土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

戦争の歴史と反省

2014-08-25 20:25:40 | この国を守るために

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

仏教には、八正道という反省項目があります。
正見・正思・正語・正業・正精進・正命・正念・正定です。

その最初は正見(しょうけん)です。
「正しく見る。」という項目であり、「正しく見たか。」と観点で、心を見つめるわけですね。

「正しく見たか。」ということですけれども、「正しい見解であったか。」という観点でもあります。
この正見の反対を、仏教では邪見、または悪見と申します。

見解が間違っていると、その後のすべての見解が間違ってきます。
そして次の「正しく思うこと。」つまり正思、正しい判断ができなくなるのですね。

その結果、人は不幸になっていくというのが、仏教的な人生修行の前提です。

私は、歴史にも正見というのが存在すると思うのです。
そして、その正見の逆、すなわち、歴史における邪見、歴史における悪見というのも存在すると思うのです。

その歴史における邪見・悪見こそ、戦前日本の侵略国家説であり、独裁ファシズム国家論であると思います。
なぜならば、それらは事実に基づく見解ではなく、第2次世界大戦に勝利した国家たちによる、
彼らにとって都合の良い捏造の歴史であり、一方的に押し付けられた歴史だからです。

国家の体をなしていなかった、幕末の朝鮮に対しての征韓論を、朝鮮侵略論議のように語られ、
世界から孤立化した日本の窮地を、打破するために動いた日本軍の行動を、それを日本軍の暴走と語られて、
それが、日本の世界からの孤立の要因とされ、ありもしない、また実行不可能な南京大虐殺を仕立てられて、

さも、日本軍が日本国内では信奉を集めていたが、国外では非人道的な集団であったかのように、
これでもかこれでもかと、宣伝され続けてきたのです。

日本が孤立化したのは、日本が人種差別撤廃を訴えたからです。

当時は、植民地主義が世界を覆っており、それは人種差別を前提にしていましたから、
日本の提言は、世界の植民地大国=連合国の意に沿わなかったのです。


だから孤立化したのです。
そうでなければ、戦前の日本の孤立化の動きが、大正時代から始まっているかが、説明できないのです。

征韓論は、国防論議です。
はっきり言えば、日本が朝鮮に侵攻することを論議しているだけで、欧米諸国は朝鮮を諦めたのです。
ちょっと軍事的な知識があれば、これはすぐわかることです。
つまり、英雄西郷隆盛を、日本はこの征韓論で失いましたけれども、それによって、朝鮮は欧米列強から守られたのです。

明治維新の意義を、単なる政権交代としてのみ教えられ、
また征韓論を、朝鮮への出兵論議とだけ、現代では教えられています。

しかしこれは、教えている歴史教科書著者や、教科書を選択している人に、軍事的知識が欠如しているか、
もしくは知っていて、敢えてその部分を欠落させて教えているのです。

そのような歴史の教育状態に、今の日本があることを、できるだけ多くの方に知っていただきたいです。

極めて底の浅い歴史議論が、幕末から今に至る日本の歴史教育がなされています。
また肝心なところ、つまり、軍事的な側面を含めた教育は、一切なされていないのが現実です。
平和教育の名の下に、軍事的知識の欠如した歴史観を押し付けられているのが、現代日本人の歴史観です。

それは、病気を教えない医学のようなものです。
無役です。

明治維新革命を、ただの政権交代論議で語るならば、
なぜ明治政府は、大名を華族として残し、幕臣たちを、明治政府要人として使いましたか?

