土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

高知新聞の誠意を評価します。

2013-07-19 18:58:48 | 自由の神の信奉者

土佐のくじらです。
取り急ぎご報告いたします。

先日2本ほど、高知新聞に抗議する記事を書きました。
参議院選挙高知選挙区出馬の橋詰毅(つよし)候補だけが、他の三人の候補が載っている企画からはずされたことを書いた記事です。

本日、橋詰毅(つよし)候補事務所から連絡があり、
本日高知新聞から取材を受け、明日(7月20日)の新聞紙面に掲載されるということです。

直接の抗議をしてくださった皆様、本当にありがとうございます。

また、私の記事を掲載拡散してくださった、全国のブログの各オーナーの皆様、心より感謝申し上げます。

私は高知新聞の誠意を評価し、先日書きとめた2本の記事を非公開といたします。
私の記事を掲載してくださったブログのオーナーの皆様、出来ましたら、各ブログにおかれましても、同様の措置をしていただけますよう、ご配慮願いたいと存じます。

高知新聞の誠意に、私は最大限お応えしたいと願っております。
なにとぞ、よろしくお願いいたします。

(時期が過ぎましたので、また再掲載いたしました。)
                                    土佐のくじら

    


高知に、公平と自由と民主主義はあるのか!(高知新聞の偏向報道を問う)

2013-07-17 21:17:00 | 自由の神の信奉者

土佐のくじらです。

昨日の高知新聞朝刊には、幸福実現党橋詰つよし候補だけを外した企画が掲載されていました。
私は慣れ親しんだ地元紙高知新聞に、強い憤りを感じていおります。

「自由は土佐の山間より」
という言葉が、私は大好きです。

幕末明治の頃、英語のFreeという言葉を現す言葉が日本にはありませんでした。
それを翻訳し、自由という言葉を創造した人は私は存じませんが、それを日本に定着させたのは、
自由民権運動で知られる土佐の政治家、板垣退助であることは誰も疑いのない事実です。

自由という言葉は土佐人が日本に広め、定着させました。
その影には、坂本龍馬の暗殺があり、板垣退助も襲撃されました。
土佐の先人たちの、命を張った人生こそが、日本人の自由の概念と、自由な社会の基盤となっていると、土佐人である私は誇りに思っております。

自由な社会とは何か。
何事にもとらわれず、自身の心の欲するがままに生きて良い社会です。

それを、他の言葉に言い換えるならば、
「成した努力が報われる社会」と私は言えると思います。

さあ、民主主義社会と言われている日本ですが、本当に、
「成した努力が報われる社会」となっているでしょうか?

今行われている国政選挙、
橋詰氏以外の候補者は、高知新聞の企画に載りました。
これを恐らく高知新聞社は、「政党要件」に求めるでしょう。

しかし裏を返せば、
政党要件を満たしていると言われている、名の知れた既存の政治組織は、税金を使って選挙をしているのです。
彼らは税金を使って選挙をしているにもかかわらず、その上、8割のシェアを誇る地元紙が内容の宣伝をしてくれます。

しかし一方、政党要件を満たしていないと言われる、橋詰氏が所属する幸福実現党は、
自分たちだけで資金を集め、自分たちだけで広報し、自分たちだけで選挙活動から何から何までやってています。

このような不公平が、果たして許されて良いのでしょうか!
橋詰氏が所属する幸福実現党は、選挙公報の分野で、完全なハンディ戦を立党以来続けているのです。

昨年、橋詰氏が所属する幸福実現党の支持母体の幸福の科学は、映画を2本上映しています。
「ファイナルジャッジメント」という実写映画と、「神秘の法」というアニメ映画です。
私はその2本とも、橋詰氏と共に鑑賞いたしました。

共にテーマは国防です。
現代日本を取り巻く様相が、まことしやかに描かれて、実写も映画も作品としてとても完成度の高いものでした。

聖書に馴染みのある私は、「ファイナルジャッジメント」の訴えたいメッセージが気に入りました。
聖書を読んだことのない橋詰氏は、国防の強化の必要性を認識なさったようですが、
私は橋詰氏とは全く違う見解を、この映画作品から読み取っています。

