷化し始め、主な収入源である農作物の激減に伴う争いごとの増加に、貴族制そのものが、制度疲労していて対応できなかったと思われます。

でなければ、武士階級の清盛に、政治への出番はありえなかったはずです。
しかし当時はまだ、政治は貴族階級出身者しか行うことは出来ませんでした。

平氏源氏は天皇由来の武士ですから、ぎりぎり貴族・・・と言えないこともありませんでしたが、皇族や貴族の警護が仕事の家柄です。

そしてそれらが争い、一方を駆逐した・・・というのは、今で言うならば、アルソックがセコムのシェアを奪い取った・・・くらいの認識で良いと思います。

平治の乱の時には清盛の年齢は、既に40歳代です。
そして64歳で亡くなりますが、たった20年余りの間に、なぜ全国を平氏は傘下に置けたのでしょうか?

それは、貿易の利権と富を握ったからなのです。
貿易による富は絶大です。
今でも、農作物単独のGDPと、輸出入の貿易のGDPでは、桁違いの値が出るはずです。

平清盛は日本で始めて、貿易による富の生成の可能性に、気づいた政治家なのですね。

具体的には、当時の中国「宋」から、「銭」(宋銭)を輸入し、それまでの農作物を中心にした物々交換経済から、銭の流通による経済へと移行させました。
つまり米本位制から銭本位制へとなり、日本は史上初めて、銭による流通経済を清盛時代に経験したのです。

米などの農作物は、食べてしまえばそれで、流通は終わってしまいます。
しかし銭ならば、米を売って銭を手にした人は、その銭で他のものを買うことができますね。

たとえば1万円札は、手にした人がお財布にしまったままならば、1万円の経済価値しかありませんが、それが経済活動を通じて10人の人の手に回ると、10万円分の仕事をするのですね。

つまり、1万円札が10人の手に渡ると、10万円の経済価値を生むのです。
100人なら100万円。
1000人ならば1000万円の仕事をし、1000万円の経済価値が発生します。

これが、銭の流通経済のすごさです。
流通することで、価値を生み、結果的に富が増えるわけです。

これは、米本位制・・・つまり、物々交換経済では不可能です。
食べちゃったら、流通が終わるからです。(笑)

清盛は、この仕組みを平安時代の政治に取り込むことで、莫大な経済興隆を京の都にもたらしたのですね。
そしてこの時から、銭の使われることの多い都周辺、そして関西を中心に商業が芽生えました。

そして清盛は、この銭の力で、朝廷内で権勢を強めて行くわけです。
それは、清盛に近い貴族や、清盛が支える後白河法皇も、経済的な飛躍を経験させることになったからです。

この、貿易のもたらす絶大な豊かさが、たった20年余りで、全国をほぼ平家一色で塗り上げた原動力だと私は思います。

清盛のすごさは、他の勢力の所領を奪うための軍事行動は、ほとんどしていないことです。
つまり清盛は、誰からも富を奪っていないのですね。

清盛が軍事行動によって、これだけの権勢を手にしたならば、凄まじく多くの血が流れたはずです。
以外ですが清盛は、ほぼ無血で平和裏に、しかも劇的に豊かにすることで、平家政権を作り上げたのですね。

清盛自信も、貴族世界で生きていくために、それ相応の努力があったようです。
何せ貴族の世界は、教養としきたりがモノを言う世界です。
歌や踊り、詩歌や接待など、相当の尽力があったと、文献では書かれていますね。

そして、平氏から遠い貴族は、古来からの米本位制・・・つまり、農地を基盤とした経済社会に生きておりましたので、相対的に貧しくなって落ちぶれて行き、清盛は彼らの恨みを買うこととなったのではないでしょうか?

この恨み心が嫉妬を呼び、後の平家一門の苦悩の原因となったのではないかと、私は分析しております。

とにもかくにも清盛は、武家政治の先例を作るために手腕を発揮したに留まらず、貿易立国日本の先達として生きた、偉大な政治家と尊敬しているお一人です。

                                               (続く)






シリアに見る、良い軍隊と悪い軍隊の見分け方.