ありえない判断です。

それは、旧幕府も新政府も、理念は国防だったからです。
同じ国防の観点に立ち、その方法論が違っていただけなので、革命成就した後は、お互いに協力できたのです。

また、明治政府革命の主人公は武士なのに、なぜ明治政府は武士をなくしましたか?
国防ならば、武士がいた方が良いですよね。

それは軍を、短期間で近代化する必要があったからです。
一体化した近代日本軍をつくらなければ、欧米列強に太刀打ちできないからです。

いざというとき、占領されそうなときには、旧武士階級は頼りになります。
そのために、大名を華族として温存しているのです。

世界の軍事的観点の欠如した明治維新の物語からは、英雄待望論と、政権交代論しか出ては来ないのです。

左翼的歴史観は、邪見です。
なぜならば、軍事的教養の観点が、まったく入っていないからです。
軍事的観点の欠如した日本の歴史観は、まったく意味不明の歴史観を生み出しているのです。

邪見からは、正しい判断は生まれてまいりません。
日本人は、正しく歴史を反省するべきです。

でなければ、悲しいかな。
平和を願えば願うほど、戦争へと誘われることになります。

健康を願えば願うほど病気になるならば、これほど悲しいことはありませんよね。

因果の理法はくらませないのです。
平和教育という名の、軍事的教養抜きの歴史教育は、
陰謀を見抜く知恵も、他国の動きの意味も、何も見えなくするからです。

病気のことを教えてもらっていない医者には、患者の病気はわかりません。
病気のことを教えてもらっていない医学生というのが、軍事的教養を教育されていない、現代の日本人の姿なのです。


日本人は、八正道に照らし合わせ、歴史を顧みるべきです。
それこそが、日本人が行うべき、真の歴史の反省なのです。



日本に、侵略的意図を持つものに対する、唯一有効な方法とは。

2014-08-23 20:28:28 | この国を守るために

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

前回の記事でも書きましたけれども、日本は草食獣的な発想をする民族です。
それは、日本人が、侵略を発想しない民族であるということです。

草食獣は、他の生き物を殺めることに興味がありません。
理由は簡単です。

なぜならばそれは、彼らにとって、エサではないからです。(笑)
つまり、日本は基本的に豊かな国なので、他国を侵略する意味、そのものを発想しないのです。

草食獣が、他の動物たちと戦ったところで、怪我をしたり、はたまた命を落とすなどの、
リスクだけがあって、それによって得られる利益が、全くないから侵略をしないのです。

大富豪は、スラム街に行って、強盗しないのです。
なぜならば、スラム街に強盗に行っても、欲しいものなどないからです。
欲しいものなどないのに、犯罪を犯すリスクを背負うはずありません。。


一方、肉食獣は違います。
彼らは、他の生き物の命を奪わない限り、命をつなぐことができません。
ですから、怪我をしたり、命に危険があったとしても、他の命を奪う行動を取らざるを得ません。

しかし逆の意味で、肉食獣にとって、狩りは命をつなぐための行為だからからこそ、
その狩りで怪我をしたり、命の危険があってはならないのですね。

猟師さんは、十分に怪我に注意しながら猟をします。
漁師さんも、海が荒れていれば、出航を控えます。
海に行けば魚はいるので、命の危険を冒したり、船が壊れるリスクを考えれば、
「天候が回復した後、また漁に出れば良い。」と判断しますよね。

これと同じで肉食獣も、(猟師さん、漁師さん、ごめんなさい。)
命をつなぐ行為であるだけに、自分が怪我をしないよう、工夫をめぐらすのです。

特に肉食獣の狩りの対象である草食獣は、とても体が大きく、また身体能力も、肉食獣より優れているのが普通です。
ですから肉食獣は、狩りの対象を選びます。

小さな子供など、絶対に自分たちが怪我をせず、命の危険がない対象を選択します。
また、相手が大きな場合は、群れで一頭を狙うなど、できうる限り、リスクを少なくしようとします。

こういった、肉食獣的な発想をするのが、侵略国家です。
つまり侵略国家は、自分たちより強い相手とは戦わないし、相手が大物ならば、弱くしてから戦うのです。

国家の威信や、国家の存亡云々とか、世界の正義とか、いろいろ後付の口実はいくらでも付けられます。
ですから、彼らの言動や歴史文書に惑わされることなく、きちんとした観察と分析が必要です。