恐らく、聖書に馴染みの深い世界は、私と同じ見解を持つでしょう。
それは世界の人々から見れば、彼らの作品「ファイナルジャッジメント」は、子供にもわかるメッセージなのです。

何が言いたいかと申しますと、この幸福実現党の人たちのメッセージには、国際性があるということです。
つまり、世界の人々が理解できる内容だ・・・ということです。

彼らは、映画だけではありません。
学校も独自で造っています。

そして、海外にも公演して回っています。
私はフィリピン、インドの仏教の聖地ブッダガヤ、そしてアフリカのウガンダ公演を、橋詰氏と共にお聞きしました。

どれも数万人単位の大会場です。
特にブッダガヤとウガンダは、野外特設会場でした。

自民党が、国防に関する映画を作りましたか!
民主党が、学校を設立しましたか!
公明党が、彼らが行ずる法華経の聖地、霊鷲山(りょうじゅせん)で、4万人集めて公演できますか!
日本維新の会がアフリカの地で、アフリカの民に誇りと希望を与えられますか!
共産党や社民党党首が、フィリピンの大会場で、スタンディングオベーションで迎えられることがありますか!


彼ら(幸福実現党)は、独自で資金を集め、これらの活動を続けているのです。
既存の、税金を使ってのうのうと選挙をしている政治組織が、一体社会に何をしたというのですか?
国民不在の政争に、明け暮れていただけではないですか!

宗教法人が非課税だということで不公平を言う人がいます。
しかしそれは当たり前です。
宗教に本来、利益など無いからです。

本気で布教し活動している宗教は、入ってきたお金は、全て活動費だからです。

宗教と金銭トラブルの話は、巷(ちまた)から消えたことはありません。
しかし、宗教と詐欺くらいは、見分けがつかないとダメです。

その違いを教えることこそ教育であり、その違いを伝えることが、マスメディアの仕事ではないですか!

高知新聞の今回の橋詰氏の扱いは、自由の国のオピニオンリーダーとしては甚だ失格であると、今の私は言わざるを得ません。












高知新聞は、憲法違反をしている!

2013-07-16 20:35:34 | 自由の神の信奉者

土佐のくじらです。
本日(平成25年7月16日)の、高知新聞の最終面を見て、私は愕然としました。

拙ブログで私が、友人である橋詰毅(つよし)候補を応援していることは、読者の皆様であれば承知の事実でありましょうが、
何と今日の地元紙高知新聞の最終面に、橋詰候補だけが紙面にはない特集記事があったのです。

これはどういうことでしょうか?
意味がわからないです。

地元高知選挙区からは、4人の立候補者が出ております。
4人がいる中で、橋詰氏だけが特集からはずれるならば、この紙面だけを見た読者からは、橋詰候補が出馬していることがわからないです。

これは地元紙高知新聞による、明らかな選挙妨害なのではないでしょうか?

私は取り急ぎ、橋詰選挙事務所に問い合わせました。
あいにく候補も秘書の方も県西部に外宣中でしたので、ボランティアの女性に伺ったところ、
前回地方選挙国出馬した、2009年の衆院選の時にも同様な扱いを、地元高知新聞からされていたそうです。

そう言えば、2009年の夏の衆院選挙の折にも、不自然な空欄のある記事が、高知新聞に見受けられました。

ボランティアの女性から伺ったところによると、
「政党要件を満たしていない幸福実現党の候補者には、マスコミの報道の公平性が欠ける。」
「度々抗議をしているのですが、このようなことが立党当初から続いている。」と教えてくださいました。

おかしいです。
政党要件を満たしていないからと言っても、橋詰氏は公職選挙法に則って出馬した、れっきとした地元候補者です。

政党要件が記事の基準だとすれば、既存の政党に属していない無所属議員が、当選できる見込みなど、日本からは出て来ないことになります。

有権者が地元選出議員を選択するのですから、公平な情報が必要です。
情報こそが、民主主義の基盤です。
であるからこそ、メディアは民主主義の砦なのです。

情報を得なければ、選択しようがないからです。

それとも一地方新聞社に過ぎない、一企業にしか過ぎない高知新聞は、公職選挙法を無視しても構わない特権でもお持ちなのでしょうか?
それは自ら、民主主義の砦である使命の放棄となります。