2013-08-29 10:10:08 | 外交

土佐のくじらです。

長期間の混迷が続くシリア情勢。
そのシリアで、化学兵器が使われたことで、ようやくアメリカが重い腰を上げようとしています。

遅い!
遅すぎる!!

一体、何万人の市民が、戦闘に巻き込まれ亡くなったのか。
アメリカは、世界の警察ではなかったか!

国連常任理事国の、ロシアとアメリカで、シリア国内の支持勢力が違うというのなら、
うかうかしていたら、大国の都合による小国の内戦の泥沼化は避けられません。

人道的見地に立つならば、その前に手を打たなければならないのです。

国連は何をしていましたか!
韓国人が事務総長を勤める今の国連は、一体この非人道的な事態に、何をなそうとしていましたか!

無防備な市民にシリア軍が発砲した時点で、国連軍はシリアを制圧し、国連監視下の元、新政府を構築するべきでした。
国連はもう無力化し、既に有名無実化ております。

事態を国際的見地から解決するすべを持たず、そして国連憲章に違反した、「日本は歴史を云々。」という発言をした、韓国出身の事務総長には、日本は事務総長の辞任要求と、事務総長辞任までの負担金ボイコットをするべきです。

さて、善悪の区別のわからない日本のマスコミは、大国が軍隊を動かすだけできっと騒ぐでしょう。
安倍首相の、一挙手一投足にも、いちいち上げ足を取るような取り上げ方をするのでしょう。

しかしこれは、

軍隊には、良い軍隊と悪い軍隊があることが、マスコミがわからない証拠なのです。
これを見分けるのは、実は簡単なのです。

国民を守る軍隊は、良い軍隊です。
無防備な自国民を殺す軍隊は、悪い軍隊です。

これだけです。

左翼的知識人と呼ばれるような方は、軍隊=悪という刷り込みがあるようですが、それは間違いです。
軍隊に善悪があるのです。

善悪というのは、ある意味で観念であって、眼には見えません。
眼に見えない観念が、左翼的知識人には、理解が出来ないのです。

だから、眼に見える軍隊そのものを悪・・・と認識するのです。
彼らの知性が、その程度だということです。

アラブの春では、チュニジアとリビアの軍隊は、結局独裁者から自国民を守りました。
チュニジア軍、リビア軍は、良い軍隊だったのです。

シリア、そして今のエジプトでは、無防備な市民に、治安維持目的と称しながら発砲しております。
これは政府は守るが、国民は守らない軍隊です。
そういう国は、悪い国なのです。

中国も、北朝鮮も、無防備な自国民を、自国の軍隊が殺しています。
これは悪い軍隊であり、悪い軍隊を持つ国は悪い国なのです。

自衛隊が、日本国民を殺しましたか?
殺していません。
災害時など、いつも国民の命を、命がけで助けています。

私は戦前の旧日本軍も同様に、自国民を殺さず、そして、他国民も戦闘以外では殺さなかった証拠も知っていますが、歴史認識以上に大切なのは、”現状認識”です。

マスコミはご自身のことを、「自由の砦」や「民主主義の盾」と自認なさるなら、きちんと善悪の判断をしてください。
そして政治家の方々も、現状認識が善なのか悪なのかの、判断ぐらいは正しくしようとしてください。






平家物語は、アンチ清盛キャンペーン。

2013-08-28 10:20:54 | 歴史のミステリー

土佐のくじらです。

歴史は史実です。
つまり文章を研究するのが歴史です。

ですので、書こうと思えばいくらでも書けるし、事実ではないことも書くことができるのが歴史です。
平安末期の政治権力者平清盛は、悪者のイメージで日本人には定着しているようです。

しかし、日本人の平清盛観の根源にあるのは、「平家物語」ですよね。
平家物語は、後の鎌倉期に、琵琶法師と呼ばれる盲目の人たちが、全国を行脚して、琵琶という楽器を鳴らしながら歌って広めたものです。