必ず、自分たちより弱い相手を選択し、相手が強い場合は、弱くしてから軍事行動を起こし、
戦っている最中は、無慈悲で徹底的に痛めつけるのが侵略国家です。

なぜならば、そうでないと、自分たちが危ないからです。
侵略国家は、より豊かになるために軍事行動を起こすのであり、損をするのなら行動は選択しないのです。

ですから、侵略的意図を持つ相手から、自国を守るのは案外簡単です。
相手より、強ければ良いからです。

これで解決です。(笑)
それ以外の解決方法などありません。

彼らは、軍事行動のリスクより、得られると推測される利益が多い時にのみ行動を起こします。
それ以外の、行動基準はないのが侵略国家なのです。

集団的自衛権行使容認の閣議決定以降、よく耳にする言葉で、
「そんなことをすれば、中国を刺激するだけだ。」というのがありますね。

それは草食獣、つまり、
防衛でしか軍事を理解しない、日本人独特の感性から来る言葉です。
また、日本人独特の感性を意識した言葉です。

日本人は、国防以外で軍事力を使うことが理解できない、根っからの草食系民族なのです。
ですから、「相手の防衛意識を刺激しなければ、戦争にはならない。」とか、
「戦争したくなければ、相手を追い詰めないことだ。」という発想をします。

「集団的自衛権行使容認すれば、中国を刺激するだけだ。」
日本人は国防で軍事のスイッチが入りますから、「相手を刺激しないように。」と配慮してしまうのです。

しかしそれは、逆の結果をもたらします。
なぜならば、相手=中華人民共和国は、チャキチャキの侵略国家=肉食獣国家だからです。

国家成立の2年後には、チベットを併合しました。
そして内モンゴル、満州、ウィグルなど、次々と国家を飲み込み続けたのが中華人民共和国です。

中国に併合されたくなければ、中国より強ければそれで終わりです。
それ以外の選択肢はありません。

ですからそれは、ただ単純に、日本国民の選択の問題です。

くれぐれも肉食獣国家に、余分なえさを与えるような判断をしてはなりません。


日本の心

2014-08-20 12:12:30 | この国を守るために

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

ぶしつけながら、皆様に質問です。
この質問は、日本の歴史を見ていく上で、私はいつも使わせていただいております。
侵略国家を理解するのに、大変に役立つ知識だからです。

動物社会で、一番強い生き物は何だと思いますか?
条件は、オスの固体で、一対一の勝負です。

ライオンでしょうか?
以外ですけれども、ライオンはベスト5には入っていません。

実は、カバだと言われています。
カバの住む地域では、「カバは見てはいけない。」と言われているそうです。

気が強く攻撃的で、強力なアゴとキバを持ち、
しかも、これも意外ですけれども、とても足が早いのです。

見つかれば、巨体で突進してくるので、姿が見えた段階で、もう相当危ない状況なのですね。
つまりカバは、「見れる距離にいたら、命が危ない。」くらい危険な動物だということです。

ですからもはや、カバに喧嘩を挑む動物は、自然社会では存在いたしません。

僅差で第2位にはゾウ、そして3位でサイが入るようです。

しかしカバ、ゾウ、サイの強さは、僅差でございますので、もはやどれが1位でも構いません。
東西の横綱と張り出し横綱の違い・・・とでも申しましょうか。

第4位以降は難しいのですが、キリンと大型のバッファローがその座に着くようですね。

それ以降、シロクマやライオンなどの、大型の肉食獣が入ります。
とても以外ですけれども、強い動物ランキングの上位は、すべて草食獣なのですね。

草食獣というのは、総じて体が大きいです。
体当たりされただけで、相手には相当のダメージがあります。

そして殺傷能力は余りありませんが、強力な歯とアゴを持ちますので、噛み付かれたら大怪我をします。

そして足が速いです。
つまり脚力が強いので、敵を蹴り倒すことができるわけです。

そしてここが重要なのですが、草食獣は怪我を余り恐れません。
恐らく彼らも、死ぬことには恐怖を覚えているはずです。
しかし怪我をしても飢えることはありません。
ですから死ぬことは恐れても、怪我をすることは、草食獣にとっては想定内なのです。