政党要件と言っても、それは、政党助成金を受ける対象に過ぎません。
政党であるかどうかは、自らが「○○党」と名乗ればそれで終わりです。
それは、日本国憲法21条「集会・結社・表現の自由」で、日本国民に保障されていることです。

政党要件を、政党助成金を支給するための「政党助成法」に求めるならば、政党助成法自体が憲法違反です。
憲法違反の法律は無効です。
高知新聞が成している判断が正しいのであるならば、護憲派として鳴る高知新聞自体が、憲法違反の法律に準じているとなります。

それはさて置き、堂々と公職選挙法に則った候補者を平等に扱わないのであれば、
高知新聞は、民主主義の民主主義たる骨幹、政治選択の自由を保障した第15条参政権の、事実上の違反です。
なぜなら民主主義下では、情報供与がなければ、選択のしようがないからです。

もしも、橋詰氏の所属する幸福実現党の支持基盤が、幸福の科学という宗教法人であることが、偏向報道の原因であるならば、
高知新聞は、19条思想信条の自由と、20条信教の自由に違反しています。

主な支援団体が宗教法人という理由であるならば、創価学会を母体とする公明党も、公明党の選挙協力下にある自民党も、
マルクス・レーニン主義を奉ずる共産党や社民党なども、同一視されなければ公平ではありません。

マルクス・レーニン主義は、「無神論」という、言わば神仏を否定する宗教です。
神様仏様を信じ、奉ずるだけが宗教ではありません。
無神仏も、科学的には証明できないのに信じているのですから、マルクス・レーニン主義も同様に宗教であり、それらを思想的バックボーンに持つ、共産党・社民党も無神論宗教政党です。

そういう、政治組織のバックボーンにあるものは、マスメディアならば全て公開し、その選択は選挙民に任せるのが、マスコミ人の使命ではないのですか!
それこそ、日本が民主主義国家(思想信条の自由のある国家)であることの証明ではないですか!

それでも、自由発祥の地、誇り高き自由の地高知の、8割のシェアを持つ主要マスメディアなのですか!

それとも、橋詰氏が所属する幸福実現党の方針が、高知新聞社の社の信条に合わないから、橋詰氏だけがはずされたのですか?
ならば高知新聞社は、マスメディアという権力を母体として、自分たちの意にそぐわない政治組織を自由に投票前に峻別する、既得権益を持っていることとなります。

高知新聞社側の「21条表現の自由」、つまり、記事を載せない自由があるならば、それはもっと大きな、国民の知る権利(同21条)を奪うこととなります。

これは、独裁です。
マスメディアが、事実上の政治権力を握る、一種のマスメディアによる独裁です。
民主主義下では、情報が判断基準ですから、国民の政治選択の基準を握るマスメディアはいくらでも投票操作ができます。
教えてもらえない限り、選挙に出馬しても、判断してもらえないですし、出馬していることすら伝わらないです。

これでは、氏姓が良くなければ政治に参画できなかった聖徳太子以前の政治、天皇から官位を与えられた貴族以外政治に参画できなかった平安時代以前と、現代日本は全く変わりはありません。

かつての朝廷が、マスメディアに変わっただけです!!
これは拡大解釈すれば、日本国憲法第14条、貴族制度の禁止事項に違反しています。

高知新聞よ。
あなた方の仕事は、誇り高き自由の民の仕事ではありません。

地元高知県民として、私は警告します。
即刻橋詰候補に対して、追加の補足記事を書き掲載しなさい!

また読者の皆様、日本国がまだ、民主主義国家であると信じる方は、ぜひ高知新聞に対して、直接の批判をお願いいたします。
これは、日本人の政治選択の自由の問題です。

これまで「誇り高き日本の歴史」を書いてきた、私土佐のくじらは、
自由の国人(くにびと)高知県民の誇りに賭けて、また一ブログ人として、この言論の横暴に挑戦状を叩きつけます!

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