現代で言えば、街角で歌うストリートミュージシャンのような感じでしょうか。
一見すると自然発祥的・・・に、見えなくもないですが、同じ様相、同じ楽器、同じ歌を、ほぼ同時に全国で展開するストリートミュージシャンがいたとすれば、それはどこかのプロダクションが、ある一定の企画と予算のもとで行う、何かのキャンペーンであることは間違いないですよね。

そう、後の鎌倉幕府が、亡くなった平清盛に対して行った、全国アンチキャンペーンが、我々が知っている「平家物語」の真相だと私は考えています。

琵琶法師が対象にしていたのは、皇族や公家ではなく、一般庶民です。
ですから、この幕府キャンペーンが意味するものは、「平清盛という権力者は、一般庶民レベルで人気があった。」ということですね。
一般庶民レベルで恨まれている権力者であれば、わざわざ予算を使って、アンチキャンペーンをする意味などないからです。

この平家物語に代表される、歴史のイメージ戦略は、戦前日本悪玉論も同じだと思ってください。
あれだけ執拗なプロパガンタには、それが必要とされる、逆の何かがあるのです。
それが歴史の読み方です。

さて、この当時の武士は農家ですが、天皇一族から武士になった、由緒正しき一族もおります。
それが平氏(桓武系)や、源氏(清和系)ですね。

これらの名家は、皇族や公家たちや、それらの所領を警護をしていたと思われます。
今で言うなら、国家公安みたいな感じでしょうかね。

平氏や源氏は、平安時代末期には、勢力争いのための軍事行動を行います。
1156年の保元の乱と、1159年の平治の乱です。
今で言うところの、党内の権力抗争みたいなものですし、新党ブームみたいなものでしょうかね。

そして最終的に、その権力抗争に勝ち抜いたのが平氏であり、その統領が平清盛です。

平清盛は武士ですので、元来の貴族出身ではありません。
(天皇由来の由緒正しき武士ですので、ギリギリ下級貴族とも言えますが。)

当時の朝廷内の政治は、貴族でなければできなかったので、平清盛は貴族になろうとしたのですね。
それは結構大変だったようです。
朝廷内では、教養やシキタリがものを言いますのでね。

清盛は歌や踊り、その他、高級官僚接待や、経済面での抱きこみ工作・・・様々な政治的手腕を駆使し、太政大臣(今の総理大臣)にまで上り詰めます。

そして、遣唐使を廃止して以降、日本は鎖国状態に入っていたのですが、宋との貿易を再開し、平氏は巨万の富を蓄えます。
当時の多くの人たちの富の元は、農地から収穫される農作物ですが、平家は貿易による富(銭)を、主な収入としていました。
今の神戸港のもととなる、福原の港を造りましたが、これらは今の貿易立国日本の原型とも言えます。

平清盛の政治は、後の源氏の政策より進んでいたところもありますし、
清盛の造った広島の厳島神社などを見ても、彼の芸術的なセンスが、とても優れていることが分かります。

平清盛は、とても信仰心が篤かったのですね。
信仰心のない政治家には、芸術センスの高い遺物を残せません。
ソ連時代のロシア、そして現代の中朝に、芸術性がないのと同じです。

平清盛は、現代にも通じる開明的な政治思想を持った、とても優れた政治家ではなかったかと思いますね。

後の源平合戦などでは、源氏が対する平家は巨大な全国組織ですが、平家時代というのは20年ほどなのですね。
たった20年余りで清盛は、全国をほぼ平家一色で塗りつぶしたのですから、ものすごい政治力です。

私は平清盛を政治家として、とても尊敬しております。

源頼朝も政敵の子ながら、結局命を助けていますし、義経などは義理の子として、一時期養育までしています。
これなどは、清盛の慈悲深い一面なのではないでしょうか?

源頼朝はその後、挙兵しますけど、決して源氏の再興を掲げての挙兵ではありませんし、
驚くべきことに、打倒平氏を掲げての挙兵でもありません。平氏討伐も結局、清盛の死後に行っています。

頼朝も義経も、清盛には義理を感じていたのではないでしょうか?
ということで、平清盛はとてもいい人だったと、私は考えています。

                                               (続く)