なぜならば、餌である草は、足元に生えているからです。
命さえあれば、彼らは食べることに困ることはありません。

実は、肉食獣というのは、身体能力的に言うと、草食獣より弱いのです。
なぜならば、彼らは総じて、草食獣より体格が小さいからです。

そしてここがとても重要なのですが、肉食獣は怪我を恐れます。
肉食獣が怪我をすれば、それはすなわち、餓死することを意味しているからです。
これが彼ら肉食獣を、用心深くするのですね。

健康体であっても、体が大きく、強い草食獣をしとめるのは大変です。
ましてや、怪我をした状態であれば、難しい狩りなどが、成功するはずもありません。

つまり肉食獣にとって、怪我=餓死なのです。
ですから肉食獣は、絶対に怪我をせず、確実に獲物にありつける戦略の元、狩りをしているのですね。

大抵の場合草食獣は、群れをなして生活をしております。
単体でも強い草食獣が、大勢の群れで生活しているのですから、
なおのこと、狩りは肉食獣にとっては大変です。

ですから肉食獣たちは、まず草食獣の群れの分断を図ります。
必ずこれを行います。
分断できなければ、狩りをやめます。

そして草食獣を逃げ惑わせ、老いたものや病気のもの、そして子供など、
逃げ切れなかった弱い固体を狙うのですね。

肉食獣にとって、狩りはビジネスです。
ですから、怪我をするリスクが少なく、できるだけ多くの利益が出るように、戦略の元行っているのです。

決して彼らは、自分たちより強い固体は狙わないのです。
怪我でもしたら、それ以降狩りができなくなり、餓死してしまうからです。

ですから草食獣が、肉食獣の群れ分断の仕掛けに惑わず、じっと徒党を組み、
敵の出方を伺っていれば、肉食獣は手出しができないのですね。

草食獣は逃げてしまえば、強力なアゴの力も使えません。
強力な足も、逃げるのに使ってしまえば、蹴り倒すことには使えないのです。
逃げている間は、巨体で体当たりもできません。

つまり、とにかくまずは、草食獣を逃げ惑わせることが、彼ら肉食獣の仕掛けなのです。

草食獣は強いです。
しかし彼らが戦うのは、群れの中での順位を決める以外は、防衛のみでしか戦いません。
なぜならば肉食獣のように、生きながらえるのに、他の命を奪う必要性がないからです。
餌である草は、いつも足元に生えているし、食べてもまた生えてくるからです。

日本は、古来より実り豊かな国でした。
今も世界の経済大国ですが、昔から食べ物が豊富な国で、国民も生産を重視する国民性でした。
いつも周辺諸国より、豊かな歴史であったのが日本です。

日本は今もそうですが、他国を侵略すると、相対的に貧しくなる歴史なのです。
日本の欲しいものなど、近隣諸国にはないのです。
つまり日本の歴史は、草食獣の歴史です。

しかし日本は、かつての戦いにおいて、戦勝国であるアメリカなどの連合国から、
「お前らは、肉食獣だった。」と吹き込まれているのです。

日本人に、肉食獣的な軍事の戦略性があったなら、まったく違う歴史を歩んでいます。
日本人は、肉食獣的な軍事の戦略性が、極端に弱いのです。
日本人は、動物社会に学ぶべきかもしれません。

侵略国家=肉食獣国家は、自分の弱いところを隠します。
そして強い振りをして、自分の強みの部分だけで、勝ちを狙いに来ます。

しかし、肉食獣的な侵略国家たちも、草食獣的な日本を、完全には理解はしていないようです。
草食獣は、防衛でしか戦わないのですから、親日的に友好的に侵略の戦略をめぐらされたら、
あっという間に内部から瓦解します。

そこが日本の、本当の弱点です。
つまり侵略的な意図、侵略者の考えること、これそのものが、日本人にはわからないということです。
それは、日本人が侵略ということそのものを考えない、草食獣的な発想をしているからです。

ここから、日本の幕末以来の、苦労の原因があったのです。

私が中国共産党幹部ならば、その日中友好戦法を使います。
しかし現時点で、恫喝や威嚇を絡めてくるのは、中国らが日本を、決して理解はできていない証拠だと思います。


草食獣は、防衛のためにしか戦わないのです。
自分たちの侵略のために、つまり他の生き物の命を奪うために戦うことが、草食獣には理解できないはずですよね。
なぜなら、いくら他の生き物たちを殺めても、それは自分たちのエサではないからです。

日本の歴史は、草食獣の歴史です。
日本にとって、侵略など無意味です。
海外を軍事攻略してかなえたい願いなど、日本にはないのです。

大富豪がスラム街に、強盗に行ったとしても、取ってくるものなどなにもないのです。
それは、過去の歴史の中でもそうだし、今現在もそうです。

歴史をつぶさに学べば、答えはおのずとそうなります。

戦前日本を孤立化させ、ABCD包囲網で資源を絶ち、弱らせてから日本に戦いを挑んだ列強諸国こそ、筋金入りの侵略国家です。
彼らは植民地大国であり、侵略で領土拡張をしてきた国々です。
侵略ビジネスの真髄を知っていたのは彼らであり、彼らの理論で、戦前日本を裁いたのです。

日本はそろそろ、歴史に目覚めましょう。

日本は良い国です。
今もそうですが、歴史の中の過去もそうでした。
今後も、そうあり続けましょう。

そのためには、歴史の目を開くことです。
日本の歴史の、真実の姿を見ることです。


日本人が、我慢すれば良かった時代は終わった。

2014-08-18 11:35:50 | この国を守るために

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

私の祖父は、先の大戦で中国に赴きました。
しかし、祖父はとても善人でした。

孫の私の目から見ても・・・というだけではありません。
飛び切りの、善人だったのです。

そのような、飛び切りの善人であった祖父が、
巷で言われているような、血に飢えた日本軍であったとは、
私は幼心に、とても信じられませんでした。


戦後の日本人は、戦勝国であるアメリカなどの国々から、
一方的に歴史観や、日本人観を押し付けられています。

「それで、日本が縮こまることによって、世界が平和になるなら・・・。」
という、日本人の美徳である我慢する気持ちが、少なくとも、戦後直後の日本人にはあったと思います。

しかし残念ながら世の中は、そのような日本的美意識の、通用しない時代に入ったのです。

戦国時代の覇者織田信長は、天下布武を唱えました。

天下布武というのは、武力で天下を平らげる・・・という意味です。
これだけ聞くと、物々しい感じがしない訳ではありません。


しかし信長の目的は、天下統一による平和だったのです。
その平和理念の具体化が天下統一であり、その方法論が、武力だったのです。
これが、天下布武の意味です。

「いつまでも、戦国時代などやってられない。」織田信長は、こう考えたのだと思います。

実は戦国時代において、天下統一を旗印に掲げたのは、織田信長が最初です。
武田信玄や上杉謙信など、有名な優れた武将を排出した戦国時代ですが、
以外ではありますけれども、天下統一を理念に掲げた武将は、織田信長以外にいませんでした。

皆、領国経営的な、戦いを続けていたし、
天下統一など不可能だし、誰も望んでいないと思っていたのです。

その天下統一の理念、天下統一によってもたらされる、平和実現の理念こそが天下布武であり、
その天下布武の理念が、形は違えどその後の、豊臣秀吉や徳川家康に受け継がれたのです。


織田信長の天下布武は、原理主義的天下布武と言って良いでしょう。
豊臣秀吉の天下布武は、現実主義的天下布武。
徳川家康の天下布武は、統治主義的天下布武だと私は考えます。

信長型は、失敗すれば、周囲は敵だらけになる欠点がありました。
豊臣秀吉はそれを、今で言う、連立政権のような、現実的手法によって天下統一を果たしましたが、
それは秀吉のような、政治カリスマがいなくなれば、一気に崩壊する欠点がありました。
絶対王者の統治ではないからです。

そして徳川家康の、統治主義的天下布武は、「二度と戦国時代に戻さない。」という、
強い決意のもとに、江戸幕府を運営し、その結果、日本は250年以上に及ぶ、
長期の太平の世の中を体験しました。


ただその250年に及ぶ平和は、当時の日本人一人一人の、
忍耐の積み重ねによってもたらされたものでもありました。

「決して戦国時代に戻さない。」という理念を実現するには、
大名のみならず、一庶民に至るまで、忍耐と我慢が必要だったのです。



しかしその、日本というコップの中の平和は、幕末の黒船によって、一瞬にして瓦解しました。
つまり、「これ以上、一人一人が我慢していれば、国家が占領されてしまう。」ということで、
倒幕そして、明治維新が起こったのです。

今日本は、戦前のあり方を敗戦によって非難され、縮こまって、
江戸時代の庶民のように、「我々さえ耐え忍べば、世界は平和になる。」と、
思い込まされてきたのです。

それで本当に、世界が平和になるならば、その我慢も甲斐があるでしょう。
しかし時は流れ、東アジア情勢は、また緊迫を始めました。

中国の台頭と、アメリカの没落です。
中国の軍事予算は、はるか昔に日本の国防費を越えました。
日本に向け、200発以上の核弾頭を積んだミサイルもあります。

そしてアメリカは、世界の警察への意欲を失いつつあり、
自国経済に没頭したい本音が、だんだんと明らかになってきました。

「日本が、我慢さえすれば平和になる。」という時代は、もうとっくの昔に終わっているのです。
日本が言うべき事を言い、やるべきことをやらなければ、平和は実現できない時代に、
世界はもう、とっくの昔になっているのです。

「日本は軍隊がないから、何も言えない。」ならば、自衛隊を強くすれば良いことです。
「日本は、憲法9条があるから、何もできない。」というならば、
憲法を改正したり、無効化すればよい事です。

国防は、そして国防が成功して実現した結果訪れる平和は、
ひとえに、自国国民の判断によるものです。

他国の問題ではないのです。
中国が横暴だから、平和が危ういのではないのです。
アメリカがだらしないから、日本の平和が危ないのではないのです。

日本は民主主義国家ですから、日本の命運は、日本国民一人一人の見識の問題なのです。

日本が我慢していれば、それで世の中がうまくいく時代は、もうとっくに終わりました。
日本は世界に目を向け、世界の平和に責任を持ち、世界に言うべき事は言い、
そして、やるべきことはやりましょう。

そうでなければ、もう日本の平和が守れないのです。
それを阻むものがあるならば、改革し改善する勇気を持ちましょう。

その歴史の鬨(とき)が、今なのです。



原爆投下の日を、新たな誓いの日としよう。

2014-08-06 16:59:27 | この国を守るために

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

本日8月6日は、広島に原爆が落とされた日です。
広島の原爆慰霊碑には、
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから。」という碑文が刻まれています。

私は、この言葉が大嫌いです。
この碑文には、 日本が過ちを犯したから、原爆を落とされた・・・
というニュアンスが込められています。

とんでもないことです。
原爆を落としたことが過ちなのです。

広島で死んだ方々は、一般市民なのです。
非戦闘員の虐殺は、国際法違反です。

広島の原爆は、アメリカによる、国際法違反の碑文でなければいけないのです。

今中国領である新疆ウィグル自治区では、中国の核実験による被害が出ています。
その数は、70万人以上と言われています。

世界最大の被爆国は日本ではありません。
中国です。
中国の新疆ウィグル自治区住民こそ、世界最大の核兵器による被害者たちです。

ウィグル人が、何か過ちを犯しましたか?
ただ単にウィグルという地が、中国政府による核実験場にされただけですよね。(怒)

ということは、中国政府は、
「ウィグル人は、核被害によって、死んでも構わない。」と思っているということです。

広島・長崎の原爆投下も同じ構造です。
広島・長崎に落とされた原爆は、タイプの違うものです。

広島はウラン型、長崎はプルトニウム型です。
何が言いたいかと申しますと、これらの2つの事例は実験だ・・・と言うことです。

つまり、
タイプの違う兵器の貴重なサンプリングとして、2つの都市への投下が必要だったということです。

要するに、これは戦況とか、そういうことに関わりなく、
当時のアメリカ軍の事情として、広島・長崎への原爆投下は行われているということです。

日本の降伏を促すためであったら、東京の近くの外洋で落とせば良いことです。
終戦間近のアメリカ軍は、日本の制空権を完全に掌握していましたから、それは十分可能でした。

しぶとい日本を観念させる目的や、
日本が独裁主義で、日本人を開放する目的ならば、絶対にその方が良かったはずです。

つまりアメリカ側からすれば、原爆投下でどれほどの効果が出るか、つまり、
どれほどの放射能汚染があるかや、どれほどの人的被害が出るかを知る必要があったのです。

ではアメリカはなぜ、人のいない外洋で行わなかったか。
それは、アメリカ国内において、人のいないところでの原爆実験は終わっていたからです。
つまり、既にサンプルがあったのです。

人のいるところでのサンプルが欲しかったので、広島・長崎に落としたのです。
アメリカ国内で、人のいるところでのサンプル採取は不可能です。
だから、戦時中の敵国である日本に落としたのです。

広島、そして長崎の方々は、怒らなければならないです。
広島、そして長崎の原爆投下は、白人以外の民族を、原爆投下実験に使った、歴史的証明なのです。

過ちは犯しませんから・・・と、自己を卑下し、自己をないがしろにする必要はありません。

そうではなくて、 決して、過ちは起こさせませんから・・・ と、
世界平和のために、決起する市民であって欲しいと願います。

でなければ、ウィグル住民の核実験被害なども、
世界のニュースでは取り扱われることはないのです。

原爆投下、そして全国の主要都市に空襲をした航空機B29は、爆撃機です。
爆撃機というのは、軍事施設を爆撃するためのものなのですよ。
非戦闘員である、一般市民を爆撃したら、国際法違反なのです。

つまりB29は、国際法違反の航空機なのですよ。
航空機B29の歴史は、 アメリカの国際法違反の歴史であり、
人種差別の歴史であり、市民虐殺の歴史そのものなのです。

アメリカは、これら国際法における重罪を犯しています。
ここらの重罪を、覆い隠し合理化するために、
南京大虐殺をはじめ、戦前日本悪人説が、どうしてもどうしても必要だったのです。

戦後直後の日本人は、そのアメリカの罪を認識していました。
認識してはいたけれども、受け入れました。
受け入れざるを得なかった・・・というのが正確でしょう。
当時の事情は、察するに余るものがあります。

しかし日本国民の皆様、これ以上、毒水を受け入れるのはやめましょう。
歴史をしっかりと見つめましょう。

でなければ、日本人性悪説の元、
子々孫々と、その過去の歴史とやらに、振り回される日々となります。

そしてそれは、過去行われた人類への罪、そして、
今も現実に行われている、人類への罪を覆い隠すことにもなるのです。

そしてそれは同時にその罪は、未来永劫、人類に行われ続けることになるでしょう。

日本人が腹をくくれば、世界は変わります。
つまり、 日本に、自虐史観をやめれば、戦争につながる・・・という怖れがある限り、
世界から、人類への罪が消えることはありません。

日本が、小さな怖れを克服する勇気があれば、世界は変わるのです。
今を生きる日本人が、真実の歴史を、本当の意味で受け入れることです。

日々の生きやすさや、小さな国内の事情や、国内の法律の問題や、
そういった、小さな小さな原理に基づく判断ではなく、

きちんと、人類にとっての正義や、大きな平和への原理に向けた判断に基づき、
日本人は歴史に目覚めるべきなのです。